17.9.30 Fri
月曜日は松が谷、水曜日は人形町、木曜日は小岩、今日金曜日は九段南から門前仲町。今週の私の夜の行動範囲。ハハハ、よく頑張りました。これで締め切りは無い方がありがたいと、言っているんでありますから正直な奴ですね、小生は。
17.9.29 Thu
入谷、戸越、入谷、赤羽橋、入谷、市川、小岩そして自宅。今日の私の行動範囲。夜の9時半に阪神優勝のメールが届く。深夜12時過ぎに自宅に帰ると、阪神優勝の祝賀会。以前にも書いたと思うが、私が小学校の低学年の頃、阪神と巨人、阪神と中日、阪神と国鉄、阪神と大洋、阪神と広島の試合があることは分かっていたが、よもや巨人と中日が試合をしているとは思ってもいなかった。阪神の選手は可哀想だ。いつもいつも試合をしていて、と思っていた。そのころの阪神に対する想いは、私の体内にしっかりと刻み込まれている。だから嬉しい。阪神の優勝。なんか脱力感に襲われるほど嬉しい。
17.9.28 Wed
私は、肌で感じる小泉政治の善政「クールビス」をしばらく続けるつもりであるが、町の女性のファッションは一気に秋の気配。日の落ちるのも早くなった。秋の日はつるべ落とし、とはよく言ったものだが、その「つるべ」がどのくらい早く落ちるのかが、今の我々には分からない。私の小さい頃、大阪にも井戸があったが、利用はしていなかった。井戸には蓋がしてあり、もうつるべは落とせなかった。井戸が町から姿を消して、自動販売機が現われる。それはそれで随分便利になったが、便利すぎて落ち着かない。
17.9.27 Tue
人間いつまでも生きていても仕方がないので、人生には締め切りは必要だと思う。しかし仕事の締め切り、特に原稿の締め切りはないほうが有難い。締め切りが過ぎて、なお書くことが決まっていない。これは辛い。原稿の締め切りの場合は、能力の量的限界ではなく、能力そのものの限界を感じて気が滅入る。なんで引き受けてしまったのだ、なんて思っているときに電話が鳴ると、ドキリと身構えてしまう。借金の督促の電話とどちらが気が滅入るか、幸いにして比較できる経験がないので分からないが、原稿の督促の電話も結構恐縮する。どうせ出来上がった原稿も大したもんじゃないんだから。そう、私の原稿の締め切りはトウに過ぎている。そういえば、直木賞の直木三十五は、相当借金の名手だったらしい。借金の返済のために原稿を書く。借金の督促と原稿の督促。こりゃぁ~、二重苦ではないか。
17.9.26 Mon
昼は、久しぶりに根岸「香味屋」でメンチカツ。少々のビールと冷酒。お相手はいつもコンビを組まさせていただいている大先輩。そういえばこの香味屋、先日の土曜日にテレビで紹介されていた。さすがの味で、極楽を味わう。先週と先々週というか、この二回の三連休は、終日とはいわないがすべて仕事。その代わりといえば人間が小さくなるが、ウイークデイは昼からビールやら冷酒。一体俺は何をしてるんだか、したいんだか。こうなりゃ、と夜は「太助」で寿司と日本酒。他に共通点はまったくないが、かの福澤諭吉先生も大酒のみ。福翁自伝をお読みになるといい。かの緒方(適)塾の酒の飲み方の凄まじいこと、激しいこと。もっとも諭吉先生、長じては禁酒か節酒を敢行されたらしい。そこも私と異なる、つまり共通点はまったくない。
17.9.25 Sun
