2021年
3月
02日
火
これから食、一人で食事をするとすれば何を食べるか。別に死の間際ということではなく、単に一人で食べる人生の10食。カレー、焼き鳥、ウナギと寿司にこってりとしたラーメン。ここまでは簡単にたどり着く。すき焼きや焼肉なんかは誰かと一緒に食べたい。一人で食事となると、続くのがメンチカツ、生姜焼き、ハムエッグ、高菜チャーハン、アジフライ。なんだか、うすっぺらぼくの食の歴史がうかがい知れます。今日はこれから焼き鳥を食べます。おそらく。
2021年
2月
28日
日
2021年
2月
17日
水
昼に食べたのが担々麺。いつのまにかぼくたちは坦々麺を普通に食べるようになったのですが、どうもこの料理も麻婆豆腐と同じく、かの陳建民さんが日本に広めたらしいのです。これまでぼくは昭和で38年、平成で30年、令和で2年生きてきたことになりますが、昭和の時代には担々麺を食べた記憶がありません。ぼくの歴史と記憶なんかは別として、麻婆といい坦々といい陳さんにに感謝します。
2021年
2月
09日
火
そうか、今日2月9日は肉の日か。どうりで、意識したわけではないのだけれど、朝から肉ばかり食べている。ちなみに3月7日は魚の日らしい。10月10日も魚(とと)の日らしい。ついでに毎月10日も魚(とと)日らしい。さらに8月31日は野菜の日。ほんとうにどうでもいいことですが。
2021年
1月
30日
土
俺って、つくづくダメな奴だな、と、ぼくはときどき、いや、いつも思うのです。何がダメかって、意志が弱いのです。決して目標は高くないのに、必ず、その翌日には挫折するのです。今日は、いや、今日も減量です。いい歳をして、飲んで食べてしまうのです。
2021年
1月
18日
月
突然の話ですが、アメリカだけはヒットラーを産み出さない、と思っていたのですが、そうでもないようです。ちなみに、ぼくは西部劇は大好きなんですがアメリカという国は嫌いです。
2021年
1月
09日
土
ここのところ、なんとなくやり残したことがあると思っていました。エキナカの乾物屋で、これだっ、と発見しました。さらしクジラです。グラム単価からすれば、高級食材となりました。子供時代は、嫌になるほど食べていたのですが。
2021年
1月
05日
火
新年明けて5日目。2月17日に迎える古希の誕生日に向けて、日々を過ごすぼくにとっての楽しみって何だろう。さて、本当に何だろう。この30数年間、ほぼ泥酔状態で家に帰り、布団に潜り込む生活をしてきたぼくにとって、いまさら他の生活の楽しみを探せったって、無理です。この歳になると、他の楽しみを探すなんて無理です。ということで、一刻も早く、ぼくにとってこの過剰な自粛生活が解かれることが、今のぼくの楽しみです。
2021年
1月
01日
金
あけましておめでとうございます。
また一つ歳をとります。そのうち、自分と歳を忘れるときが来るのかもしれませんが、この2月で古希を迎えることとなるようです。悩みの多い年頃です。
2020年
12月
25日
金
青山玄蕃という男がいた。大身3000石の旗本、万延元年(一八六〇年)のことです。だが、歴史には名を残していない。浅田次郎の『流人道中記』にのみ登場します。いやぁ~、実に快男子を産み出してくれたものです。ところで、今年もぼくの家にはサンタは訪れてくれなかった。
2020年
12月
17日
木
寝ながら聴く山本周五郎の小説。描かれる主人公(女性)にはまっています。藤沢周平の描く女性よりも惹かれます。男ってのは、薄幸な女性に惹かれるもんなんでしょう。とくにぼくは。
2020年
12月
12日
土
さて、年賀状。コロナを話題にするのは飽きた。コロナのことは書かない。そう決めた。でも何を伝えよう。60代も最後の年となると、そんなに起伏のある一年なんか送っていない。もっとも、もともとそんなに凹凸もなく、横幅も狭い生き方をしているのですから、メッセージ性の乏しい人間なんです、ぼくは。
2020年
12月
06日
日
久しぶりのラグビー(早稲田対明治)。12月の季節感を感じます。ぼくが観るスポーツはいつもラグビー、ときどき相撲、たまにボクシング、年に一度の駅伝。今日は、ラグビーを堪能しました。
2020年
11月
30日
月
ひやぁ~、11月が終わる。好物のアジの開きを突っ突きながら、やがて年が明けてやってくる誕生日に背筋が寒くなる。古希ではないか。あまり実感がないな。つまり、成長してないな、ってことです。
2020年
11月
28日
土
