16.9.30 Thu
今日は月末。今年も残すところ3ヶ月。夏が終わったと思ったら年末がすぐそこ(チト気が早いか)。映画ハメットで悪党が凄むセリフに、『今のうちに写真を撮っとけよ。顔を潰してやるから。』がある。もちろん言った本人が遣られてしまうのだが、このセリフを時々思い出すのは、決まって酔っているとき。今日は事務所の食事会。誕生会、送別会を兼ねて根岸『鶯泉楼』。ビールに紹興酒で心地よい。そもそも映画のセリフを思い出すのはやや余裕のあるとき。それこそこの余裕、写真に撮っておかねば、一歩先は火がつき大やけど。
16.9.29 Wed
また台風。今年は台風の当たり年。九州地方の方はウンザリされていることであろう。東京方面も大雨の予想。9月は梅雨時の6月より雨が多いという。秋の長雨とよくいわれる。出かけないときの雨は趣もあるが、出かけるときの雨は始末に悪い。私なんぞ、体型と歩き方のせいだか傘が役に立たないときがある。スーツの背中とズボンがまったくのずぶ濡れ状態。こればっかりは、高い傘も安い傘も同じように役に立たない。
16.9.28 Thu
「父ちゃん、酔っぱらうってどんなことなの?」
「ここにグラスが二つあるだろう。これが四つに見えだしたら、酔っぱらったってことだ」
「父ちゃん、そこにグラスは一つしかないよ」(米原万里の『ロシアは今日も荒れ模様』より)
のっけからロシアンジョークで恐縮だが、私の知人で、酔いは足元から来るか口元からくるか、をテーマに研究(?)している者がいる。端的にいえば、酔っ払いは、先に足元がふらつくのか、それとも呂律が先に廻らなくなるのか、の問題である。ロシア人は、眼から先に来るらしい。視覚は歩行に影響する。ということは、彼らは先に足元が覚束なくなるということだ。日本人は、落語で聞く限りは、同時にやってくるのではないかと想像される。研究者のフィールドワークの結果はまだ聞いていない。彼は、先に自分が酔いつぶれてしまうので、データの蓄積がなかなか進まないのであろう。私といえば、先に……………………なくなる。
16.9.27 Mon
第二次小泉内閣の顔ぶれを、23時からのテレビニュースで見ていると急に眠くなる。別に眠くなる顔ぶれと嫌味を言っているわけではない。単に眠いだけ。閣僚のなかに昔仕えた上司の名が見える。当選5回。大蔵省を辞めたときの大蔵大臣が橋本龍太郎。出馬した選挙区が橋本大臣と同じ選挙区。いい根性をしておられた。省内でばったりとお会いしたとき、声をかけられた記憶がある。『元気か』だったか、『がんばれ』だったか、『秘書やるか』だったか。
16.9.26 Sun
事務所で音楽を流しながらの仕事。今日のテーマは映画音楽。シャレード、慕情、禁じられた遊び、ジェルソミーナ、愛情物語、いそしぎ、鉄道員と来ると、この時代の映画をやたら観たくなる。そういえば、今月は映画を観ていない。ここのところ土日祭日は仕事と野暮用で埋まり、その余裕がなかった。映画には行けなかったが、今日はこれから後楽園ド-ムで阪神:巨人戦。優勝争いの面からは陽だまりで温められたコーラ。ところがどっこい、阪神はもうすでに来期の戦略を着々と練っている。今日の観戦は、その確認と阪神の若大将鳥谷の成長を確認することが目的。勝負は二の次。とはいってもよもや負けることはあるまい。(16:30)
≪雑読・濫読メモ≫に『大江戸世相夜話』を追加しました。
16.9.25 Sat
法事で市川に出かけ、事務所に帰る途中、市川駅で発見したレストランが『ヨシカミ(市川市市川南1-1-3本宮ビル2F047-326-8787)』。ちょうど昼時、もしやと思い入って尋ねたところ、やはり浅草『ヨシカミ』の支店。さっそく当月お勧めランチを頼んで納得。さすがの味。本家の浅草『ヨシカミ』を早くご紹介したいのだが、記憶にもとづいてではなく、食べた直後の感想をリアルにお伝えしたく、いまだご紹介できていない。市川店でごまかす気は無いが、ここも十分いける。ヨシカミ出身のレストランは上野、神田にあるが、ヨシカミそのものは初めて。市川にも顧客があり、ときどき訪ねるところ。これは小さな大発見。私のようにいつもキョロキョロ・ウロウロしていると何かいいものを見つけることがある。好奇心は財産かもしれない。
