19.1.31 Wed
早い。1月も終わり。これを後11回繰り返せば年末。チト、気が早いか。実は今日、一月の終わりとして記念すべき日である。何が記念かは内緒である。そのうち分かるだろうが。
19.1.30 Tue
東京都の団塊世代の職員数が18,000人。その退職金が4,000億円。一人当たり2,200万円である。別に羨ましいとかの話ではない。最近、私の属している団塊の世代が犯した罪について考えている。若い頃に、反体制だとか、造反有利だとか叫んではみたものの、結局、自然を食い散らかして、社会に負の財産を残してきたのが我々団塊の世代ではないかと考える。そのツケは、若い世代に回す。我々は、退職金をもらって老後を過ごす。先達の残した財産を食い散らかして、たいした富を社会に残さないでリタイアしていく。団塊の世代とは、なんか、そんな世代のような気がする。若い世代は、我々にもっと怒ってもいい、と私は思う。
19.1.29 Mon
どうも感動の少ない日々を送っている。余裕がないということ。楽しみ喜び、怒り悲しむ。この感動が按配良く配分されて、人として充実した日々という。で、この配分の割合は、もちろん楽しみ喜びが対部分を占めることが願わしいのだが、時々訪れる怒りと悲しみも、これはこれでスパイスのようなもので甘受しなければならない。ただし効き過ぎるスパイスは不必要。で、この私の最近の日々には、楽しみが少ない。いい歳をして、楽しみもないものだが。
19.1.28 Sun
午前0時過ぎに寝て、午前3時に起きる。3時間足らずの睡眠で、自宅自室に閉じこもり仕事に読書。早いもので、こうして一月が過ぎようとしている。まだ三日あるが、この一月を総括してみたい。よく飲みもしたが、仕事もした。元旦以外完全オフの日がない。映画が観たい。房総館山を舞台にした『赤い鯨と白い蛇』。
≪雑読・濫読メモ≫に『マネーロンダリング入門』を追加しました。
≪雑読・濫読メモ≫に『ヒルズ黙示録・最終章』を追加しました。
19.1.27 Sat
赤坂見附から荻窪。夕方は上野松坂屋からアメ横を歩く。昔から変わらない町にほっとする。事務所に戻ったのが17時。たまには仕事をしなければ、と気がついたら20時。愛車伝助Ⅱ号で久しぶりの家路。車中では、もんたブラザーズのダンシングオールナイトと寺尾聡のルビーの指輪を繰り返し聴くというか、歌うというか。伝助Ⅱ号は動くカラオケルームでもある。
19.1.26 Fri
午前は三軒茶屋、午後は神田。夜は丸の内ホテルの椿壽で会食。といっても私の場合、場所柄をわきまえずただひたすら杯を重ねるのみ。今週もよく飲んだ。あまり自慢にならんが。しかし丸の内ホテルからみる東京駅の再開発はすごい。丸の内側だけでなく、八重洲方面の変貌も著しい。
19.1.25 Thu
上野のちゃんこ琉王、3人。この二人三人が危ない。ごまかせない。したがって、真面目に真摯に飲む。結果はいつものとおり。どうも私は、真面目すぎる。飲むときだけは。
19.1.24 Wed
東上野のベル・オーラムで新年会。浅草通りをはさんで向かい側は佐竹商店街。江戸時代は、佐竹藩の上屋敷であったところ。佐竹といえば家康に恐れられた男。こうして地名が残るところは、地元の庶民には人気があったのか。夕方、ぶらぶら歩いてみた。大きな商店街ではあるが、空店舗が多い。このあたりには大型店舗は少ないのだが、どうしても生鮮3品に身の回り品は、スーパーやドラッグストアに流れてしまう。残るのは飲食店。佐竹商店街も例外にあらずか。ただし、飲食店のレベルは高い。
19.1.23 Tue
昼間、テレビ東京で放送している放映している「CSI・4」が面白い。一昔前であればゴールデンタイム時に放映される水準。何故、観てるかって。パソコンに録画。
19.1.22 Mon
だろうな。食べて痩せる物なんかないと思うぞ。太らないものはあるだろうが。別に納豆が悪いわけでも、納豆をつくっている人が悪いわけではない。
19.1.21 Sun