先日、先輩が福岡から上京。いつもなら昼から酌み交わす杯も、今日は取りやめ。ご時世なのか、歳なのか。夜は一人宴会。最近、一人での宴会も楽しみになってきた。アジフライと煮しめがれば、話し相手なんかいなくっても。でも、やっぱり気がおけない仲間と一緒のほうがいいに決まっていますが。
2020年
11月
09日
月
気がつくと11月。かの国の大統領選に気がとられているうちに瞬く間に秋が深まる。まあ、そんなに興味があるわけでもなく、かの国の大統領が変わったとして、わが身になにがどのように影響するのか考えたこともないのですが、ともかく不思議であります。日本のマスコミを通じで受けた印象からすると、何が故にあそこまで接戦になったのか。ときどき、我が国民の民度が問題になることがありますが、かの国の国民の民度は問題ないのでしょうか。いや、問題はないのです。おそらく不思議ではないのです。彼にもいいところはあったのでしょう。ぼくにはわからないだけで。
2020年
10月
29日
木
牛タンが食べたい。ということで某デパートレストラン街へ。大盛牛タンとビール、これは、神の祝福か悪魔の誘いか。プハァ~、ビールがうまい。こんな日はいい日に決まっている。
2020年
10月
22日
木
神は存在するか、ではなく、神を信じるか、でもなく、神はいた方がいいか。そりゃ、いた方がいいに決まってる。なにかと、便利だろうから。じゃあ、神はいるんだ。そう思うようになった。ようは、神も仏も、あまり期待しないことでしょうね。
2020年
10月
04日
日
いやはや涼しいです。すっかり秋です。秋といえば新潟。しかも、見附市。見附城跡の麓で生まれたものですから。といっても、単なる小山で、城跡なんかなんにもなかったような気がします。いまや、縁戚も知人もいない見附ですが、GOTOなら大阪よりも見附に行きたい。ほんとうに、田園や雑木林以外は、何ら特徴もない普通な田舎なんですが、どういうわけか、立派な料亭だけはあるのです。だから行きたいのではないですが。
2020年
9月
25日
金
最近の不思議というか分からないこと。一つ目、新型コロナ。いったいあんたは何ものなの。これほどまでに社会を変えるほどの大物なの。二つ目、安倍内閣支持率の急上昇。辞任発表をしてからの急上昇。いや、別に安倍さんの業績にケチをつけたいのではありません。発表から世論調査までの間、安倍さんは何もしていないのですから。三つ目、季節感。なんで急に季節が変わるの。これは季節が悪いのではなく、単に僕が鈍感なだけでしょうが。
2020年
9月
16日
水
漱石の『坊ちゃん』には本名は出てこない。別に必要ないのだが、坊ちゃんを可愛がるお手伝いの清(キヨ)。坊ちゃんが松山に赴任したときは、いったいおいくつだったんだろうか。坊っちゃんは松山での教師を辞職して東京に帰ったあとは再び清と暮らすのであるが、清さんは相当に素敵な人だったんでしょうな。
2020年
9月
14日
月
ようやく涼しくなりました。といっても蒸し暑い。まだまだ、わたしには夏です。これまでの人生において、私の場合、体型上、夏の期間が長く、秋冬の期間がが短い。暦の春夏秋冬と体感上の春夏秋冬が違うのであります。でも、夜明けが遅くなり、夜の帳が下りるのは早くなりました。総裁・総理が誰になろうと、秋はわが身にも来ております。明日あたりに、わたしにも秋が来るかな。
2020年
9月
06日
日
なんと9月ではないですか。アジフライやらサバサンドを食べているうちに体重も増加。最近、物忘れがひどい。とくに、ドクターのいうことが、忘れるというより、頭に残らないのか、とんと身につきません。
2020年
8月
30日
日
昼前、鯖サンドを求めて市原まで。呑みたいビールをグッとこらえる。夜、アジフライを求めて稲毛駅前の居酒屋へ。ホッピー&焼酎でアジフライをかぶりつく。これぞ千葉県民の醍醐味。
2020年
8月
27日
木
あつい、暑い、熱い。とにかく暑い。歳とともに暑さに対する耐久力がなくなったのか、年とともに熱さが増しているのか、その両方なのか、とてもこの暑さを楽しむことなんてできません。この老体・醜体をいまさら晒す勇気はありませんが、風呂に浸かるが如くプールに浮かびたいもんです。はて、最後に泳いだのはいつのことだったのか。
2020年
8月
26日
水
熱くて思考も停止。久しぶりに東銀座に出かけたものの、所用を済ませてそそくさと帰還。思考そのものも、行動そのものの少々分裂気味。何のために何を考えているのか、何のために動いているのかよく分かりません。もともと目の前のことにしか反応しない人間なのですが、ここのところそれが酷い。
2020年
8月
06日
木
