18.4.30 Sun
久しぶりの自宅自室。ここで過ごす時間は極めて短い。家には寝に帰っているようなものだから。もっとも、一昔前には、家に着替えに帰っていた時期もあったが。朝早くから、パソコンの整理にアイポットの整理。クミコ、和田アキ子、井上陽水で、ダン・ブラウンのミステリー。ときどきここのところ格闘している内田隆三教授の「国土論」(筑摩書房)を紐解く。気がつけば夕刻。ビールを飲まなくちゃ。
18.4.29 Sat
GW初日、仕事ではないが事務所に出る。秋葉原、御徒町、三ノ輪と町を巡り、少々の買い物。今日は立ち寄れなったが、三ノ輪には蕎麦の「砂場総本家」がある。もともと砂場は大阪が発祥の地であるが、徳川家康とともに江戸に入ったといわれる。砂場も歴史が永く、途中権利の売買や分家が行われ、もはやどこが本家か分からなくなってきている。現在東京には200軒近い「砂場」を名乗る店があるといわれている。そのなかで総本家を名乗っているのだから、相当凄いと思えば、そうでもない。単なる蕎麦屋。そこがまたいい。
18.4.28 Fri
午前は3箇所を訪問。午後は3組の来客。夜は赤坂見附の維新號で会食。さて連休。ではあるが、仕事以外に予定がない。溜まり溜まった仕事を片付けるか。
18.4.27 Thu
事務所のある入谷の町に欠けているものは、充実した書店にブランドショップに若いネエチャンのいるお店。入谷の町に有り余るものは飲み屋。ということで今宵も、仕事を残して向かいの「たむら」に出陣。「あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」と聖書にもある(マタイによる福音書)。こういうときは、信ずる宗教にこだわらずイエスに従うべき。残した仕事のことは、あした悩めばいいモンネ。
18.4.26 Wed
ときどき浪人生活のことを思い出す。私は、税理士稼業に至るまでの節目節目で浪人生活というものを経験した。もっとも、税理士稼業といっても、今でも収入は不安定ではあるのだが、開業当初は浪人生活より悲惨なもので、無収入どころか赤字生活が続いた。この開業当初を含めた浪人生活のなかでいくつかのことを学んだ。そのひとつが、やはり人の温かさである。私を池に落ちたと勘違いし、叩きに来た人間もいたが、多くの人は、勘違いして救いに来てくれた。私自身は、節目節目の浪人生活を、次の世界への準備体操と心得て、通常ならできないアルバイトをしたり、図書館に籠もったり、朝から夜まで映画を観たりと、充実した浪人生活をエンジョイしていたのだが、それでも心配をして声をかけていただいた方々には、ほんとうにその温かさが身に沁みた。本からは得られない生の感動を味わったし、今は故人となってしまわれたが、上司というよりは師と呼ぶに相応しい方だと再認識した方もおられた。このような浪人生活のなかで、私は熱い人間になろうと肝に銘じた。切れば真っ赤な熱い血の出る人間になろうと、いまでも思っている。なんで浪人生活のことを思い出したのか分からないが、たまにはこんなことも思い出して、俺は何をしたかったんだろうかと、考えることも必要だ。
18.4.25 Tue
税務調査の立会を終え、夕方、市川のクライアントに赴く。夜は、市川の地元の寿司屋。考えてみれば寿司屋暦は長い。学生の分際で、アパート近くの寿司屋に行くようになってから、職場、自宅と場所が変わるたびに、最初に探すのが寿司屋。かれこれ35年の寿司屋暦。ゲソとしめ鯖が美味ければ合格。
18.4.24 Mon
午前中来客、午後から津田沼、六本木、御徒町。事務所に戻り来客。一息ついたのが18時。今日は暑かった。一日24時間、一年365日(時には366日)、平等に与えられているが、季節の訪れは人それぞれ。私の場合は、他人より夏が一月早く、冬は一月遅く来る。去るのも、夏は一月遅く去り、冬は一月は早く去る。今日、私に夏がやってきた。
