18年6月

18.6.30 Fri
 実は今日一日、人生において最も苦難に満ちた日であった。尤も、何でもかんでも針小棒大、大袈裟に表現する癖のある小生のことであるから、そんなことは日々の出来事ですよ、という範疇のものかもしれませんが。一体私はどこで何をしているのか………。

18.6.29 Thu
 1966年の今日にビートルズが日本にやってきた。えぇェ~~!、あれから40年か。音楽的には奥手の私は、そのころ音楽といえば舟木一夫の青春ソングをこよなく愛していた、大阪という都会のその辺境という中途半端なところを生活圏とし、情報アクセス手段極めて薄かった私は、早い話、レコードプレーヤーはもちろんテレビ、ラジオもなかった私は、そのころビートルズという存在を知らなかった。こういう場合、高校のクラスにはやたら詳しい奴が居るもので、たとえば映画の見所を、その頃の高校生では読むことのない「キネマ旬報」を種本にそのままに解説して、たちまちその道のオーソリティーになるような奴が居るもので、そいつの俄解説を聴いて、興奮したことを思い出す。まあ、音楽を聴いてではなく、同級生の解説を聴いて生涯のブックマークとするのだから、私は昔から人の話に影響されやすい人間ではあったことは間違いない。あれから40年か。

≪雑読・濫読メモ≫に『黄金太閤』を追加しました。

18.6.28 Wed
 東京に居るのだが、事務所には居ない日々が今日から一週間続く。某所に缶詰なのであります。その某所でなにげなくテレビを観ていいると、かの『愛ルケ』(渡邊淳一郎著「愛の流刑地」幻冬社)が売れているという。どうも女性の心を捉えたようだ。へぇ~~!日経新聞の朝刊に連載されていたものであるが、その頃は男が読むエロ本(失礼!)のような評判で、その意味では朝から男を元気づけたものである。こういう類のものは、女性はノーサンキューのりアクションだろうと考えていた。渡邊先生、女性に対するセクハラなんではないかえ、とも思っていたのです。それがそれが、女性の心をわしづかみして、渡邊先生ってなんで女の心が分かるのかしら、となっているらしい。へぇ~~!私もときどき先生といわれることはあるが、女の心が分かるのね、なんていわれたこともなければ、これから先もない。女性は、税法よりも難しい。

18.6.27 Tue
 大阪に「じゃんじゃん横丁」なるものがある。正式には南陽通商店街。浪速区の最南端にある。早い話が通天閣の北側の商店街である。そのさらに北には有名は飛田新地、遊郭地帯である。突然思い出した。若き頃、このジャンジャン横丁を幾度か訪れたことがある。大阪は東京と違い時代のテンポがいい意味で遅い。きっといまもそうであろう。触れてほしくない過去と今を抱えた者が、その日その日を本能的に暮らしている街である。が故に、その日の本音は充実している。明日を考えない人間の言葉はケッコウきつい。若い頃、明日に希望のある私は、この街に受け入れてもらえなかった。遊びでここで飲むな、と言われたような気がする。けっこうデカダンな生活をしていた私も、それが単なる演技であることを見破られたのであろう。これにはコタエた。死ぬ覚悟もないくせに、サア殺せ、と叫んでいることを見破られたようなものである。本音と建前といえば少々ズレタ表現であるが、本音で生きているようであり、実は単にカッコウをつけているだけの中途半端な生き方をしていたのかもしれない。いまだに良く分からない。なぜか今日はこういうことを思い出した。

18.6.26 Mon
 午前9時半に事務所を出て、白金台と祖師谷で打合わせをこなし事務所に戻る。しばし仕事をして、イソイソと出かけた先が麹町。もちろん飲み会。20年前の仲間と同窓会。飲んだ飲んだ。たった3時間ではあったが、スタートからフィニッシュまでコンスタントにメイドインジャパンのアルコールのすべてをいただいた。結果は、当然のごとく酔っ払い。楽あれば苦あり。いいことばかりは続かない。悪いことばかりも続かない。