≪雑読・濫読メモ≫に『空中ブランコ』を追加しました。
16.9.24 Fri
9月に入って一週間がまた早く感じる。年とともに時の過ぎるのが早く感じるのはなぜか。これを相対性時間説として、説を唱えておられるのが、国税の大先輩でもある某税理士である。若いころ100メートルを12秒で走った人が、いま50歳で24秒要したとする。本人は12秒のつもりであるから、実際は24秒の時間を12秒と勘違いし、そこで2.0倍の相対的時間誤差が生じ、これが年とともに時の過ぎるのが早く感じる原因であるとする説である。早い話が、若いころよりテンポが落ちているにもかかわらず、それを認識しないからだといわれる。私はこれを少数有力説とする。酔っているときにお話を聞くと、その雄弁さにも引き込まれて、妙に納得して、賛同してしまうのであるが、相対性時間説では解釈できない現象も多々生じる。そこで私は、多数説である相対的多忙説と相対性時間説の折衷説を採用する。この、折衷、妥協、日和見、無定見、無思想、その場しのぎ、いいとこ取り、が私の真骨頂である。締め切りを過ぎた原稿を前にすると、こういうくだらないことが次々と頭に沸き起こり、本来のことに知恵がまったく回らない。
なお、相対的多忙説は説明を要しないであろうと思われるので説明は省く。
16.9.23 Thu
さすが秋分の日。暑さは残っているものの、まさに秋の気配。いちょう並木の銀杏が散乱している。茶碗蒸しの季節がやってきた。季節の変わり目は、リセット機能が働くときでもある。その意味でも日本の四季はすばらしい。さて、これから秋本番、暑さで無気力に過ごした時間を何に使おうか、と考えることができる。そういう人は幸せだ。私は、締め切りを過ぎた原稿を書かなければならない。いつもいつも締め切りを過ぎて書き出し、待たせに待たせて出来が悪い。さすがの私もこのときばかりは落ち込み、反省をし、今度こそと決意し、すぐに忘れる。
16.9.22 Wed
今日、老眼鏡デビュー。本の文字がクリアー、パソコン画面がハッキリ。これは便利。眼鏡をかけて見えてきた。プロ野球騒動は、巨人の企業分割で決着をつけてはどうか。近鉄とオリックスの合併は避けがたい。新規参入は間に合わない。とすれば、巨人が東京読売ジャイアンツと大阪読売ジャイアンツとに分割する。大阪読売ジャイアンツには、巨人の元パリーグ選手と関西出身の選手、そして近鉄・オリックスの一部選手が移籍する。清原、小久保、ローズ、元木、桑田、上原などが該当する。そのための法制度は、企業分割法制として数年前に整えられている。当然、大阪ジャイアンツはパリーグに属する。そこで、我が阪神タイガースはペナントレースで東京ジャイアンツを制し、日本シリーズで大阪ジャイアンツを打ち破り、日本一を達成する。さらに余勢を駆ってワールドチャンピンのヤンキースと雌雄を決する。これならば問題の7割は解決するのではないか。
眼鏡をかけても私の読みは霞がかかっている。これは老眼のせいではない。
16.9.21 Tue
9時前に入谷の事務所を出て、三軒茶屋から駒沢、都心に帰り九段から丸の内。江戸時代であれば、2泊3日の商い旅。路銀が豊かであれば、チョイとそこらで骨休み、と粋なこともできるのだが、いまの時代は世知がらい。暑さも手伝いクタクタな一日。しかし街とは違うもの。入谷、三茶、駒沢、九段、丸の内、それぞれ街の風情を感じることもできた。特に丸の内の変貌には眼を見張る。新丸ビルができてからショッピング街へと変わりつつある。いまもビル建築が進んでいる。日本経済の底力は揺れていない。
