16.10.31 Sun
私は、自分で言うのもなんだが、ある点において律儀というか、嘘をつかないというか、約束を守るというのか、とにかく正直者である。あくまでもある点においてであるが。何の話かというか、昨日、HPで「明日は間違いなく二日酔い」と宣言したが、今日はそのとおり大二日酔。三十数年ぶりに会う友人もいた。きっと変わっているのであろうが、会えば三十年の歳月は無いものと同じ。お互いの間柄は何の変化も無い。17時に開始した同窓会は23時までだと思う。いつ帰宅したのか記憶に無い。たまにはこういうのも良いのであるが、問題は「たまに」の定義である。私の場合は、どうも「たまに」ではなく「再三」かもしれない。
16.10.30 Sat
赤坂見附に着いた9時半ころから雨が降り始めた。ニューオータニを出た11時半過ぎには本降り。雨のよく降る10月だ。今日は17時から同窓会。それまで、事務所で身辺の整理。16時近くなると深々と冷え込んできた。暑さが去れば、台風と雨。一気に冬かと感じる気候。月が替われば2日は一の酉。事務所前の金美館通りは、酉の市で有名な鷲神社への最短通路。酉の祭りは、来る年の開運、授福、殖産、除災、商売繁盛をお祈りする祭り。まさに『来る年』のための祭り。事務所前の通りを、熊手をもって歩く人波は、来る年に向けての風情そのもの。つまり年末を感じるのであります。冬来たりなば春遠からじ、いうではないか。さっさと冬が来て、早く春になれ、なんて訳の分からんことを思うほど、今日の事務所は寒い。
明日は間違いなく二日酔い。したがって、今日は素面のうちのHPの更新。
16.10.29 Fri
仕事が終わろうと終わるまいと金曜日。やはりHappyなんでありますFridayは。こんなときは、ジョークを思い出してはウイスキーのグラスをかたむける(本当は焼酎)。
先ずは、マーク・トウェインの作品から。
フランス人「アメリカ人は、かわいそうに自分の祖先がだれであるかわからない。」
アメリカ人「フランス人はもっとかわいそうだ。自分の父親がだれかさえもわからない。」
続いて女優のデボラ・カーのエピソード。
デボラ・カーが体調を壊して駆け込んだところが精神科医院。もちろん間違ったのであるが、私は、デボラ・カーですと名のったところ、精神科医は、
「ほう、いつから自分はデボラ・カーと思っているのかな。」
さらにメイド・イン・ジャパン。
失恋をした娘に対し、「お前、人間は顔じゃないぞ」と慰めようとした父親。思わず「お前の顔は、人間じゃないぞ」と言ってしまった。その後どうなったかは誰も知らない。
16.10.28 Thu
いやはや早い。月日の経つのは早い。もう今月も終わり、と思うのであるが、まだ3日ある。終わりよければすべてよし、というではないか。3日間頑張るか。キット仕事は終わらんけれど。
16.10.27 Wed
四谷三丁目で仕事を終えたのが19時30分。久しぶりに荒木町から三栄町をぶらつき、『こうや』に立ち寄る。ここは、私が四谷税務署に勤務していたころに開店した支那ソバ屋。いまや有名店となり店舗も大型化したが、当時のお店は8名も座れば満杯になった。カウンターに座れば、懐かしい、珍しく店主がいる。彼は、その昔劇団をやりながら、生業のためラーメン屋台をひいて新宿の街を流していた。それがいまの『こうや』。もともと放浪癖があるのか、店主は、世界をブラブラと流すのが趣味というか生活というか、一時期、日本にいなかったようである。久しぶりに顔をあわせれば、お互い20年の月日はさすがに長い。相手のほうが遥かに私より年長、なかなか哲学的な風貌になっておりました。当方は、相変わらずの銭勘定をする立場、哲学的からは程遠い。
16.10.26 Tue
9時に事務所を出て、御徒町から津田沼。終日秋雨。時雨というには時期は早いが、今日の雨はまさに秋時雨。
斯の如く 秋の時雨に 濡れ申す (高浜虚子)
ほんと今日は濡れました。
16.10.25 Mon