昨日は事務所に泊まり、深夜というか、朝3時に起床。一仕事の後シャワー。また一仕事。昼過ぎに仕事を終えて、愛車伝助Ⅱ号で家路へ。車中では演歌。こういう煮詰まった疲れには小林旭の唄が心地よい。キ~タグーニィノォ~~、と歌った彼も68歳。その彼が、ギターを背負って、腰にガンベルト巻き、馬に乗って鳥取砂丘に登場しても、なんの違和感を感じなかった頃の自分が懐かしい。45年前。その後、仁義なき戦いに武田明役で出たときの小林旭もかっこよかった。33年前。
19.1.20 Sat
午前中は紀尾井町に出かけ、午後からは事務所に閉じ籠り、珍しく仕事に打ち込む。だいたい閉じ籠る場合、仕事前に手にするのが半年前の雑誌。雑誌は、そのために買っているようなものだ。ところが今日は、左サイドに六法と参考書、目前にA4判ノート、前方にパソコン、右手には愛用の万年筆4本。13時から取り掛かり、気が付けば20時半。そこで、おもむろに手にしたのが雑誌ではなくビール。飲み続けることおよそ一時間。今日は、ここまで。
19.1.19 Fri
恵比寿に出かけ、事務所に戻る車中は、アイポッドに録画したテレビのニュースを観る。一時間のニュース番組なんか、CMを飛ばし、興味のないところを早送りすれば20分もあれば見終わってしまう。効率的なんだが、味気ない気もする。こういう利便性は一度味わったら、もう手放せない。だが、私は宣言する。これまでもそうだったし、いまもそうであるし、これからもかくありたいとアナログ型人生を送ることを。デジタル型人生とアナログ型人生との違いは、はっきりとは分からないが、人生はアナログ型で通したい。
19.1.18 Thu
忙しい、忙しい、というのは己の無能さをさらけ出しているので、言ってはならんことなんだが、忙しい。根が、怠け者に出来上がっていいるので、ついつい仕事を延ばし延ばしにする。100の時間が必要だとわかっていても、締め切りまで40時間しかないところまで、手をつけない。これじゃ出来ないに決まってる。と、分かっているのだが、治らない。しかも60の時間帯も、暇でのんびり過ごしているのかといえば、それなりに、役に立たないことで忙しくしている。人様には、目標管理、戦略的計画化、Plan、D0、Seeサイクルの徹底などとうそぶいているのだが。いや、人は失敗から学ぶことが多いとすれば、私のうそぶきは、大いに参考になるはずだ。
19.1.17 Wed
今日は冬の土用入り。18日後に土用明けで立春。その前日の2月3日が節分。1月20日には大寒に入る。寒さはこれからが本番。寒さは嫌いではない。寒さというより、この季節は嫌いではない。グンと冷えた夜道を、赤暖簾を目指して歩くことも、赤暖簾から出て身震いしながら家路につくのも嫌いではない。夜は暗いのだと、この時期が最も実感できる。寒くて暗い夜があるからこそ産まれる文化がある。日本の四季は豊かである。
19.1.16 Tue
納豆がないという。先日、8人で寿司を食べていたら、納豆巻きの話になり、スーパーから納豆が消えたという話が話題になった。普段、納豆を食べる習慣のない私は、ことの事実を確認するため、いつも納豆がおいてある事務所近くの店舗を覗いた。ココスナカムラ、入谷市場、パパスである。ない!確かに納豆がまったくない。テレビの「発掘!あるある大事典」で、優れたダイエット食品として紹介されてから売れ行きに火がついたらしい。多少、流通段階での出荷調整や買占めが影響しているのかもしれないが、消費者の健康志向がいかに根強いかということである。そんなときに、不二家の消費期限切れ牛乳等の混入事件が発覚。食品に関する衛生・健康志向は、もはや私たちの世代が抱いているアバウトな感覚ではない。私なんか、食い物は腐る直前が一番旨いんだ、といって、賞味期限も消費期限も関係なく腹に入れるが、この手の人間の存在はもはや認められていない。私の場合は自己責任だからいいようなものの、他人に強要しようものなら間違いなく社会生活からの退場を迫られる。不二家問題の根は、同族会社的体質ではなく、そもそもの衛生観念がいい加減であった、ということにあるのではないか。感覚の欠落、これはけっこう致命傷である。消費者は、不二家に不正や管理の甘さではなく、不潔なイメージを抱いたに違いない。間違いました、では済まされない。ひょっとしたら、赤い靴下の箱に入ったキャラメルなどの詰め合わせを、今年のクリスマスには見られないのかもしれない。
