17.4.30 Sat
夜中の2時に起き、物置と書庫のような書斎で読書と仕事。途中、ブックオフに赴き4冊購入。ブックオフの存在は有難い。作者には申し訳ないが、価格破壊の波は印税にも及んでいると思っていただきたい。その他は書斎に閉じこもり。夕方にはビール。その後一眠り。深夜また起床。これも、連休の醍醐味。しかし、気に喰わないのは阪神の連敗。この時期、阪神が負けると新聞を読む時間が著しく短くなる。もっとも、5月半ばには慣れてしまい、新聞も普通に読めるようになるのであるが。マゾヒズムの塊のような阪神ファンでもこのような気持ちである。巨人ファンの心中はいかがなもかと同情する。私は、ざまぁーみろ、なんて心の狭い人間ではない。ただ、弱者の気持ちを理解するには良い機会だと心得ていただきたい。なに、巨人はもう十分弱者であったと、な。
≪雑読・濫読メモ≫に『メービウスの環』を追加しました。
17.4.29 Fri
久しぶりの休暇。朝4時半に起きて、終日、音楽、ミステリー、昼寝で過ごす。怠惰がこれほど充実しているとは。納得の一日。
17.4.28 Thu
今日は、事務所恒例の食事会。場所は浅草『萬鳥』、串焼屋。フランスレストランの姉妹店ということで、鶏肉は日本産とフランス産、浅草らしく国際的。そう、浅草は国際都市です。ならば、ということで、アルコールもビール、ワイン、焼酎とグローバルに展開。できれば老酒を加えて日中友好といきたかったが、在庫がない。残念ではあったが、老酒なくとも泥酔。帰りのタクシーで阪神7点のリード。さらに心地よさが加わる。自宅で余裕を持ってテレビを観れば、よもやの逆転負け。何てことだ。
≪雑読・濫読メモ≫に『私の家は山の向こう』を追加しました。
≪私の好きな下町とお店≫の≪浅草地区≫に『萬鳥』を追加しました。
17.4.27 Wed
連休情報。三日間は、溜まっている仕事をする。一日は、弁当を買い上野のお山に登る。そこで生活をしている人と間違われない程度に昼寝をし、その後文化会館でコンサート。さらに山を降りてトンカツ。一日は、自宅でアイポッド三昧。カラオケの持ち歌を仕込む。沢田研二と中村雅俊に挑戦。最後に残された一日は秘密。少なくとも風邪で寝込むことはしない。以上、私の連休情報である。
17.4.26 Tue
午前は市川、午後は津田沼で打ち合わせ。昨日は神奈川、今日は千葉。明日は埼玉の入間。土日は事務所で缶詰だったことを思えば、一転しての出稼ぎ。そういえば今は、月末ではないか。連休前ではないか。後2日で連休突入。私は、連休中でも相変わらず事務所に出るのであるが、近くに上野のお山がある。この時期、文化会館では東京フィルハーモニーの定期公演があるはず。たまには、生の音の世界に浸りたい。
17.4.25 Mon
午後、厚木に出かけ。夕方は丸の内で打ち合わせ。夜は門前仲町。深夜帰宅してみれば、尼崎で大惨事。あってはならない事故。我々は、いろんなところで安心して命を託している。それに応えるのが公共的事業の使命である。電車に乗るのにリスクを覚悟しろ、では生活が成り立たない。亡くなられた方に合掌するとともに、責任者には猛省を望む。
17.4.24 Sun
昨日に続き缶詰。帰路はお気に入りのアイポットで、思いっ切りハードロック。自宅までの一時間のドライブは、結構気晴らしになる。まるで中年暴走族。何といっても、我々の世代はビートルズが育ててくれた。見かけほどクタビレテいないのだ我々は。あぁ~、ビアホールにいきてぇ~。
17.4.23 Sat
朝6時から事務所で缶詰。3月決算の追い込み。年々3月決算の報告が早くなる。本ホームページご覧のクライアントの皆様、私は頑張っております。ご安心ください。とはいっても、プロはプロセスではなく結果。明日も缶詰。