18.4.23 Sun
これは記録しておかなければならない。今朝の日経新聞文化欄に小田島雄志先生が書いていた老いてからの理想の対話。
『そろそろ歯医者に行かなくてちゃ』
『なに言ってるの、会社はもう退職したんでしょ』
『退屈なんかしてないさ、奥歯が痛いんだよ』
『職場にいたい、って気持ちはわかるけど、おとなしくうちにいれば?』
『うん、そのうちに入れ歯を入れることになるかもしれん』
18.4.22 Sat
仕事のため事務所近くに泊り込む。と言っても、早々と飲んで床に就くのだが、夜にシューマイを食べていて気が付いた。グリーンピースが乗っていない。崎陽軒の曽総料理長によれば、「昔、中国では料理をした後の材料の残りを(例えば野菜の切れ端とか、肉の残りとか、とにかく何でも)棄ててしまうのはもったいないので、細かくして丸めて焼いたのがシューマイの起源」だとか。もともと中国のシューマイにはグリンピースはない。おいしく食べさせるため、日本の学校給食が発明したらしい。それに、グリンピースは数えやすい。効率的配給の賜物でしょうか。しかし、私のような給食世代には、グリンピースのないシュウマイはなにか物足りない。
18.4.21 Fri
強い巨人が戻ってきた。阪神ファンとして、嬉しいことではあるが、チョイとやり過ぎ。逆転さよならツーランホームランなんて、李さん、あんたロッテに戻りなよ。ロッテは苦労してんだから、あんたがいなくて。阪神は、あんたがいて苦労しそうなんだから。
18.4.20 Thu
振り返って、何をしたというわけでもないのだが、あっという間に一日が過ぎる。江戸時代の今の季節は、明六ツが午前6時で、日の出である。この時期、長屋では明六ツに木戸を開け、夜の四ツに閉めたという。午後10時である。江戸時代の長屋も結構宵っ張りだったようだ。彼の時代と今の時代、『時間』をキーワードとした場合に本質的に異なるのはどこだろうかと考えた。今も昔も一日は二十四時間。時間当たりに処理しなければならない情報の量、これが格段に異なる。しかし、人間が一日の間に処理できる情報量は、個人差が多少あるとはいえ所詮限られている。私なんかは、情報の読み取りだけに時間を費やし、その情報の意味するところを考える時間を喪失している。本当に必要な情報とそうでない情報、適切に選択しないと、自分というものを創り損ねてしまうんでないか。
18.4.19 Wed
六本木から乃木坂を経て青山一丁目。九段に出て事務所に戻る。夜は、十数年前の仲間達との同窓会。場所は。事務所向かいの『栄龍』。参加者の平均年齢は限りなく60歳に近いが、年金の話も老後の話もなく会は続く。団塊の世代のそのまた上の世代を中心とした集まり。戦中産まれの世代の逞しさに圧倒される。
18.4.18 Tue
『稼ぐに追い抜く貧乏かな』なんて諺はない。ないが実体は存在する。この貧乏というやつにも種類があり、①真面目に働いているのに貧乏、②真面目に働こうとしないから貧乏、③それなりの収入があるのだが、それ以上に費やすから貧乏、と分類される。②の代表はなんといっても石川啄木。③のチャンピョンはモーツアルトらしい。ただ、貧乏だから貧しいかというと、ここが難しい。この命題を考えるときいつも思う。モーレツに働いて毎日ステーキを食べるのと、ほどほどに働いてインスタントラーメンを食べるのと、ハテ、どちらが豊なんだろうか。
18.4.17 Mon