18.6.25 Sun
 さて午後5時半、「笑点」のテーマミュージックとともに活動開始。それまでの怠惰な時間を一挙に改め、気持ちはシャワーに、そしてビールに一気に向かう。、最近凝っているのが「いいちこ」の「緑の野菜」割り。こいつはお勧め。鮮やかな薄緑色をした甘い飲み物に大変身する。カクテルのような味わい。これは、芋焼酎ではだめ。麦でなければ。

≪雑読・濫読メモ≫に『悪役レスラーは笑う』を追加しました。

18.6.24 Sat
 政局のことはよく分からないが、小泉首相は「権力闘争」なる言葉をよく口にされるらしい。この夏の自民党総裁選に向けて、「暑い夏になる。自民党にとって、かなりきつい権力闘争になる」と発言されたという。この「権力闘争」とは、一体何なんでしょうか。多数派工作、相手陣営の誹謗中傷、スキャンダル合戦、買収、ポストのバラマキ、まさか刺客の送り込みなんてのはないのでしょうけど。綺麗事かもしれませんが、何が正しいのか正しくないのか、理論と実行力とを競い合えばいいのにと思います。これは、権力闘争といわず選挙といいます。それをあえて「権力闘争」というところに、自ら在るべき姿を放棄したように感じてしまうのであります。いかにドロドロした世界であっても、社会のリーダーたる政治家が理想を失くしてはいけません。どの世界であっても、リーダーたるものが理想をなくしてはいけません。そう思うのでありますが。

18.6.23 Fri
 今日、何時に事務所に着いたかというと午前4時。もちろんジャパンとブラジルの戦いのため。自宅で最後まで見ていたのでは、渋滞に巻き込まれてしまう恐れがあるので、事務所でゆっくりと楽しもうと、自宅を午前(深夜?)3時に出たのであります。結果は、ご承知の通り。楽しむどころか、欲求不満と怒り。決して、ジーコや選手に対してではありません。もともと、実力はここまでなのでしょう。怒りの矛先は、実力以上にジャパンを評価して儲けたマーケット・メーカーに対してです。もっともインサイダーではないのですから、これはこれで立派なマーケティングかもしれません。怒りとともに、ご立派という嫌味っぽい拍手を送らねばならなのかも。でも。ムラカミ君とどっこいドッコイだぞ!!

18.6.22 Thu
 有田芳生氏のホームページによれば、山口県母子殺人事件の加害者は当時18歳。その生育歴は悲惨で、中学1年のときに母親が自殺。その後父親はフィリピン女性と再婚し、息子には家庭内暴力を日常的に振るっていたという。学校でもいじめられていたという。犯行は高校卒業後。検察官の取り調べでは何度も「死にたい」と語っていた。それに対して検察官は「生きて償え」と諭していた。ところがその検察の求刑は「死刑」。加害者は「大人は信用できない」と思い込んだという。加害者の責任は重大であり、どんなことがあってもその責任から逃れることはできず、極刑をもって償うべき、と私も思う。しかし、加害者の少年時代はまさに被害者だったのではないか、とも思う。本当に不条理である。なにかやるせない。

18.6.21 Wed
 今日は、夏至でもありますが「スナックの日」でもあります。一体、誰が決めたんだとご不審がおありでしょうが、我が大家東京菓子協会の親分筋である全日本菓子協会が制定しております。こういうものは、しかるべきところが何らかの根拠に基づき決めればいいのであります。間違っても行政庁の規制の対象ではありません。で根拠はというと、むかし夏至のお祝いに、ちまきによく似た「カクショ」やかたくなったお正月のおもちを食べる習慣があったことから「スナック菓子の日」が制定されたようです。スナックといえばポテトチィプス。人通りの多い歩行者天国で、ポテトチィプスの袋をそのまま手で叩いて開けようとし、袋の下のほうが破裂してしまい、中身のすべてがこぼれ落ちてしまったことを思い出します。20年前の江ノ島大橋でのことです。もったいないから食べようと思い、いや、散乱したごみにならないようにと、慌てて拾ったものでした。周りの誰も助けてくれませんでした。不幸は突然やってくることと都会の冷たさを感じた出来事でした。

