日
01
2月
2015
ここ3日ばかり、カツカレーを食べたかった。ということで、今日の昼は吉池食堂。取り立ててここのカレーが旨いわけではないのだが、いざ注文のとき、急に寿司が食べたくなっても、ラーメンが食べたくなっても構わないように。念願のカツカレーを食べたが、隣の席では、外人客が煮込みうどんとタンメンと、子供がハンバーグを食していた。そう吉池食堂は、和・洋・中が、高いレベルで揃った総合食堂。食の専門店化が進むなかで、よくぞ開店してくれたというほかない。上野ならではか。オープンは、昨年4月26日。
土
31
1月
2015
9時半に事務所を出て、12時半に戻る。14時に来客。17時に足取りも軽く北千住。紅虎餃子房で友人と食事。食べるというより、甕だし紹興酒をあおるように飲む。帰りは、千鳥足で入谷。さて、いつ帰ったのでしょうか。気がつくと、いつものとおり寝ておりました。
金
30
1月
2015
バタ臭いとは、明治の初めは変なものを食って変な匂いがすると、西洋人をに対して感じた日本人のイメージである。その西洋人は、生魚を食べる日本人を野蛮な連中だと思っていた。レヴィ=ストロークによるとと、生、火、発酵は『料理の三角形』といわれ、食文化は、生から火、発酵へと進化していると考えられている。だから、生魚を食べる日本人は、文化的に劣っていると。いま西洋では、自然志向、健康志向のなかで、『生』の食が進んでいる。日本は、天武の昔から『生』の食文化の優位性を知っていたのである。刺身を食べると、ときどき思い起こす。
木
29
1月
2015
春眠暁を覚えず。いやはや、暁でなくともいつでも眠い。夜、月刊文藝春秋のバックナンバーをパラパラとめくりながら、この2年間、いろんなことがあったもんだ。何が変わって、何が変わらなかったのか不明ではあるのだが、何かしら時代の空気が一層寒々しくなった気がする。平成24年以降、自殺者数は3万人を切り、統計上いろいろ改善されつつつあるようだが。加齢のせいかな。
水
28
1月
2015
終日事務所で仕事。しかも、比較的真面目に。夕方来客。しばし仕事の話をし、そのまま四川厨房。いつものとおり、ほろ酔いを通り越して21時に別室に戻る。ゴロリと横になり、天井を眺める。オォ~宇宙だ。狭い部屋であるが、天井は宇宙である。酔った夜の天井は気分がいい。
日
25
1月
2015
江戸図絵を眺めていると、大縄地という土地が目につく。下級武士の住居は、職務上で同じ組に属する者がまとまって屋敷地を与えられた。これが大縄地である。御徒町という地名は、騎乗が許可されない江戸城・将軍の護衛を行う下級武士(御徒・徒士)の拝領地である、いまの上野5丁目6丁目あたり。地名としては残っていないが、駅名、通称名で残っている。これがまた小録の役で、いろいろな内職をしないと食べていけない。入谷あさがお市のルーツは、こんなところにある。ちなみに四谷百人組与力大縄地では、サツキ栽培の内職が盛んであったという。奥多摩の自生種を探しては交配を重ね、色鮮やかな新種を創っていたという。月5日の勤務。小禄ではあるが暇はある。こんなところが、江戸に落ち着いた文化の花が咲いた所以かもしれない。
日
25
1月
2015
8時に事務所。午前中は仕事。昼は、出勤してきたスタッフと久しぶりに鶯谷のマルスでラアンチ。いつもの通り、午後は急速に闘争心が衰える。伝助Ⅳ号で、16号のロードサイドの書店へ。夕方、千葉。夜、突然にうどんが食べたくなる。上京して45年。すっかりそば文化に馴染んでいるが、私の骨格はうどん。東京の落語『時そば』も、上方落語では『時うどん』。
金
23
1月
2015