17.4.22 Fri
午前は上野、午後は渋谷、夜は新宿。これで深夜に池袋に赴けば、4大繁華街を制覇するところだが、深夜は自宅。やはり街の大きさは新宿が抜きんでている。いつの間に新宿はニューヨークになったんだ、と見当違いな感想を抱きつつ歩く。若いころ新宿にはお世話になったが、あまり良い想い出はない。青春の思い出は苦い、などどと気障なセリフはいわないが、懐かしい想い出が、必ずしも甘いとは限らない。
17.4.21 Thu
「狼に率いられた羊の軍は、羊に統率された狼の軍より恐ろしい」との格言がある。古代マケドニアのフィリップ二世の言葉らしい。実際には兵士の能力が大事であるが、如何に指揮官の力量が大事であるかとの例えである。別に、巨人の堀内監督の話をしたいわけではないのでご安心されたい。「船頭多くして船山に上る」との諺もある。物事が前進するためには、強力なリーダーシップが必要だと、つくづく感じる。以前にも触れたと思うが、リーダーの条件を度々考える。私の周りの優れたリーダーに共通しているのは、「何を」を常に考えていることである。もちろん「どのように」という戦略は大事であるが、「何を」という目標が明確でなければ戦略も成り立たない。混沌とした時代に、明確な目標を持つことは難しいのかもしれないが、私も歳には関係なく、「何を」したいのか、を明確にしていきたい。
17.4.20 Wed
雨。お通夜に出席。こういう日は語る言葉は少ない。
17.4.19 Tue
行きつけの店でくつろぐのは愉しい。普段は車通勤をしているので、なかなか行きつけの店に寄ることができない。会食の機会も多い。そんななか、車を打ち捨て、一人で行きつけの店に立ち寄る。長くても小一時間。ほろ酔がいい。私の場合、短時間でも飲みかつ喰うので、時間単価は少々高くつくが、居心地がよければ安いもの。では、行きつけの店の条件は何か。常識の範囲内の値段はもちろんであるが、まず親父と客がうるさくないこと。親父は、少々不機嫌でもかまわない。うるさいのは私一人で十分だ。次に皿が良くなければならない。どんないい素材でも、皿が悪ければ味は半減する。さらに、音楽がないこと。私の音楽に対する趣味は小うるさい。字余りの歌なんぞ聴かされようもんならすぐに店を出る。北島、吉、陽水、谷村、堀内なら許すが、できれば無いほうがいい。最後に、何といっても料理が良くなければならない。難しい料理はいらない。漬物が美味ければその店は合格だ。
17.4.18 Mon
私の夏は、他人より早くやってくる。そして遅く終わる。その代わり冬は遅く訪れ、早く去っていく。体型をご存知の方は、十分ご理解いただけると思うが、私は本当に暑苦しい体型をしている。今日、早くも夏を感じた。夏を感じると体に祭りと花火の音が響いてくる。神輿を担ぐ声、花火の破裂音、夏でないと似合わない。そういえば、花火師は伊賀者の末裔が多いと聞いた。明治になり、得意の火気取扱技術を活かして花火師に転職したという。いつの世も自らを助けるのは他人が持たない技術力だ。花火を観て伊賀者を想う。想わんでもいいか。単に観ているだけで十分風情がある。
17.4.17 Sun
自宅から事務所まで36km。いつも、朝5時過ぎに出て、車でおよそ1時間。今日は40分。道路が空いていたとはいえ、チョイと飛ばし過ぎた。昨日の帰路は2時間要したから、元を取ろうと思った。相変わらず浅はかな人間のつくりだ、私は。夕方から、有田芳生渾身のノンフィクション「私の家は山の向こう」をテレサ・テンの歌をBGMに読む。本書はテレサ・テンの物語。中国、台湾の政治の軋轢のなか、「幼いころから有名になった彼女は、精神的にひとりぼっちの生活をしてきたはず」の彼女の精神の彷徨は、あまりにも優しいテレサの性格には過酷過ぎた。ところどころで涙する。私より2歳下の彼女は、もう10年前にいなくなった。
