18年8月

18.8.31 Thu
 午後、赤坂見附に赴く。ミーティングが終了したのが14時過ぎ。赤坂にある私の秘密基地に潜り込み、昨日から読んでいる『まほろ駅前多田便利軒』を小一時間で読み終える。久しぶりの一気読み。私が40歳のとき、ある大学の教授をしている先輩に、40になったら本なんか読んでないで書け、と叱咤されたことがある。新橋の飲み屋でである。そうありたい、そうあらねば、と常々思っているのだが、こういう本を読むと、私にとって本を書くということは時間の浪費に過ぎない、と思えてくる。しょせん私が書く本は、小学生の夏休みの日記みたいなもんだろうから、そんな暇があったらこういう本を読んでいたい。しばし至福のときを過ごし、事務所に戻ったのが午後4時過ぎ。もうすこしで月末シンドロームから逃れられる。

≪雑読・濫読メモ≫に『まほろ駅前多田便利軒』を追加しました。

18.8.30 Wed
 人形町から二重橋前、そして北千住を経て事務所に着いたのが午後4時過ぎ。東武と営団が一体となった北千住の駅ナカは、なかなかの優れものである。書店が3つある。喫茶店も3つに、コンビニがあれば、浅草染太郎の出店に回転すしもある。したがってビールも飲める。が、今日はいつも行く南地下の書店に立ち寄る。購入したのが先般直木賞を受賞した三浦しをんの『まほろ駅前多田便利軒』。早速、書店向かいの喫茶で読み始めたが、面白いのなんのって、ただ事ではない。就職受験で作文を書いた三浦しをんに、就職するより作家になれと勧めた面接担当者はエライ!どこの出版社だっけ、勧めたのは。

≪雑読・濫読メモ≫に『下山事件 最後の証言』を追加しました。

18.8.29 Tue
 手元に、ちくま哲学の森全集の別巻「定義集」がある。ここには、人生について12の定義が記載されている。その一つをご紹介したい。「人生は一つの病院であり、そこではおのおのの病人が、ただ絶えず寝台を代えたいと願っている。ある者はせめて暖炉の前へ行きたいと思い、ある者は窓の傍へ行けば病気が治ると信じている。」(ボードレール『巴里の憂鬱』)。これを人生病院説とすると、シェイクスピアは人生影説を唱えているらしい(マクベス)。日本で有名なのは、人生重荷背負って坂道説がある(徳川家康)。どうも、偉い人はペシミストらしい。というかペシミストでなければ歴史に名を留めないのかもしれないが、ここは一つ日本が産んだ超オプチミストである寅さんに、人生を訊ねてみたくなり、いろいろとインターネットで調べたのだが、見つからない。あの寅さんは、人生をどう考えていたんだろう。ところどころで鋭い人生指南(説教)をしていた彼のことだ、きっと確固たる人生に対する考え方があったはずだ。ぜひ知りたい。教えていただけませんか、どなたか。月末症候群発症中。

18.8.28 Mon
 イヤハヤ、また月末症候群がここんところ出てきた。土日に事務所に居るくせに、小説を読んだり、雑誌を読んだりしているしている。荒川洋治の『本を読む前に』を読んで、新潮文庫の絶版・品切に関する分析を書いてあるところで思わず、自分も調べてみた。例えば、石坂洋次郎は『青い山脈』しか文庫に残っていない。丹羽文雄や伊東整の作品はいまや新潮文庫にはない。書店の文庫本の棚にも行って見たが、私たちが若いころに読んだ小説は、もう置いていない。流行作家は、次々と産まれてくるのだろうが、読まれなくなったからといって、その作家が流行作家でもあるまいに。いや読まれなくなったからと言っても、歴史に耐える作品を産み出した作家も多かろうに。と思うと、ヤニワニ事務所に置いてある鴎外なんかを読んだりする。症状が出たんである。他にすること一杯あるのに。

18.8.27 Sun
 55年も生きているのだから、人生哲学の一つぐらいありそうなものだが、これがない。人生どう生きればいいのか、どう生きなければならないのか、一つでも指針があれば、かえって楽だろうにと思う。ウソをつかない。これは難しい。怒り憎しみを捨てる。こいつも困難である。己を責めて人を責めない。とてもとても。他人の生活をうらやまない。いやぁ~無理ですわ。忍耐と努力と工夫をもって人生を生きる。勘弁してくんなはれ。どうですか。55年生きてきても、人生の指針は成し難いのもであります。原理原則をもたずに融通無碍に生きていく。空気や水のごとく、形もなく漂うが如く生きて行くというのはどうでしょうか。結構これも難しそうですよ。

