日
02
8月
2015
14時に事務所を出て、東京ステーションホテルの見える東京駅北口で待ち合わせ。暑い。身の危険を感じるほどの厚さ。帝国惚れるに移動。打ち合わせを終え、事務所に戻らずそのまま。いつの間にか寝ていた。
金
31
7月
2015
8時に事務所を出て赤坂見附。用を済ませ10時に鮫洲。不動産売買の立ち合い。14時にヨドバシアキバ、爆買いの現場に出会う。千円足らず買い物が申し訳ない。14時半に入谷、シャワーを浴び、16時にに入谷を再び出る。二子玉に出かけ、夜は用賀。仕事が終わり入谷に戻ったのが21時半。もはや、食べに行く気力もなし。3度目のシャワーを浴び、缶ビールを空ける。そして一日の終わり。夏バテしそう。
木
30
7月
2015
出先から事務所に帰ると、汗で全身がびっしょり。シャワーを浴び、フゥゥ~。夕方から、第二次世界大戦のフランスの戦いについて調べる。6000万人以上の人々が命を落とした大戦。もう、よりも、まだ、70年しかたっていない。
水
29
7月
2015
11時に鮫洲。13時に赤坂見附。スーツを着ていたのもだから暑い暑い。16時に事務所に戻り、18時には虎ノ門のハングリー・タイガー。いまだに暑さの克服は食欲。食べに食べて、入谷に20時半。シャワーを浴び、滑り込むように横になる。
火
28
7月
2015
8時半に事務所を出て、12時に戻る。暑い暑い。わたしは、この暑さを前提にして生きていない。と、いうことで16時にシャワーを浴び、最小限の衣服を身にまといエアコンで涼む。一眠りして仕事。再びシャワー。本当に暑い。実は、昨夜から胃がシクシクと痛い。ということで、今日は大人しく寝る。
日
26
7月
2015
5時に入谷を出て千葉へ。6時に穴川シャワーロードで伝助を洗車。6時半、伝助はさっぱりしたものの、こちらは全身汗びっしょり。今日も暑い。急いでシャワー。自室に入り、エアコンと同居。朝は抜き。昼にカレー、夕方、出かけて焼き肉。昨夜はソーセージ。まるで、中高校生のようなメニュー。ただ異なるのは、ビールが付くこと。
日
26
7月
2015
少々二日酔い。仕事にはならない。昼、植むら錦糸町店でビールとひつまぶし。楽天地でシュワルツェネッガー。夜は、スカイツリー・ソラマチの世界のビール博物館でビールにソーセージ、スペアリブ。隅田川花火をチラリとみて、21時に入谷。もうクタクタ。で、肝心のターミネーター:新起動/ジェニシス。世界観としては★★、懐かしさ(シュワちゃん)★★★、サラ・コナー(エミリア・クラーク)が★★★★。そう、今も昔もターミネーターは、サラ・コナーが主役であります。
日
26
7月
2015
10時に東銀座。事務所に戻り。16時に竹橋は毎日パレスサイドビル。17時にニュートウキョウパレスサイド店。17時半にかっぽうぎ。19時過ぎに神田某所。入谷に戻り、天丼を食べて21時半。久しぶりのブレイク。ただ、歳とともに終わりが、10年前より4時間ばかり早い。
木
23
7月
2015
9時過ぎに戸越。事務所に戻るものの、直ちに東銀座へ。15時には用賀。仕事を終え、用賀駅のスタバで一息。上野に17時過ぎ。ヨドバシ上野に立ち寄り、スマホの不具合を見てもらう。昨日よりましとはいえ、今日も蒸し暑い。冷たいビールが飲みたい、ホッピーが飲みたい、唐揚げが食べたい、しめサバを食いたい、カツカレーが食べたい。ということで、近くの同輩を呼び出し、18時に鶯谷の信濃路。二人でガツガツ、グイグイ。夜、『第二次世界大戦(中)』に突入する。
木
23
7月
2015
午後。西新宿へ。都庁を抜けワシントンホテル。外人観光客であふれている。都庁展望台に長蛇の列。高所恐怖症の私は、訪れたことがないのだが、その景観はスカイツリー以上かもしれない。しかし、今日も暑い。16時半に打ち合わせを終え、上野3153ビルのねぎしへ。もはや必要ではないのだが、牛タンで栄養の補給。夜は、昨日に引き続き『第二次世界大戦』を読む。
水
22
7月
2015
12時に赤坂見附。ランチ・ミーティングを終え、事務所に15時に戻る。暑い暑い。5時過ぎにはシャワーを浴びる。18時半に、久しぶりに四川厨房。アントニー・ビーヴァー著『第二次世界大戦1939-45』を読み始める。これが、すこぶる面白い。上・中・下で併せて1500ページ。もっとも下巻は、まだ発売されていないが。
月
20
7月
2015
