19.5.31 Thu
終わった。やっと5月が終わった。12ヶ月で最も繁忙期はというと、やはり5月。当然、3月の確定申告の時期も繁忙期。早い話、3月から5月までの3ヶ月間は繁忙期。でも、今日は17時には業務が終了。で、早く帰れ、とスタッフを帰し、事務所を18時半に出る。外が明るい。娑婆の空気はいい。思いっきり明るい空気を吸っていたら雨。スゴスゴと伝助Ⅱ号で帰る。
19.5.30 Wed
フゥ~。後一日。
19.5.29 Tue
昨日の衝撃が残っている。松岡農相の自死。事務所向かいの「たむら」で夕飯を食べていたら、やはり、なんで自殺なんかしたんだ、という圧倒的な下町の見解。嫌な言葉であるが、勝ち組と負け組とで人を分ければ、国会議員であり、しかも大臣ともなれば、下町庶民から見れば完全なる勝者。人生は単純ではないということか。
19.5.28 Mon
今日はまさに青天。続いて霹靂。雷のことである。厚木から事務所に戻り、夕刊を手にして驚いた。松岡農相はなぜ自殺をしたのだろう。死者に鞭を撃ってはいけないし、すべては推測であるが、陳腐な言い方をすれば、別に死ななくとも良いではないか、さっさと引退することができなったのか、と思う。その立場にいなければ理解できない心の在り様であろうが、今一呼吸おいて、気持ちの持ち様を整えれば、自死に至らなくとも済んだような気がするのだが。
19.5.27 Sun
Sundayである。日曜日。クリスチャンにとっては安息日である。安息日は、ユダヤ教徒にとっては土曜日、イスラム教徒にっては金曜日らしい。曜日はともかく、安息日とは、何もしてはならない日、である。権利ではなく義務である。とにかく何もしてはならんのである。で、私はというと、朝の5時から仕事。10時に顧客とミーティング。昼食にビール。昼寝、これは何もしていない内に入る。夕方は浅草の植木市。なんだかんだと忙しい。でも、何もしない一日とは何だろう。私自身は、何もしない一日は結構得意と思っているのだが。
19.5.26 Sat
今日と明日は浅草浅間神社の盆栽市。白鵬も優勝したことだし行ってみるか。この脈絡のなさが上手く生きるこつかな。
≪雑読・濫読メモ≫に『西郷隆盛伝説』を追加しました。
19.5.25 Fri
雨のなか恵比寿に出かけ決算報告。続いて、秋葉原の顧客先でミーティング。3月決算業務も、富士登山でいえば、下りの6合目。とにかく峠は越えた。さて月末、忘れ物はないか気をつけなければ。特に原稿の締切り。編集者も、締切日にならなければ督促してこない。だいたい私は、その時はじめて思い出したような振りをする。
19.5.24 Thu
朝から出かけて夕方事務所に戻る。契約書の案文を作って、気がつけば夜の8時。たまには家に帰らねばと、久しぶりに伝助Ⅱ号で自宅へと向かう。NHKのラジオで1956年のアメリカヒットチャートの音楽を紹介。プレスリーを聴いていて気がついた。やはり、ここから音楽が変化した。世代なのかもしれないが、プレスリーには体が反応する。
19.5.23 Wed
午前は来客が二人。午後は銀座の顧客先に立ち寄り、京橋の弁護士事務所で打ち合わせ。事務所に戻って15時に来客。その後は事務所で仕事。夜は、必要に迫られて税法の勉強。同時並行で読んでいるいくつかの本がなかなか読み終わらない。
19.5.22 Tue
午前に来客。午後は、駒沢、秋葉原と顧客と打ち合わせ。そのまま夜は、税理士桜友会の会合。事務所に戻ったのが夜の10時半。もちろん仕事なんかしないで、最後の仕上げにいいちこの野菜ジュース割。なかなか風邪っ気が抜けない。しかし、私のように天下国家の動きと全く連動しない生活振りも泰平でいい。
19.5.21 Mon
いやはや仕事拒否症だ。少々仕事をすると頭痛がしたり、腰痛が襲ってきたり。飲んでるときは何でもないのに。
19.5.20 Sun
朝5時に浅草に行く。もちろん30数年ぶりに三社祭の宮出しの見物のため。もっとも以前は担ぐため。まったく、私は忙しいのか暇なのか分らん奴である。5時45分から始まった宮出しを1時間半見学。早朝から身動きが取れない。隣で見学していた人は、国分寺から来たという。むろん前夜から。ところで三社祭をご覧になった方はお気づきだと思うが、ここだけは刺青の開陳が御法度ではない。いたるところで見かける。三社祭りではアイドルのようなもので、カメラを向けるとポーズも取ってくれる。もちろん女性のみに対するサービスだが。やっぱり祭りっていいもんだ。