≪雑読・濫読メモ≫に『江戸藩邸物語』を追加しました。

18.8.26 Sat
 午後は、歌舞伎座で観劇。演目「吉原狐」、福助、染五郎、橋之助に三津五郎。昨日一昨日とはしゃぎ過ぎたので、今日はおとなしく自宅に帰る。明日も仕事だ。

18.8.25 Fri
 世の中もそうであるが我が身も同様。一寸先が読み取れない。何の話かというと、予定の話。物事にはプライオリティというものがあり、その原理は当然、先約優先の原則。ところがこれが狂うことがある。突然の訪問、突然の電話、突発的な事故……。何より厄介なのが、魅力的な誘惑。自慢じゃありませんが、私は誘惑に弱い。その後どうなるか、あきらかであっても、ツイツイ言い訳をして話に乗ってしまう。そして失敗をしてしまう。話にアルコールと食い物が絡むと、いい歳をして見境がなくなる。2時間の食事に、往復6時間と多大なコストをかけたりする。それも計画的であればいいのだけれど、気がついたら電車がなかったりする。そして不義理を働くことになる。イヤハヤ困ったもんだ。

18.8.24 Thu
 30年来の仲間と飲み会。しかも千葉で。一度自宅に帰り、シャワーを浴び出かける。気合の入れ方が違う。したがって、いつ家に帰ったのか分からない。

18.8.23 Wed
 安くともいらないものはいらないのであろうが、缶詰のさばの水煮とみそ煮が100円であることに、驚きとともに感謝をしている。さばを獲るにもコストがかかるだろうに、捌くにも、ましてや缶詰にするのにコストがかかる。それが100円で売っている。おそらくどこでも同じ価格なのだろうが、ここ下町入谷の地では標準価格である。嫌いな方には、安かろうが、タダであろうが、懸賞金付であろうが、いらないものはいらないのだろうが、私のようにこれが好物な者には、この価格が不思議でならない。それ以上に、あまり顧られないことが不思議でならない。なぜ、さば缶を利用した料理が開発されないのであろうか。私のようなさば缶ファンからすれば、いささか不当な評価に憤慨するのであるが、皆様はどうであろうか。もっとも、あまり人気が高まり、価格が高騰するのも迷惑であるから、ひっそりといておいていいのかもしれないが。今日も私は、さば缶を相手に飲んでいる。そういえば、北海道富良野の北の国の「五郎さんの家」にも、さば缶がホコリにまみれておいてあった。ありゃぁ、いまでも食えるのかな。

≪雑読・濫読メモ≫に『その時この人がいた』を追加しました。

18.8.22 Tue
 今日、空いている電車に乗り、本を開いたところ、留めてあった輪ゴムが飛び跳ね、前方に座って居眠りをしていた男性の頭に当ってしまったらしい。当の男性は、誰かに叩かれたかと思い、目を覚まし辺りを見渡し怪訝な顔をされている。車内はガラガラに空いており、輪ゴムに気がつかれたら、犯人は小生しかいないことに気がつかれたであろうが、いかんせん我が身に何が生じたのか、事態がよくお分かりにならないらしく、しきりにキョロキョロされ、二駅間ほど不思議そうに盛んに頭を触っておられた。謝るべきか、知らん顔をすべきか、ホトホト困ったのであるが、小生も、輪ゴムが原因であることに最初は気がつかなかったため、謝りそびれてしまった。こういうときは本当に困り果てる。別に、謝ることにやぶさかではないのだが、タイミングを逸してしまうと謝れない。さりとて全く無視することができず、本を読むふりをして相手の挙動をツイツイ見てしまう。いやはや居心地の悪いこと悪かったこと。この場を借りてお詫びしたい。「すんません。輪ゴムが当ってしまったんですわ。」

18.8.21 Mon
 イヤハヤ暑い。あつすぎるぞぉぉ~!!。朝、鉄砲玉のように事務所を飛び出てとある税務署に行く。イヤハヤあつかった。昼には、お客さんと事務所近くの寿司屋。いかん、ならん、やめろ、ストップ、進入禁止、ヤッチャだめ、の声も空しくビールに冷酒。夕方は、かねてお約束していたお客さんと、これまた近くの普茶料理の「梵」。入谷に事務所を移って4年余り。はやく訪れたいと思っていいた老舗。近々ご紹介したいが、竜泉のこの地に店舗を構えて50年、歴史をくぐり抜けた味覚がそこにあった。美味しさには幾つもの種類がある。ここでしか味わえない味。それはなかなか表現できない。ナンバーワンではなくオンリーワンを味わった。