西部劇『リオ・ブラボー』で、ジョン・ウェインの『顔色が悪いな』に対するディーン・マーチィンの応えは、『酒場から離れているからさ』。ここのところ私も遠ざかっている。アルコールにも量と質がある。量は言わずもがなであるが、質についてはアルコールそのものの質と飲み方という質がある。自宅でバランタインの30年物を飲んでも、我が家では残念ながらその風味を壊してしまう。やはり、身の丈にあった酒場で飲む酒は、銘柄に関係なく最高の質である。親父は、こちらが引き立て役の高倉健でもいい、目線の合っている西田敏行君でもいい(西田君ゴメン)、今日の気分は、小林念樹がいい。あの、ワンテンポ遅れて反応してくれる感じを相手に飲んでみたい。どうも、酒場から離れているとリズムが整わない。月末は辛い。
16.10.24 Sun
新潟中越地震、見附市はまさに私が生まれた故郷。母方の実家の家は、某団体に寄贈して今は無いが、テレビで観るように裏庭の続きは裏山。本当に古い家だった。「リキ」というそれこそ幼馴染が隣にいる。隣といっても、相当歩くが。新潟の厳しい自然の中で育った男だ、これぐらいの災難も生きるための前提だと、思ってるであろう。しかし酷い。生きていく以上、いくらかの災難は前提にしている。しかし、生活の根底までなくなるとは。被災者には心から応援を申し上げたい。明日に向ってまた歩き始めましょう。
16.10.23 Sat
ホント人生は思うようにいかない。私は、人生にあまり多くのものを求めないほうであるが、やはり思っていることと、手に入れるものとのギャップに溜息をつくときがある。例えば体重。身近な人も、初めて会う人も、なにより聖路加の医師が痩せなさいという。なにも反抗しているわけではない。私も痩せねば、痩せたいと願っている。ただ、そのために努力をしたくないのである。そうでなくとも日々の生活のなかで、ねばならないことを数多く抱えている。毎日毎日ゲップをしているほど多くのことを義務として、責任として、約束事の履行として果たしている。痩せることぐらい努力なく得られんか、とこう思う。ホントままならないですな人生は。しかし。体重計が間違っていることも考えられる。久し振りに測ったもんだから体重計も勘違いしたかもしれん。
≪雑読・濫読メモ≫に『終着駅』を追加しました。
16.10.22 Fri
またまた月末モードに入る。この時期、別にこの時期に限らないが、私の机の周りは、他人がみれば雑然と、または散らかっていると、更に潔癖な人は、きたないと想う人がいる。それはまったくの誤解だ。私のなかでは、ほとんどのものが整然とカテゴライズされ、それぞれのカテゴリーの中身も極めて秩序立って整理されており、必要な資料は、瞬時とはいかないが、それなりに探せば見つかる。見つからないものはないものと判断する。ただ、メガネ、携帯、お気に入りの万年筆、キーホルダー、定期入れと名刺入れ、財布に小銭入れ、ハンカチetc、がときどき行方不明になる。ファイルのなかに挟まっていたり、フォルダーボックスのなかに落ちていたり。私のような几帳面な人間でもこの有様である、他の方々はいったいどうしているんだろう。
16.10.21 Thu
昔、竹中労という男が『人間は弱いから群れるんじゃない、群れるから弱いんだと。』といっていた。トップ屋の先駆者であり、破天荒な評論家であり、アナキストでもあった人物であるが、我々の世代では、一種のカリスマでもあった。1930年生まれ。戦後闇市派の世代である。この世代に私は弱い。ある種のコンプレックスを感じる。その意味では、1945年生まれ以降の団塊の世代、いわゆる全共闘世代は、私を含め身の回りに溢れ、胡散臭が入り混じった親しみを感じるだけである。その竹中労が、最近若者たちの間で読み直されているという。この世代の凄みは、冒頭のセリフにあるのではないか。敗戦後の混乱のなか、頼るものは己のみ。群れに埋もれることなく、己の闘いを闘い抜いた者が勝利を得ることができる時代。何がしたいのか、何をしなければならないのか、群れれば、それを喪失してしまう。群れること自体が目的となる。飢餓感からくるのか、強烈な目的意識と闘争心。これをもち続けた世代のひとつの代表が竹中労である。なじみの薄い人物だが、今日、鈴木邦男の『公安警察の手口』を読み終えて思い出した名前であった。群れることと結びつくこととの違い。集団と組織の違い。個と組織の在り方。チームのリーダーである私の課題でもある。今日の私は冴えているかもしれない。少々歯が痛いが。
