2015年
10月
31日
土
気の七草といえば、ハギ、キキョウ、クズ、フジバカマ、オミナエシ、オバナ、ナデシコ。 情趣のない私には、さっぱり区別がつかないが。オバナ(ススキ)だけは見分けることが出来る。東京ではすっかり見つけることのできないススキ。出張先からの車窓から見ることができた。色合いのない所詮は枯れ草なのだが、これに感情を抱くことのできるのが日本人。
秋風に なびく尾花は むかしより たもとに似てぞ こひしかりける 大和物語
2015年
10月
31日
土
今朝のコーヒーは旨い。普段は軽い頭も、飲んだ翌日には時々重くなる。昼に、また魚とビール。さすがに夜は肉を食べる。この3日間、ガソリン補給は十分。
2015年
10月
31日
土
そろそろ鮭の季節である。越後村上は、江戸時代中期に鮭の漁法を開発した。その後その漁法は、東北諸藩に伝わることとなる。それはともかく、私の生まれた新潟は、取り立てて名物料理はないが、この鮭とのどくろ(アカムツ)は、これからその旨さに拍車がかかる時期である。ということで、今宵は鮭とのどくろを堪能.
2015年
10月
28日
水
目標は高く、妥協は早く。生きるコツの一つである。後段の『妥協』に力点を置くのはもちろんのことである。残すところ2か月。今年最後の目標を掲げて、早めに妥協し、一年を終わりましょう。さて、今日からしばし東京を離れる。
2015年
10月
27日
火
学習性無力感というらしい。無力とは、現状打開能力を喪失することである。攻撃され続けていると、これに反発・抵抗する能力を失い、これを受け入れてしまうらしい。無実の人間が、自白により罪を認めてしまう心的状況を、学習性無力感という。心理学の実験で証明されているという。たとえ死刑の罰であろうとも、長期にわたり回避困難な攻撃にさらされると、無実であっても罪を認めた自白をしてしまう。人間は、そんなに強くない。
2015年
10月
27日
火
8時半に事務所を出て、地下鉄上野駅で銀座線に乗り換える。構内を、それなりに懸命に歩いているのだが、追い抜かれることがあっても、追い抜くことはない。もともと、小さいころから歩くのも走るのも鈍かった。そのことで、特段の損も得もしなかったが、上野駅も人々の歩く速度が速くなったなぁ~、なんてことを考えながら、東京を彼方此方と鈍い歩行でウロウロ。
2015年
10月
25日
日
ジョン・キューザックという俳優がいる。彼が、若い頃に主演した映画『セイ・エニシング』で友人に電話した時のセリフ。ぼくは彼女にハートをあげたのに、彼女はぼくにペンをくれた。贅沢をいうな。なにもお返しのない男のほうが多いのだ。と、突っ込んでみたが、なんとなく一昔前のハリウッドを彷彿させるセリフである。
2015年
10月
25日
日
Blue」roses(青いバラ)といえば、不可能なこと、という意味。青いバラを作り出すことは園芸家の夢であった。遺伝子工学的には、鮮やかな青い色を生み出す酵素をバラは持っていない。この不可能にバイオテクノロジーの技術で挑戦したのがサントリーグローバルイノベーションセンター株式会社。さて、鮮やかな青を生み出せたかどうかはご確認いただくとして、青いバラへの挑戦は、その夢が叶わなかったとしても、多くの色のバラを生み出した。副産物を生み出すために夢がある。
2015年
10月
23日
金
9時に事務所を出て戸越へ。事務所に戻り、13時には上野。そのまま、16時に北千住。18時に打ち合わせを終え銀座アスターへ。入谷に戻ったのが23時。いったい、私は北千住で何をしていたのであろうか。
2015年
10月
22日
木
