19.8.31 Sat
8月の終わり。夏の終わりでもある。朝晩涼しくなったし、夜が明けるのが遅くなり、陽の落ちるのが早くなった。石田波郷という俳人がいた。56歳で病没した。今の私と同じ年齢である。彼の句に『秋めくや焼鳥を食ふひとの恋』がある。秋めく、であるから今頃の季節であろう。おそらく焼鳥と恋とを合わせて詠んだ句はあまりなかろう。その昔、この句を見つけてメモをしていたのだか、8月の終りに石田波郷が読んだ気持が少々わかる。今日は、そんな感じのする涼しい夜だ。
19.8.30 Thu
9時前に事務所を飛び出し三軒茶屋へ。午後は、そのまま北千住。一仕事の後、事務所。昼は駅ナカ喫茶のサンドイッチ。移動時間はほぼ2時間。道中は『翔ぶが如く』(司馬遼太郎)、『会社は頭から腐る』(富山和彦)。カバンの中にはさらに『遊牧民から見た世界史』(杉山正明)。もちろん税務関係の専門誌も入っているが、これは絶対に読むことがない。精神安定剤というか、アリバイ作りというか。仕事以外の私の時間はあらかたアルコールで消えてしまうのだから、スキマ時間を大事にしなければと、電車の中でセッセと本を読む。手当たり次第にカバンに詰めるものだから、同時並行で何冊の本を読んでいることになるのやら。もっとも長く読み、かつ読み終えないのは、もちろん『聖書』。私ゃ仏教徒のはずなんだが、仏典なんて読んだことない。
19.8.29 Wed
朝青龍がモンゴルに帰国。病気なんだから療養が優先。相撲協会も謹慎処分なんて言ってたら人権問題でしょうな。しかし、肩と肘の治療はどうすんだろう。別に心配しているわけではないが、てなことを想いながら伝助Ⅱ号を運転していたら、流れてきた曲が『神田川』。懐かしい。わが青春の名曲。でも気がついた。この男、相当な長っ風呂だぞ。女が髪を洗い、その髪が芯まで冷えるほど待たせるとは、相当長風呂だ。彼女を待たせて、湯上りに町のご隠居と将棋でも指していたな。キットそうだ。許せないな。
19.8.28 Tue
午前中は上野のクライアント2件を訪問。午後は洗足池から秋葉原。夜は銀座で30年前の仲間たちと会食。髪の毛も薄く白くなったが、人間は変わらない。いや変えれない。もちろん泥酔。月末なんだがな。
19.8.27 Mon
安倍内閣改造。興味がある。結果、ナァ~ンダ。当然、個々の閣僚の力は知らない。きっと力量があるのだろう。だが違うような気がする。ウ~ン、もっと新鮮味がほしかったな。人材がいないのかな。
19.8.26 Sun
朝6時、自宅を出て7時に事務所。午前中で仕事を終え自宅へ戻る。自宅では資料整理と昼寝。夕方は、近くの焼肉屋で食事。で、一日の終わり。日曜日としては不本意な一日であるが、月末とあればいたし方ない。8月が終われば9月。当たり前。一気に年末に向かって流れていく。『いかなるシステムにおいても、エネルギーはある特定の場所に集中した状態から拡散していく』(熱力学の第二法則)のだが、『如何なる仕事も、年末に向かって集中し、年明けとともに風化する。』(時のリセット力=当事務所の第二法則)。
19.8.25 Sat
朝から暑い。今日は浅草のサンバカーニバル。この濃いお祭りは浅草ならでは。まさに下町は何でも消化してしまう。サンバがすっかり根付いている。地球の反対側も、まさか門前町でサンバなんか踊っているとは思っていまい。この下町の逞しさはみならいたい。
19.8.24 Fri
残り35で2.5。まだまだ可能性がある。阪神は、残り35試合を20勝15敗で乗り切り優勝する。なんせここまで、403得点413失点の成績で勝率0.528を維持しているのである。永年、忍耐以外に人生訓を得られなかったファンも、ことしは勝負感、集中力、省力化・効率化戦略等々のビジネス戦略を阪神から学び取ることができる。抑えのJFKの存在と名将岡田監督の采配の賜物である。ひょっとしたら、メジャーを首になった井川と桑田が9月になれば合流すかもしれない。しかしこの時期に首位と2.5ゲーム差とは憎い。ぴたりとトップにつけるのが最後に逆転する鉄則である。これから先の阪神は眼が離せない。今日は負けてしまったが。
19.8.23 Thu