最近深酒をすることがなくなった。というより飲むチャンスがすっかり減った。私は、誘われて断るような義理欠きはしない。ということは、めっきりお誘いが少なくなったことを意味しているのか。いや、私は誘われるのを待つようなタイプではない。仕事は逃げ回っても、遊びはこちらから仕掛けなければならん、と自分で家訓を作ったぐらいである。やはり車がいけない。車通勤にしてから、めっきり夜遊びをしなくなった。ということで、車通勤を控えよう。仕事よりも遊びを大事にしよう。麒麟も老いては駑馬に劣る、という。仕事の世界では、麒麟もいずれは駑馬となる。もとより私は麒麟ではないが、いずれ衰えはやってくる。遊びの世界にはその衰えがそれほどない。そろそろ人生の次のステップのことでも考えよう。
18.4.16 Sun
昨日今日と、朝早くから事務所で仕事。夕方、愛車『伝助』で帰宅。車中は喜多郎とデューク・エリントン。シルクロードとA列車で行こう。連休まで2週間、この状態が続く。
18.4.15 Sat
泣くときには泣く。笑うときには笑う。怒るときには怒る。楽しいときには心から楽しむ。人は、この基本的情緒をなくしてはならない。人は感動を失ってはならない。と、思ったとき、少々この感動を忘れておった自分を発見。何故、感動の少ない日々になったのか。歳とともに隅々の角が取れてきたのは実感するが、それとこれとは別物。少なくとも泣き笑いは大事にしなくては。
≪雑読・濫読メモ≫に『暗く聖なる夜<上・下>』を追加しました。
18.4.14 Fri
一日は長いが早い。今週ももはや金曜日。私は不幸ではないし、不幸な人々を眺めて安心するような驕慢さはないつもりだが、時々次の言葉を思い浮かべ、己が立っている足元を省みる。『もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上には屋根があり、寝る場所があるなら……あなたはこの世界の75パーセントの人々より裕福です。もし銀行に預金があり、お財布にもお金があり、家のどこかに小銭の入ったいれ物があるなら……あなたはこの世界の中で最も裕福な上位8パーセントのうちの1人です。』
18.4.13 Thu
ここのところ忙しいのいで、頭にきて昨年度ミステリーのナンバーワン『暗く聖なる夜』(マイクル・コナリー)を読む。主人公は元刑事の私立探偵。ありふれた設定なのだが、アメリカにはこの私立探偵というのがよく似合う。コロンボのようなタイプは珍しい。アメリカの開拓者スピリッツを体現しているのがカーボーイと私立探偵なんだろう。警察機構のような権力の後ろ盾はなくとも、自らの知恵と腕力とで困難に突き進む。どんなニヒルな私立探偵であっても、己の心のしこりを溶くため損得抜きに危険に飛び込んでいく。こういう熱いヒーローを読んでいると、つかの間の忙しさを忘れるが、気が付いたら私の尻の火は消しようもないほど燃えていた。
18.4.12 Wed
六本木から新宿、厚木、そして北千住から入谷の事務所。その間9時間、携帯電話が度々鳴る。その度に飛び上がる。オジさんは、決してケータイをエンジョイできない。そもそもオジさんは、電話なるものは要件を手短に伝えるもので、長く会話をするもんじゃない、と躾けられてきた。電話代がもったいないから。電話で楽しげに話をしている若い人が、眩しいというか、羨ましいというか。
18.4.11 Thu
花は桜木人は武士。散り際の潔さが桜の花。雨のなかを靖国神社から千鳥が淵を歩いて、敷き詰められた桜の花びらを踏みしめながらその潔さに感嘆。また来年楽しもう。事務所に戻ったのが16時半。今日は、19時半には仕事を終えて愛車「伝助」で帰宅。車中はクミコ。雨の日にピッタリの歌。
18.4.10 Mon
いやはや散ってしまいました、隅田公園の桜も赤坂見附の桜も。正月三が日の終わりや夏休みの終わりほどはないですが、葉桜を見ているとチョイと寂しいもんですが、ここを耐えればゴールデンウイーク。3月決算の関係でそうそう休めないが、それでもブロンズウェーク程度のエンジョイはできる。なんといっても、スーツを着なくて良い開放感がたまらない。しかし、月日のたつのは早いもんですね。
