水
01
4月
2015
夕方には仕事が片付く。17時に上野公園。知人と花見。そのまま、三井ガーデンホテル上野のボスコ イル キャンティで食事。ここは、事務所のクライアントが食材を納入しているレストラン。ソフトシェルクラブが実にうまい。帰路、明正堂書店に立ち寄り、発売されたばかりの吉本隆明全集第8巻を購入。いい歳をして、いまさら吉本でもないだろう、と思うのであるが、いい歳になって理解できるところが多々ある。時事的表現に本質があるのではなく、彼の本質は文学批評にあることが、最近よく理解できる。
火
31
3月
2015
伝助Ⅳ号とともに5時に入谷に到着。月末である。7時半から仕事を開始。10時、11時半と来客。14時に小伝馬町に赴き打合せ。15時半に事務所に戻り、携帯電話を握りしめること暫し。18時にはガス欠。今日はやたら体(胃腸)調がいい。たまには、散歩がてら千束通り書店街にでも。
月
30
3月
2015
久しぶりに上野公園。桜が見事。やはり桜は上野に限る。しかし、外人の見物人が多い。千葉への帰路、小雨が降り始める。雨に気をもむのも桜の特徴。夜は、いつの間にかベットで寝ていた。阪神3連勝で、気が休まったのかな。
土
28
3月
2015
9時半に事務所を出て、東銀座から築地。事務所に戻り14時半。15時に来客。16時には、飲みすぎで電地切れ。今週も、我が胃袋はよく働いてくれました。ということで、今宵はおとなしく一人宴会。
葡萄の美酒、夜光の杯
飲まんと欲すれば、琵琶馬上に催す
酔うて沙場に臥すとも、君笑うことなかれ
古来征戦幾人か回(かえ)る
涼州詞(唐.王翰)
金
27
3月
2015
午前は戸越。昼から御徒町。15時半過ぎに事務所に戻り、既に来客。少々遅刻。17時まで打ち合わせ。そのまま四川厨房。はてさて、一体いつ布団に寝たものやら。おそらく泥酔を通り越してたどり着いたに違いない。歩いて3分。短いから覚えていないのか、短いにもかかわらず覚えていないのか。
木
26
3月
2015
ということで、昨日はほぼ徹夜。締切を過ぎた原稿のためである。締切を守らないこと、守らなかった締切に負い目を感じること、私はまじめなんだか不真面目なんだか。午後、伝助を定期検診に出し、事務所に戻り来客。そして訪れたのが人形町一丁目。寛政12年6月(1800年)に銀座が構えられた場所。何故、銀座が、兜町の奥座敷になったのか。料理屋がひしめいている。街の変遷は興味深い。ほころんださくらを、ほろ酔い気分で観ながら入谷に戻る。
水
25
3月
2015
減量のためラーメンを控えるようになって久しい。大手町、霞が関に働いていたころは、支那そば屋 こうやのラーメンが最も美味いと思い、足しげく通っていた。入谷に来てからは、元祖恵比寿ラーメンが最も美味くそれこそよく食べていた。歩いて10分とかからない。その元祖恵比寿ラーメンは、平成21年11月に突如閉店した。夜、締め切り過ぎの原稿を書いていて、その味が急に懐かしくなった。屋台系の伝説の味であり、店主の柴田さんは、一時期のラーメン界のスターでもあった。おもねりもなく傲慢さもなく、競馬の予想をするための赤ペンを小耳に挟んでラーメンを作っていた。あの味は、どこにもない。夜中に原稿なんて書いていると、こんなことを考え始める。
火
24
3月
2015
8時半に事務所を出て三軒茶屋。13時に事務所に戻ると既に来客。そのまま会議。16時半に終え4人で明日香。現地で一人合流。5人での会食。健康の話から日本の政治家の話。われわれ5人の平均年齢は70歳。生の政治家として知っているのは、ほとんど現役を引退している。一致した認識は、いまの政治家はビジュアル的に整っている、とのこと。確かに、いかにも、と思わせるような迫力のある顔つきがいなくなった。いま酒を酌み交わせている5人のような顔つきが。
月
23
3月
2015