16.9.20 Mon
事務所のある入谷は、日曜日よりも祭日のほうがひっそりとしている。いつも行く蕎麦屋も中華料理屋も休み。こんなときは近くのスーパーで弁当を購入する。すぐ隣の上野の祭日は騒がしい。事務所での静かな一日もまた貴重だ。
16.9.19 Sun
夏のような日中、Sweet
boxのRapを聴きながら書類整理。夕方になって手に取った雑誌が、DCカードが発行する『グラン』。特集が『ようこそ大阪へ』。53年間のうち大阪での生活は、おそらく17年間ぐらい。人生の30%程度しか過ごしていないのであるが、私のアイデンティティは間違いなく大阪。しかも摂津、浪速ではなく河内。ご同輩ぐらいの方には、勝新が演じた『八尾の朝吉』の世界と言えばお分かりか。以前は大坂に行く機会もあったが、最近はトンとない。したがってこのような特集があると、大坂に出かけたくなる。京都、奈良に観光に行くときも、泊まりは大坂がいい。なんてことのない店に入っても、大坂は美味い、安い。大阪のホテルでの食事はあほらしい。梅田なら『お初天神』辺り、難波なら道頓堀から千日前辺り。入る店を間違えればオッカナイお兄さん方が待ち構えているところもあるが、新宿歌舞伎町よりはるかに安全で、よりけばけばしい。大阪人は原色と光るものが好きである。人間もけばけばしいし、着るものもけばけばしい。さらには街もけばけばしいのを好む(これは言い過ぎ)。東京での生活に鬱陶しさを感じたら、大阪で昔の悪ガキを集めて、飲んで騒いで泥酔すれば、それまでの憂さはどこへやら。思いの丈を吐き出すには、大阪弁が最適だ。というより昔の悪ガキが最適なのか。たまには帰らなあかん。忘れられてしまう。あいつらは、勝手に私の墓をつくりかねない。
16.9.18 Sat
午前は赤坂見附、午後は表参道でクライアントとミーティング。途中、本屋に立ち寄り事務所に戻れば18時過ぎ。辺りはもう暗い。蒸し暑かったものの、秋分はすぐそこ。19時に事務所を出て、車で帰宅途中渋滞に巻きこまれ、ここで取り出したのが日野皓正『スーパーベスト』と渡辺貞夫『マイ・ディア・ライフ』。秋の夜の渋滞にはジャズが合う。しかも世界のTERUMASAとSADAOのペットとサックス。ご機嫌ご機嫌。結構、ジャズとの付き合いは長い。高校三年生の年末、大坂梅田のジャズ喫茶で痺れて以来の数年間、音楽といえばジャズだった。といっても、当時の私は、ラジオもテレビもステレオもない生活。おまけに冷蔵庫もクーラーも机もない。当然、電話も金も。で、音楽といえばジャズ喫茶で粘るだけ。神田の『響』、吉祥寺の『ファンキー』にはよく行った。昭和49年、50年の2年間ほど吉祥寺近くに住んでいたが、その時は『ファンキー』に通うためにアパートを借りたのかと思うほど通いつめた。私の大声は、ファンキーでの大音量のせい。ジャズ喫茶の集まる浅草を隣にしても、最近トンと聴いていない。この三連休、朝、車で一関の『ベイシー』に出かけ、一日ジャズを聴いて夕方帰る。そんな日が持てないものかと、ささやかな夢。
16.9.17 Fri
通常ならば三連休を控えてのHappy Weekend。ところが私は自由業、後ろに二日足して五連休、と言いたいところだが、残念ながら三日間とも仕事。自由業は、ホント時間と金には不自由する。少なくとも私は。これも私の能力が故の自業自得。皆様方には、Have a nice weekend。
しかし、自分の言葉で語る古田選手会長、原稿を読む球団経営者側、ニュースを観ていて勝負は明らか。自らの言葉をもたない話には説得力がない。
16.9.16 Thu