17.4.16 Sat
「酔って他人の家で入浴」。今日の夕刊に出ていた話。奈良の巡査だという。私の大学の先輩で、後輩のマンションを訪ねて、主の帰宅前にもかかわらず、早々と晩酌を始めるお方がいる。もっともその後輩の仲人をしたのではあるが。その先輩は、私の事務所にもおいでになり、冷蔵庫からビールを出してはグイとおやりになる。4時ごろである。私も、あまり遠慮しない方であるが、先輩に比べると小さい小さい。しかし、いくらその先輩でも、勝手に他人の家の風呂には入らない、と思う。
17.4.15 Fri
昨日、劉備玄徳のことを書いた。なぜですか、とメールがあった。劉備、張飛、関羽の義兄弟の契りが好きなんです、と応えておいた。きっと劉備のもつ熱が他人を惹きつけたのであろう。諸葛孔明を迎えた三顧の礼をみてもよく分かる。良いか悪いかは別として、人は擬制家族を求め父親を求めている、と思うのだが。
17.4.14 Thu
明快な目標を持つことができる。目標達成のための手順を立てることができる。考えたことを実践することができる。本質を把握し端的に表現できる。自分なりの価値観をもっている。これは、わたしがリーダーとして必要ではないかと考えている要件。さて、日本には「親分」というカテゴリーがある。親分はリーダーを超えている。リーダーは組織における機能であるが、親分は組織における象徴である。では、親分の要件は何か。やっぱり「熱」でしょうな。冷たくてもリーダーになれるが、熱くなければ親分になれない。熱いが故に失敗もし、計算もしない。だから親分。三国志の劉備玄徳。こいつは親分道の代表。
17.4.13 Wed
「尻にムチをあてられ、鼻先に人参をぶらさげられた馬は後には下がれない」といわれる。私の場合、人参は見えないが、尻に火を点けられて、アイスピックで突っつかれている。で、動くかというと、そうでもない。やはり人参が必要か。
17.4.12 Tue
阪神が首位を走っている。しかもブッチきりで。結果には原因がある。岡田監督だ。星野前監督と比べれば花のない岡田監督ではあるが、あの顔がいい。先ず、何を考えているか分からない、というより何も考えていないような風貌である。だから作戦が読めない、したがってダブルスチールのような作戦が見事に決まる。次に、部下は自分で考えるようになる。何も考えていないんなら俺が考えよう、となる。これが親分道。親分は、究極的には目標と責任を考えればいい。星野親分に続く岡田親分。阪神ファンは、選手よりも幸せだ。
《雑読・濫読メモ》に『イン・ザ・プール』を追加しました。
17.4.11 Mon
昨日の結婚披露宴で出されたのが、おそらくドンペリ。最初の乾杯だけではなく、飲めばすぐに注ぎ足してくれた。一体、何杯飲んだのか分からない。続いてワイン。存分にいただきました。総勢150名位の披露宴であったが、私に専属のソムリエが付いたような状態。さすが、私に眼をつけるところはQ.E.Dクラブのサービスは行き届いている。ということで、久しぶりに月曜日から体調が整っている。風邪っ気は完全に飛んだ。残るは花粉。これも今日の雨でずいぶん楽である。だんだん、仕事をサボる言い訳の種が消えていく。
《雑読・濫読メモ》に『東大で教えた社会人学』を追加しました。
《私の好きな下町とお店》の《入谷地区》に『鶯泉楼』を追加しました。
17.4.10 Sun
