20.03.31 Mon
17時半、事務所スタッフとともに上野に花見。寒空の中、至るところで宴会の準備が粛々と進んでいた。花びらも散り始め、気温さえ整えば最高の花見であろう。夜には、花びらのじゅうたんが敷き詰められたようになるだろう。そんな中を歩き、不忍池の畔を通ってホテルパークサイドのフォンタナでイタリアン。そう、月に一度の事務所食事会。散々食べて20時半に終了。事務所に戻って、ジョージ秋山の『聖書』を読むというか観るというか。
20.03.30 Sun
朝4時に起きて、終日自宅自室に閉じこもり。録画していた寺尾聡主演のNHKテレビドラマ『刑事』を観たり、本を読んだり、昼寝をしたりと、忙しくのんびりしていたのであるが、なかなか日が暮れない。喉はビールを求めている。ようやく『笑点』のテーマミュージック。これからが本当に開放される時間。
20.03.29 Sat
久方ぶりに春眠を貪る。昼ごろに事務所に顔ををだし、事務所向かいの『栄龍』でニラレバ炒め。この優れものに満足する。ホンにニラレバは、白米によし、紹興酒はもちろんビール、焼酎、ワイン、日本酒にも優れて相性がいい。栄養価も高く、そのバランスもいい。皿に残った炒め汁を眺めては、ご飯をお代わりし、これをかけて食べる誘惑を抑えるのに苦労する。私は、ここ『栄龍』のキング・オブ・メニューと称している。食後は、上野公園に桜見物。いやはや素晴らしい。見事!!やはり桜は上野。かくして平穏にウイークエンドが過ぎていく。いくつかの爆弾を抱えながら。
20.03.28 Fri
午後、神田で懸案案件をご報告する。何となくホッとする。夕暮れ時、上野アメ横を歩く。いまさらながら、街のディープさに喜びを感じる。何がディープで、何に喜びを感じるかについては、一度夕方訪れられればよろしい。ご理解いただける方にはご理解いただける。上野と浅草では、深呼吸をしたくなる。胸いっぱい街の空気を吸いたくなる。新宿、赤坂では早く立ち去りたいと思うのであるが。これこそ人それぞれである。事務所に戻り、19時早々にに別室へと引き上げる。缶ビールのプルトップを引き、敬愛する内田樹教授お勧めの『昭和残侠伝・人斬り唐獅子』を観る。当然、世の中に怖いものがあるなんて思ってもいなかった、若き友廣少年も40年前に観ている。五十も半ばを過ぎた友廣中年は再び涙する。花田秀次郎(高倉健)に『後生大事に守ってきた渡世の仁義ももう縁はない。今の俺には、産まれたときには別々でも、死ぬときゃ一緒のお前しかない。』と語る風間重吉(池部良)。重なる『唐獅子牡丹』。東雲一家に殴りこむ二人。人間は所詮こんなもんだ、を描く映画も感動する。人間は斯く在らねばならない、を描く映画もまた感動する。だれでも『斯く在りたい』と願う精神世界を持っている。たとえ社会的ビジョンを思い描けなくとも、斯く生きたい、との思いはもっているもんだ。私にとって、唐獅子牡丹がその世界であったし、いまでもその気持ちは残っている。義理、正義、尊敬、怒り、愛情、人情、抑制、忍耐、爆発、使命等々、すべてが折り込められた世界を堪能する。ついでに『悪名太鼓』も観る。貞吉(勝新太郎)と清次(田宮二郎)の河内弁の掛け合いを堪能する。これは藤本儀一が脚本を書いた。唐獅子の監督は山下耕作、悪名は森一生。40年前に観た映画を、自室で観ることのできる幸せ。長生きはするもんだ。
20.03.27 Thu
桜が満開だそうだ。4月はすぐそこ。人のの起源について読んでいたところ、ある目的を持って道具を創りだしたご先祖様を原人というらしい。そうか、あるべき姿を設定する。そしてその達成のために計画化を図る。つまり、何をどうするかを、頭で設定することができる動物を、人間というのか。知恵を持った動物を人というのか、と感心する。そういえば、私ゃ、少々知恵が欠けているぞ。何をすべきかは希薄だし、どのようにすべきかは空白だし。
20.03.26 Wed