沢田研二の歌を聴きながら車で帰宅。ボギー(ハンフリー・ボガード)がテーマの『カサブランカ・ダンディ』、名曲『時の過ぎゆくままに』を聴いていて思った。これは果たして懐メロか。山口百恵の『秋桜(コスモス)』は懐メロか。『懐メロ』とは、懐かしのメロディーを略したもの。いまも現役で唄い続けられるも歌は、懐メロとはいわない。だったら誰がこの歌を懐メロと分類するのか。少なくとも、研二と百恵の歌を懐メロ扱いにすることは許せない。原稿の締め切りが近づくと、こういうことを止めどなく考える。こういうときの音楽を、『地獄へのメロディー』という。
16.09.15 Wed
眼科でいろいろと検査。眼鏡処方箋をいただき眼鏡屋に直行。できあがりは来週。いよいよ眼鏡の仲間入り。病院で試着してみたが、快適、快適。いままで眼を凝らして読んでいた雑誌が、楽々読める。この調子で、専門書もすらすら読めればいいのだが、こちらは眼鏡での矯正対象外。どこに行けばすらすら読めるようになるのやら。
≪私が好きな下町とお店≫の≪上野地区≫に『デリー』を追加しました。
16.9.14 Tue
老眼?歳も歳ですから無理もないのですが、最近、パソコンの画面が見ずらい、書類の文字がかすむ、テレビのタレントの顔がハッキリしない、道を歩く女性の年齢の判別がつかない(これは関係ないか)。どうも老眼が急速に訪れているようです。仕事で整形外科の先生とお話をしていると、『老眼?』と尋ねられ、『今頃老眼とはお若い』との良く分からない激励とともに、上野池之端の眼科医をご紹介いただいた。生まれてこれまでの53年間、格好をつけてサングラスをかけたことがあるが、メガネはない。普段、鏡をほとんど見ない私だが、もしもメガネを購入することになるのならば、たっぷりとシュミレーションするか。恥ずかしくて、私は鏡の前に30秒といられないのです。
16.9.13 Mon
私の好きな映画のセリフに、『どうあがいても英雄になれぬ人間もいるし、人間になれない英雄もいる』(ロード・ジム)がある。英雄になれぬ人間と人間になれぬ英雄、負け惜しみではなく前者がいい。若いころは、こうはハッキリと言えなかった。衒いもあり、やっぱり英雄にもなりたかった。いまは、普通の人間でいい。人間であるから眠い。今日はこれでおしまい。
16.9.12 Sun
日曜日のテレビの討論番組を観ていると、コンテンツ、パフォーマンスとやたら横文字が出てくる。私も使うが、何故、このようにカタカナ用語が増えてきたのだろうか。石原都知事や田中長野県知事の会話には、頻繁にカタカナ語が出るが、8割は日本語で語っても誤解は与えない言葉である。自分の会話や議論のリズムのために自然に出るものであろうが、確かに日本語では言い表せないカタカナ語が最近は多い。言葉が文化であるとすると、カタカナ語の背景にある文化は一体何か。コンテンツというカタカナ語の背景にある文化のコンテンツは何か。相変わらずくだらないことを考える日曜日である。アァァ~、原稿の締め切りが、報告書の作成が、下調べが……。
≪雑読・濫読メモ≫に『硝子戸の中』を追加しました。
16.9.11 Sat
私はあまりものを深く考えないほうである。だいたいのことが『起・承・結』で済み、『転』がない。ところが時々、間違いなく的を大幅に外すのであるが、『転』のところで、二転三転四転してくだらない深読みをすることがある。『起・承・結』で的に追いつかなく、『起・承・転・結』で外すのであるから、年がら年中、考えの足らないところを腕力で補うしかない。何の話かというと、民主党の岡田代表と小沢一朗前代表代行の関係である。岡田代表は小沢前代行に直球を投げているのだろうが、小沢前代行は『君とはキャッチボールなんかしていないよ』と、ボールそのものを受け取らない。何を考えているのか小沢前代行は。小沢前代行には、一度握手をしてもらっただけにツイツイ興味をもって深読みする。
16.9.10 Fri