9時過ぎに事務所を出て、戸越、赤坂見附、水天宮と移動。入谷に戻り16時。今日は寒い。ヒートテックを着込んでいても、冷気が肌に達する。夜、食事を終え、エアコンとヒーターでやっと体が温まる。青山文平の『流水浮木』を読みながら、私と同世代の主人公山岡晋平の様に芯の寒さも和らぐ。
木
22
1月
2015
今日の新年会は上野精養軒3153。平成24年9月にオープン。3153はサイゴーザンの意味。洒落た店での飲み放題。いつものように居酒屋状態。入谷に戻り21時。スウェーデンの税制と社会保障について少々勉強。羨ましいと思うとともに、少子高齢化が加速する日本の危機感が共有されないことに危機感を覚える。確かに、危機感を抱いても抱かなくとも、今日は生活できる。問題の繰り延べが問題を大きくし、そのうちクラッシュする。
水
21
1月
2015
我々の世代は、なんとなく走り続けてきた。定年があろうとなかろうと、そうそう走り続けることができるわけでもなく、いつかはペースダウンするときがくる。これは自然の理であって、歳を重ねた者の権利である。で、いままで10㎞を40分で走ってきたところを、3時間かけて歩いてみると、けっこういろんなものが見えてきて楽しいものである。成熟社会もかくあって良いのではないか、と思う。
月
19
1月
2015
ポートワイン。熟成中のワインにブランデーを加えてつくる。アルコール度数は高い。ポルトガルの宝石といわれる。日本料理には合わないが、私は、豚肉などのコテコテの洋風煮込みとともに飲むか、オリーブを口に放り込みながら飲む。アルコール度数は20%程度。調子に乗っていると、足を取られる。
土
17
1月
2015
20年前の5時46分、私は通勤のための自動車を運転していた。ラジオで、阪神淡路大震災の一報を聴いたものの、東京発信のラジオでは何も把握できていない。育った大阪の町が、どうなっているのか気になって仕方がない。知人にも連絡がつかない。この年、税理士として独立することを決心した。あれから20年。早い。
土
17
1月
2015
来客をお見送りし、急いで神楽坂へ。吉で新年会。5時過ぎに開始し、さて何時まで飲んでいただろうか。気がついたらタクシーで入谷。とにかく真っ直ぐ歩けない。いまどきこんな酔っ払いも珍しかろう、と苦笑。そういえば、一緒に飲んでいた他の5人も、神楽坂の町を蛇行歩行していた。平均年齢が60過ぎ。どうもこの世代、スマートな飲み方ができない。
金
16
1月
2015
11時過ぎに赤坂見附。雨のせいだろうか、駅周辺が閑散としていた。ニューオータニのガーデンコートの7階から窓外を眺める。赤プリの工事が解体から組み立てへと進んでいる。江戸時代、ニューオータニは近江彦根井伊藩の中屋敷、赤坂プリンスは紀伊和歌山徳川藩上屋敷。ニューオータニ、赤プリとも、いろいろな経緯を経てホテルとなった。フィクション、ノンフィクションで度々描かれた世界である。私が、実社会に出たころ、この二つのホテルの勢いは日本のエネルギーそのものであった。東京オリンピックの象徴がニューオータニ、バブルの象徴が赤坂プリンス。13時半に事務所に戻り、さて、仕事。宿題がたまっている。
水
14
1月
2015
今日は、少々難しい案件に悩まされる。しかも3件も。私の胃袋は、長時間(4時間位)の飲食に耐えることができても、頭は短時間(30分程度)の思考に耐えられるほどタフではない。17時過ぎには、もう頭はバテバテ。かといって、案件解決には道まだ半ば、というよりはスタートしたばかり。しかし、伊達にこの稼業を長年やってるわけじゃない。困難に対する言い訳と逃げ足のノウハウには事欠かない。そうだ、新年の挨拶に行かなくちゃ、と、ここを訪れる。
水
14
1月
2015
新年会に出席したり、歯を抜いたり、出血したり、熱を出したり、DVDを観たり、隙間時間に仕事をしたりと、バタバタしているうちに1月も中旬。今週もバタバタしそう。