18.6.20 Tue
 冬の稲妻といえばアリス。冬の雷といえば北陸。冬の雷は日本海を通過する寒気に伴う擾乱(大気の乱れ)により発生するものであり、雪の少ない太平洋側ではみられない現象だという。この雷は、地から天へと引き裂くように走り去っていく。まさにアリスの詩のようである。突然のごとく思い出した冬の稲妻と冬の雷。こういう季節はずれなことをあれこれ書き留めるようになると、月末症候群へと突入した証。

18.6.19 Mon
 ワールドカップ虚脱症といおうか、いつもの月曜日に増して気だるい。お楽しみが早々となくなるのは寂しい。是非、ジャパンにはブラジルに勝ってほしい。ここで秘策。後半残り10分に、ジーコがフォワードの選手として出場することだ。母国ブラジルの選手たちは、神様ジーコを前にして、膝は振るえ、足は止まり、なす術もない。ジャパンはこの10分で、オーストラリア戦で失った3点を上回る6点を獲得する。6対2でジャパンの勝利。

18.6.18 Sun
 いつもの通り早朝からゴソゴソ。鞄のなかに潜んでいた「西洋哲学史」(岩波新書)の残りを読む。こういう本に読書メモはいらない。ただただ己の『知』の劣度を思い知るのみ。10時にブックオフに出かけ、後はクロアチア戦に向けて体調の整備に専念したが、残念なるかな引き分け。ちょいとジャパンを過大評価していたか。

18.6.17 Sat
 午後3時に、愛車「伝助Ⅱ」で自宅への帰路に着く。カッコをつけてレイバンのサングラス。これが、ずり落ちることずり落ちること。どうもアメリカ人の鼻は我輩のそれよりも高いらしい。そんなことは、別に新しい発見ではないのだが、Ray-Banとは、Ray(光) Ban(遮る)という意味であることは初めて知った。レイバンといえば米空軍のサングラス。しかし、1999年にボシュロム社がレイバン部門の権利をイタリアに売ってしまったため、いまはイタリアのサングラスということになる。ということは、我輩の鼻はイタリア人のそれよりも低いらしい。

18.6.16 Fri
 腰痛がひどい。腰痛を忘れるためにも、日経新聞朝刊の「私の履歴書」の話をしたい。作曲家遠藤実の前半生が掲載されている。久しぶりに読む感動物語だ。夢と希望と努力が、人生にいかに大切かというバタ臭くも泥臭い話である。極貧のなかから這い上がり、成功をゲットした人生物語は、時流に乗り、瞬く間に成功したIT寵児のヒストリーと異なり、我が世代には全くの違和感がない。やっぱり、成功の前に苦労がないと許せないのであります。そう、人は、というより私は心が狭いのであります。しかし、腰痛という我が苦労。成功へと結びつくのであろうか。もう遅いか。

18.6.15 Thu
 昨日、東京ドームで巨人:オリックス戦を観戦したが、阪神が闘わない野球にハラハラどきどきの感動がない。ハラハラどきどきはないが、感動したのが清原が代打で登場した場面。球場全体が揺れるほどのどよめきと歓声。巨人軍応援団からもキヨハラコールの大合唱が沸き起こり、球場全体が清原ファンで埋め尽くされたような感じ。仮に、清原がホームランを打ったとしても、巨人ファンは惜しみない大喝采を送ったであろう。あの胸焼けしそうな濃ぉぉ~いキャラは、ヤクザ社会とプロレス社会には溢れているのだろうが、今の巨人に、いや今のプロ野球にはそうそういない。「夢」や「ヒーロー」ってのが非日常であるとすれば、キヨハラは野球界の非日常というか超日常、と見直しました。