この世界には管理職手帳または経営者手帳なるものがあり、その扉には「急いでいる仕事は、一番忙しい奴にやらせろ」となっている、であろう。同じように「難しい仕事は、難しい仕事をこなしている奴にやらせろ」と書いてあるだろう。だから、忙しそうにしてはいけない、仕事は難しそうにしてはならない。これが社員手帳の扉に書かれるべき言葉である。と、昔は考えていた。
19.8.22 Wed
昨夜はほとんど寝ていない。したがって眠い。こうして暑いの眠いのといっている間にも、日の暮れるのも早くなった。時は確実に進んでいる。いつの間にか白髪が増えるわけだ。いや、いまやその白髪すらない。
宿昔 青雲の志 蹉跎(さた)たり 白髪の年(李白)
19.8.21 Tue
昼過ぎに北千住で打合せ。途中、千住丸井の紀伊国屋に立ち寄り「会社は頭から腐る」(冨山和彦)を購入。そのまま秋葉原に赴き、別件の打合せ。この暑さ故か、はたまた今年も半年を過ぎ素材自体が醗酵してきたせいか、いずれの打合せも相当熟した内容。暑苦しさも増加した。事務所に戻ったのが19時過ぎ。緊急の書類に目を通し、ファックスをして20時。早くシャワーを浴びたい。ということで、本日の業務は終了。一日は終わるが、一日の仕事は終わらない。こんな生活を30年繰り返していると、自ずと図太くなる。きっと両親は、繊細で傷つきやすい子を産んだつもりなんだろうけど。
19.8.20 Mon
昨日は終日自宅で閉じこもり。車で出勤し、今日は事務所で終日閉じこもり。どうも閉じこもりストレスが発生した。やはり人は、一日に一定時間は外気に触れなくればならない。やはり陽を浴びる。全くの他人でも、多くの人の息遣いを感じる。自分にとって不必要でも、多くの商品やサービスを眺める。どうもこういう何でもないことが必要ですな。ってことは、私は都会人?
《私の好きな下町とお店》のその他地区に『まぐろ家』を追加しました。
19.8.19 Sun
暑いとはいえ、峠を越した。一日中自室に閉じこもり。仕事をしつつ、時々(?)、「翔ぶが如く」と「数学的にありえない」を浮気。夕方は、膨大に溜まったメモ類を整理。小まめにメモをとるのだが、そのメモを整理しないと何のためのメモか。と、思いつつも3ヶ月のメモ類の大半はごみ箱。これを無駄というか、有益というか。
《私の好きな下町とお店》の上野地区に『黒船亭』を追加しました。
19.8.18 Sat
一転しての涼しさ。真夏でもときどきこういう日がなくては。最近、自宅のある千葉で頻繁に地震が起こる。別に度胸があるからではなく、単に大阪育ちで地震には慣れているだけで、少々揺れたぐらいでは動じないのであるが、こうも度々揺れるといささか心配になる。わが身ではなく、我がボロ家のことである。そろそろ築30年にならんとする。奈良法隆寺のように、小まめに手入れさえすれば木造建築は1000年でも持つ。維持にも相当コストをかけなければならない。もっとも我がボロ家は、できた当初からボロだった。
19.8.17 Fri
一週間ぶりに事務所スタッフの全員がそろう。そこで、夕方から事務所向かいの「栄龍」で恒例の食事会。お酒の飲み方は、一人酒、さしむかい酒、宴会酒といろいろあるが、このように屈託なく飲めるお酒が最もうまい。レバニラ、肉野菜炒め、麻婆豆腐、肉団子、餃子、焼豚、五目焼きそば、五目ラーメンにピータン等々、たらふく食べて、グイグイ飲む。まさに、「一杯、一杯、復た一杯(李白)」ワールド。いかん!減量を忘れてた。
19.8.16 Thu
午前10時過ぎ事務所を出て自宅へ。ニュースのタイトル通り、日本の一番暑い日、を実体験。しかし、暑さに気を取られていたら、体重が増加している。減量を始めて一年と二か月、順調とまでいかなくとも増加に転じることはなかった。ここが正念場と、意を決してビール飲む。こんな暑い日に、ストイックに生きてられるか。ビールが旨い、と感じることができている間は朝青竜現象に陥ってはいない。もっとも親方のダメージも大きそう。
19.8.15 Wed
暑い暑い。仕事を終えて上野に出たのが午後5時。事務所室で想像していたよりも暑い。アメ横を通って大江戸線で月島。今日は月島「まぐろ家」でもんじゃ。さんざん食べて事務所に戻ったのが午後9時。今日も暑かったが、陽の落ちるのも早くなった。夏も終りに近づいた。