コロナだの暑いだのといっている間に8月。そのコロナ、専門家の間でもいろいろと話が異なります。各国の指導者の間でも対応が異なります。別に、専門家や政治家があてにならないといっているのではありません。さほど自然界と人間の身体はまだまだ分からないことが多いということでしょう。いささかコロナには飽きてきました。明日は立秋。もう秋なんですか。
2020年
7月
21日
火
元来ならば、今週末は東京オリンピックの開催。一年前、いや半年前とは、えらく世相が異なります。歳とともに、血が騒ぎ、肉が躍る、なんてことはなくなるものですが、いまほど沈んだ世の空気を感じるのは初めてです。踊っているのは株価だけ。複雑な心持であります。
2020年
7月
08日
水
今年は、恒例の入谷朝顔市も中止。つまんねぇ~。確かにコロナはいやだけど。あまり気にしすぎての萎縮生活もいや。お互いが、マスクなどでそこそこに自粛して生活するのでいいんじゃないかと思います。あまり自己規制が厳しすぎると、それを他人にも求めたくなります。「コロナ自警団」「自粛警察」と言われるのがそうでないでしょうか。ぼくは、他人に何かを強制されることが極端に嫌いなたちで、そこそこの規制以上に、他人からあらやこれやと言われることに反発してしまうのです。別に、ぼくの強さを示したいわけではありません。ほんとうに臆病なたちの人間なんですが、それ以上に、必要以上にあれやこれやといわれることが嫌い。危機感を利用して、必要以上に他者に何かを強制する。これって、ファッショじゃないですか。まぁ、朝顔市の中止は主催者の立場として致し方ないともいますが、個人の判断の領域まで立ち入るのは、助言までにして強要はいけません。生きるってことは、病気や交通事故を含め多少のリスクはあるのですから。べつに何があったわけではないのですが、まだまだコロナ禍の風潮で、あれやこれやと必要以上に注意(強要)を求める人がいるようでして。たとえば、レストランでのマスク不着用者に対する怒声。
2020年
6月
30日
火
もう上半期も終わりですか。コロナで始まり終わったような上半期ですが、そのコロナ、まだまだ収束が見えません。もっとも。人口1300万人の東京都、50人程度程度の感染者なんて、数の内に入らない、との考えもあるのでしょう。ぼくもどちらかというと、その感覚なのですが、どうも気持ちが悪い。そんな気持ちで終わる上半期です。
2020年
6月
16日
火
願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ(西行)
花は桜、望月は満月。釈迦が入滅したとされる旧暦2月15日ころでしょう。いまでいえば3月中旬のころ。なんとなくこんな歌を思い起こさせる年齢になりました。ぼくは、別に桜の季節にこだわりませんが。
さて、ビールでも飲みますか。
2020年
6月
09日
火
夜の街、ですか。おそらく新宿歌舞伎町のことを指しているのでしょうが、その夜の街の元ハ―ドユーザーたるぼくは、いまの文脈で使われる夜の街って言葉に強く違和感を覚えます。夜の街って、陽が落ちた街の焼き鳥や居酒屋など密集地のことであって、事務所近くの北千住の夜は、それこそ立派な夜の街であって、なくてはならない街なのです。夜の街に悪いイメージが付着するのがなんとなく嫌なのです。ぼくのいまの人間性の一部分は夜の街で形成されいると思うのですが、おそらくいい方向に作用しているのではないかと、ぼくは思っているのですが、これって思い違いでしょうか。
2020年
5月
19日
火
テレビを観てもつまらない。HULU、Amazonprime、nettfkx二も飽き、好きな落語も上の空。なにが原因かと思うと、ガソリン不足。量ではなく質。やはりガソリンは、すし屋、焼き鳥屋、焼肉屋で飲んでこそ血となります。そろそろ自主自粛解除といきますか。先ずは、焼肉屋に飛び込みたいですなぁ~。
2020年
5月
10日
日
ポップコーンの袋を抱えてパソコンの前に。ネットフリックスで『アイリッシュマン』。マーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロとアル・パチーノ主演。やはり映画は、劇場でなくともポップコーン。ポテトチップスは、ガサガサ、ボリボリと音がうるさい。ということで、今日のぼくは独り映画観賞。朝はサンドイッチ、昼はサバ缶を利用した男の簡単あら汁、夜はすき焼き。閉じこもれというから閉じこもっているけど、こんな生活は飽きますわな。
2020年
5月
04日
月
なんで閉じこもり生活をしているのか、分かるような分からないような。でも閉じこもりをしています。今日あたり、スカスカのラーメン屋で餃子に味噌ラーメンでも食べようかな。学生時代、総武線本八幡駅の近くの札幌ラーメン店で味噌ラーメンばっかり食べていました。どさん子であります。