日
11
1月
2015
人とチンパンジーのDNAは2パーセント異なるだけという。私の場合、2パーセントという数値そのものは、体重がそうなのだけれど、一日の誤差の範囲内で、98%の一致というのは、まったくあい等しいものと考えている。チンパンジーと人類、DNAの2%の差は、創造主にとってはやっぱり単なる気まぐれの差異であってどうでもいいことなんだろう、と猿の惑星: 新世紀を観て考えた。ただ人間は、この1~2%程度の差を相当勘違いして理解してしまう。
日
11
1月
2015
ここ二日間の食事。吉野家の牛皿特盛にカルビ皿盛、栄隆のニラレバ炒め、ココスナカムラの焼肉弁当、オリジン弁当中華風。体力回復にC級料理に飛びつく嗜好と、これで急速に回復する体質に感謝。親からの贈り物である。しかし、地元スーパー・ココスナカムラの焼肉弁当の水準は高い。550円。ときどき50円引き。
金
09
1月
2015
昨夜、久しぶりに眠りについたのだが、枕元に菩薩さまが現れた。どうもこの菩薩、大阪出身らしい。えらい大阪弁がキツイ。
(菩薩)どや、お茶でも飲まへんか。
(私)なんやねんいきなり。お茶より、ビールのほうがエエわ。菩薩はんもビール飲んだらええやん。俺も多少は稼いどるから、ビール代ぐらい俺がもつで。
(菩薩)いや、スカッと爽やかコカコーラにしとくわ。わし、酒に弱いねん。
(私)酒に弱いって、中途半端で酒を止めることがでけへんちゅう意味かいな。俺と一緒やな。
(菩薩)そやねん。菩薩って言うたかて、信心やからまだ菩薩に成りたてや。
(私)その新米の菩薩はんが、俺に何の用や。一生懸命、修行せなあかんやないか。
(菩薩)たまには、お前みたいなアホと話でもせんと、修行の道も飽きるわ。
(私)なんや、俺は箸休めかい。
(菩薩)それに、できればスカウトや。どや、こっちの世界に来えへんか。
(私)なんかええことあるんかい。
(菩薩)いろんな人の枕元に行って、油売ることができるで。なんやったら、安倍くんのところでも行って、説教でもしてきたらどないや。
(私)んな、あほな。安倍くんが俺を呼ばな枕元に現れることでけんやろ。エエ加減な菩薩やな。それに、俺、あいつは苦手や。
(菩薩)なんせ、わしは新米菩薩や。よう分からんことが多い。でも、お前みたいに、欲に駆られて生きとるよりは、だんだん欲を捨てていく修行の道は楽やぞ。飽きるけどな。
(私)…………。
なんか、その他いろいろとスカウトの条件やらメリットやらを聴いたような気がするが、覚えていない。
木
08
1月
2015
昨日は徹夜。抜歯の影響で、出血が止まらない。今日も、昼過ぎまで出血。午後うたた寝。夜は、食事に出る。そうそうおとなしくはしていられない。といっても、入谷駅の吉野家。缶ビールに牛カルビ皿に牛皿特盛。煮込み評論家としては、吉野家の牛皿は、煮込みにカウントしたい。実にうまい。出血で貧血気味?の体力が急速に回復。
水
07
1月
2015
11時半に赤坂見附のデンタル・クリニック。抜歯。ニューオータニガーデンコート5階のトムCATでランチを食べるものの、麻酔が効いていて上手く咀嚼できない。しかも、ワーファリンという血液溶解剤を飲んでいるものだから、出血が止まらない。晩酌も軽め。今日はおとなしく寝よう。
水
07
1月
2015
16時半から、事務所ビル5階の大会議室でテナント一同集まり大家主催恒例の新年会。ビール、ワイン、日本酒で18時には酩酊初期。早々に別室に退くが、ここでまたチビリチビリと始める。そのうち、歯が再び痛み出す。各方面から新年のあいさつで携帯が鳴る。そうか、今年は年賀状を失礼させていただいたもんな。いつの間にか夢のなか。いつものパターンで今年も始まる。私の旅は、堂々巡り。