私の高校時代の古い記憶によると、フランスロマン主義文学に火を点けたのは、女たらしのフランス軍青年将校に恋焦がれた若いスペイン修道女の恋文と記憶している。このいけ好かない男は、フランスに帰り自分がもらった恋文をいたるところで見せて自慢した。ところが、この切々たる想いを自由な表現で綴った手紙が、小さな本となり、燎原の火のごとく広まり、それまでのフランス文学における表現のための約束事を打ち破ることとなったという。とマアこんな記憶なのだが、始めてこの話を聴いたとき以来、どうもこのフランス軍青年将校が許せなくて今日に至っている。恋文なぞもらったことない小生のヤキモチではあるのだが、自慢して他人に見せるとは、なんて野郎だと今でもときどき思い出しては腹を立てている。どうも私は人の話を聴いていないわけではないが、本質を外して理解するようだ。
17.9.24 Sat
朝6時に事務所に出社し、午前11時過ぎに業務終了。普段の休日ならば、近場を散歩し、ブラリとどこかに立ち寄り食事をするところであるが、台風17号の影響による生憎の雨。仕方がないので、密かに「伝助」と命名している愛車で帰宅。車中は、レイバンのサングラスに、郷土の米菓「新潟揚げ」、「午後の紅茶」と都はるみ。雨のなか忙しい忙しい。サングラスは鼻からズレル。お菓子はボロボロとこぼれる。午後ティーのキャップは落ちて行方不明。しかし、ハンドルは手放せない。はるみの「千年の古都」を覚えなきゃいけない。こちらの予想と異なり、信号はいきなり赤になる。思わずブレーキではなくアクセルを踏み込む。確か教習所の教官にそう教わった。赤になりかけたらアクセルを踏めと。昔のことだから記憶違いかもしれないが。散々な思いで帰宅。外はまだ明るい。明るいうちに家に帰ると何か悪いことをしている気になる。体内に泥棒のDNAが組み込まれているのかもしれない。
17.9.23 Fri
事務所から少しばかり歩いたところに古い中華料理屋がある。中華料理といってもオンボロなお店で、昔懐かしい味を守っている。というか、それしか作れないのだろう。たまに行くのだが、ここの親父はいつも従業員を怒っている。親父も従業員もかなりな高齢。動作も鈍い。イライラするのだろう。客は慣れてしまっていて、チットも驚かないし、その場に居て居心地も悪くない。みんな、リストラとか何だとかのこの世知辛い世の中で、キチンと雇用責任を果たしている親父が好きなんだ。亡くなった殿山泰司そっくりで、愛嬌のある顔でギョロリとした眼を向けてくれる。なんともそれが可笑しい。出してくれるラーメンは下町味覚のしょっぱい味付け。昔は、私もこういう味でラーメンライスをたっぷり食べていたんだ。今日久しぶりに食べに行き、いつまでのこのような店の味を美味しいと感じていたいと思った。
17.9.22 Thu
夕方は久しぶりに上野松坂屋の地下1階食料品売場。本屋とデパ地下は面白い。定番ものがあるかと思うと、新しいものが常に開発されている。知も味も貪欲かつ無限。
17.9.21 Wed
三軒茶屋から渋谷に出て紀伊国屋に立ち寄る。地下鉄浅草線に乗り座ったら目の前にテレビに出ている人が座っている。もっとも地下鉄に乗るぐらいであるからたいしたお方ではないのであるが、されどテレビである。知らん顔をしようと思っていたのだが、ツイツイ目線がそちらのほうに行く。まったくミーハー。そういえばもう6~7年位前であるが、藤沢の駅からJRに乗っていたら途中で乙武くんが乗車してきた。しかも私のすぐそば。彼はその著書にも書いてるが、目立つことはこの上ない。あまり観てはならんと考えたのだが、目立つものは目立つ。ましてや既に「五体不満足」がベストセラーになりかなりな著名人。観ないほうがかえって失礼であろうと、思いっきり彼を観たら、すばらしい笑顔が返ってきた。あの笑顔には参った。私もあのような笑顔を他人に向けたい。
17.9.20 Tue