2020年
5月
02日
土
活きた伊勢海老とサザエが届く。本来ならば銀座とかどこかの高級料理店で、それなりの人の口に入ったものを。個人的には豪華な夕食であったが、これが常態化したんじゃ、いままでこの伊勢海老やサザエで生業を立てていた方々は、たまらんだろうに。良いんだか悪いんだか。
2020年
5月
01日
金
新しい生活様式って何だろうって考えると、つまり、速い話、おそらく、きっと、ぼくのいままでの生活様式とまったく異なる生活様式なんだろうと思う。仕方がないと思うけど、いまのこのような生活は高齢者のぼくでも後一週間しか持たないな。週二回ぐらいは夜の赤ちょうちんくをぐらないと、心身のバランスが狂ってしまいます。そこでぼくの望みです。これから陽が長くなります。せめて、居酒屋の営業時間を22時までにしてください。19時じゃ、外はまだ明るい。店の親仁を相手のショートな会話は、人生の醍醐味であります。しかし、何時までマスクをする生活なんでしょうか。
2020年
4月
22日
水
さてランチと歩いていると.小さなタピオカ店の前に突然の長蛇の列。ナントなんとマスクの販売。50個入り3,200円。これまで、添付サービスとしてマスクを配っていたらしい。これはこれでありがたいことですが、日本はマスクの製造能力も喪失したのかと少々心配に。ある程度の自己完結力は備えていなくては。
2020年
4月
21日
火
柚木裕子『暴虎の牙』を読み終える。『弧狼の血』、『凶犬の眼』と続く3部作。完結篇らしい。これぞコロナの憂さ晴らしのハードボイルド。しかし女性作家がこのような汗臭い男の世界を描くとは。いや、女性だからこそ男を描けるのかな。
2020年
4月
20日
月
どこに行っても閉鎖中。今日はランチ難民。バブル崩壊時も100年に一度のリーマンの時も、こんなことはなかった。いったいどうなるんだろうか。考えるのも面倒臭くなってきたので、ミステリーでも読もう。
2020年
4月
08日
水
愚痴っぽくなるようですが、人生の後始末をつけなければと思うような歳になってコロナ危機を経験するとは。ぼくたちの世代は、逃げ切り世代ともいわれるように、戦後の苦労も大して経験せず、日本が膨れ上がるとともに、横並びにその恩恵をなんとなく受けてきた世代なんですが、ここにきてそのツケが回ってくるんじゃないかい、と思うことがあります。ぼく自身は、楽天的というよりも鈍感なものですから、あまり危機を感じない方なんですが、そのぼくがこれからの社会は大変な時代になるのではないか、と感じるものですから。ここは、若い方々に次の時代を切り拓いていただきましょう。
『あなたが生まれたとき、あなたは泣いていて周りの人達は笑っていたでしょう。いつかあなたが死ぬとき、あなたが笑っていて周りの人たちが泣いている。そんな人生を送りなさい。(ネイティブアメリカンの言い伝え)』
そのためにはあまり長生きをするのも考えものです。
2020年
4月
06日
月
なんだか世界が一変したようです。上野、アメ横はガラガラ。千葉もガラガラ。いつも行列しなければならない食堂もガラガラ。首都圏だけの現象だといいのですが。地方に住む知人の話を聞きますと、まったく対岸の火事のようなところもありました。これはこれでホッとしたのですが、ウイルスの拡散速度とこれに対する政府と個人の対応の速度。対応速度が拡散速度を上回らなければ。ぼくなんか緊張感が続かないところがありますので、気をつけます。
2020年
4月
02日
木
3月1日には29人。4月1日には527人。東京都のコロナ感染判明者数です。全国的に見て224人が2107人へ。全世界で87千人が873千人へ。基となるデータが異なるため、必ずしも正しい結論とは言えませんが、東京の感染速度が加速しているような気がします。それでも、この流れで4月中にストップがかかればいいのですが。ニューヨーク市は3月1日に感染者が初めて発見されたのですが、それが4月1日には48,000人です。爆発が繰り返されなければいいのですが。
2020年
3月
31日
火
おいおいオイオイ。もう3月も最終日ではないですか。高血、糖尿、心臓疾患、高齢と、コロナのメインターゲットであるぼくは、これまで、世間の騒ぎを遠い向こうの話と思っていました。昔から、危機感が薄いというか、浅薄というか、リアリティをもって物事に接することができないタイプのようなのですが、最近ちょっとやばいかなと思うようになりました。同世代の志村けんさんが、ああもあっさりと召されるなんて。それこそ、オイオイおいおい、他人事じゃないぞ。