≪雑読・濫読メモ≫に『公安警察の手口』を追加しました。
16.10.20 Wed
バケツで水を撒くとはこのこと。台風が近づいているので、早めに帰宅しようと車に乗ったところ、すごい雨足。前が見えない。水溜りに突っ込む。対向車の撥ねた水飛沫を被る。もともと車の運転には自信がない。雨天運転禁止の免許証かと思うほど、雨のなかの運転は苦手。こんなことなら、事務所向かいの『たむら』で一杯やりゃぁ~よかったと悔やむ。それでも、何とか帰宅したら、なんと8時に自宅にいる。これは事件だ。台風が接近するなか、比較的に何事もなく過ぎた今日一日の、もっとも大きな事件だ。
16.10.19 Tue
東京は一転しての雨。しかも台風。元来10月の台風は、私のゴルフに似て、列島の手前で大きくスライスして日本まで届かないのであるが、スライスも小幅になるとやって来る。災難にあわれている方々には申し訳ないが、そう思うと親しみも湧く。大阪にいた小学生のころの台風の記憶がある。家の窓から見ていると、ゴミが舞い、ゴミ箱が飛び、物干し台が壊れる。わが家も窓に板を打ち付け、壊れないよう内から押さえていた。道路が、膝まで浸水したことも度々あった。それはそれで楽しんでいたように覚えている。その当時からみれば、都市のインフラは整備され高度化した。これはこれでいい。しかしあの頃の生活環境を懐かしく想うのは、歳のせいなのか、危険を排除し過ぎて面白みのない都市環境となってしまったことによるのか。
16.10.18 Mon
昨日に続き快晴。昨日は季節を感じる余裕もなく閉じこもっていたが、今日は外出して季節を満喫。これぞ秋。いうことのない気候であるが、ここまできたらもう少し寒くなったほうが有難い。もちろん飲兵衛のための温度調整。高倉健のような渋い居酒屋の親父もいいが、西田敏行のような陽気な親父の焼く焼き鳥を肴に、いきなり冷やから始める。一杯飲んでは上着を脱ぐ。酔客のいうことを相槌とともに聴いてくれる。そんな風景には、もう少し寒くならないと出会えない。高倉健じゃ説教されそうだ。
16.10.17 Sun
肩が痛い、腰が痛い、膝が痛い、といったらほぼ老化が原因。心が痛むといったら男と女の問題。では、頭が痛いといったら何が原因か。風邪を引いても頭が痛いが、金がなくても頭が痛い。仕事の難問を抱えれば頭とともに胃も痛い。今日は、朝から頭が痛い。急に寒くなったのも原因だろうが、思い当たる節が一杯ありすぎて処方箋に困る。寝るのが一番だが、寝れば仕事が遅れて頭痛の種が増すばかり。こういうときハムレットはどう悩むだろうか。そういえば、私はハムレットのような贅沢な悩みをしたことがない。日曜日、事務所にいてもろくなことを考えていない。
16.10.16 Sat
昨日の罪滅ぼしではないが、今日と明日は事務所で仕事。何度も書いているが、自由業は金と時間に不自由する。真実は何度でも叫ばなければ伝わらない。ただ心のなかでは、己の無能を呪っている。これはクライアントに知られてはならない秘密。
《私が好きな下町とお店》の深川地区に『しか野』を追加しました。
16.10.15 Fri
実は、今日は久し振りの二日酔い(久し振りでもないか)。二日酔いは、まさに楽あれば苦ありの世界。楽と苦を足して、楽が残ればその人は酒を飲み、苦が残ればその人は酒を止める。そんな算数の世界じゃないのが人生。足したり引いたり掛けたりで人生の決断ができるのならば、いやできる人は、それだけで苦労の種が他人より半分は少ない。意地を張ったり、やせ我慢をしたり、分かっていてもしてしまうのが失敗と挫折。これ以上飲んだら明日はヤバイ。まだ来ぬ明日より、現にある今。何がいいたいのか自分でも良く分からん。皆さん
Have a nice Weekend !!