19.5.19 Sat
19時頃、事務所で仕事をしていると祭囃子がひときわ大きく聞こえてきた。地元の小野照崎神社の例大祭である。事務所前の金美館通りを神輿が通って行く。つくづく仕事がバカらしくなった。照崎神社まで歩いて3分。氏子のテナントを代表して行かねばならなん、なんて変な律義さを感じてサンダル履きで赴く。三社祭に比べるべくもないが、そこはそこそこに夜店も出て、地元の人々で賑やかである。祭りっていいもんだ。
19.5.18 Fri
夕方から、事務所の大家さん主催の懇親会に出席。どうも頭痛がする。これは信号である。仕事をするな、あまり飲むな。もちろん口実がなくとも仕事をサボる人間であるから、仕事については信号があれば素直に従う。問題は、これ以上飲むなである。わかっちゃいるけど、従えない。従順と反抗、人間は難しい。ということで、今日も飲み過ぎる。
19.5.17 Thu
ともに苦労をした仲間というのは、やはりいいもので。例えば、あんな不味いものを一緒に食べた仲間とか、酷ぇ~上司にともに仕えた同僚とか、たまに会えば懐かしく、思わず抱き合いたくなるものである。喜びを共有するのは困難でも、苦労を分かち合うのは容易く、同志をつくる元となる。ということで私の事務所では、スタッフには苦労を押し付けることにしている。そう、喜びからは何も得られない。苦難は連帯と友情、そして成長をもたらしてくれる。もう連帯も友情も成長も求めない経営者は、ただひたすら部下に艱難辛苦を強要する。3月決算の峠は見えてきたぞ。経営者は昼間からビールを飲んでいるが、諸君のゴールも間近にあるぞ。もう少し頑張れ。頑張れば、また次のスタートが待っているから。
19.5.16 Wed
沖縄の梅雨入り。ここまで、あっという間に過ぎ去った。過去はあっと過ぎ去るのであるが、明日、明後日と長くて辛い一日(?)が待っておるのである。今週末には三社祭がある。人は先に楽しみがあれば何とか生きていくことができる。できれば、今日も楽しければいいのだが。いかんいかん。また訳の分らんことを書きだした。
19.5.15 Tue
17歳が母親を殺めた、と報道されていた。病は体だけではない、心にも襲ってくる。何故なのか。事実をいくつ重ねても真実は見えてこない。テレビの報道から何も見えてこない。
19.5.14 Mon
少々頭が痛い。ということで、早めに帰宅。といっても20時半。久しぶりに娘夫婦の愛犬アニモと戯れる。顔や手足を舐められて癒されるが、私のどこが美味しいのだろうか。
19.5.13 Sun
今日も事務所で仕事をしていたが、少々くたびれた。16時に事務所を出て浅草に向かう。合羽橋商店街を歩き、ドジョウの『飯田屋』辺りで体の凝りが溶けていく。深呼吸をすることができる街、とでもいおうか実に心地よい。一時間ほど本屋を覗き、コーヒーを飲み、18時からラルースで会食。満足満足。ほんと浅草は普段着の町だ。
19.5.12 Sat
昨日の二日酔いをカバーするかのような一日。朝の5時から仕事。10時には赤坂見附で打ち合わせ。一旦事務所に戻り、スタッフと昼食。午後は、お茶の水でさる会の総会。続いて懇親会。夕方事務所に戻り、再び仕事。といっても身辺整理。夜は佐高信『西郷隆盛伝説』を読む。白状すると、私は薩摩・長州嫌いである。先祖様が維新の時に反対の立場にいた、というだけでなく、維新後の薩長顕官の驕慢な生活振りを考えると、ムカムカとしてくる。その分西郷隆盛の清貧さに強く惹かれる。アンタだけは別だ。江藤淳は、『「西郷南州」は思想である。この国で最も強固な思想である』と書いたが、最近その意味がようやく分かりだした。
19.5.11 Fri
やはり昨夜の楽しい一時は、厳しい苦難を引き連れて今日やってきた。久しぶりの完璧二日酔い。二日酔いするほど飲めるとは、まだまだ若いというか、馬鹿いというか。
19.5.10 Thu
飲みかつ唄って一日が終わる。こういう日があるから、人生は楽しい。後ほど苦も襲ってくるのだが。
19.5.9 Wed