昨年期限の仕事をまだ完了していない。いよいよのタイムリミットは今月末、3月なんです。尻に火がつくなんてものではなく、全身火だるま。息もできません。この緊張感、スリル、サスペンス、極度のストレス、一度味わったら、二度と味わいたくないのでありますが、毎度繰り返されております。いやはや、麻薬のようなものなんでしょうか。きっと、時が解決してくれるのでしょうが。
20.03.25 Tue
9時に事務所を出て、市川、津田沼に赴き、事務所に戻ったのが16時。人間は環境(自然)の生き物であることを実感。私を取り巻く社会的経済的環境はまったく変わらないのだが、昨日の雨天と今日の晴天では、迎えて過ぎる時間が異なる。やはり、晴れた日は清々しく気持ちが明るい。生活意欲がまったく異なる。大げさな表現だが、実にこのことを実感した。そこここにある桜も咲いている。日本の四季や気候にはリセット機能がある。本格的な春を迎えて、さて、また頑張りましょう。
20.03.24 Mon
月曜日らしい、今日は。どうも曜日感覚にリアリティがない。別に、今に始まったことではないが。御徒町に出かけて、昼前に、小雨降るなか上野ガード下の『大統領』横を通ると6名の若い女性のグループが焼き鳥、煮込みでジョッキを傾けていた。別にどうでもいいことなのかもしれないが、やや気になる。若い女性が、大統領で、昼からビールを、が気になる。夕方は、浅草5656会館、アニマル浜口道場を通り『グリルグランデ』に行く。ここのところ大したものを食べていないので、ビーフシチュー、ドリアでディナー。昼の『大統領』からは遠く離れたメニュであるが、そこは浅草のそのまたディープな地区のレストラン。気兼ねなく満足する。事務所に帰れば20時半。今日も、これで一日が終わる。
20.03.23 Sun
7時に事務所入り。相続案件の下調べと税額シュミレーション。昼は、スタッフとともに入谷『河金』でとんかつ。うまかぁ~。午後は事務所で転寝と黒澤明の『野良犬』。三船敏郎が若い。このとき(昭和24年)29歳。実にいい顔をしておりました。夕方、竹ノ塚に出かけて、相続案件の説明。事務所に戻れば20時半。野良犬の続きを観て、日曜日がが終わる。
20.03.22 Sat
田原町、赤坂見附、上野広小路、再び田原町、そして事務所。大勝軒でつけ麺。夕方来客。自宅へ戻り、20時から千葉公園の『大黒』で黄金鯖、まぐろ、寒ブリの鍋。チャーハンに塩焼きそばで宴会。この『大黒』の、味と価格のパフォーマンスを上回る店をまだ知らない。いまにも壊れそうな店舗なのだが、そこがまたいい。久しぶりに満足して再び自宅。こういう日は体重のことは気にしない。
20.03.21 Fri
高齢者の家族殺人(心中)が絶えない。人は一人では生きていけない。二人でも生きていけない。色々な他人と共同、協調、協力しなければ生きていくことができない。それが故に、会社という組織をつくり生活の糧を効率よく稼ぐことを発見した。生産の場の共同化は、効率的過ぎるほどその目的を達成した。ひるがえって、生活の場では共同化が崩壊した。生産の効率化と消費の拡大のためには、生活の場の共同性は邪魔だったのだろう。確かに相互扶助の裏には相互監視の一面があり、ムラ社会は窒息しそうな面もあるが、生き抜くための知恵も詰まっていたシステムでもあった。個室でゲームにふける時間とコタツでじいちゃんばあちゃんの小言を聞く時間。バランスある共同化が必要だと思うのであります。高齢者が不幸な社会は崩壊する。私は、根拠なくそう想っております。
20.03.20 Thu
終戦処理のために朝6時に事務所。事務机周辺と、溜りに溜った書類や雑誌に眼を通す。昼近く、雨のなか上野に出る。恩賜公園正面入口の大寒桜はもう満開。いよいよ桜の季節。いくつかの本屋を巡り、ガード下を歩くと、立ち飲み屋は満席。私は、ビールの代わりにスタバでコーヒー。パラパラと新しい本をめくるひとときを楽しむが、スタバより地元の喫茶店がいい。チェーン店と地元店。少々高くとも地元店のコーヒーで本を読むことにする。事務所に戻り、根岸の喫茶店で再び本を手に取る。ムム、なかなかいいひと時であった。