9時半に事務所を出て13時に戻る。食事に出て14時に再び事務所。しばし仕事。気が付くと陽が落ちている。スタバでカプチーノ。このいつも飲んでるカプチーノ。イタリアで好まれているコーヒーの飲み方。元来はカトリック教会の一派であるカプチン会の修道士のことを指し、彼等が着るフードのついた修道服、カップッチョ(cappuccio、「頭巾、フード」の意)にちなむとされる(ウィキペディア)。このカプチン会といえば、サンタ・マリア・インマコラータ・コンチェツィオーネ教会(聖母マリア処女懐胎教会)。中に入れば、カプチーノ派修道僧の骸骨4000体。人の死に対する感性の違いを感じる。でも、カプチーノは美味しい。
2015年
10月
18日
日
3時に起床。書斎で、中島敦の文章を読む。34歳で夭逝した作家。当然、その残された作品は少ないが、味わい深い文章を書く。昼は、千葉大前のがザル。ビールを二杯。自宅に戻り昼寝。気が付くと陽が落ちている。まさに、秋の日は釣瓶落とし。
2015年
10月
18日
日
チューリップの球根一つを、小麦2ラスト(約4トン)、ライ麦4ラスト(約8トン)、太った雄牛4頭、豚8頭、羊12頭、雄牛の頭2頭分のワイン、バター4トン、チーズ1000ポンド、ベット1台、銀ビーカーで購入した者がいたという。1636年のオランダでの話である。例の、オランダ・チューリップバブルのことである。オランダ人といえば、ダッチ・アカウントで知られるようにケチで有名。そのオランダで、かくもバブルが生じたのは何故か。今日、そんなことが話題になったのであるが、ケチということは経済観念があるということ。その観念が突っ走ると物事の適正さの判断力を失う。が、この球根を購入した者は損をしたが、売ったものは得をした。このように、これをゼロサムであるとするのは投機観念であり経済観念ではない。
2015年
10月
17日
土
14時半に北千住。日本橋を出立し、日光街道を歩き最初の宿場町が千住宿。江戸の昔から千住は一丁目から五丁目まで。場所も変わりがない。その時代、南千住という地名はない。千住三丁目に千住本陣があった。本陣があれば、旅籠もあり、歓楽街もできる。江戸の面影もないが、かつての歓楽街の名残はいまも色濃く残る。仕事を終えたときは陽が落ちている。北千住駅西口を、誘惑にかられないでスタスタ歩くのはけっこう難しい。
2015年
10月
15日
木
仕事から帰り、夕方から夜にかけてパソコンにWindows10をインストール。何度チャレンジしてもうまくいかない。別に10にしなくてはならない理由なんて、これポッチもない。と、とうとう少々キレ気味。結局、諦める。こういう無駄な時間を過ごすのも、秋の夜。
2015年
10月
14日
水
8時に事務所を出て築地。外国人観光客が多い。仕事を終え11時に上野。外国人観光客で溢れている。15時に来客。17時半に仕事を終え浅草寺。周りは外国人観光客ばかり。とみいでの会食を終え、入谷に戻り21時半。こうして一日が合わる。
2015年
10月
13日
火
戸を出でずして天下を知り、窓を窺わずして、天道を見る(老子)。広く浅い読書から得られぬものが、狭く深い読書から得られる(小林秀雄)。百聞は一見に如かずというが、情報が溢れている今の世、しばし熟考の時を持たねばならん、と今日は閉じこもる。もっとも、ただただ寝ているだけだが。
2015年
10月
11日
日
神学論争という言い方。非現実、不毛という意味合いで、現実性を欠いている議論であるとして、やや上から目線で締めくくりたいときに使用される。とくに、政治的・政策的局面で使われる。神学論争(普遍論争)は観念的で抽象的ではあるが、決して妥協して結論を出していい分野でもなく、無視していい分野でもない。だれかが、どこかで汗を流して、その知的格闘に取り組むべき課題であり、大いに議論されるべき課題である。その結論が出ないのは、われわれ人類の知恵が、まだそこまで達していないからである。軽々しく幕引きの言葉として使用すべきではない。と、思うのだが。
2015年
10月
11日
日
