ときどき哲学の書なんぞを読む。人生はいかにあるべきか、なんてのではない。物理学的時間と生物学的/生命論的時間の対比、なんてやつである。哲学を学んで、器用に人生を送る術を会得できるわけではない。幸せにも不幸にもならない。愛を勝ち得るなんてことは絶対にない。書を著しブレイクして印税や講演料がザクザク入るという幸せが手に入るかもしれないが、これも、まずというより絶対にない。で、なんで読むのかというのであるが、理由は暇。人間、時間がたっぷりあるときは、それはそれで忙しく時間つぶす道具を考えつくが、中途半端な暇は、これをつぶすのにちょっと苦労する。へたにミステリーなんてのに手を出したら、それこそ暇を埋め尽くして溢れてしまう。こんなときは退屈な本を読むのが一番であり、それが哲学の書。眠れないときなんてのは中途半端な時間の代表であって、ミステリーなんてを読むべきではない。哲学書に限る。私はこの50年近く、『善の研究』に挑戦しておりますが、既読範囲は20パーセントにも達しておりません。暇つぶしに読んでおりますから、挫折感も敗北感も焦燥感もありません。