呑舟の魚は枝流に游がず、という。確かに舟を呑み込むような巨魚である。細い川には入り込めまい。不自由なことだ。私のような雑魚は、大河であろうと枝流であろうと、どこにでも出没することができる。雑魚は雑魚なりに居場所がある。
日
22
3月
2015
ソーセージを食べながらビールを飲むと、ドイツ人を思い起こす。夜の10時以降には風呂に入ってはいけないとか、日曜日に洗車をしてはいけないとか、こまごまとした法律を作るのが好きで守るのも好き。世界で一番薄い本は、『ドイツジョーク集2000年』と茶化される融通の利かない国民性である。が、14歳からビールを飲んでいいのもドイツである。年金生活に入ると、朝からビールとソーセージを楽しむのもドイツ人である。いつも思う、ドイツ人だって酔えば冗談を言うんだろうに、と。きっと、面白くもないだろうが。
土
21
3月
2015
9時半以来客。11時に人形町の先輩事務所。昼を食べ、13時半に事務所。17時に上野。17時半から精養軒3153で、事務所の確定申告の打ち上げ会。スッタフの皆様、ご苦労様でした。飲み放題で2時間。いつもの通り、食い意地というか飲み意地というのか、この放題という制度に過剰に反応する私は、19時半には、酩酊を通り越して泥酔。気がつくと20時半に入谷。はて、どこをどうして帰ったのか。またまた気がつくと、24時に布団のなか。一日の過ごし方が上手いのか下手なのか。ともかくも、充実した一日。
金
20
3月
2015
9時に入谷を離れて23時に戻る。終日、事務所を離れていた。入谷に戻り、なんとなく故郷に帰ってきた気がする。チーズを齧り、ホッピーを飲み、早々に横になる。
水
18
3月
2015
午前中は、少々二日酔い。昨日の大山でのメガジョッキの酎ハイ2杯が効いている。今日を考えて2杯で止めたのだか、その後の冷酒が余分だった。午後は日本橋。税務署を訪れ、引き続き顧客と打ち合わせ。16時過ぎに事務所に戻り。18時には四川厨房。そして、黒田涼の『江戸の大名屋敷を歩く』。そのうちこの本を携えて、東京を散歩してみたい。
火
17
3月
2015
8時半に事務室に入り、私の申告書の作成。午後、伝助で足立は南花畑。事務所に戻り14時。16時には業務終了。18時にはスカイツリー。確定申告の労をねぎらい31階のTop ob treeでマッカラン18年のがぶ飲み。入谷に戻り21時。ふぅぅ~。
日
15
3月
2015
3時から起きて、huluでアメリカ、イギリスのドラマ。ザ・ブックにマスケティアーズ・三銃士。午前は、伝助Ⅳ号の洗車。午後は、ネット配信の高校生向けの日本史の講座。やっと奈良時代。夕方、久しぶりにアントン・ドボルザークを聴きながら江戸時代の話を読む。奈良時代も江戸時代も、想像以上に緻密な社会制度が機能していた。庶民が幸せだったかどうかは別だけれど。
土
14
3月
2015
上野発の夜行列車 降りたときから ♪♪~。 とうとう、上野が発車駅でも終着駅でもない時が来た。そもそも、どこが始まりで、どこが終わりなのか分からない鉄道網ができてしまう。酔っ払って、寝込んでしまったら大変な時代になった。私は、総武線だから寝込んでも千葉か三鷹で済むが。
土
14
3月
2015
8時半に事務所を出て、木場、西荻窪、そして石神井公園。途中、道に迷い歩くこと40分。事務所に戻り18時。19時半に来客。仕事を終え20時半。スタッフと四川厨房。別室に戻り22時。気がつくと布団のなか。夜中にごそごそと起きだし、知人に紹介を受けた黒田涼の本を、アマゾンで購入。再び、布団のなか。
木
12
3月
2015
9時に事務所を出て護国寺。仕事を終え、講談社前から都バスに乗り、音羽通りから不忍通りに出て上野松阪屋前までのミニト・リップ。文京区には風情のある地名が残っている。事務所に戻り、13時半に湯島。湯島神社の梅は今が見どころ。しばし鑑賞。顧客と面談し、そのまま15時に東銀座。2時間ばかりの打ち合わせ。事務所に戻り18時。あちらこちら歩いたせいか、足がパンパン。この体重を支えてきたのだから、右足、左足に感謝。よう付き合ってくれている。しかし、使ってもいないのに、昔から著しく機能しない我が頭には、少々腹立たしい。さて、自分の申告書の準備に入るか。