18.4.9 Sun
日曜日の報道番組、民主党の小沢新代表の顔をアチコチで観る。木っ端役人であったころ、建設会社の役員をしていたころ、小沢新代表と一二回すれ違ったことがある。単にそれだけの話なんだが、実は私は、小沢一郎やその政敵であった野中広務の顔が好きなんであります。いいですね、あのアクの強い、如何にも、という顔つきと話し振り。直接の人間像はよく分からないが、見た目の印象としては、かなりプラスに評価しております。ぬるま湯のなかで起きてるんだか寝てるんだか、朝起きて、何のために何をしなければならないのかに気付くのに2時間もかかるような人生を送っている私にとっては、あの顔つきは魅力ですな。ちなみに、小沢新代表がよく言うフレーズは、You
must change to remain the same.らしい。映画『山猫』でのセリフという。現状を維持するためにも、変わらなければならない。ましてや、進化するためにはなお変わらねばならない。でなければ衰退のみ、ということでしょう。
18.4.8 Sat
仕事ではあるが、今日は京成成田線のぶらり旅一人旅。いやはや降りる駅は間違うは、訪れるところになかなかたどり着かないは、挙句の果ては雷雨に出くわすは、散々なぶらり旅。それでも、初めての訪れる駅前商店街は、それぞれ個性がある。門前町、大学町、住宅街、オフィス街、それぞれ町のニーズに合わせて商店街の店舗形成も自ずと異なる。利便性では大型ショッピングセンターにかなわないかもしれないが、個々の店主が創意工夫を凝らす商店街も捨てがたい。少なくともショッピングセンターには、スナック、パブや雀荘はない。
18.4.7 Fri
無駄な時間であったと、切り捨てるにはやや早とちり過ぎるのだろうが、本当に無駄な時間を投下したのではないとさびしく思うときがある。55年の人生で、英語に投下した時間である。木っ端役人であったころも、お国には相当税金を投下していただき、たっぷりと英語の研修を受けさせていただいた。中学から33歳位まで、どれだけ英語に時間を割いたか。その結果が、外人が道を尋ねたそうに顔を向けると、さっと目を避ける私である。近くに外国人がよく泊まるホテルがあるのだろうか、入谷の町も意外と国際化が進んでいる。今からでも遅くない、また始めるか英会話の勉強を。
18.3.6 Thu
今日は、故あって夕方から歌舞伎座で吉右衛門と仁左衛門。夜の演目は、第15代松嶋屋(片岡仁左衛門)の『伊勢音頭恋寝刃(いせおんどこいのねたば)』。久しぶりの関西歌舞伎を堪能。夜は、銀座ゆえかどうかは不明ではあるがイタ飯。まわりは女性客が8割。帰れば深夜。相変わらず何をしているんだか。
18.4.5 Wed
「空の鳥を見よ」、「野の花を考えよ」、「だから、あすのことを思いわずらうな」(新約聖書「マタイによる福音書第6章6・26~34」)。この三つのフレーズで、その意味するところを理解できる方は、聖書をかなり読んでおられる方か、論理的思考力に相当富んだ方である。空の鳥と野の花がどう係わってくるのかは直接バイブルを紐解いていただくとして、ここでイエスは、将来のことは思い煩いなさんな、天の父がチャンと見守っているんだから、そんな先のことは心配しなさんな、と語っている。と、私は解釈している。真っ当な宗教には大なり小なりこういうオプチミズムが貫かれているのだが、バイブルのここのところは、明るく、楽しく、美しい文章である。皆さんも、一度お読みになるといい。ひょっとしたら、晴れ晴れとした気持ちになるかもしれない。私自身は、ナマクラな仏教徒であるのだが、ここを時々読みたいがために、机近くにバイブルを置いている。ちなみにマタイによる福音書第6章は、「一日の苦労は、その日一日だけで十分である」で終わる。