朝8時前に事務所を出て18時ごろに事務所に戻る。当り前のことだが、明日は21日。一気に月末モード。何が月末モードなのかというと締め切り。この締め切りにあたふたバタバタ。では締め切りを細分化して、あたふたバタバタも細分化すればいいではないかと自分でも思うのであるが、そうはいかないのが稼業というもの。開き直っているのではありません。稼業の説明をしているのであります。私があたふたバタバタしているもう一つの理由は、阪神が中日に2連敗。
17.9.19 Mon
今日は敬老の日。10年もしたら私も仲間入り。もっとも、老人の定義は年金受給権の取得年齢とともに引き上げられる傾向にあるから何時老人の仲間入りするかは定かでない。そもそも老人とはどういうことなのだ。いまさらサムエル・ウルマンの「青春の詩」の言葉を引用するのは気恥ずかしいが、そこには「理想を失うとき初めて老いる」とある。多摩大学前学長の野田一夫先生は「戦う意思が萎えるとき、人は老いる」とされている。野田先生78歳、いまだ不当な権力との戦を続けておられる。さて、私は老人ではないが、その根拠は単に老人の歳に達していないから。情けない。「理想」、「戦う意思」のような青年・壮年としてのキーワードも持ちたい。ただ、今日のような日にドボルザークの「新世界」を事務所で聴いていると、老いる気がしない。
17.9.18 Sun
人生には終わりがあるがスタートがない。気がついたらいつの間にか自分がいた。今は絶えてしまった実存主義という哲学は、ここから始まったと私は勝手に解釈している。スタートがないから自分でスタート台を創るしかない。自分自身を創り上げていくことが、人生の終わりに向けて生きていくということなんだと私は考えている。早い話が、自分を探してもそんな人いませんよ、と言いたい。自分を探すより仕事を探せ、友達を探せ。やりたいことを見つけられる自分を創れ、友達ができる自分を創れ、といま自分探しをしている若者たちに言いたい。自分探しではなく自分創り。結構きついんだぞこれも。静かな日曜日の事務所で週刊誌の記事を読みながら思った。
今日は中秋の名月
名月の 見所問はん 旅寝せん (芭蕉)
17.9.17 Sat
仕事を午前中で終え、午後は上野セントラルで映画「シンデレラマン」を。夜は千葉文化会館で「都はるみコンサート2005」を。その間は重松清の「その日のまえに」を読み終える。「シンデレラマン」で涙を堪え、千葉に赴く電車のなかで不覚にも「その日のまえに」でポロリと落ちる。涙腺も弱くなったのだろうが、それほど感動できる映画と小説ということだ、としておきたい。夜の「都はるみコンサート2005」は、もう言わずもがな。感動と感激、という言葉しかない。頭のてっぺんから爪先までしびれるとは、こういう経験を言う。クラシックも感動するが、生はるみの方が良い。こういう日を芸術の秋という。
≪雑読・濫読メモ≫に『その日のまえに』を追加しました。
≪映画・演劇・演芸・音楽≫に『シンデレラマン』を追加しました。
≪映画・演劇・演芸・音楽≫に『都はるみコンサート205』を追加しました。
17.9.16 Fri
新中野から恵比寿。恵比寿アトレの有隣堂で重松清の『その日の前に』を購入。恵比寿で仕事を終え、事務所に戻り18時に来客。本日の業務は19時で終了。一週間は早い。早いといえば暮れるのも早くなった。18日日の中秋の名月、23日の秋分の日を過ぎれば秋本番。秋の日はつるべ落とし、というがこれからが本番。初秋、中秋、晩秋といい、autumnといいfallといい秋を表す言葉は美しい。Have
a nice weekend!!