19.1.15 Mon
忘却力なるものは、歳とともに自然と身に付くものであるが、それでは追いつかないのが現代社会の複雑さである。したがってこの力は、人為的に強化育成することが肝要であって、私なんか、これまでその鍛錬に勤しんできた。そこで、忘却力強化のためのコツを披露したい。そもそも忘却力とは、覚えていて都合の悪いことを忘れる力のことをいうのであり、何でもかんでも忘れることを忘却力とは言わない。もっとも、何でもかんでも覚えているよりも、片端から忘れるほうが、生きていくうえで都合がいいのだが。さて、その忘却力強化のコツであるが、これは至って簡単である。出来事は、事実は事実として受け入れても、その事実に対する感情的評価を差し挟まないことである。早い話が、最初から覚えないか、都合よく記憶することである。日々の鍛錬の賜物として、記憶は都合よく蓄積されるものなのである。そう、記憶は都合の構造化なんだから。諸君、これからでも遅くない。都合よく記憶する術を身に付けられよ。
19.1.14 Sun
個人であれ、事務所であれ、企業であれ、国家であれ、イメージというの大切なものであって、これをブランドともいう。このブランドというものは、自ら望むものと他者が評価するものとが一致することが望ましいのだが、そうもいかないところが難しい。たとえば、アメリカというと「強くてお節介な国」、フランスというと「柔らかくてしたたかな国」、ドイツというと「頑固で不器用な国」、イタリアは「アバウトに存在感のある国」、イギリスは「紳士と不良の共存国家」、中国は「とらえどころない大国」、北朝鮮は「ならず者国家」というのが私のイメージなのだが、さて、自国日本にどのようなイメージを持つのかというと、これが心もとない。斯くありたいと願うイメージは、「美しい国」ではなく「潔い国」を望むのであるが、日本のリーダー達の往生際の悪さを見るにつけ、程遠いブランドである。潔いためには、正直でなければならず、責任をとる勇気がなければならない。でも、こう見られたいですな、諸外国からは。「潔よい」は、英語には適切に当てはまる単語がなく、まさに日本の在りようを示す言葉。潔い国をジャパン・ブランドに!!フト、世界における日本は、どう見られているかを考えた。
19.1.13 Sat
赤坂見附から戻ったのが昼。スタッフと事務所向かいの栄龍に。昨夜から夢にまで見ていた餃子ライスを注文。優れて満足。ここでもまた、ヒョイと気になった。およそ街の中華料理屋で、もっとも売れ筋商品とは何だろうか。もちろんお店お店で人気商品は異なるであろうが、どのお店でも3番手内に入るのが餃子。したがって全店を総合すると餃子が一番。イヤ、やはり単なるラーメンか。野菜炒めも侮りがたい。私の好きなニラレバ炒めも密かに人気がありそうだ。眼の前のスタッフは、もやしラーメンと麻婆ラーメンを食べている。カウンターでは、チャーハンやタンメンを食べている。ムムム~、私はまだまだ世間のことが分かっていない。こういうことは、他人のデータではなく自らの定点観測で得心したい。ということで、先ずは栄龍から。今日の結果は、やはり餃子。
19.1.12 Fri
今日は新年会。しかも向島桜茶屋。気合を込めて参加した。今から15年前、日本がバブルで沸き立っていた頃、仕事の関係で向島にはよく出入りした。その頃、桜茶屋の門もくぐったことはあったが、よくぞバブル崩壊の後を耐えたと感心。若女将という後継者を得るかどうかが、料亭生残りの最低条件。桜茶屋も若女将へとシフトしていた。15年前といえば、彼女はまだ学生であったはず。過去を振り返る己の歳を実感。イソイソと出かけた新年会も、終わる頃には人格崩壊一歩手前のヘロヘロの状態。今年も、アルコールとはこういう形でお付き合い願おう。飲めるうちは、まだまだ若い。と、しておこう。
19.1.11 Thu