18.8.20 Sun
 日曜日の朝、稲荷町から田原町に向けて歩く。日差しは暑いが、誰もいない浅草通りを歩くのも趣がある。途中、浅草本願寺(浄土真宗東本願寺派)に立ちよる。この浅草本願寺は、西本願寺、東本願寺と異なる独立宗派。宗教の世界もややこしい。浅草トヨタテクノで愛車伝助Ⅱ号を受け取り、事務所に戻り仕事。昼下がりテレビをつけると、高校野球をまだやっている。延長15回引き分け。明日、勝負はつけなければならんのだろうが、勝っても負けても双方とも優勝に等しい。久しぶりに清々しい気持ちになる。

18.8.19 Sat
 好みとは変わるもんだ。どのような事態が起こるのか想像もつかなかったので口に出さなかったが、食卓に生野菜のサラダが出てくると、俺は鶏じゃねぇ!、と啖呵を切り、食卓を引っくり返したかった。好き嫌いの問題ではなく、手の加わらないあんなものは料理じゃねぇ!、と心中密かに思っていた。手抜きそのものじゃないか、と思っていた。その小生が、いまは生野菜中毒。55にしてこの変化である。人間変わるものである。ご同輩、諦めてはけない。幾つになっても「変身」できる。この歳になって「虫」に変身することはないんだから。

18.8.18 Fri
 昨日、車上荒らしにやられた愛車「伝助Ⅱ号」のドアの傷をみせにトヨタテクノ浅草に行ったところ、タッチペンでいいのではないですか、と諭される。修理をすれば数万円、タッチペン600円。ドアの傷を見ると頭にくるので、幾らかかっても板金塗装をするんだ、と固い決意をしていたのだが。価格の前に怒りも静まる。今日、タッチペンをとりに行くと、伝助Ⅱ号には、リコールがでているらしい。出来上がりは20日の日曜日。伝助Ⅱ号をトヨタテクノ浅草に預けて帰る。トヨタの3大苦悩といわれるものが、トヨタ内部で語られていた。F1で勝てない、実力の割には株価が安い、戦線の拡大に伴う人材が不足している、である。オイオイ、トヨタの技術はどこに行った。伝助Ⅱ号は、トヨタの技術陣が心を込め、生産現場が徹底した品質管理のものとに造られたはずである。これも団塊の世代が引退する07年問題なのか。トヨタから熟年工が去りつつあるのか。だとしたら問題だぞ。しかし、暑かぁ~。

18.8.17 Thu
 夜、自宅に帰るとマルチーズのぽん子(洋名アニモ)がいる。しばし戯れる。マルチーズは、マルタ島で生まれた最も古い愛玩犬という。まこと、ぽん子はかわいいやつであります。ちなみに、先日、このぽん子が「アニモのこころの日記」というブログを開設しました。紹介しておきます。

18.8.16 wed
 北海道から東京。飛行機。こんな日は、語る力が出てこない。幾つになっても飛行機は苦手。

18.8.15 Tue
 この夏は沖縄に行こうと思っていた。が、今は北海道にいる。人生どこでどうなるか分からない。北海道では、大自然に包まれて思索にふけろうと考えていた。が、ただただ食を重ねているに過ぎない。ホントに人生は思うように行かない。人は様々なことを決意する。思索、読書、著述、減量、………。実に色々なことを計画し、よぉ~~し、やったるでぇ~~、と心中大きく叫ぶ。そして挫折する。人は決意の数ほど挫折する。決意がコインの表とすれば、挫折はその裏である。コインの数は多ければ多いほど人生は豊かになり、人としての魅力は増してゆく。走らなければ転ぶことはない。リングに上がらなければ傷つくことはない。戦わなければ負けることはない。が、何も得ることはできない。だからどんどん決意すればよい、と小生は思う。そして挫折すればよい。小生もこの夏は、思索、研究そして減量と、三つ挫折した。キット人間として成長したであろう。あるいはますますくだらない人間になったかもしれない。どちらでもいいけど、満足している北海道である。