19.8.14 Tue
例によって早朝だか深夜だか分らない時間に起き、まじめに仕事。午後から再び一仕事し、15時に今日はここまで。後はオフ。その後、パソコン映画Gyaoで「ハンニバル」を観ていたら、娘夫婦の愛犬アニモがやって来る。しばし戯れて夕方。焼酎の野菜割を飲めば一日が終わる。仕事をしているのだが、夏休みの気分も満喫。このように暑いときは、ジタバタしないで仕事をするのが一番よろしい。もちろん負け惜しみでありますが。
19.8.13 Mon
エアコンに当たり過ぎていると体の調子が悪くなる。午前中事務所でエアコンに当たり続け、午後スーツにそでを通したら、体の調整が利かない。変な汗が出るし、気だるさが残る。昔から得意ではなかったが、若いころはエアコンの冷気を撥ね飛ばすほどの熱気が体内にあったのだが、いまはない。体全体が冷え切ってしまう。こんなところで年齢を感じてしまう。相応の歳なんだから仕方ないのだが。午後6時半、今日はここまでと、短パン、Tシャツに着替えて伝助Ⅱ号。ニッポンの夏休みだ、帰路の道路が空いている。
19.8.12 Sun
早朝に起きて仕事。買い物に出かけ、午後は自室に閉じこもり。昨夜NHKの「思い出のメロデー」(?)で加山雄三を観て驚いた。70歳がエレキを抱いて唄っていた。髪の毛が地毛だかカツラだかはともかく、若い若い。そうだ、裕次郎が生きていれば72歳、どんな老人になっていいたんだろうか、と考えたら、急に昭和の映画について本を読みだした。銀幕は、昭和20年代に三船敏郎を生み、30年代前半に裕次郎、後半に加山雄三、勝新太郎、高倉健、40年代に渥美清という男のスターを生み出した。元来、大衆が生み出すスターの条件は、反抗、不良、反権威を体現しているものだが、加山雄三だけは異なる。スポーツが万能で、キャップテンを務める。エレキが引けて、勉強ができる。しかも育ちがいい。しかし、どこかにいそうな人間が加山雄三で、その分カリスマ性に乏しい。その加山雄三が今も健在。なんとなく昭和の残りを観たような不思議な気持がした。
19.8.11 Sat
朝6時、勢い込んで事務所に入る。ようし、溜まった仕事を片付けるぞ~~、と張り切ったのだが、もはや暑い。恐ろしいほど意志脆弱な私は、急速に闘争心が萎える。己の能力の乏しさと、にもかかわらず仕事を引き受けてしまう欲の深さを呪いつつ一日を過ごす。夜は、高橋真梨子を聴きながら伝助Ⅱ号とともに帰宅。ホント桃色吐息ならぬ青息吐息。
19.8.10 Fri
夏季休暇初日、朝5時に事務所に出勤。一仕事の後、役員を務めているソフト開発会社に出社(?)。事務所に戻ったのが、夕方6時半。つつがなく一週間の休暇が始まった。この調子でいけば、一週間切れ目なく仕事が続きそうだ。そう思ったとたん、あまりにもバカバカしいので、事務所向かいの「たむら」で食事。明日も朝早くから仕事。ただ、誤解なく一言申し上げておけば、忙しいのは、あくまでも私の能力がないからである。
19.8.9 Thu
明日から一週間夏休み。でも、仕事はしております。が、電話は通じません。ハワイや沖縄に行くことも、ゴルフをするわけでもありませんが、極めてだらしない恰好で一日を過ごせる楽しみに浸ります。全く貧しい休暇であります。
19.8.8 Wed
言うまいと思えど、今日のこの暑さ。人並に近い頭脳しか持ち合わせていない私は、この暑さの中で物を考える術を知らない。職場放棄ではないが、今日の仕事は17時で終了。その後、どうするかって。東京ドームで阪神・巨人戦です。これで阪神が無様な負け方をしたら、……、どうしたらいいですか。
19.8.7 Tue
午後、人形町で降りて水天宮方面へと歩く。ロイヤルパークホテルの先を左折し、高速道路のガード下を横切ると日本橋中洲。中洲という地名はいたる所にあるが、まさか日本橋にあるとは思わなかった。ただし博多の中洲と異なり、ここはリバー(隅田川)サイドにマンションが立ち並んでいる。当たり前のことだが、まだまだ知らないことが多い。夜は、ご招待を受けて事務所近くの天三で天ぷら。昨日のウナギ、今日の天ぷら、体力はメキメキと回復。そう、単純なんです小生の頭と体は。
19.8.6 Mon