18.6.14 Wed
 総務省の日本統計年鑑によると、日本における1984年の出生者数は1507千人で、2004年の出生者数は1126千人である。この20年間で25.3%も減少していることになる。人口そのものは逓減傾向にあるものの増加している。いずれ減少に転化する。つまり、日本は猛スピードで高齢化社会を迎えようとしている。長寿社会になっても、若者がそれ以上に溢れていれば、高齢化社会とはいわない。もっとも、人口増はそれなりの政治課題になるであろうが。で、この高齢化社会なるもの、人類の歴史のなかで、日本が初めて経験するものでなのあろうか。キットあったに違いない。現に、日本の一部地方では生じている事態である。こういうことは歴史にも学ばなければならない、と考えつつ飯田橋の「高かし」でワンタン麺を食べ、東京ドームの巨人:オリックス戦に向かった。

18.6.13 Tue
 「でんきを消して、スローな夜を」といコンセプトの「100万人のキャンドルナイト」というイベントがある。今年の夏で4年目を迎えるという。6月17日から夏至の6月21日までの5日間、夜8時から10時まで、みんなでいっせいに電気を消してスローな夜をすごしませんか、ということである。18日の日曜日には、東京タワー、六本木ヒルズも消灯するという。キャンドルナイトというからろうそくは点ける。電気を消すというから、テレビもラジオも消す。そう、東京の夜は明る過ぎる。旅先で感じる漆黒の暗闇と静寂は、元来あるべき夜の落ち着きを分からせてくれる。夜ってのは暗いもんだ。キャンドルの灯りで、語り合うもよし、読書もよし、思索もよし。もちろん一升瓶を友として、シミジミと、またはグビグビと飲むのもよい。http://www.candle-night.org/をごらんあれ。

18.6.12 Mon
 今日の日経新聞夕刊に総合研究大学院大学長谷川眞理子教授の小論が「過剰生産能力のゆくえ」と題して掲載されていた。哺乳類の雄は、余ったエネルギーを同種の雄との闘争にのみ使っているが、ヒトだけはそれ(過剰生産能力)を共同社会のために使う方法を見いだし、ここに人類発展の鍵があると言う。過剰生産能力とは、自らが消費する食料以上の量を獲得する能力であり、早い話が、稼ぐ力である。さて、この切り口で今を考えると、ここまで社会的な生産力が発達した日本では、ヒトの雄としての稼ぐ力が減退に向かっていってるのではないだろうか、といらぬ心配をしてしまう。共同社会には個々のヒトがもつ過剰生産能力が必要だとすれば、稼ぐ力の減退はやはりチョイと問題でしょう。いきなり話は飛びますが、闘争心とか克己心とか根性とかの古臭い言葉の衰退と、稼ぐ力の減退とに因果関係があるような気がしてならない。

18.6.11 Sun
 朝の3時半からゴソゴソとゴキブリの動き。本を読んだりテレビを聴いたりと、怠惰を満喫。快適なオフといいたいところだが、不幸の種はそこらじゅうに転がっている。ソファーで転寝をして、起きたところで腰痛。ぎっくり腰とまではいかないが、腰を曲げての歩行。私の試練はどこまで続くのか。普段は意志の弱い私も、ビールで腰痛を治すぞとの強い意志もとで、夕方には減量をも犠牲にしてビールのがぶ飲み。単に不貞腐れているだけでありますが。

≪雑読・濫読メモ≫に『恋の手紙愛の手紙』を追加しました。

18.6.10 Sat
 朝5時に自宅を出て事務所に。一仕事の後京成大和田駅に。途中、半藤一利の『恋の手紙愛の手紙』(文春新書)。何気なく手にとって購入したのだが、明治、大正、昭和の文豪は、このようなラブレターを書いていたのかとすこぶる面白い。歳とともに、時代とともに、ラブレターというものが、いや、手紙というものが読まれなくなって、また書かれなくなって久しい。自筆の手紙とワープロの手紙、自筆の温もりだけでなく、伝わるものが決定的に違う。例えて言えば、書と絵画の違いだろうか。感じたこと、考えたことを一気に筆に込める書と、幾度も幾度も推敲し、修正補正を重ねて創り上げていく絵画の違いか。昼過ぎに事務所に戻り、その後はオフ。