17.9.15 Thu
昼過ぎに事務所を出たら風が涼しい。マッテマシタ、とかけ声をかけたくなるほどの秋の風。久しぶりにネクタイを締めて、門前仲町から東陽町。途中、時間が空いたので中野孝次『いまを生きる』を読む。老子について書かれた章の「道は常に無為にして、而も為さざるは無し」という「無為の絶対境」で前に進まない。無為徒食は私の得意とするところであるが、どうも意味合いが異なるようだ。難しい。
17.9.14 Wed
暑い、暑い。小泉さんの旋風は、昨日今日と熱風を吹き込んでいるようだ。これでも9月かよ、と泣き言をいいたいくらい汗をかいた。それも今日まで、明日からは幾分涼しくなるようだ。仕事の行き帰りに立ち寄った靖国神社では、木立の影が長くなった。秋はもうすぐそこ。仕事の締め切りもすぐそこ。お得意の後入先出法による業務処理でも追いつかない。いつものことだが、涼しくなっても冷や汗と脂汗とは止まることはない。こんなことを書いていると、この税理士はそんなに仕事が遅いのかと正しく理解されてしまうので、今日はやはり酒の話。幸田露伴、尾崎紅葉、正岡子規、夏目漱石は同じ年の生まれ。最も長生きしたのは幸田露伴で80歳。この露伴、大酒飲みで晩酌を切らしたことがないという。こういう文に出会うとすぐにメモをする。都合の良いことしか蓄積しない生活態度が、私をして苦難に打ち勝たらしめている。大酒飲みであることと毎日飲むことが、80歳まで健康に過ごせることと矛盾しない。しかも、露伴先生は相当の健啖家。なんと元気が出る歴史的事実ではないか。
17.9.13 Tue
先日、突然のようにバート・レイノルズの「シャーキーズマシーン」を思い出したが、あの時「L.A.コンフィデンシャル」も思い出していた。この映画もラッセル・クロウ演じる刑事とキム・ベイシンガー演じる高級娼婦の恋物語がストーリーの縦糸に織り込まれていた。最後は、クロウとベイシンガーが車でL.A.の街から去っていくシーンだと覚えているが、ストーリーとラッセル・クロウに痺れてしまってベイシンガーの印象があまり残っていない。で、ベスト・カップルの印象がない。話を強引に進めていくが、このラッセル・クロウ、私がいま入れ込んでいる役者の一人である。いま一人はエドワード・ノートン、そしてニコラス・ケイジ。この3人の映画ははずさない。そのクロウの最新作「シンデレラマン」が公開される。来年のアカデミー賞の有力候補として評判の高いこの映画を、公開日の17日にハンカチとタオルをもって観にいくことにしている。タオルは汗用、ハンカチは涙用。ノートン、ケイジ、クロウの3人が、、為替ディーラー、マフィア、刑事の役で競演したらたまりませんな。確かこういう秀作ミステリーがあった。いかんいかん、余計な話が膨らんでいく。仕事をせねば。
17.9.12 Mon
午前、親しいクライアントの方が来所。昨日の総選挙の結果を語る。ひとしきり話をしたところで、南千住の「尾花」でウナギでもと、車で出かけた。シャッターが閉まっていたので、11時半前に着いたからであろうと思ったら、月曜日は定休日。ならば、と近くの商店街の寿司屋をのぞき入る。テレビでは選挙の二ユース。政局の素人談義とビールで盛り上がり、冷酒を頼んだところで今日の日程を諦める。後は事務所で転寝。ところで今日の南千住のすし屋、結構イケタ。
17.9.11 Sun
朝早く選挙の投票を済ませる。この歳になると、これからの日本を支える子供達に我々は何を残せるのかを考える。もちろん我々自身の老後も心配であるが、いつまでも自分達のことばかりを考えていても事態は打開できまい。我々の世代は、一度は社会と国家に叛乱したした世代でもある。ここは身を捨てて、世のため人のため、と思って投票した。もっとも、我々の世代を切り捨てるような政策は各党とも訴えていないから気が楽だが。投票後、フト空を眺めれば、少々暑いが晴天好日。さて何をしようかと、思ったが、やはり仕事。ということにしておきます。本当はややサボりましたが。
≪雑読・濫読メモ≫に『パンツの面目ふんどしの沽券』を追加しました。