20.03.19 Wed
今から10万年前にアフリカで誕生した『新人』は、6万年かけて日本に辿りついた。きっと私の先祖である。彼らは、美を求め、観念(神)を抱き生活していた。だから『ヒト』といえる。で、ヒトが人であるかぎり6万年前と今と変わらぬものがある。単なる生命維持活動以上の何かを目的とした生活の有無が、ヒトと他の動物の違いであるとすれば、単なる金儲けは他の動物と同じということか。体調以上に体重が回復し、思考回路も多少余裕が出てきたようだ。
20.03.18 Tue
いつも行く事務所近くの理髪店がモデルチェンジした。店長は変わらない。スタッフは総入れ替え、理髪時間は短縮、価格は3900円から1900円へと破壊。街場のビジネスモデルも凄まじく変化する。私個人は、変化のない均質な社会のなかで、他者と比較することもされることもなく、ゆったりと生活していきたいのであるが、やはり社会は変化している。そりゃそうだ。今の社会は、まだまだ我々年寄りが作ったモデルで構成されている。これから社会を再編成しなければならない後輩たちにとっては、邪魔なモデルも一杯あろう。今しばらくは、我々世代が当然としていたモデルの破壊が、まだまだ続きましょう。しかし、しかしであります。我々世代も創造しなければなりません。我々世代が楽しめるモデルを。さて何がありましょう。スローライフに田舎暮らしのようなリタイヤモデルは、70歳以降のモデルとしましょう。私にとっては残り13年。何を提案しましょうかね。
20.03.17 Mon
17時半に来客がお帰りになり、本日の業務終了。これで今年の確定申告業務が終わった。スタッフ皆で、下谷の韓国家庭料理『うまいや・ダイスキ』に駆け込む。体調は8割方復調。骨付き豚カルビとサムゲタンが絶品。どのようなものであれ、ゴールを迎えた小さな喜びに瞬時浸る。でも、終わればまた始まる。始まらなければ、こちらが終わってしまう。仕事があるという幸せを感じる余裕も持ちたい。
20.03.16 Sun
いまだ体調不良。しかし期限は来る。ということで、朝早くから事務所で自身の確定申告書の作成。ったく、何でこうも至るところで間違うのか。これは食中りの所為ではない。何とか昼前に終わり、今日の仕事はここまで。本当に久しぶりに自宅に帰る。自宅で『新悪名』を観る。八尾の朝吉に的場浩司、モートルの貞に東幹久。もとより勝新、田宮のコンビに比べれば、チープでライト。であるが、それなりに河内弁と昭和初期の雰囲気を楽しめる。そういえば私ゃ、小学校に入学するために母方の新潟から父方の河内にたどり着く。それこそ銭湯で出会う般若や観音様が描かれた背中を見て、どっちがきれいか、なぁ~んてことを友達と話しながら育った。朝吉、貞(清次)のコンビを観ると、小さいころ私は何者になりたかったのかを思い出す。そう『男』になりたかった。小さいころに育った環境が与える影響は恐ろしい。
20.03.15 Sat
いまだ闘病中。例のごとく、この時期私ごとき者のために病院の手を煩わせては世間様にはた迷惑と思い、自力回復を頼み、事務所でウナリながら自分の確定申告書を作成しているのである。症状が遅々として改善しない。そりゃそうだ、それでなくとも体調を崩すような作業なのだから。昨日以来、いろんなところに電話をしては予定をキャンセルしている。原因が己の食い意地だけに、深くお詫びする以外にない。かくして一日が過ぎ、2キログラムの体重が減少した。
20.03.14 Fri
深夜、いきなりの嘔吐と下痢。食中毒。思い当たる。食い意地の張った中年男は、昨晩思い当たるものを食べた。別に食べ過ぎたのではない。マグロの刺身と卵サンドを手作りで食べたのだ。いかに和洋のコラボといえど、刺身とサンドでは、そこまでの融合はとれていないらしい。立食パーティでも寿司とサンドのコラボまで。ということで、終日七転八倒の苦しみに耐え続けている。いまなお闘病中。
20.03.13 Thu
門前仲町、若松町、湯島とまわり事務所へ。途中、桜と梅を観賞。本当に春なんだ。