16.10.14 Thu
映画「がんばれ!ベアーズ」のなかのウォルター・マッソー演じるコーチのセリフ。『あきらめるな。一度あきらめるとそれが習慣になる』。このコーチ、昼間からビール&ウィースキーを飲んでいた。人生をあきらめた人間であるが、抜群の説得力である。こういうのがいい。素直に感動する。私は、酒飲みに甘い。
16.10.13 Wed
手元にある俳句歳時記によると、十月は、「月の前半は雨の続く地方もあるが、後半は比較的天気がよい。しかし周期的に変わり、ひと雨ごとに冷え冷えと冬が近づく感じがする。」とある。本当に、ここまでよく雨の降る十月だ。暑さが居座ったせいかあまり実感が湧かないが、今年も残すところ2ヵ月半。年末はすぐそこですよ、皆さん。ひと雨ごとに年末を感じるんでしょうな、これからは。先ずは手帳にカレンダー、忘年会にお歳暮、そして年末セール。それと同時に仕事のけじめ。マクロ的には、もろもろの問題を時が解決してきた。人間の叡智である。ミクロ的には、開き直りとリセット機能の活用。個々人の自己責任である。本来の意味とは異なるが。
16.10.12 Tue
事務所から帰る道筋は、先ずは音問通りを隅田川方面に車を走らせる。言問通りは言問橋からきている。言問橋は、左遷された在原業平が「名にしおはば いざ言(こと)問(と)わん 都鳥(みやこどり) わが思う人は ありやなしやと」(伊勢物語)と詠んだことによる。あの色男の業平くんがこの辺りに左遷されたのは驚きだが、今の私にとっての驚きは、この言問通りの信号無視の多さである。車ではなく歩行者と自転車。信号のないところをいきなり横断する。私も千葉に住んでいる。交通ルールを守らないことでは、他県に負けない。その私がたまげる。地域性なのか、道路の幅、信号の時間と距離が人の心理とミスマッチなのか。確かにイギリス的慣習法の世界では、いつでも歩行者が優先する。この通りは車より人のほうが先に利用していた。後から信号が付いても歩行者を優先する。これが慣習法の基本だと、学生時代の授業で、たまたま起きたときに聞いた。私は慣習を大事にする保守的性格である。浅草も歴史の古い街。新参者の車なんか控えておれということか。だがチトひどい。
16.10.11 Mon
新聞を開いて目についたのが日本橋三越の全面広告。長い間工事中であった新館がオープンし、本館が生まれ変わったという。そういえば、昨日行われたカード会員を対象としたオープニングセールの案内が届いていた。日本橋三越といえば、江戸時代は越後屋呉服店。時代劇では、どうも『越後屋』は悪徳商人らしいが、私の学生時代、三越のライオンを主役にした映画のシナリオを書いた奴がいた。地球を襲う宇宙からの怪獣、今や世界は滅亡の危機に直面していた。その時立ち上がるのが二頭の三越のライオンである。忘れてしまったが、ライオンにも如何にも強そうな名前があった。二頭のライオンは、傷つきながらも雄々しく戦い勝利し、地球に平和が訪れる。他愛もないストーリーであるが、当時他を寄せ付けず独走体制にあった三越に話を持ち込み、何がしかの原稿料でもと思っていたようだ。こういう企画に対し私は、昔も今も、前向きに、積極的に、意欲的かつ貪欲に参加する。結果は、ものにならなかった。三越に繋がりのある人に話したが、一笑に付された。どうもその頃から三越に競争力が欠けていったような気がする。
16.10.10 Sun
昨日早く寝たため、夜中の2時に起きだしてゴソゴソ。そのままモグラのように一日中自宅に閉じこもり。明日があると思うとウタウタと昼寝。こんな日もいい。ヒョイと手に取ったDVDビデオが『アラモ(60年)』。ジョン・ウェイン監督・主演。これは巨費を投じた割には興業的に失敗したらしいが、日本ではヒットした。公開当時私は観なかったが、大ヒットしたブラザーズフォーの主題歌『遥かなるアラモ』は好きな曲だった。その後、何かの機会で観たとき、映画のシーンと主題歌が重なり合いやたら感動したことを覚えている。そのリメイクが今上映されている。ビデオを観て、これ以上のアダモはないかな、という感じ。西部劇というと、ジョン・ウェイン、ゲーリー・クーパーに始まりクリント・イーストウッドまで。レッドフォード、コスナーも西部劇に出演したが、顔がモダン過ぎて。