プロ野球スト回避。ストを推奨はしないし、できればしない方がいい。だが、譲れないものは譲れない、ここから後には下がれないラインは必ずあるはずだ。そのラインは何としても守らなければならない。果たして、選手会はそのラインを守れるのであろうか。プロ野球の将来を、選手会に委ねるのは筋違いかもしれないが、このままいけば間違いなくプロ野球は衰退する。チーム数が減少して、プロ野球が活性化するわけがない。プロ野球もマーケットなら、撤退することもあろうが、参入の仕組も準備しておかなければならない。ここにも、いつの間にか時代に取り残されたスキームを観ているようだ。もはやプロ野球の存在は公共財に近い。なんとかならんのか、球団数の減少。
16.9.9 Thu
江戸川大学の小林至助教授をご存知でしょうか。東大を卒業した元ロッテオリオンズの投手といえばご記憶にある方もいらっしゃるでしょう。ある方から、小林助教授のホームページのプロフィール欄に記載されている絶妙のコメントを紹介された。小林助教授が、平成5年4月にイースタンリーグで今やヤンキースの松井秀喜と対戦したときのくだりである。
『イースタンリーグで松井秀喜と対戦。カウント1-3から渾身の力を込めて投げた直球を、松井は泳ぎ気味に空振り。翌日のスポーツ紙を見ると、「東大出の大したことの無い投手と聞いていたけど、プロのフォークは凄い」という、松井のコメントが。がっくり。』
渾身の直球をフォークボールと勘違いされたという、本人にとっては笑えないエピソードである。私は思わず笑ってしまったが、この類の話は私には多い。実は私も笑えない立場の作り(人間)である。渾身の論文(報告書)が、サマリーと勘違いされて『で、いつ本文を……?』。笑えない、笑えない。
16.9.8 Wed
言葉は文化である、と月尾嘉男教授はいわれる。分かるようで分からない理論であるが、『英語には牛肉についての部分名称は60種類以上あるが、日本では牛肉の一種類であり、魚ではその反対である』(『これかからの日本社会』)と示されると納得。どうも文化を理解するにも『食』を通さなければならない己が情けなくもあるが、まさに言葉は文化である。日中、夏休みがあったせいか久しぶりに女高生の会話を聞いた。盗み聞きしなければならにような会話ではなく、周りの人にも聞かせるような大声であったので自然に耳に入ったのだが、文化が崩壊していると、大げさではなく悲しくも寂しくもあった。そこから新しい文化が産まれ出ているのであれば良いが。
16.9.7 Tue
私は、新潟生まれの大坂育ちである。父方は美作は津山の出である。したがって私の味覚は、大坂風なのか越後風なのか、はたまた美作風なのか判然としないところがある。たとえば『うどん』。これはもう、鍋焼きうどん以外は色が薄くて塩味が効いていなければ嫌だ。全くの大坂風である。ところが『卵焼き』。私の卵焼きは塩味である。しかもやや塩味を強くする。これは関西、中国地方出身の人に尋ねても、新潟出身の人に尋ねても、もちろん東京の人に尋ねても圧倒的、というより例外なく砂糖と返事が返ってくる。何人かでの話し合いになろうものなら、塩味派の私は奇異な眼差しで見つめられる。ひどい場合は味音痴と評価される。どうもお国とは関係がないらしい。若いころは、塩だ、塩だ、と言い張っていたが、最近は気弱に眼を伏せる。ゆで卵には、砂糖ではなく塩を振り掛ける。だったら卵焼きも塩である。今でもこの信念は変わらないのであるが、私のこの味覚はどこに由来するのであろうか。決して暇ではないなか、そんなことを考えた。
16.9.6 Mon