渡辺淳一という作家の本を読んだこともなければ、読む気もないのだが、彼は、人の話に真剣に耳を傾ける人、自分の言ったことをいつまでも気にする人は、病気になっている、と、どこかで書いていた。これは間違いなく真理である。彼は医者でもあるから、医学的、統計学的なデータももっているのだろうが、こういう真理にはそのような証明はいらない。神の存在と同じである。信じればよいのである。そして、実践すればよいのである。病気にならないために。人の話は真剣に聴かず、自分の言ったことをいつまでも気にしない。そう、高田純次的生き方は、肯定されこそ否定されるべきではない。
19.1.10 Wed
私には、何でも酒の肴にしてしまうという特技があって、パン、うどん、焼きそば、チョコレート、おかきに煎餅などを相手に、ビール、焼酎、ワイン、日本酒と何でもござれなのだが、ラーメンだけは極めて相性が悪い。と、いっても夜にラーメン屋に入れば、自然と出てくる第一声は、やはり「ビール」。ところが、ラーメンではつまみにならないので、餃子を注文する。そこで問題は、大体の店では、餃子よりラーメンが先に出来上がる。餃子ができた頃にはビールは飲み終わっている。このとき私は、ハタと考えるのである。世間一般では、ラーメンとビールと共存するもんであろうか、と。いや、ラーメン屋の親父の気が利かないのか、と。私にとって、特にラーメンの汁とビールは共存しない。そこで思考はさらに進化する。ビール、焼酎、ワインと共存するラーメンの味を産み出せば、必ずや有名店になるであろうと。東京の食文化は一変するかもしれない。ラーメンは飲んだ後に食べるものではなく、二人だけのクリスマスの夜は、ワインにラーメンという風景が流行るかもしれない。そんなラーメンが欲しい。昨夜、つくづく思った。
19.1.9 Tue
今日は、事務所が入居している東京菓子会館の賀詞交換。夕方から5階の大会議室で一堂が会してビールに熱燗に焼酎。午後6時半にはもはやほろ酔い。こういう日を、良い一日といわずして何と言おう。
19.1.8 Mon
観るともなくテレビをつけていると、兄が妹を殺した、夫が妻を、親が子を、子が親を、とうんざりするニュースが続く。社会の点を眺めて全体を判断することは間違っているが、やはり何か世のネジが狂っていると思わざるを得ない。昔も殺人事件は多発していた。肉親同士の争いも昔からあったであろう。しかし、その根にあったのは貧困が多くの理由であったのではないか。貧困からの解放、これは私たちの世代の課題であった。おそらく日本はその課題を克服したのだろう。だが、理解不明な殺人は無くならない。新年早々、悪酔いしそうな世相だ。
19.1.7 Sun
いつもの通り、早朝というか深夜というか、午前3時半に起床。仕事三昧の一日といいたいが、決意だけ。本屋に行く、ミステリーを読む、転寝をする、笑点を観てバカ笑いをする、焼酎を飲んで酔っ払う。いつもの休日でした。
≪雑読・濫読メモ≫に『一応の推定』を追加しました。
19.1.6 Sat
6時半に事務所入り。10時まで仕事をして、その後アイポッドの整理。最近、パソコンでテレビを受信し、アイポットに移送してテレビ番組を観ることを覚えた。せっせと番組を溜めているのだが、観る時間がないことを忘れていた。それでも、パソコンやアイポットだと、早回しでCMを省略することができるし、コメンテイターの意味不明なコメントを省くことができる。これはありがたい。一時間のニュース番組でも、20分もあれば終了。夕方自宅。今日は寒い。
≪雑読・濫読メモ≫に『神様』を追加しました。
≪雑読・濫読メモ≫に『テロルの真犯人』を追加しました。
19.1.5 Fri
いよいよ始まった一年。仕事で北千住に赴いたついでに、丸善、紀伊国屋と書店を回る。ついでにブック・オフも。「風の影」(集英社文庫)、「1968年」(ちくま新書)を購入。購入して、しまった、と反省。明日からの三日間、仕事がビッシリ。もちろん去年の積み残し。宿題も終わらず、三日間、読書をしていました、なんてことがばれてしまったら、言い訳が立たない。仕事が終わらなくても、せめて本を読んでいたことがばれないように気をつけなくては。ここらあたりは、鍛えぬいた中年の知恵で切り抜けねば。まるで脈絡はないのですか、「嘘でしか伝わらない真実もある」、誰でしたっけこの言葉。絵なんか嘘なんですけど、真実を伝えてるんですな。とすれば、今日のところはピカソとでしておきましょうか。この三日間、嘘でしか伝わらない真実もある、を心に秘めて過ごしましょう。