火
06
1月
2015
仕事始め。何といっても、今日の最大のイベントは、顧問先主催の賀詞賀礼会。帝国ホテルで16時から。水割り、ワイン、オードブルに寿司などいただき、17時には辞したのだが、入谷にたどり着いたのは夜遅く。途中、歯がいた見出し、アルコールを鎮静剤代わりに補給した。毎年同じ仕事始めの日。さて、再起動。
月
05
1月
2015
人生は自分への旅である、とヘッセ。経験から学ぶとは、経験から何かを創造することである。自分への旅とは、何かを経験し何かをつくることである。さて、またあしたから旅に出ましょう。皆さんも旅の途中なんでしょう。
日
04
1月
2015
はて、今日は何曜日なんだっけ。もともと曜日感覚が薄い生活だが、年末年始はとくに感覚がない。このような時間のながれのときは、小林秀雄の文芸批評家でもと、彼の初期批評『アシルと亀の子Ⅰ~Ⅴ』を読む。難解である。頭が痛くなるほど難解。そこで、頭の痛さを和らげるためにマッコリをがぶ飲み。そういえば、小橋秀雄も相当な酒飲みと聞いている。
土
03
1月
2015
情けないかな、正月少々歯が痛み出し、肩痛が酷くなる。地元、穴川神社に初詣に行き、早々の願い事が歯と肩とは。さて新年、今年も頑張りましょう、と決意するには少々歳を重ねたが、まあ、ボチボチとスタートするか。しかし、マクロ的指標が10%豊かになっても、2%程度の人しか豊かになっていないような気がする。日本における格差社会は、確実に進展している。もはや、その2%に入りたいと思う意気込みは、私にはない。もう少し平均的に底上げのできる社会でなくては、と思う。
日
01
2月
2015
ここ3日ばかり、カツカレーを食べたかった。ということで、今日の昼は吉池食堂。取り立ててここのカレーが旨いわけではないのだが、いざ注文のとき、急に寿司が食べたくなっても、ラーメンが食べたくなっても構わないように。念願のカツカレーを食べたが、隣の席では、外人客が煮込みうどんとタンメンと、子供がハンバーグを食していた。そう吉池食堂は、和・洋・中が、高いレベルで揃った総合食堂。食の専門店化が進むなかで、よくぞ開店してくれたというほかない。上野ならではか。オープンは、昨年4月26日。
土
31
1月
2015
9時半に事務所を出て、12時半に戻る。14時に来客。17時に足取りも軽く北千住。紅虎餃子房で友人と食事。食べるというより、甕だし紹興酒をあおるように飲む。帰りは、千鳥足で入谷。さて、いつ帰ったのでしょうか。気がつくと、いつものとおり寝ておりました。
金
30
1月
2015
バタ臭いとは、明治の初めは変なものを食って変な匂いがすると、西洋人をに対して感じた日本人のイメージである。その西洋人は、生魚を食べる日本人を野蛮な連中だと思っていた。レヴィ=ストロークによるとと、生、火、発酵は『料理の三角形』といわれ、食文化は、生から火、発酵へと進化していると考えられている。だから、生魚を食べる日本人は、文化的に劣っていると。いま西洋では、自然志向、健康志向のなかで、『生』の食が進んでいる。日本は、天武の昔から『生』の食文化の優位性を知っていたのである。刺身を食べると、ときどき思い起こす。
木
29
1月
2015
春眠暁を覚えず。いやはや、暁でなくともいつでも眠い。夜、月刊文藝春秋のバックナンバーをパラパラとめくりながら、この2年間、いろんなことがあったもんだ。何が変わって、何が変わらなかったのか不明ではあるのだが、何かしら時代の空気が一層寒々しくなった気がする。平成24年以降、自殺者数は3万人を切り、統計上いろいろ改善されつつつあるようだが。加齢のせいかな。
水
28
1月
2015