16.10.09 Sat
今日は仕事で赤坂見附。昨日は三田から麻布十番、そして青山方面。今日と昨日で、麻布、青山、赤坂と、いわゆるスリーA(Azabu、Aoyama、Akasaka)に赴いたことになる。このスリーAに対し、スリーKが総武線沿線にある。小岩(Koiwa)、亀戸(Kameido)、錦糸町(Kinsityou)である。当然私は、スリーKの出身である。交通の便、体質、好み、何れをとっても私に合っている。若さに任せて飲んでいたころ、スリーKにはよく行った。いまでも時々訪れる。しかし、最近はスリーAにも行くようになった。もちろん夜の部の話である。スリーAにもいいお店があるのだが、街の雰囲気がどうも私には落ち着かない。そこに行くとスリーKは、ネクタイが曲がっていても、千鳥足で歩いても、ワイシャツがズボンからはみ出ていても、靴が片方無くとも(経験は無いが)、平気で歩ける。全身スキだらけの私は、トレンディー性からほど遠いということか。
≪雑読・濫読メモ≫に『浅草博徒一代』を追加しました。
16.10.08 Fri
今日は、事務所の大家が主催する菓子記念日。17時30分から懇親会。19時から九段下で、クライアントの電算システム完成を祝しての懇親会。当然、悩むことなく双方に出席する。私は、このような仕事に対しては、いつも前向きで、律儀に、こまめに、そして努力を惜しまない。その結果、ついつい力が入りすぎて二日酔いを起こす。今日はWeekend、明日仕事があるとはいえ、暴走するかもしれない。
16.10.07 Tue
昨日の秋の空に引き続き、今日も女性の話題。まったく他意も悪意もないことを予めお断りしておく。皆様も、これまで無理難題をいろいろと聴いてこられたと思う。特に上司からのそれが数多い。しかし、実はその無理にしろ難題にしろ、ほとんどは当方の能力不足が原因であったが、女から男への無理難題は本物だ。特に、かぐや姫が求婚者たちに与えたものはその極致だ。「仏の御石の鉢」やら、「銀を根とし金を莖とし白き玉を實として立てる木」やら、「龍の頸の五色の玉」なんぞあるわけがない。私は、小学校の童話として、高校の古文の授業で、最後は澤口靖子の映画でかぐや姫の無理難題を聴いた。世にこれほどのわがままがあるのかいな、ハッキリと断ればいいのに、とそのときどきに思ったと思う。ころころ変わる心、いきなりの無理難題、だから男の平均寿命は短い。
16.10.06 Wed
一転しての天気。昨日までの雨と肌寒さはどこへやら。これが秋の空というものか。私には良く分からないが、女心もこのようなものといわれている。だとすれば相当厄介だ。こんなことが続けば、男は風邪を引き体調を崩してしまう。週末はまた天気は下り坂という。ホントころころと気が変わる。いや、天気が変わる。
16.10.05 Thu
私の朝は早い。ウイーク・デイには朝5時に家を出る。したがって朝食は事務所で食べるクラッカー程度。夜の食事が遅く朝には食欲がでないからか、土日以外は朝食を食べない習慣がいつの間にか身についた。ところで、酒井伸雄の『日本人のひるめし』(中公新書)によれば、日本では、豊かな階層では鎌倉時代から一日三食を食べていたらしいが、庶民は経済の発展とともに労働時間が長くなり、それまで食べる習慣のなかった昼飯を食べるようになったのは江戸時代という。ヨーロッパでも、一日三食を食べるようになったのは18世紀の始めごろといわれている。年代的には日本と同じ時期であるが、かの地では当初は、朝食を食べる習慣がなかったらしい。特にラテン系の国々では、昔から昼飯に力を込めるという。私の食生活もそうである。やはり私は、日本のなかのラテン民族かと変に納得する。