18.6.9 Fri
 降り続いた雨も、夕方には小降りとなり、愛車伝助で自宅に帰るころにはすっかり止んでいた。車中はちあきなおみ。どうも女性の歌う詩が好きみたいで、車中では女性歌手ばかり。ちなみに欧米女性歌手のお勧めはSweet Box。

18.6.8 Thu
 それほど暑くはないのだが蒸す。こういう季節が最も苦手。いよいよ梅雨の季節、人生に例えれば耐えるときか。そういやぁ~、耐えっぱなしではないか、我が人生。

18.6.7 Wed
 先日、飛び込んできたメールをご紹介する。送り主は不明なのだが、相当に怪しい方向から飛んできた。出何処は怪しいが、書いてあることはまともである。
1年の価値を知るには
卒業試験に落ちた学生に 聞いてみなさい
1ヶ月の価値を知るには
未熟児を産んだお母さんに 聞いてみなさい
1週間の価値を知るには
週刊誌の編集者に 聞いてみなさい
1時間の価値を知るには
会うのが待ちきれない恋人達に 聞いてみなさい
1分の価値を知るには
電車やバス、飛行機に乗り遅れた人に 聞いてみなさい
1秒の価値を知るには
事故で生き残った人に 聞いてみなさい
千分の1秒の価値を知るには
オリンピックで銀メダルを獲った人に 聞いてみなさい
時間は待ってくれません 
あなたの持っている全ての時間を大切にしなさい

18.6.6 Tue
 今年1月のホリエモンに続きムラカミくんも、法を犯したということで逮捕。どうも私には、どの法律のどの条項に反したのかよく分からない。確かに、マネーゲームという虚構の世界で儲けやがってと、ヤッカミは人一倍強いのかもしれないが、だからといって、彼らのやってきたことを全く否定するような気持ちはさらさらない。どちらかというと、世間の風穴というものは、彼らのような者たちが開けていくんだろうな、と諦め半分のような期待をしている。法に違反したのなら、それはそれで裁かれなければならないが、だからといって、すべてを否定して風穴を塞いでしまったら、これからの人は息苦しくなってくるんじゃないかェ。飲みに出かける前のひと時に考えた。

18.6.5 Mon
 銀座線の稲荷町駅すぐそばに永昌寺がある。明治15年(1882)の今日、嘉納治五郎がここで柔道場を開いたという。かつて私も柔道の稽古に励んだ(?)時期があった。胴と足のバランスで、極めて重心の低い私に有利に作用する競技であったのだが、いつの間にかラグビーという、極めて不利な競技に鞍替えしてしまった。事務所から南にほぼ1km。いずれ挨拶に行かなければならない。

18.6.4 Sun
 朝早く自宅を出て、事務所に着いたのが5時半。日曜ではあるが仕事が溜まっている。よし取り掛かろう。と、その前に少し読書でも、のいつもの悪い癖がいけなかった。手に取ったのがダン・ブラウンの『デセプション・ポイント』。もう止まらない。午後5時に上下二巻を読了。一体何しに事務所に行ったのやら。

≪雑読・濫読メモ≫に『デセプション・ポイント』を追加しました。

18.6.3 Sat
 昼過ぎ、浅草ビューホテル裏にある東光院を覗く。幕末、上野寛永寺山主輪王寺宮が朝廷軍に追われ逃げてきたところ。ここにも追っ手は近づき、直ちに市ヶ谷の自証院に逃れていく。今は成女学園が建つ。場所というものは不思議なもので、いまは賑やかなネオン街も、昔は静謐な学問の場所であったり、修羅場が演じられたりしたところでもある。これが歴史というものなんだろうが、イヤハヤ人の営みは人の数ほどあり一つとして同じものはない。興味が尽きない。帰りの車中は沢田研二に鈴木雅之。雅之は無理としても研二くんなら、持ち歌の一つに加えられるかもしれない、と得心。聴かされる方は堪ったものではないだろうが。

≪雑読・濫読メモ≫に『彰義隊』を追加しました。

18.6.2 Fri
 午後、白金台を訪れる。小さな変化だが、白金台の駅周辺が開発されている。小ぶりの高級マンションの建設が進んでいる。どうも日本経済は力強いようだ。事務所に帰る途中、アメ横に立ち寄り、大阪に似た原色系の街並みにホッとする。夕刻、事務所に戻れば、昨日までの疲れがドットでた。週末ではないか、たまには早く仕事を切り上げよう。Have a nice Weekend !!