終日事務所で仕事。しかも、比較的真面目に。夕方来客。しばし仕事の話をし、そのまま四川厨房。いつものとおり、ほろ酔いを通り越して21時に別室に戻る。ゴロリと横になり、天井を眺める。オォ~宇宙だ。狭い部屋であるが、天井は宇宙である。酔った夜の天井は気分がいい。
日
25
1月
2015
江戸図絵を眺めていると、大縄地という土地が目につく。下級武士の住居は、職務上で同じ組に属する者がまとまって屋敷地を与えられた。これが大縄地である。御徒町という地名は、騎乗が許可されない江戸城・将軍の護衛を行う下級武士(御徒・徒士)の拝領地である、いまの上野5丁目6丁目あたり。地名としては残っていないが、駅名、通称名で残っている。これがまた小録の役で、いろいろな内職をしないと食べていけない。入谷あさがお市のルーツは、こんなところにある。ちなみに四谷百人組与力大縄地では、サツキ栽培の内職が盛んであったという。奥多摩の自生種を探しては交配を重ね、色鮮やかな新種を創っていたという。月5日の勤務。小禄ではあるが暇はある。こんなところが、江戸に落ち着いた文化の花が咲いた所以かもしれない。
日
25
1月
2015
8時に事務所。午前中は仕事。昼は、出勤してきたスタッフと久しぶりに鶯谷のマルスでラアンチ。いつもの通り、午後は急速に闘争心が衰える。伝助Ⅳ号で、16号のロードサイドの書店へ。夕方、千葉。夜、突然にうどんが食べたくなる。上京して45年。すっかりそば文化に馴染んでいるが、私の骨格はうどん。東京の落語『時そば』も、上方落語では『時うどん』。
金
23
1月
2015
9時過ぎに事務所を出て、戸越、赤坂見附、水天宮と移動。入谷に戻り16時。今日は寒い。ヒートテックを着込んでいても、冷気が肌に達する。夜、食事を終え、エアコンとヒーターでやっと体が温まる。青山文平の『流水浮木』を読みながら、私と同世代の主人公山岡晋平の様に芯の寒さも和らぐ。
木
22
1月
2015
今日の新年会は上野精養軒3153。平成24年9月にオープン。3153はサイゴーザンの意味。洒落た店での飲み放題。いつものように居酒屋状態。入谷に戻り21時。スウェーデンの税制と社会保障について少々勉強。羨ましいと思うとともに、少子高齢化が加速する日本の危機感が共有されないことに危機感を覚える。確かに、危機感を抱いても抱かなくとも、今日は生活できる。問題の繰り延べが問題を大きくし、そのうちクラッシュする。
水
21
1月
2015
我々の世代は、なんとなく走り続けてきた。定年があろうとなかろうと、そうそう走り続けることができるわけでもなく、いつかはペースダウンするときがくる。これは自然の理であって、歳を重ねた者の権利である。で、いままで10㎞を40分で走ってきたところを、3時間かけて歩いてみると、けっこういろんなものが見えてきて楽しいものである。成熟社会もかくあって良いのではないか、と思う。
月
19
1月
2015
ポートワイン。熟成中のワインにブランデーを加えてつくる。アルコール度数は高い。ポルトガルの宝石といわれる。日本料理には合わないが、私は、豚肉などのコテコテの洋風煮込みとともに飲むか、オリーブを口に放り込みながら飲む。アルコール度数は20%程度。調子に乗っていると、足を取られる。
土
17
1月
2015
20年前の5時46分、私は通勤のための自動車を運転していた。ラジオで、阪神淡路大震災の一報を聴いたものの、東京発信のラジオでは何も把握できていない。育った大阪の町が、どうなっているのか気になって仕方がない。知人にも連絡がつかない。この年、税理士として独立することを決心した。あれから20年。早い。
土
17
1月
2015