16.10.04 Mon
いくら私でも、雨の月曜日となれば鬱陶しい。しかも秋。さらに、仕事は溜まっている。これで気がウキウキしていたら、それはそれで付き合いづらい人間だ。幸い、私はそこまで躁気質ではない。江戸時代、こんな雨の日は庶民はどうしていたのか。江戸の庶民はその日暮らし。毎日の稼ぎのなかから、家賃を少しずつ蓄え、残りは遣う。江戸っ子は、宵越しの金を持たないのではなく持てない。「大工殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降ればいい」といわれるが、江戸時代の川柳を読めば、なかなかどうして、かの時代は雨も楽しんでいた。柳多留拾遺をパラパラめくっても、雨を題に粋で色のある川柳が載っている。藤沢周平の小説にも雨をタイトルにしたものが多い。自然と折り合いをつけて生きてきたのが我々の祖先。たとえば、私でいえば6代前の先祖様。どこでどういう思いで雨の日を過ごしていたのやら。DNAからいえば、きっと騒がしい奴だったんだろうが。
16.10.03 Sun
今朝は5時からバッハ。ピアノはリヒテルとグールド。同じ曲でも違うことが私にでも分かる。昨日は、事務所からの帰路、渋滞に巻き込まれ聴いていた曲がテレサ・テン。最初は口ずさんでいたものの、途中からテレサと合唱。どうせ車の中だ、口をパクパクしているのは分かっても、調子が外れていることまでは分かるめぇ。二つの恥の種でも掻くのは一つ、思いっきり合唱した。最近、車で合唱する歌は、安奈、メリー・ジェーン、大阪で生まれた女、八ヶ岳、秋桜、ルビーの指輪、桃色吐息、泣かせて、時の過ぎゆくままに、ふれあい、恋人も濡れる街角、ナカムラエレキ音頭、千年の古都、北の漁場、山、川、カラスの女房、ガラスの花、…………。いずれ皆さんと合唱でも。日曜朝のバッハには、癒されます。ついつい転寝も。
しかしイチローのコメント力には敬服する。ややまわりくどいところもあるが、間違いなく自分の頭で考え、自分の言葉で話をしている。また、哲学をもって生きていることが感じ取れる。野球を含め、己を取り巻くものとのリレーションを、自分なりに確立して人生を送っている。今の己を取巻くものを、キチンと把握している。私のように、自分がどこにいるかも分からずに、あっちへフラフラ、こっちへフラフラとした人生を送っていない。
≪雑読・濫読メモ≫欄に『ロシアは今日も荒れ模様』を追加しました。
≪雑読・濫読メモ≫欄に『日本の真実』を追加しました。
16.10.02 Sat
英国のチャールズ皇太子が日本の国会でのスピーチで、『自分は(皇族という)世界で二番目に古い職業に就いている』と自己紹介されたという。しかし、英国皇太子に楯突くわけではないが、世界で二番目に古い職業は他にあると思っているし、わが職業こそはと主張されている方もおられる。研究不足ゆえ、いま私の考えを発表することは差し控えるが、少なくとも税理士でない。税理士制度も徴税制度とともに誕生したとすれば相当古いと思われるが、いまでも時々、我々税理士を税務署の下請機関と勘違いされる方がおられる。まだまだ歴史の浅い、一般的には実態が不明な職業のようだ。なお、世界で一番古い職業については定説が確立しているので言及しない。
16.10.01 Fri
幕末の江戸切絵図をみていると飽きない。仕事で出かけたところを、安政3年版(1856年)切絵図と明治40年(1907年)の地図で確認する。昨日は、青山通りを渋谷方面に歩いた。青山学院大学は、江戸時代には伊予西条松平3万石の屋敷跡。大学の少し先は渋谷村。渋谷も、明治時代は豊多摩郡渋谷町。明治時代の上野、入谷はすでに下谷区、浅草は浅草区。新宿、目黒も江戸時代は、村としてしか絵図に登場しない。東京が西に向って発展したのは昭和になってから、が良く分かる。ウイークデイに切絵図の話とは、随分と暇ですねとお思いでしょうが、こんなことをしているから忙しいのです。