≪雑読・濫読メモ≫に『目撃』を追加しました。
≪雑読・濫読メモ≫に『大江戸の正体』を追加しました。
17.9.10 Sat
バート・レイノルズという俳優を急に思い出した。というよりも、彼が監督主演した「シャーキーズマシーン」を思い出した。さらに詳しく言えば、映画で高級娼婦役を演じていたレイチェル・ウォードを。映画には男と女が出てきて、だいたい8割の割合で男が女に惚れるようになっているのだが、当然この映画も同様である。この場合、観ている方もヒロイン(ヒーロー)に魅力を感じなければ、なんでこんな女(男)をとなる。フト、映画でのベスト・カップルは誰か、最も共感した男と女は誰かと思ったとき「シャーキーズマシーン」のバート・レイノルズとレイチェル・ウォードを思い出した。高級娼婦として客を迎えたドミノ(レイチェル・ウォード)を24時間体制で見張っていたシャーキー刑事(バート・レイノルズ)の、そのヤキモチというか苦悩を鮮明に覚えている。その苦悩とドミノの魅力に違和感がなかったというか感情移入ができたというか。エンディングは、組織から開放されたドミノとシャーキーが山小屋のようなところでブランコに乗るシーンである。ストーリーは全く思い出せない。他の出演者の記憶もない。映画って本当にいいですね。
(チャンと事務所で仕事をしております。念のため。)
17.9.9 Fri
一週間が早い。もう週末。一日が早くなければ一週間は早くない。また、一週間が早ければ、一月、一年が早い。ということで時の経つのは早い。「歳月人を待たず」と詠んだのは陶淵明。昔から人は、時の早さを感じていた。また昔から、歳とともに時の流れを早く感じているようだ。そこで、何故歳をとると時間が早くなるのかということを研究する方が現れる。そんなことを考えるから時間のたつのが早いんだ、とも思うのであるが、以下、角皆静男北海道大学名誉教授の著書からその有力説を二つご紹介する。
1)子供は毎日が早く過ぎ、振り返るといろんなことがあるから一年が充実して長かったと感じ、歳を取ると、毎日が何もないので、振り返るとあっという間の一年になる。したがって歳とともに、時の速度が早くなる。
2)歳とともに頭の働きが鈍くなる。頭の回転が遅くなると、一つの仕事に長い時間がかかる。つまり、1年間に成し遂げた仕事の量が減る。成し遂げた仕事の量で1年を測れば短くなる。つまり、達成した仕事の量が相対的に少なくなるから、歳とともに時のたつのが早くなる。
(注)関係各位の方にはお詫び申し上げます。一生懸命仕事をしておるんですが、なんせ追い詰められれば追い詰められるほどこういうことを考えてしまうのです。
17.9.8 Thu
先日、内田樹先生の『人間は本質的には「謎」である。』との哲学的命題をご紹介した。私はこれを受けて、『人間』を『自分』という狭い領域に解釈している。つまり『自分は本質的に「謎」である。』。そう私は謎である。そう考えれば、朝と夕に意見が異なっていても、部下に対する指示が矛盾していても、意味不明の行動をとったとしても、深酒で前後不覚になったとしても、すべてが理解できる。そう、私は謎である。だから、私は自分探しをしない。そもそも謎だから。傍目にも分かり易い。アイツはおかしい、で理解してもらえる。やはり内田先生は凄い!!。てな訳の分からないことを考え出すときは、相当仕事が込み入っている証拠である。しかし、俺は本当に謎なのか。自分で自分が手のひらに乗ってるようでもあり、はみ出しているようでもあり、分からない。やっぱり謎だ。
17.9.7 Wed
今日始めて新宿アルコットのジュンク堂書店に入った。旧三越百貨店。その7階8階が書店。噂には聞いていたがデッカイでっかい。でも重松清の『その日の前に』は売り切れ。どの書店でも売り切れだ。代わりに購入したのが、米原万里の『パンツの面目ふんどしの沽券』。著者は、私と同じ年の女性。ここでは年齢よりも女性であることを強調したい。本書または『ガセネッタ&シモネッタ』、『ロシアは今日も荒れ模様』などを読んでごらんになるといい。キップの良い啖呵が聞こえて、本当に女かいな、と思うに違いない。これはハラスメントではなく、褒め言葉。一升瓶片手にゆっくり語り合いたくなるお方である。