来客をお見送りし、急いで神楽坂へ。吉で新年会。5時過ぎに開始し、さて何時まで飲んでいただろうか。気がついたらタクシーで入谷。とにかく真っ直ぐ歩けない。いまどきこんな酔っ払いも珍しかろう、と苦笑。そういえば、一緒に飲んでいた他の5人も、神楽坂の町を蛇行歩行していた。平均年齢が60過ぎ。どうもこの世代、スマートな飲み方ができない。
金
16
1月
2015
11時過ぎに赤坂見附。雨のせいだろうか、駅周辺が閑散としていた。ニューオータニのガーデンコートの7階から窓外を眺める。赤プリの工事が解体から組み立てへと進んでいる。江戸時代、ニューオータニは近江彦根井伊藩の中屋敷、赤坂プリンスは紀伊和歌山徳川藩上屋敷。ニューオータニ、赤プリとも、いろいろな経緯を経てホテルとなった。フィクション、ノンフィクションで度々描かれた世界である。私が、実社会に出たころ、この二つのホテルの勢いは日本のエネルギーそのものであった。東京オリンピックの象徴がニューオータニ、バブルの象徴が赤坂プリンス。13時半に事務所に戻り、さて、仕事。宿題がたまっている。
水
14
1月
2015
今日は、少々難しい案件に悩まされる。しかも3件も。私の胃袋は、長時間(4時間位)の飲食に耐えることができても、頭は短時間(30分程度)の思考に耐えられるほどタフではない。17時過ぎには、もう頭はバテバテ。かといって、案件解決には道まだ半ば、というよりはスタートしたばかり。しかし、伊達にこの稼業を長年やってるわけじゃない。困難に対する言い訳と逃げ足のノウハウには事欠かない。そうだ、新年の挨拶に行かなくちゃ、と、ここを訪れる。
水
14
1月
2015
新年会に出席したり、歯を抜いたり、出血したり、熱を出したり、DVDを観たり、隙間時間に仕事をしたりと、バタバタしているうちに1月も中旬。今週もバタバタしそう。
日
11
1月
2015
人とチンパンジーのDNAは2パーセント異なるだけという。私の場合、2パーセントという数値そのものは、体重がそうなのだけれど、一日の誤差の範囲内で、98%の一致というのは、まったくあい等しいものと考えている。チンパンジーと人類、DNAの2%の差は、創造主にとってはやっぱり単なる気まぐれの差異であってどうでもいいことなんだろう、と猿の惑星: 新世紀を観て考えた。ただ人間は、この1~2%程度の差を相当勘違いして理解してしまう。
日
11
1月
2015
ここ二日間の食事。吉野家の牛皿特盛にカルビ皿盛、栄隆のニラレバ炒め、ココスナカムラの焼肉弁当、オリジン弁当中華風。体力回復にC級料理に飛びつく嗜好と、これで急速に回復する体質に感謝。親からの贈り物である。しかし、地元スーパー・ココスナカムラの焼肉弁当の水準は高い。550円。ときどき50円引き。
金
09
1月
2015
昨夜、久しぶりに眠りについたのだが、枕元に菩薩さまが現れた。どうもこの菩薩、大阪出身らしい。えらい大阪弁がキツイ。
(菩薩)どや、お茶でも飲まへんか。
(私)なんやねんいきなり。お茶より、ビールのほうがエエわ。菩薩はんもビール飲んだらええやん。俺も多少は稼いどるから、ビール代ぐらい俺がもつで。
(菩薩)いや、スカッと爽やかコカコーラにしとくわ。わし、酒に弱いねん。
(私)酒に弱いって、中途半端で酒を止めることがでけへんちゅう意味かいな。俺と一緒やな。
(菩薩)そやねん。菩薩って言うたかて、信心やからまだ菩薩に成りたてや。
(私)その新米の菩薩はんが、俺に何の用や。一生懸命、修行せなあかんやないか。
(菩薩)たまには、お前みたいなアホと話でもせんと、修行の道も飽きるわ。
(私)なんや、俺は箸休めかい。
(菩薩)それに、できればスカウトや。どや、こっちの世界に来えへんか。
(私)なんかええことあるんかい。
(菩薩)いろんな人の枕元に行って、油売ることができるで。なんやったら、安倍くんのところでも行って、説教でもしてきたらどないや。