18.8.14 Mon
 東京に居ない。普段と違うところで戦争のことを考えている。明日は終戦記念日。61年前の8月、満州で、沖縄で日本人は悲惨な経験をしている。戦争の是非はいうまでもない。あの戦争に日本は責任がある。決して日本に正義はなかった。それを承知で、私が拘るのは、アメリカによる原爆投下の責任がまったく言及されないことである。長崎、広島の原爆投下は許されていいのだろうか。戦争であれば、何をしてもいいと言うことだろうか。そのことが日本に問われているのである。アメリカも問われなくてはならないはずである。日本の政治思想の脆弱さを感じてしまう。

18.8.13 Sun
 夏休みの最中、子供の頃を思い出した。新潟で産まれ、いったん大阪に出て、幼稚園を中退してまた新潟に住んだ。両親は大阪に残ったままなので、新潟時代は祖母に育てられた、典型的なおばあちゃん子である。事情はよく分からない。大阪には、小学校から本格的に住んだ。小学校時代は大阪市城東区。その名の通り、大阪城の東に位置する。自転車で遊びに行ける範囲である。小学生にとって大阪城はとてつもなく大きい。桜門にある蛸石という巨大な石(備前池田藩担当)を見て、「こんなでっかいもん他にはないやろ」と子供同士で確認しあう。大阪アイデンティティの形成であり、これを築いた太閤(秀吉)信仰の始まりである。東京(千葉)生活が36年に及ぶ小生も、そのアイデンティティはいまだに大阪にある。記憶にある大阪城が、現物と一致しているかどうかは別として、大阪の一番の思い出はやはり大阪城である。街に城がある、結構これは必要なことではないか。やはり、東京にも江戸城(天守閣)が必要だ。ちなみに今の大阪城天守は昭和の再建で、太閤時代とは全く異なる。

18.8.12 Sat
 焼け跡世代といえば1925年~1945年生まれ。団塊の世代といえば1947年~1949年生まれ。ジェネレーションXといえば1960年代生まれで、新人類ともいう。トヨタマークXのターゲット世代である。ジェネレーションYといえば1970年代生まれで、団塊ジュニア世代ともいい、これからの消費の主役である。XとかYは、主にマーケティングの世界で括られている世代であるが、これからの日本を背負う世代でもある。まだまだ守るべきものがある日本、まだまだ改めるべきことがある日本、保守か革新かではなく保守と革新。あんじょう頼んまっせといいたいのだが、小生のような1950年代生まれを括る言葉がない。別に一括して語られたくもないが、さりとてそんなに個性的な世代でもない。まったく中途半端な世代なんだから、俺達は。

18.8.11 Fri
 早朝事務所に行き、夕方は紀尾井町の弁護士事務所で訴訟の打合わせ。一時間ほど打ち合わせると頭が痛くなる。税理士の事務所といい、弁護士の事務所といい、話のネタはややこしい。ニューオータニに着いたのが18時ごろ。一休みして、高校時代の同級生がやっている赤坂のジャズ喫茶「橋の下」に赴く。ビールをいただき、またゆっくり来るよ、と挨拶をして事務所に帰る。その後、いろいろと行くくところがあり、事務所に落ち着いたのが23時。休みのはずなんだが、事務所に泊まることになる。面倒だから小生の事務所に相談におみえになるのだろうが、私の一日も相当ややこしい。

18.8.10 Thu
 夏休みの初日、日中は何をするでもなくダラダラと過ごす。仕事以外に時間を潰す方法を知らないのではないのかね小生は。仕事だって好んでやっているわけではないから、小生の一日は不本意な時間のなかで過ごしていることになる。もっとも、飲んでいるときは極楽気分。短いとはいえ睡眠中に悪夢に追われることはない。きっとバランスある時間が過ごせてるんでしょう。夕方からは、数冊の本を横にして、読んだり眺めたり。なんとか『ねじまき鳥クロニクル(第2部)』を読み終える。

≪雑読・濫読メモ≫に『ねじまき鳥クロニクル(第2部)』を追加しました。

18.8.9 Wed
 実は明日から夏休み。相も変わらず仕事はするんですが、事務所の電話は通じません。あしからず。幾つになっても夏休みは嬉しいもんです。夏休みをとらずに頑張るあなた。小生が代わりに休みましょう。マァ、小生がご飯を食べたからって貴方のお腹が満たされるわけではないのと同じように、私が休んであなたがリフレッシュするわけではありませんが。