17.9.6 Tue
眼鏡デビューをして早や一年。もとより老眼であるから歩いて不自由はないが、もはやこれがないと字が読めない。この間、腰痛が再発し、冷たい水を飲むと歯が凍みるようになった。気がつくと歩きながら独り言を言っている。では枯山水の境地であるかというと、どっこいそうではない。相変わらず顔は脂ぎっている。腰痛は体重が原因で、冷たい水はダメでも冷たいビールはチットモ歯に凍みない。もともと字なんかあまり読まないんだから老眼も気にならない。歳の分だけ食意地がはって食べたい物が目白押し。本当に枯れてんだか咲いてんだか。内田先生がいうとおり、本当に人間は自分のことすら分かっていないんだ。
17.9.5 Mon
朝8時半に事務所を出て、銀座、東陽町、渋谷と回り、事務所に戻ったのが18時。帰りの電車で隣の人が読んでいた新聞を盗み見したら、7月に亡くなった岡八郎の特集記事が掲載されていた。関西人なら、強烈に記憶に残ってるはず彼のギャグ。「くっさー」、「こう見えてもなあ、学生時代にピンポンしとったんや」、「空手もやっとったんやぞ~。通信教育やけどな。」、「スキがあったらかかってこんかい!」etc.岡八郎を知っている私は幸せ者だ。
17.9.4 Sun
夕方の5時前、10回の表1対1の同点、ベイ-スターズ相手にノーアウトで阪神の今岡がフォアボールで出塁。ここで放送を終わります、ときた。そりゃ~ないよ。それからが大変。続きを、ラジオで探すがない。こうなるとニュースのハシゴ。日曜日にとんだストレスだ。これで阪神が負けていたら最悪だ。
≪雑読・濫読メモ≫に『健全な肉体に狂気は宿る』を追加しました。
≪雑読・濫読メモ≫に『期間限定の思想』を追加しました。
17.9.3 Sat
アフガニスタンで遺体で発見された尾道の中学の先生お二人。お気の毒ではあるが、なんで二人でアフガニスタンなんかに。あまり下卑た勘ぐりをするつもりはないが、「二人で」と「アフガニスタン」を比較すると、「二人で」の方がこれからの話題になるのでしょう。尾道の人々にとって、亀井と堀江モンの勝敗ともども全国区の話題。ウ~ン、止めましょう話題にするのは、人それぞれということで。お亡くなりになっていることですし。
17.9.2 Fri
クライアントに赴く途中、涼を求めて本屋に入った。若いころは涼を求めてパチンコ屋に入ることもあったが、どうも子供みたいにすぐにムキになる性質があり、パチンコ屋ではかえって熱くなり、財布が軽くなることが度々生じたので、最近はチョイト涼むなら本屋にしている。書棚で私の大好きな大酒飲みの重松清氏の著書を手にとってパラパラと眺めたら、「振り返る過去をもつ幸せ」、とのフレーズが飛び込んできた。書名は忘れたが、そのまま20~30分読み続けた。こういう気の利いたセリフが重松氏の魅力。実は、彼の最近作「その日のまえに」(文藝春秋)を探したのだが、どの書店にもない。他人の噂であるが、重松氏は飲み出したら10時間らしい。その量は知らないけれど。大酒のみには嘘つきはたくさんいるが悪い奴はいない、と私は思っている。だから重松氏とその作品に魅力を感じる。しかし、本屋には椅子を置いてほしい。
17.9.1 Thu
今日から9月。暑い暑いと思っていたら、阪神以上に尻に火がついていた。この夏、人生哲学そのままに、見て見ぬ振り、気がつかない振りに知らん振り。問題・課題の先送りをしていたら、アハハ、溜まりに溜まりました仕事が山積み。しかし、こんなことでメゲていたら士稼業はしていられない。お得意の後入先出法の棚卸処理で9月を乗り切る。こういう決意ができるかできないかが生き残るための一つのポイント。ちなみに、会計用語の先入先出法や後入先出法は大蔵省主税局による翻訳。仕事の後入先出法は、私が在籍していた当時の国税庁法人税課の編み出した手法。