(私)んな、あほな。安倍くんが俺を呼ばな枕元に現れることでけんやろ。エエ加減な菩薩やな。それに、俺、あいつは苦手や。
(菩薩)なんせ、わしは新米菩薩や。よう分からんことが多い。でも、お前みたいに、欲に駆られて生きとるよりは、だんだん欲を捨てていく修行の道は楽やぞ。飽きるけどな。
(私)…………。
なんか、その他いろいろとスカウトの条件やらメリットやらを聴いたような気がするが、覚えていない。
木
08
1月
2015
昨日は徹夜。抜歯の影響で、出血が止まらない。今日も、昼過ぎまで出血。午後うたた寝。夜は、食事に出る。そうそうおとなしくはしていられない。といっても、入谷駅の吉野家。缶ビールに牛カルビ皿に牛皿特盛。煮込み評論家としては、吉野家の牛皿は、煮込みにカウントしたい。実にうまい。出血で貧血気味?の体力が急速に回復。
水
07
1月
2015
11時半に赤坂見附のデンタル・クリニック。抜歯。ニューオータニガーデンコート5階のトムCATでランチを食べるものの、麻酔が効いていて上手く咀嚼できない。しかも、ワーファリンという血液溶解剤を飲んでいるものだから、出血が止まらない。晩酌も軽め。今日はおとなしく寝よう。
水
07
1月
2015
16時半から、事務所ビル5階の大会議室でテナント一同集まり大家主催恒例の新年会。ビール、ワイン、日本酒で18時には酩酊初期。早々に別室に退くが、ここでまたチビリチビリと始める。そのうち、歯が再び痛み出す。各方面から新年のあいさつで携帯が鳴る。そうか、今年は年賀状を失礼させていただいたもんな。いつの間にか夢のなか。いつものパターンで今年も始まる。私の旅は、堂々巡り。
火
06
1月
2015
仕事始め。何といっても、今日の最大のイベントは、顧問先主催の賀詞賀礼会。帝国ホテルで16時から。水割り、ワイン、オードブルに寿司などいただき、17時には辞したのだが、入谷にたどり着いたのは夜遅く。途中、歯がいた見出し、アルコールを鎮静剤代わりに補給した。毎年同じ仕事始めの日。さて、再起動。
月
05
1月
2015
人生は自分への旅である、とヘッセ。経験から学ぶとは、経験から何かを創造することである。自分への旅とは、何かを経験し何かをつくることである。さて、またあしたから旅に出ましょう。皆さんも旅の途中なんでしょう。
日
04
1月
2015
はて、今日は何曜日なんだっけ。もともと曜日感覚が薄い生活だが、年末年始はとくに感覚がない。このような時間のながれのときは、小林秀雄の文芸批評家でもと、彼の初期批評『アシルと亀の子Ⅰ~Ⅴ』を読む。難解である。頭が痛くなるほど難解。そこで、頭の痛さを和らげるためにマッコリをがぶ飲み。そういえば、小橋秀雄も相当な酒飲みと聞いている。
土
03
1月
2015
情けないかな、正月少々歯が痛み出し、肩痛が酷くなる。地元、穴川神社に初詣に行き、早々の願い事が歯と肩とは。さて新年、今年も頑張りましょう、と決意するには少々歳を重ねたが、まあ、ボチボチとスタートするか。しかし、マクロ的指標が10%豊かになっても、2%程度の人しか豊かになっていないような気がする。日本における格差社会は、確実に進展している。もはや、その2%に入りたいと思う意気込みは、私にはない。もう少し平均的に底上げのできる社会でなくては、と思う。
木
01
1月
2015
新年ではありますが、喪中でもありまして、おめでとうございます、といえないことは重々分かってはいるのだが、やはり新年は清々しくもあり、気持ち新たにおめでたくスタートしたい。正月元旦も、365日のうちの一日に過ぎないのだが、その持っているリセット機能の力が違う。4月スタートの手帳が出ても、やはり1月1日から手帳は始めたい。ということで、皆様、今年も再起動いたしますので、よろしくお願いいたします。