嘘だろうと言いたくなるような暑さ。夏だからっていい気になって暑くなってんじゃねぇぞ、ったく、とお天道様にタンカのひとつでも切りたいほど。昼時、所要があって小伝馬町に出かけ、ついでに大江戸本店でウナギを食べて帰ってきたが、昼飯のウナギぐらいではこの暑さは乗り切れない。しからば、夜は鴬谷園で焼き肉でも、と思ったのだが、財政を考慮して断念。とにかく、この夏を乗り切りましょう。
19.8.5 Sun
今日は完全オフ日にしようと決めた。そう決めたら、躊躇なく昨日来の『カシオペアの丘で』を読み続ける。どっぷりと重松ワールドに浸って、伝助Ⅱ号にエネルギー補給と洗車のため近くのガソリンスタンドへ。途中、ブック・オフに立ち寄りアダム・ファウアー「数学的にありえない上・下」を購入。併せて2時間ばかりの外出。午後は、自室で「翔ぶが如く」と「壁の世紀」を読み進める。維新直後の日本と、それから50年後の第一次世界大戦前後の世界。日本は、どのようにして現代に至ったのか。教科書は、過去から今へと辿ってくるが、そろそろ今から過去へと遡る力もついたかなと、頭の整理を始めだした。私は、間違いなく親父とお袋の子であるが、時代の子でもある。今の時代を知るのは、自分自身を知ることでもあり、そのためには何故今があるのかを知らねば、と思う。
≪雑読・濫読メモ≫に『カシオペアの丘で』を追加しました。
19.8.4 Sat
例の如く、早朝というか深夜というか、午前二時起床。ビデオ2本を観る。若き日のブルース・ウィルスとニコール・キッドマンが出演している『ビリー・バスゲイト』と本物不良のデニス・ホッパーが出演している『沈黙のテロリスト』。典型的B級映画に堪能。朝8時に2度寝をし、さて仕事。その前に、チョッとだけ『カシオペアの丘で』(重松清)でも読もう、と思ったのがイカンかった。日中読み続け、夕方、娘夫婦の愛犬アニモ(邦名ぽん子)と戯れて一日が終わる。
19.8.3 Fri
午後二時過ぎに外に出て、思わずアッチー。そのまま秋葉原に出かけ会議。事務所に戻ったのが18時半。キング・オブ・メタポの身には、歩くだけでもうクタクタ。本日の業務はここまで。シャワーを浴びて、伝助Ⅱ号で自宅へ向かう。車中は沢田研二。こんなキザな歌を、あんなキザな恰好で歌うやつはもう出んだろうと、ジュリーの偉大さを痛感。何かいろいろなことがあった一週間のような気がする。とにもかくにも、Have
a nice weekend !
19.8.2 Thu
1970年の19歳から76年の25歳までの間、私のアパートには、テレビもラジオも新聞もなかった。今から想像もつかないほど、情報が欠落していた。そんな環境であっても、笑って許して(和田アキ子)、ざんげの値打ちもない(北原ミレイ)、また逢う日まで(尾崎紀世彦)、あの鐘を鳴らすのはあなた(和田アキ子)、ジョニーへの伝言(ペドロ&カプリシャス)、時の過ぎゆくままに(沢田研二)は、テレビ・ラジオを持たなくとも、いたるところから耳に入ってきた。すべて阿久悠の作詞。極め付きは、津軽海峡・冬景色(石川さゆり)と北の宿から(都はるみ)である。厳寒の北の冬のイメージが、当時の私の心的状況と重なり合って、今でも体の中にすりこまれている。入り浸っていたジャズ喫茶から出ても、阿久悠の詩を聴くと自然と反応する。彼は、そんな存在であった。我々の世代を見事に切り取っていた。またひとり、こいつの背中を見ていたいと思う男がいなくなった。
19.8.1 Wed
昨日と今日では全く変わりはないはずなのに、7月31日と8月1日とでは、その感じ方が全く異なる。これは職業生活を通じて身に着いた条件反射のようなもので、12月31日と1月1日に次いで、7月31日と8月1日との意味合い較差が大きいと、私は感じている。なんとなれば、8月には夏休みが控えている。別に予定通り休める訳ではないのだが、幾つになっても夏休みは楽しみである。ということで、今日は東京の天気のように爽快である。ちなみに、条件反射とは、経験などで後天的に獲得された反射行動であり、先天的なものを無条件反射という。熱いものに触れた手を引っ込めるのは無条件反射であり、梅干しを見ると唾液が出るのは条件反射である。私の条件反射の範囲を、いつかご紹介したい。