20.03.12 Wed
私が勤めだしたころ毎年賃金(ベースアップ)が万単位で上昇した。それくらいの勢いで日本経済が拡大していたのだ。それがいまや1,000円程度。それでも十分に豊かだから、別に不都合はないのだろうが、その勢いのないことそのものが問題なんでしょう。その当時、給料は毎年上がるものだと思っていた私たちの世代は、良い経験をしたのかな。
20.03.11 Tue
確定申告業務も残り一週間。私の申告書にはまったく手を付けていない。これを紺屋の白袴という。過去の申告書の提出日を調べてみたら、いずれも最終日に郵送している。なんて税理士だ。私だったらこんな奴に頼まない。そんな私でもお手伝いを頼まれる。今日は、木場で21時から確定申告書の内容説明。お求めがあれば何時でも何処でも参上する。気がつけば21時半。入谷に戻ったのが22時過ぎ。食事をしていない。事務所ではまだ明かりが灯っている。電話で呼び出して焼肉。終われば11時半。今日も一日がつつがなく終わった。
20.03.10 Mon
終日事務所に閉じこもり書類作成。20時に息切れ。事務所向かいの「たむら」で太刀魚と焼酎の水割り。かくして一日が終わる。
20.03.09 Sun
人は世界を正しく認識することができるのであろうか。善と悪を正しく判断することができるのであろうか。宗教を持たない人間にとって大変難しい課題であります。大多数の人は、世界を正しく認識することなく、善悪の判断基準を認識することなく生きております。生きるということは本能で、世界や善悪が分からなくとも、どんどん生きていくのでありますが、その結果、社会は矛盾をはらみ拡大していくのではないでしょうか。この点では、チットモ人間は進歩していない、と私は感じるのであります。突然の小難しい話ですが、日曜日、無理して休み、残してきた仕事を思うと、勢い訳の分からないことを考えてしまいます。30年以上前に購入したニーチェに関する本を手にとって拾い読みした所為であります。もとより私も、世界の正しい認識、善悪の正しい判断基準の追求より、いまの仕事と生活の追求のほうが当然大事であります。でも、少々は考える時間を持たねばなりませんな。
20.03.08 Sat
赤坂見附の地下道の階段を上がったところに、ファーストキッチンがある。土曜日の朝9時半にはここでコーヒーを飲んでいる。けっこう美味い。なんと言おうか、スターバックスより落ち着く。200円で20分のやすらぎ。実に安上がりの人間だと、自分でも思う。仕事を終えて事務所に戻りランチ。松が谷のチョルラドで韓国家庭料理。確定申告業務も峠を越したようだが、山道も下りが大変。転ばないよう乗り切りましょう。
20.03.07 Fri
歯が痛い。腰が痛い。頭が痛い。前二つは加齢からくるもの。最後の痛さは精神的なもの。毎日毎日いろんなことが起こり、それはそれで刺激的なのであるが、私の能力の範囲内であって欲しい、とつくづく己の能力不足とともに生じる出来事も恨めしい。職業柄、ほとんどの話がお金に絡み、特に税金という、やっと自分のものだと思ったお金が、その後出て行くことに携わっているので、予期せぬことというのは、本当に予期せぬことであって、その衝撃は予期していた場合の数倍の圧力がかかってくる。ということで、頭が痛くなる。ひょっとしたら、歯も腰も、その衝撃からきているのかもしれません。
20.03.06 Thu
午前中は下町代表北千住の丸井、午後はハイソな二子玉川の高島屋。違いますね、街と店の雰囲気。夕方事務所に戻って確定申告業務。山は越えつつあるのだが、ついつい忘れがちなのが自身の申告書の作成。忘却力を強化しているうちに忘れそうになる。f(鈍感力、忘却力、再起動力)=中高年の生活力。そこそこ適度でなければなりません。
20.03.05 Wed