19.1.4 Thu
仕事始め。昼時、事務所の皆と浅草寺に初詣。浅草ビューホテルの唐紅花でランチ。27階で飲むビールは格別。夕方早々に事務所を出て伝助Ⅱ号で帰宅。今年も、愛車伝助Ⅱ号にはお世話になる。時々、中年暴走族のような荒っぽい運転にも文句を言わず、いまだエンストしないんだから可愛い奴である。お前にカラオケルームも兼ねて、聞くに堪えない音程でも耐えているのだから、伝助はⅠ号といいⅡ号といい立派なものだ。
19.1.3 Wed
仕事であろうが休みであろうが、時の経つのは速い。瞬く間に過ぎた正月休み。さて、明日からは仕事。身辺のことは別にして、今年は社会の地殻変動が起き始める一年になるような気がする。1947年から3年間の間に産まれた、いわゆる団塊の世代が還暦を迎え始めるのが今年から。団塊の世代の影響力を過大評価してもいけないが、過小評価してはならない。団塊の世代が還暦を迎えて何が地殻変動かというと、いたるところで新旧交代が進む。ところどころで顔を出していた新世代が、旧世代との衝突をしながら、全面的に顔を出してくるのが今年あたり。ところがこの団塊の世代、政治の世界を見ていても分かるようになかなかにしぶとい。勢い新旧の衝突は激しい。新世代は少々旧世代に手こずる。でも、新世代が勝ち残る。当たり前だが。そんな時代が本格的に始まるのが今年。どうも小生は、衝突を受ける旧世代に属するようだ。新世代よ、心して来い。
19.1.2 Tue
朝というか深夜1時に起きて、テレビで映画『アレキサンダー』を観る。その後、そのまま仕事。どうも体が、連続しては短時間の睡眠しか受け付けなくなっているようで、3~4時間も寝ると、もう目が覚めてしまう。十分な睡眠ではないので、午後はテレビドラマ『忠臣蔵』を付けながらウトウト。結果が見えているので、大学ラグビーの準決勝は時々チャンネルを代えるだけ。どうも、明治、慶応、同志社が弱い大学ラグビーには興味が薄い。すべて観たわけではないのだが、今日の忠臣蔵は結構面白かった。ここのところの忠臣蔵は、歌舞伎の仮名手本忠臣蔵や元禄忠臣蔵から離れ、色々な切り口から解釈され、それぞれがそれなりに面白い。外伝としては不破か数右衛門が好みなんだが、だれが演じてたんだろう。ちなみに原作者は湯川裕光、前民主党衆議院議員松崎哲久のこと。
19.1.1 Mon
曜日感覚が無くなってきた。毎日が月曜日のような繁忙期の曜日感覚の喪失と異なり、毎日が日曜日という感覚はこの冬休みの特徴。とにかくどこにも行かず、観もしないテレビをつけて、ごろごろと手当たり次第本に手を出す。こうしたゆったりとした時間を過ごしていると、闘志が湧いててくる。過剰な闘争心や自制心を持たないほうが、気楽に生きることができるのだが、現実の世界はそうも言ってられない。能力以上のことだと思っても、やらなければならないことは、やらなければならないのだから。
19.1.1 Mon
謹んで新春の
お慶びを申し上げます
税理士として十二年間 いつも希望と不安が交差するなかで新年を迎えております
それは今後も変わりはないでしょうが 希望のウエイトの方を大きく抱いて過ごしております
しかし今の社会は 希望の総量よりも不安の総量のほうが大きいのではないかと 危惧しております
希望も不安も 他から与えられるものではなく 自ら創りだす在りように違いありません
ただ 希望するものを手に得るためには 数多くの課題に立ち向かわなければなりません
困難を厭い 希望を抱くことを放棄する それが社会の多数であってはなりません
さらに求めて 現状維持を選択肢から排除する そんな心構えでこの一年を駆け抜けたいと思っています
私共の事務所では 進化と変革を目標とする一年間が またスタートしました
平成十九年 元旦