18.4.4 Tue
『杏花爛漫《小説佐久間象山》』を読んでいて、学問で身を立てる、という言葉が違和感もなく、抵抗感もなく頭の中に染込んでいった。幕末から維新にかけて、この国を何とかしなければ、と真摯に考えた人間は、学問により科学技術の水準を向上させ、富の蓄積を図り、西洋の国力に追いつかねばと考えるのは当然の帰結であろう。そこに自らの使命と人生を賭けるのも当然のことであったろう。『福翁自伝』を読んだときも思ったのだが、維新前後の若者は本当によく学問をする。当然、全ての若者が学問に励むのではないが、学問を志した者のその意気込みが、今のそれと桁違いに大きいのではないと感じる。しかも福澤諭吉なぞは、隠れた剣の達人でもあったという。ひょっとしたら、幕末の剣豪の中でも一番ではないかとの噂もあったという。何も昔の日本人はよかった、今の若者はだらしがないと言いたいのではない。我々は、そのDNAを引継いでいるのではないかと言いたい。ただ、この国をなんとかしなければ、と思わせるインセンティブに欠けた時代であることが残念な感じがする。もっともこの国は、何とかしなくても良い国なのかもしれないが。
18.4.3 Mon
話はいつも突然に始まりますが、小学生のころ、東映のチャンバラ映画を観て、提灯を掲げた捕り手たちが、窮地に陥った片岡千恵蔵扮する遠山の金さんを助けるため南町奉行所から駆け出すシーンで拍手した。高校生のときには、悪党を片付けたアラン・ラッドやジョン・ウェインが、引き止める家族や仲間たちに背を向け、再び西部の荒野に向かって旅立つシーンに涙した。高校を卒業してからは、耐えに耐え忍びに忍んだ高倉健扮する花田秀次郎が、テメェ叩っ切ってやる、と敵陣に殴り込む姿に喝采をした。思えば、映画から多くのことを学んだ。遠山の金さんは別にして、西部劇のヒーローは、どちらかといえば真っ当な生活をしていないさすらいのガンマン(賞金稼ぎ)であり、ヤクザ映画に至ってはアウトローそのものである。そんな映画から何を学んだのか。男の生き方を学んだ。男はカッコ良くなくてはいけない。逃げてはならない。卑怯であってはならない。群れてはならない。孤独を恐れてはならない。なによりも友情を重んじなければならない。裏切ってはならない。優しくなければならない。私にとって、どんな書物よりも、『男』の在り様を映画のヒーローから学んだ。今、そんな単純な映画はない。我々の時代には、たとえ絵空事であっても、在るべき男の姿を映画で見つけることができた。そして今、ヒーローに熱く燃えた日々を思い出して、今一度同じように熱く燃えることができるような気がする。今観ても、あの時と同じように感動するような気がしてならない。なんかそんな気がする。男は、歳をとれば少年に戻るのかもしれない。しかし、今の若者は、男の在り方をどこで学ぶんだろうか。
18.4.2 Sun
朝早くから事務所で仕事。眠い眠い。春眠暁を覚えず、とはよくいったもので、事務所で仕事をしていてもウツラウツラと船を漕ぐ。BGMはマイルス・デイビスのペット。デイビスで眠くなるのは、春の証。昼前に仕事を終えて家路。後は惰眠をむさぼるのみ。
≪雑読・濫読メモ≫に『杏花爛漫<小説佐久間象山>上・下』を追加しました。
≪私の好きな下町とお店≫の≪入谷地区≫に『焼肉鶯谷園』を追加しました。
18.4.1 Sat
4月1日のエイプリルフールではありません。私は今日、事務所近くのホテルに泊まりこんで仕事をします。明日も、朝早くから仕事です。見よ中年の星を、称えよ冴えない税理士を。昼間からビールを飲んだりしておるツケが回ってきたんだ、とゆめゆめ勘違いなされるな。単に、能力がないだけなんだから。