吾輩は猫である。当たり前だが夏目漱石。ここで私はいつも思う。吾輩は『猫』である、と断言する猫の明確さにいつも驚愕する。猫ごときが断言して、その存在を主張するのである。でも私は、『私は人間である』と断言しても私の存在は不確かである。そう断じても何の意味も示さないのでる。猫の存在よりも不確かな己の存在。そう、私は酔っている。夜はいつも酔っているが、今日の酔いは理屈っぽい。かのデカルトは肉体派であった。幾度の決闘を勝ち抜くほどの肉体派であり、自ら志願して兵役にも就いた。肉体の確かさのなかに己をを見出そうとしていただけに、肉体に裏切られたデカルトは一層思弁的になった。己という存在は、考えて自ら創りだすしかない。酔うと時々思う。己という存在は、まず己に向かってその存在を創っていかなければ、いつまでたっても己が存在しない。いかん、だんだん酔いが深まってきた。理由はよく分らないが、こういうことをブツブツと書くようになった翌日は、頭痛がするもんだ。
19.5.8 Tue
某会の総会で久しぶりに神楽坂で会食。二十数年前、仕事の関係でここらあたりに出没したことがあるが、様変わりしている。もともと神楽坂は霞が関、永田町の奥座敷であったが、それが表座敷になった感じ。そういえば、通商「赤坂お妾通り」といい、深川といい、神楽坂といい、いわゆる奥座敷がなくなり、オープンな街通りになった。街の情緒は無くなったが、私のような普通の人々にとっては、身近な街になった。
19.5.7 Mon
朝から蒸す。夕方、埼玉の入間に出かけたが、彼の地はまさに武蔵野。こんなに空気がうまいのか、空が青いのかと感じた。このまま秩父にでも行って一泊したいのを堪えて事務所に戻る。あのまま秩父にでも行けば、これこそ自由業なのだが。断じて言う。自由業とは、時間とお金には不自由するものだ。
19.5.6 Sun
ギャオで映画『ザ・ハリケーン』を観る。パソコンで無料、便利なものだ。いつもながらデンゼル・ワシントンの迫力ある演技に圧倒される。そう、閉じこもってはいるのだが、根が仕事嫌いな私のこと、さぼる理由を見つける前に遊んでいる。ということで、今日は早々と事務所を後にして自宅で閉じこもり。周りにある雑誌、小説を拾い読みして、最後にたどりついたのがパソコンで映画。今年の黄金週間も終わる。
19.5.5 Sat
閉じこもり三日目。午後3時になると頭が痛くなる。仕事のし過ぎだなんて言い訳をして、昨日から読み始めた『吉原手引書』を読み始める。実は、朝の4時に起きて2時間ばかり読んで、残り少々。読み終えるのがもったいないと、夕方根岸方面に散歩に出かける。金杉通りにうぐいす通り。いつまでも残しておきたい風情であるが、都心開発の波はここも押し寄せている。中型マンションの建設がいたるところで行われている。事務所のに戻り、本を読み終えると夜。
≪雑読・濫読メモ≫に『吉原手引書』を追加しました。
19.5.4 Fri
朝の6時から仕事をしていると、午後4時には頭が痛くなる。で、仕事は止め、いま評判の松井今朝子『吉原手引書』を読み始める。いかん。面白すぎる。
19.5.3 Thu
18歳ぐらいの頃、寺山修二の詩を読んで詩人になることを諦めた。こいつにはかなわないと、心底思った。二十歳ぐらいの頃、吉本龍明の本に出会った。当時通った、というより在籍していた大学で大流行りだった。大学内の学生運動党派のイデオローグでもあった。関係の絶対性、共同幻想に対幻想、擬制の終焉、自立の思想的根拠等々、心躍るような言葉が飛び交っていた。しかし、読んでも読んでもチットモ理解できなかった。で、思想家になることを諦めた。以来、浪人生活を送り、税務職員となり税理士となった。だから今でも、詩人と思想家には恐れ入る。新聞や雑誌に、詩人、思想家と紹介されいると、自然と居住まいを正して読む。で、気がついた。詩と思想が消えた。詩と思想の評論家や批評家はいる。詩人と思想家がいなくなった。今必要なのは、解釈ではなく創造ではないのか。そんなことを考えながら、黄金週間後半の事務所閉じこもりに入った。
19.5.2 Wed
夕方、早々と事務所を出て浅草染太郎。スタッフとお好み焼きを囲む。18時から始めて、ビール、冷と飲んで20時終了。連休の中日、18時半には行列。20時を過ぎても並んでいる。女性客も多い。味よりも店の雰囲気。今にも朽ちそうなたたずまいの古い家屋で食べ、かつ飲む味は格別。いつも思う、幸せは探せばいくらでもある。
19.5.1 Tue
以前、怒ることを我慢していた。最近、怒らなくなった。我慢することと、我慢なくその平常の境地を維持することは、まったく異なる。少しは成長したのかもしれない。あるいは、歳とともにある種の感情が欠落した(諦念)のかもしれない。成長か欠落かの判断は、周りの方々に委ねるしかないが、当事者の私は、その分過ごしやすくなった。