18.8.8 Tue
 今年は今日が立秋。秋だって。確かに夜の明けるのが遅く、暮れるのが早くなってきたが、暑さは今が盛り。昔は、暑さ寒さのピークで季節の変わり目を感じ取っていたんだろうが、秋といわれてもピンとこない。秋といえばコスモス。コスモスといえば、さだまさし作詞・作曲、山口百恵の「秋桜」。ここで唄われる小春日和とは、陰暦10月でいまの11月のこと。コスモスの盛りは過ぎているはずなんだが、そんなことはどうでもいい。山口百恵が、「こんな小春日和の穏やかな日は もう少しあなたの子供で いさせて下さい」と唄うところでは、目頭が熱くなる。親が子を、子が親を見捨てる時代、もうすこし子供でいさせて下さい、なんて胸が張り裂けそうになります。親子の関係はベタベタせんでよろしいが、目線を外さないでしっかりと見つめてなあきまへん。親子とも。

18.8.7 Mon
 東京の街からすずめが消えたときいて、ここ入谷の街を眺めてみたが、いない。どうも、街中からヒエやアワキビなどの雑穀植物が消えたかららしい。早い話が、東京の公園から土が消えたということだろう。そういえばからすも最近入谷付近から消えた。昼に、お客さんと香味屋に行く道すがらそんな話をした。帰りはほろ酔い。暑さに辟易した。

18.8.6 Sun
 事務所に泊まり、朝自宅に帰ろうと愛車伝助Ⅱ号に乗ったのが7時半過ぎ。京葉道路の幕張についたのが8時過ぎ。渋滞。普段15分ぐらいのところが90分。一般道路に降りてで自宅へ。少々渋滞したが30分で到着。早くも夏休み渋滞か。午後は、Gyaoのインターネット映画で『荒ぶる魂たち』を観る。ホンのチョッと覗くつもりが、加藤雅也の快演に思わず引き込まれて二時間半を最後まで見てしまう。無鉄砲なやくざを気持ちよく演じている。

18.8.5 Sat
 夏休み前のひと踏ん張り。朝の4時から仕事を開始するが、午後1時に転寝をし気が付いたら夕方4時。朦朧とした意識のなかで『ねじまき鳥クロニクル』を読む。読みながら作家なる存在を考えた。詩人の荒川洋治は、詩人であるがゆえに言葉と言葉が綴られる文章に対して容赦がない。池波正太郎など散々である。言葉そのものでなく、何が書きたいのか、何を表現したいのかについては、もっと厳しい。死んだ中上健二は、初期の宮本輝の作品に、何を書きたいのか分からずに書かれた小説、と酷評した。無くなった吉村昭は、「桜田門の変」を書くとき、当日の雪が何時降り始め、何時降り止んだのか、凶器の刀の刃渡りの長さまで調査のうえ執筆したという。あくびをしながら読んでいる『ねじまき鳥クロニクル』も村上春樹は身を削ったに違いない。その迫力は伝わってくるのだが、あくびが出てしまう。

≪雑読・濫読メモ≫に『ねじまき鳥クロニクル(第1部)』を追加しました。

18.8.4 Fri
 午後、恵比寿に出かけたのだが暑い暑い。この朦朧とした暑さなかで、フト読んでいる村上春樹の小説を思い出した。何というのか、気だるくて物憂い。苦手な世界なのだが、急に読み出して途中で放り出してある「ねじまき鳥クロニクル」を読まなくては、と思い立つのも暑さゆえか。それはそうと、Have a nice weekend !

18.8.3 Thu
 続けて大阪のことを書く。亀田くんのことはもういい。本人や親父が悪いわけではない。キリストやイスラムの世界に原理主義者がいるように、この日本にも原理主義者がいる。関西原理主義である。大阪原理主義ともいう。その代表が歌手というかタレントというか「やしきたかじん」である。関西原理主義の思想はアンチ東京であるのだが、たかじんの場合には、東京が受け入れないという要素もある。ヤクザが逃げ出し警察官を長時間説教したという赤坂一味事件、暴力バー説教事件、味の素事件、近畿放送10年出入り禁止事件等々、その武勇伝は枚挙にいとまがない。東京では、危なっかしくて置いておけないのである。故横山やすし以上の危険人物であるという。私がまだ大阪に定期的に帰省していたころにたかじんがブレイクした。東京ではめったに聞かない懐かしい名前である。こういう人間でも住めるところが大阪である。懐が深いというか、アナーキーというか。ちなみに、たかじんの詳しい経歴と人物についてはウィキペディア(Wikipedia)を参考にしていただきたい。本文の内容もウィキペディアによっている。