クリントンが踏み止まりました。以下、私の推論愚論。アメリカのバランス感覚が発揮されたとみました。クリントンもオバマも甲乙つけがたい。初の女性大統領を産み出したいし、黒人大統領も産み出したい。クリントンが先行したらブレーキをかけ、オバマが離しにかかったらクリントのアクセルを踏む。アメリカは迷っている。そう感じるのであります。これは相当贅沢な迷いであります。振り返ってわが国。かってこのような贅沢を味わったことがあるでしょうか。国のリーダーを直接選ぶというシステム、かの国のリーダーになろうとする途方もない気力を養う風土。なんだかんだといっても、アメリカの懐は幅広くかつ奥深い。我々も、もっとリーダーを真剣に選ぶ権利と義務を感じなければなりません。しかし、陽が長くなりました。明日は啓蟄。春はすぐそこ。
20.03.04 Tue
大手町のサンケイビルに行く。27階からの眺望は格別。一昔前は、皇居周辺に高層ビルはなかった。さすが都心は違いますな、と感心して下町にある我が事務所に戻ったのが16時半。いくつかの電話を済ませて、さて何から手をつけよう。去年の仕事もしなければならないし、昨日の仕事も終わっていない。今日は今日で、難問が2つも飛び込んできた。明日明後日の仕事の準備もしなければ。確定申告業務もこなさなければ。てなことを考えつつ、腹減った、ニラレバ炒めにネギ肉炒め、餃子じゃなくて肉まんを添えて、ビールを飲みたい、とまったく別のことを考える。相も変わらず分裂気味です。まぁ、春はすぐそこ。
20.03.03 Mon
ストレス満杯。食欲全開。思考は支離かつ滅裂。湯島天神近くに仕事で出かけても、せっかくの梅祭りの梅を愛でる余裕もない。天神様横の女坂を駆け上がり駆け下りる。あ
ぁ~、情趣のない奴だ、と思いつつも急いで事務所に戻り仕事。そして仕事の合間合間に煎餅をほお張り、飴を舐める。夜になり、そそくさと何かをかき込みアルコールとともに流し込む。ここで仕事が終わる。飲んで手にするのが、内田樹先生の本。少々量産のし過ぎの感もあるが、いつもながらの快刀乱麻の切り口。爽快感をともなった文化批評で癒される。いや、内田先生の本で癒されるか、苛立つかは、読み手しだい。その発言は、相当刺激的であります。
20.03.02 Sun
土日出勤が続くストレスフルな日々が続いている。せめて食欲はリリースしようと、スタッフとともに事務所向かいの『栄龍』でランチ。餃子を頼む。どうも例の事件以来、餃子に対するアクセルがかかったままのようだ。束の間の幸せを感じながら、ワンタンメンと餃子とを箸が往復する。これでビールでもあれば、ハッピー指数は臨界点に達するのだが。人は、一瞬でも幸せでも感じることができれば生きていくことができる、てなことを感じながら、午後の仕事に取り掛かるが、幸せすぎて睡魔が襲ってくる。満足は闘争心を奪い取る、と再確認しつつ転寝を始める。食と幸せと闘争心が今日のキーワードか。相変わらず、一体わたしゃ何を言いたいのかね。
20.03.01 Sat
3月だからではありませんが、今日は、少々理屈っぽいことを書きたいのです。気になる方、反論のある方は、是非そのままスルーしてください。決して、目くじらを立てないでください。所詮は、しがない税理士の独り言ですから。では書きます。やはり、ここ10年間の日本の政治は、結果として間違っていた。じゃぁ~、どうすればよかったんだと、いうことは別にして、この日本から中産階級を消滅させつつある政治はやはり間違っていた。別にそれほどのことでもないが、そこそこの人生を歩んでこれて、俺(私)は結構幸せだった、と思える層が中産階級だ。中産階級なんて所得や資産面で量的に測れるものではない。要は、どこまで満足しているかの問題だ。その満足度を持つ人の総和が減少している。何故だろうか。十分豊かなのに、でも満足できない。不安が満足を押し出してしまう。なぜ、そんな社会にしてしまったのか。ということを書きたかった。若き頃、思想的敵対者と思っていたでプチブル(中産階級)。歳とともに素晴らしきかなプチブルと思うようになりました。石神井公園から事務所に戻る途中、日暮里で降り、本当に久しぶりに谷中銀座を歩いて思ったのです。足るを知らない社会に、なぜ日本はなってしまったのだろうか、と。