仕事で埼玉の入間に行く。入間の肉屋で惣菜を売っていたので、盗み見したところ、コロッケが80円、メンチカツが90円、ハムカツが80円であった。この3者に位をつけると、ハムカツのポジションに気を使う。どこの店でもコロッケよりメンチカツのほうが値段が高い。私の中でも納得できる。皆さんの思いも、好き嫌いは別として許せるのではないかと想像する。さてハムカツであるが、コロッケとメンチカツとの価格の位置関係が店舗によって異なるのである。当たり前といえば当たり前なのであるが、カツにするハムの品質と厚さにより値段が異なるのであろう。では、その品質と厚さをどのようにしてお店は決めているのであろうか。そのお店のハムカツに対する想いが垣間見れる。私の中での価値は、ハムカツ、メンチカツ、コロッケの順で、ハムカツが最も上位にくる。インスタントラーメンの塩、醤油味に、ハムカツを入れても美味い。ハムカツカレーも美味い。そう、食は挑戦でもあるのです。
16.9.5 Sun
自宅でCD三昧。ひょんなことから山口百恵のラストコンサートのCD3枚を聴いた。タイトルは『伝説から神話へ』、2時間半である。これは凄い。若いころはなにも感じなかったが、いま聴けば凄みを感じる。途中、コンサートの観客に語りかけた話も収められている。有名な『11月19日お嫁に行きます』、『幸せになります』の言葉を残してステージを去っていった。唄と話を聴いていてなんて奴だこいつは、と思った。彼女はこのとき21歳。彼女のセリフを聞いて、その迫力にたじろく私は53歳。真摯に生きて、全身で感じて、全身で考え、そして語る人の言葉に年齢は関係ない。それなりに居住まいを正して聞かなければ、失礼というよりこちら側に応ずる言葉が出ない。
16.9.4 Sat
夏目漱石の『硝子戸の中』を読んでいたら、彼が飼っていた犬の名前は、なんとトロイの勇将『ヘクトル』であった。もっともヘクトーと呼んでいたらしい。ところがこのヘクトーは勇者の名を戴いたものの、たいそう弱虫だったようだ。名前負けか。名前といえば私の『清志』は『きよし』ではなく『せいし』である。その訳は聴いていない。必ずしも名のとおりの人格ではなくて面映いが、名前負けを感じたことはない。
≪雑読・濫読メモ≫に『徳川四百年の内緒話』を追加しました。
16.9.3 Fri
江戸幕府八代将軍吉宗が、紀州から将軍として大奥に乗り込んだとき、先ずは選りすぐりの美女のリストを作成させたという。これを我々凡夫が想像するような目的で利用したとすれば、テレビで松平健が演じる対象として歴史に名を止めなかったであろう。彼は、そのリストをもとにそれら美女たちを解雇した。財政難が故にである。美女ならば再就職(結婚)は可能であろうとの理由からである。ここが人物の人物たる所以である。自らの欲望を抑える理性。リーダーにはこれが必要である。こんなところで感心してリーダーシップ論を論じても私の評判を落とすだけであるが、吉宗の英断もさることながら、選ばれなかった女性たちはどんな気持ちだったのであろうか。その後の彼女達(選ばれなかった)の人生を調べてみたい。
16.9.2 Thu
キャノンの御手洗社長が『公平と平等』について、『社会(組織)は公平でなければならない。行き過ぎた平等は結果として公平ではない』と語られていたのを記憶している。男女雇用機会均等法は、まさに公平を求めた法律である。機会を平等に。思えば私にもいろいろなチャンスがあったのだろう。機会に気が付かないこともあるが、果たして今の社会は公平であろうか。行き過ぎた平等がチャンスを奪っていることもあれば、そもそもチャンスがないこともある。公平なチャンスのもとでの合理的な不平等。これを受け入れることが出来なければ、社会は衰退する。別にプロ野球界の話ではないが、事務所で仕事をしていてフト考えた。
16.9.1 Wed
今日から9月。一年も残すところ三分の一、どう過ごそうか。昔見た映画のセリフに『ポケットに百万ドルもあれば、どこでも天国だ』がある。お金に縁のない小生である。代わりになるものを探すしかない。これさえあればどこでも天国、そんなものがあれば出かけるときは絶対に忘れないし、落とさない。百万ドルは盗まれる可能性もあれば、失くすこともある。他人には価値がなく、失くすことがないもの。そいつは何か。探してみましょう、秋の夜は長い。