18.8.2 Wed
 やはり亀田興毅のことを、というか亀田ファミリーのことを書いておこう。判定の結果のことではなく、あのコテコテの大阪パフォーマンスのことである。大阪では、父親のことを「お父ちゃん」と先ず呼んで育つ、その後に「親父」という。けっして「お父さん」といわない。間違っても「パパ」なんていわない。このような風土のなかで濃くもシツコイ親子関係が形成されるのだが、亀田親子はその典型。亀田親子を見る度に、大阪のファミリーの絆を感じる。真似ても真似られないパフォーマンスである。

18.8.1 Tue
 チョイと気ままに書き綴ります。関東大震災があったのは大正12年(1923年)9月1日。このとき下町は炎上壊滅し、新宿方面は比較的壊滅度が少なかった。人口密度が薄かったが故である。勢い新宿方面に人が移動し、その後東京は西へ西へと延びていった。新宿発展のきっかけである。この震災の際に、新宿中村屋は日夜パンを焼き続け、値上げすることなく販売し、パンを買い求める人が引きも切らなかったという。梅干を数倍の値段で売ったりと、便乗値上げをする店が後を絶たなかったなかで、中村屋の評判は確固としたのもとなり、便乗値上げをした店はその後つぶれていったという(『その時この人がいた』井出孫六)。こういう話を読むと嬉しくなります。商人はこうでなくてと思わず手を打ちたくなります。ちなみに私は、中村屋と縁もゆかりもありませんが、同店の月餅の皮が大好物なんです。蛇足ながら、中村屋のアンコがダメというのではなく、アンコそのものが苦手なんです。

友廣清志税理士事務所

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2022年

7月

25日

22.07.25 Mon

 昼、千葉そごう。桃源でラーメンに餃子。遠慮がちにビール。まだまだ、ウイークデイの昼ビールに後ろめたさを感じます。そう、気が小さいのであります。大振りの餃子をみて、小声でビールの追加。最近。ぼくのまわりで病を得る者がチラホラ。歳なんだからしょうがないが、そんなに急がなくても、と、独り言。

2022年

6月

26日

22.06.26 Sun

 暑くてぼぉぉ~、としている間に6月も下旬。みなさぁ~ん、なんとか生きております。昨日、50年以上付き合いの6人の仲間と、昼ビールを飲んで、確認しました。バカはいつまでたってもバカです。

2022年

5月

30日

22.05.30 Mon

 欧米人は、パスタ(麺)を啜って食べるkとはないという。日本人は、そば(パスタ)を啜って食べる。そりゃそうだ、箸を使う限り、啜らざるを得ない。ナポリタンを箸で食べれば、煤たざるを得ない。フォーク文化か箸文化か。食文化の分岐点は、フォークか箸かにあるのではないでしょうか。ぼくは、スパゲッティを箸で食べます。サラダも。ナイフとフォークを使うのは、ステーキを切る時だけです。滅多にありませんが。

2022年

5月

22日

22.05.22 Sun

 一昨日、何年かぶりにスカイツリーに行ってまいりました。もっとも、本所警察署に赴いたついでに立ち寄ったのですが、ようこんなものを建てることを思いついたもんだと、六厘舎でつけ麺を食べながら、いまさらのように感心しておりました。ちなみに、本所警察署は、落し物の件でありまして、何らかの事件を引き起こしたり、巻き込まれたりしたものではありません。

2022年

5月

16日

22.05.15 Mon

 そうか、今年は平成でいえば34年か。いまだに、西暦で物事を語られても、その当時の自分の記憶がピンとこない。いまから35年前、と言われても、ピンとこない。和暦を、西暦に換算して、35年を差し引いて、そしてまた和暦に換算する。そのころには、なぜそんなことをしているのかを忘れてしまう。思い出を訪ねるにもメンドクサイことになりました。あの出来事って、何年前だっけ、と話しているときのことです。なんかいい方法はないもんでしょうか。

2022年

4月

17日

22.04.17 Sun

 破竹の2連勝をしたかと思うと、今日は敗北。それでも温かく、慈しむのが阪神ファン。そのうち怒涛の3連勝をしてくれるさ。

2022年

4月

13日

22.04.12 Tue

 エイプリルフールを試すこともなく、4月半ばまで過ぎてしまいました。ウクライナのことは語るまい、そう決めました。すると、いま語ることが亡くなりました。シリア内線では死者50万人、避難民1300万人といわれています。ぼくは、もっともっと怒っていいと思います。語ることはしなくとも、起こることはします。