いつものように事務所に出勤。夕方から中目黒のQ.E.Dクラブで結婚披露宴に出席。新郎新婦に末永い幸あれ。
17.4.9 Sat
朝は赤坂見附。プリンスホテルのさくらが満開。午後は、立ち話のような打ち合わせの後、事務所に来客。日が落ちて、言問橋から隅田川を眺めれば、屋形船の列。川に船を浮かべてのさくら見物。もちろん花見は飲むための口実ではあるが、大義名分は何事にも必要。でなければ、とてもとても路上での宴会や舟遊びはできない。
17.4.8 Fri
夕方、事務所のスタッフと上野に出て、さくらと人波の見物。上野の山を鶯谷方面に降りて、『鶯泉楼』で会食。事務所から歩けば7分を1時間で到着。先週延期した事務所の食事会。ビールに紹興酒。自宅に戻ればバタン。チョイときつい一週間でした。
17.4.7 Thu
実は、税務調査の立会いで缶詰状態。昔は調査をする立場、今は受ける立場。立場によりこうも異なるのかと思うほどのプレッシャーの違い。やはり、攻める方が気分は楽。明日、調査が済めば花見。先週休んだつけを、今週支払わねばならん。土日も仕事。せめて明日の夜は、ささやかに、しめやかに、二日酔いしない程度に、と思っとるんですが。
17.4.6 Wed
こうなれば春巻きの話。ギョーザ、シューマイ、春巻きとくれば、最も高価なイメージが春巻き。一般的には、この三者の価格比は10:12:15であろうか。500円、600円、750円となる。しかしこの春巻き、名高い割には普段食べない。餃子定食はある。シュウマイ定食もある。しかし、春巻き定食は聞いたことがない。まあ、どうでもいいんだけれど、このファジーさが春巻きのイメージであろうか。なにがファジーかというと、価格と味覚が一定していないというか、これだとといった味がない、とでもしておこう。また、なぜ「春」巻きなのか、春の味覚タケノコが入っているからなのか、この辺りもファジーである。もっとも、この半端さがたまらなくいいんだが。
17.4.5 Tue
今日は豚マンの話。豚マンといえば大阪「蓬莱」。新幹線新大阪駅でお土産に売っているのでご存知の方も多いと思う。こうも有名になると、癪に障って旨いとはいいたくないが、やはり旨い。ところで何故「豚」マンなのか。大阪で肉といえば「牛」である。したがって肉マンといえば、牛肉が素材となってしまう。豚肉を利用するから豚マンとしないと、牛肉ではないかと誤解を与えてしまう。したがって、「肉」マンではなく「豚」マン。じゃぁ、何故大阪は肉といえば牛なのかというと、肉料理にはほとんど牛を使うからである。カレーでも、肉じゃがでも素材は牛である。東京でも、日露戦争までは肉料理の素材は牛が主流であった。日露戦争では、牛肉の缶詰を横浜で大量に製造し、戦地に送り出すことにした。そのため、関東近郊の牛肉のほとんどは戦略物資として統制され、家庭では豚肉を利用した肉料理が主流を占めるようになった。ここから、関東と関西との肉料理文化が分かれた。もともと根本的に文化は違いまっけど。いまでも私は、肉といえば牛である。だから、肉うどんは牛肉である。いや、うどんの話ではない、豚マンの話である。この豚マンだけは素材は豚でなければならない。牛肉では、あのジューシーさはでない。肉汁が、中から皮に向って染み出てくるようなジューシーさは、豚でないとあきまへん。しかし東京の肉マンで、このジューシーさを味わえる肉マンが少ない。皮を割ると、肉汁ではなくて、中身がころりとこぼれて落ちる。もうガッカリしてしまう。具と皮との絶妙なコラボレーション、これが豚マンの真髄である。ちなみに、豚マンのルーツである肉饅頭は、三国志の諸葛孔明が考案したものである、との不確かな情報がある。宮城谷三国志にはこれからでてくるかもしれないが、北方三国志には登場しなかった。