木
12
3月
2015
花粉に悩まされた一日。とにかく眼がかゆい。医者に処方してもらった点眼薬を垂らしても効かない。悩まされながらも四川厨房で食事。夜半になっても目のかゆみは止まらない。花粉症の原因は、建築資材確保のためのスギ・ヒノキの大量植樹らしいのだが、これって公害じゃないのか。
水
11
3月
2015
午後来客。そのままたむらに17時。20時に、ほろ酔いで事務所。スタッフは仕事中。酒好き、遊び好きの親分を持って、本当に申し訳ない。と、思いつつも再び飲みに出かける。
獨酌無相親 独り酌んで相親しむもの無し 李白
月
09
3月
2015
昼、ニューオータニ・ガーデンコート。トムCATでランチ・ミーティング。そのまま歯の治療。16時に東銀座。打ち合わせを終え、17時半に事務所。外は雨。こういう日が困る。飲みに行こうと思っても億劫ウ。仕方ないので、冷蔵庫からソーセージとチーズを取り出す。お供は、『偉人は死ぬのも楽じゃない』。これが実に面白い。思わず読みふける。
日
08
3月
2015
8時時に事務室。しばし仕事。昼は、スタッフとともに久しぶりにきみはん。減量のためラーメン絶ちをして以来、あえて遠ざかっていたが、やはり実に美味なり。最後の一滴までスープを飲む。午後は、ラジオを聴きながら、大好きなボォォ~。夜は、自宅書斎でボォォ~。私は元来無精なんだと、本当に思う。
土
07
3月
2015
午前は三田の慶応大学前。午後は、事務所で事務作業。夜は、銀座ブロッサムで顧問先の懇親パーティー。久しぶりに、カタコトともいえない英語を使う。入谷に戻り21時。こうもバタバタしていると、万葉の世界でも覗いてバランスをとらないと。気がつくと深夜。
金
06
3月
2015
13時に西新宿。15時半に事務所に戻り、17時に虎の門。監査役を務めている会社の役員懇親会。17時半に新橋亭。北京料理のフルコースを、53度の白酒とともに味わう。参加者は、世界を駆け巡った勇者たち。話題は世界の食。実に満足した一時を3時間。今日もこうして一日が終わる。
水
04
3月
2015
15時半に事務所を出て田園都市線用賀駅へ。18時半に再び用賀の駅。上野で降りて、大山に立ち寄り食事。浅草上野をウロウロして45年。いやはやお世話になった。ほろ酔い気分で入谷。事務室の窓にはまだ灯りがついている。申し訳ない、重いながら別室に入る。
火
03
3月
2015
昼に赤坂見附。ニューオータニのKATO'S DINING & BARでランチ・ミーティング。事務所に戻り、夜は田原町の遠州屋でディナー・ミーティング。酩酊状態で入谷に戻り20時。思考力、闘争心ともゼロ。勤労意欲マイナス。いつの間にか畳の上で熟睡。気がっ付けば夜中。布団にもぐり込み再び夢のなか。
火
03
3月
2015
午後、千代田区一番町。半蔵門で降りて、ローマ法王庁大使館手前を左折。久しぶりに訪れる街。番町は一丁目から六丁目まで。千代田区のなかではおそらくもっとも広い。江戸時代の旗本のうち、将軍を直接警護するものを大番組と呼び、大番組の住所があったことから番町と呼ばれた。明治になり、旗本はさっさと江戸の町を離れた。そのあと番町に移り住んだのが、明治政府高官や実業家なる者である。明治時代の地図を見ると維新史に残る人物が多く住んでいる。いまは高級マンション街。15時に入谷に戻る。街のつくりが、全く異なる。
月
02
3月
2015
勝者は歴史をつくり、敗者は文学をつくる。権力者を称える歌はつまらない。敗者、弱者の歌には生きることに対する想いを感じる。万葉集の話であります。それこそ、鶏が餌をつつくような読み方でありますが、万葉集を読み始めました。