≪私の好きな下町とお店≫の≪浅草地区≫に『染太郎』を追加しました。

18.6.1 Thu
 今日は、事務所の食事会。浅草は『染太郎』でお好み焼き。こうやって飲めるのも「幸せ」の一言に尽きる。年が明けて、確定申告、2月・3月決算法人の業務と続いた山登りも、一応は麓にたどり着いた。すぐそこに、次の山が迫っているのだが今宵は一休み。できれば、朝までかかってもかまわないから、染太郎にあるお酒のすべてを飲でみたい。そんな気構えで繰り出そう。

18.5.31 Wed
 昨夜受けた大学の同窓の訃報。何を急いだのか、昨年に続き仲間がまた一人 旅立ってしまった。今日はその通夜。何を語ることもできない。合掌。

友廣清志税理士事務所

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2022年

7月

25日

22.07.25 Mon

 昼、千葉そごう。桃源でラーメンに餃子。遠慮がちにビール。まだまだ、ウイークデイの昼ビールに後ろめたさを感じます。そう、気が小さいのであります。大振りの餃子をみて、小声でビールの追加。最近。ぼくのまわりで病を得る者がチラホラ。歳なんだからしょうがないが、そんなに急がなくても、と、独り言。

2022年

6月

26日

22.06.26 Sun

 暑くてぼぉぉ~、としている間に6月も下旬。みなさぁ~ん、なんとか生きております。昨日、50年以上付き合いの6人の仲間と、昼ビールを飲んで、確認しました。バカはいつまでたってもバカです。

2022年

5月

30日

22.05.30 Mon

 欧米人は、パスタ(麺)を啜って食べるkとはないという。日本人は、そば(パスタ)を啜って食べる。そりゃそうだ、箸を使う限り、啜らざるを得ない。ナポリタンを箸で食べれば、煤たざるを得ない。フォーク文化か箸文化か。食文化の分岐点は、フォークか箸かにあるのではないでしょうか。ぼくは、スパゲッティを箸で食べます。サラダも。ナイフとフォークを使うのは、ステーキを切る時だけです。滅多にありませんが。

2022年

5月

22日

22.05.22 Sun

 一昨日、何年かぶりにスカイツリーに行ってまいりました。もっとも、本所警察署に赴いたついでに立ち寄ったのですが、ようこんなものを建てることを思いついたもんだと、六厘舎でつけ麺を食べながら、いまさらのように感心しておりました。ちなみに、本所警察署は、落し物の件でありまして、何らかの事件を引き起こしたり、巻き込まれたりしたものではありません。

2022年

5月

16日

22.05.15 Mon

 そうか、今年は平成でいえば34年か。いまだに、西暦で物事を語られても、その当時の自分の記憶がピンとこない。いまから35年前、と言われても、ピンとこない。和暦を、西暦に換算して、35年を差し引いて、そしてまた和暦に換算する。そのころには、なぜそんなことをしているのかを忘れてしまう。思い出を訪ねるにもメンドクサイことになりました。あの出来事って、何年前だっけ、と話しているときのことです。なんかいい方法はないもんでしょうか。

2022年

4月

17日

22.04.17 Sun

 破竹の2連勝をしたかと思うと、今日は敗北。それでも温かく、慈しむのが阪神ファン。そのうち怒涛の3連勝をしてくれるさ。

2022年

4月

13日

22.04.12 Tue

 エイプリルフールを試すこともなく、4月半ばまで過ぎてしまいました。ウクライナのことは語るまい、そう決めました。すると、いま語ることが亡くなりました。シリア内線では死者50万人、避難民1300万人といわれています。ぼくは、もっともっと怒っていいと思います。語ることはしなくとも、起こることはします。