17.4.4 Mon
以前、餃子の話を書いた。いや良く書いている。シュウマイは好みではないのかと勘違いされるといけないので、今日はシュウマイの話。私の両親は餃子を食べなかった。その代わりシュウマイはしょっちゅう食べていた。が故に、親の範囲を超えて味覚を拡大するときに初めて出会った餃子に、強烈な印象を持っている。だから、初めて食べたのが何時かを覚えている。じゃぁ、シュウマイはというと、初めて食べたのが何時なのかが記憶にないほど、小さいことから食べている。中学生の頃、冷たくなった残り物のシューマイをいくつも口に放り込んで、おやつ代わりに食べていた。いまのような高級な味はしない。かすかに肉の味がする、粉の塊りのようなものである。ソースの味で食べていた。でも、十分に旨かった。大阪に「みんみん」という中華屋がある。今やメジャーな店舗になっているが、私が利用していた三十数年前は、しょうもない店構えだった記憶がある。私のシュウマイの味はその「みんみん」の味のような気がする。誤解されては困るが、「みんみん」のシュウマイが不味いといっているのではない。旨いと言っているのだが、キット伝わっていないだろう。表現力の乏しさだ。
17.4.3 Sun
この三日間一歩も家を出ない。閉じこもりですな。閉じこもりといえば、学生時代には、ある程度の本を読破しようと思い立つと、2週間ほどアパートに閉じこもった。大量のインスタントラーメンを買い込み、風呂屋にも行かず、雨戸を締め切り、本を読みふける。アパートといっても小生しか住んでいない。テレビもラジオもない。椅子も机もない。それこそ不思議な感覚で時間が過ぎていく。やがて、本に飽き、胃がインスタントラーメンを受け付けなり、人恋しくなるのが2週間後。その次にやってくるのが、徹夜麻雀の連続、泊り込みのアルバイトやアルバイト帰りの浅草徘徊の連続。浅草で麻雀でもしようものなら雀荘がアパートのようなもの。そういや、昔の生活パターンは、躁と鬱との繰り返しでしたな。
≪雑読・濫読メモ≫に『三国志(第二巻)』を追加しました。
17.4.2 Sat
小林秀雄の「Xへの手紙」のなかに、「犬は何故しっぽを振るのかね」「しっぽは犬を振れないからさ」がでてくる。そして、この一笑話は深刻である、と続く。高校時代の教科書かどうか忘れたが、これを読んだ当時、その意味するところが理解できなかったことを覚えている。昨日今日と、小林秀雄全集を拾い読みしていて、やはりここにマーカーの印があった。平成4年頃に購入した全集である。やはり小林秀雄の言わんとするところがよく分からない。良く分からないが、これからはしっぽよりも犬そのものを見据えていこうと思う。
≪雑読・濫読メモ≫に『三国志(第一巻)』を追加しました。
≪雑読・濫読メモ≫に『老兵は死なず』を追加しました。
17.4.1 Fri
朝から熱と頭痛で悩まされる。今日は、自宅で静養をとることにした。いつもは一歩手前で引き下がる熱も、2年に一度は限界を超えてしまう。休みなく仕事をしていても、体はこうして帳尻を合わせている。でないと体が持ちまへん。午前中、ウンウンと唸っていたが、夕方近く頭痛が治まると、もういけません。ヒマでヒマで、時間の経つのが遅くって。そこで調べたのが「ケイジ(鮭児)」。先日の会食で話題になった食べ物。「11月上旬から中旬にかけて主に知床から網走付近でとれる脂ののった若いシロザケ」とある。楽天市場で一尾2kg9万円。こいつは凄い。今年の目標が一つ増えた。関鯖、関鯵を釣って食べるに加えてケイジ。熱なんかにやられている場合ではない。