第二次世界大戦での民間人の戦死者は約50万人。その殆どは、米軍の無差別空爆と広島・長崎の原子爆弾での被害である。敵国への無差別殺戮は戦時国際法上も禁止されているはずであるし、民間人を対象としたこのような大量殺戮は、法規範以前の問題として許されざることである。私の母方の故郷である新潟も、空爆に見舞われた。近親者にその被害者もいた。どうも私が、西部劇はともかくアメリカが好きになれないのは、こういう暴力に対する無神経さに苛立つからである。
2015年
10月
11日
日
午後、西新宿。西新宿は広い。角筈村と柏木村とが合わさって角筈となり、西新宿となった。その4丁目。かつては十二社池があり、風光明媚な景勝地であった。昭和43年に副都心計画に伴い埋め立てられた。全くその面影はない。学生時代、この付近に仲間がアパートを借りていて16時。入谷に戻り17時。今日はここまで。しばし東京を離れる。
2015年
10月
09日
金
8時に事務所を出て北千住。昼は、ビール付ランチ。そのまま茅場町。いろいろと油の売り買いをして、夕方再びビールを飲む。気がつくと別室でゴロリ。なんだか得をした、充実した一日。
2015年
10月
07日
水
10時半に事務所を出て都立大学前へ。八雲茶寮で食事。15時に事務所に戻り。17時半に用賀。仕事を終え、チラシ寿司をいただき入谷に戻り22時半。今日も、用賀ビジネススクエアの優文堂書店が9月20日をもって閉店となっていたを知る。ここのところ、よく訪れるオフィスビル内の小ぶりな書店が立て続けに閉店となっている。日本の書店文化を嘆くのではない。チョイと本屋で時間をつぶすことができなくなって、実に不便。で、日本の文化水準が少し心配。
2015年
10月
07日
水
昼は赤坂見附でランチミーティング。その後、歯の治療。16時に事務所に戻り、17時過ぎに北千住の銀座アスター。いつ入谷に戻ったのか、気がつくと畳の上にゴロリ。治療の際の麻酔のせいか、午後はぼぉ~。もっとも麻酔とは関係なく、いつもぼぉ~、としているが。
2015年
10月
06日
火
宇宙が有限であるとすると、その有限の壁の外側に何があるか。たまにはそんなことを考えようと夜を過ごす。単に、テレサ・テンを聴きながら雑読をしていただけだが、いいもんであります。
2015年
10月
05日
月
北千住で会議。千住銀座アスターでビール付きランチ。北千住マルイの紀伊国屋書店で書籍を購入。ついでに東急ハンズに立ち寄り、来年の手帳を眺める。昔は、手帳の数は少なくシンプルだった。私は元来、何事も風呂敷のような機能が好み。なんでも包める、どのようにでも書ける、融通無碍、無原則、決め事の少ない手帳を購入。いつも、最後まで使わないのだが。
2015年
10月
04日
日
出世払い、という言葉。私の年齢になるともう効力がない。というか、今の時代では死語。ツケで飲めるような店も存在せず、出世が前提となる社会でもない。この言葉の消滅は、ナウいにアベック、ハイカラ、とっくり(タートルネックのことです)などの死語とは社会的意味合いがチョイと異なります。
2015年
10月
04日
日
昼、事務所大家東京菓子協会主催の菓祖神祭納会に出席。事務所ビル屋上には和歌山県海南市橘本神社(きつもとじんじゃ)の分社された東京菓子会館神社が設置されている。恒例の菓祖神祭。恒例のビール、ワイン、日本酒付き昼食会。13時にはメロメロ。でも、今日はまだまだこれから。
2015年
10月
02日
金
社会人になって、年に12回ある一日(ついたち)のうち、最も感慨あるのが正月元旦。その次が10月1日。今日からその10月である。今年も残すところ3か月。夕方、御徒町に出てつむぎで食事。久しぶりに日本酒を熱燗でグビグビ。酩酊状態で事務所に戻り22時。酉の市のポスターをみて。今日から10月であることをみしみじみと実感。