事情があって、暇、である。手元にあった『偽りの街』を読み始める。これが、読み出すと止まらない。作者はフィリップ・カー。スコットランド人。イギリス製ハードボイルドの典型。舞台は。1936年のベルリン・オリンピック開催前後の首都ベルリン。主人公は私立探偵ベルンハルト・グンター。このグンター、ナチス相手に減らず口、品のないくだらないジョークを連発する。つまり、それこそベタなキャラクターでありながら、極め付きのダンディズムを感じさせるのであります。ストーリーそのものよりも、主人公のキャラが魅力の一冊。暇つぶしどころか充実した時間を過ごしました。しかし、なんで昔から『私立』探偵というか疑問。探偵ってもともと『私立』だろうと思うのだが。ちなみに、日本には『探偵業の業務の適正化に関する法律』があるのをご存知ですか。
日
19
7月
2015
NHK総合テレビ、毎週金曜日22時55分から23時20分に放映しているドキュメント72時間。定点にカメラをかまえ、そこに集まる人々を描いたドキュメンタリーである。オンデマンドで見る。今日の舞台は、『東京・下町 男と女のダンスホール』。なんと、事務所近くの鶯谷駅南口から2分のダンスホール新世界。昨年の5月23日放送の舞台は、『大都会・真夜中の大衆食堂』。鶯谷駅東口から1分の信濃路であった。この両番組を見て分かるように、鶯谷はわけありのアダルトな男と女が集うところである。さしたるわけもない私も、ときどき訪れてはほろ酔いと酩酊の間で、たまには酩酊を超えて事務所に戻る。しかし、夜の8時を超えては彷徨わない。鶯谷は、NHKで描かれている以上のディープな街である。その危うさに耐えれるのは、私の場合は8時までである。
金
17
7月
2015
鹿鳴館時代といっても、明治16年から20年までの4年足らず。なのに時代という。風俗習慣を欧化しようとの時代。当時の政府の焦りというものが、よく伝わってくる。建物は、大倉喜八郎が請け負った。いまの大成建設。新国立競技場の騒動で鹿鳴館を思い出した。焦りとつんのめり、バランスの喪失。
木
16
7月
2015
北東の方角は鬼門である。江戸時代の大名屋敷の鬼門の方向には、神社を祀るか祠をおいた。その名残が、大名屋敷跡に今でも残っている。江戸という町の鬼門には、古来から浅草寺がある。その後、寛永寺が創建され、鬼門封じとされた。いずれも台東区である。台東区は、江戸城(皇居)からみて鬼門の方向にある。したがってかどうか、わが事務所の周りには寺院が多い。夕方、久しぶりに、事務所近くの1648年(慶安元年)創建の法昌寺に立ち寄り参拝した。たこ八郎の墓がある。法華宗。私も法華宗の檀家、この宗門は鬼門にこだわり、鬼門にあって町を守る気概が強い、のかな。
月
13
7月
2015
9時過ぎにタクシーで駒込に。打ち合わせを終え11時過ぎ。山手線で鶯谷駅。ビクトリアでカツカレー。この2日ばかり、夏畔を引いたのかノドか炎症し咳き込むばかり。腹筋が痛い。ビールでノドを冷やせば治るだろうと、ビールも頼む。効果てきめん。事務所に戻り、別室でしばらく横になっていると咳が止まる。猛然と仕事を始める。実は、原稿の締め切りが近い。担当者が、このブログの読者でないことを祈るばかり。きっと、心臓に悪い。夜は、スタッフが買ってきてくれた竹輪の天麩羅、アジフライ、ハムカツ、ポテトサラダ、押し寿司のバッテラなんぞを食べながら、焼酎のホッピー割をグビグビ。ニュースで、審議時間が十分だから採決へ、なんて話を耳にする。国会民主主義とは時間で測定するのかと、疑問が横切る。
月
13
7月
2015
3日連続の快晴。実に爽やか。ただし、連日の宴会でややお疲れ。終日、大人しく部屋で休む。心的な現象は、連続した経験の蓄積なのか、幻想により形成されるものなのか、なんて小難しい本を読んでいると、昼寝がすすむすすむ。
日
12
7月
2015
今日もからりと晴れた一日。18時に三井ガーデンホテル上野のボスコ・イルキャンティ。事務所の暑気払い。いつもながら、飲み放題というフレーズに弱い。白赤のワインをビールのごときに飲み、20時半に終える。入谷に戻り21時。気が付くと布団のなか。
日
12
7月
2015
5時に神楽坂の吉。ほぼ同世代6人が集まり、年二回の会合。馬鹿話しかしない。しし唐の親分のような唐辛子を相手に、焼酎のロックをぐびぐび。フラフラになりながら20時半に神楽坂を後にし、秋葉原に立ち寄り、22時半に入谷。スライディングのごとき倒れ方で、一日を終える。
金
10
7月
2015
8時半に事務所を出て神田の某金融機関へ。新橋に移動し、またまた某金融機関へ。打ち合わせを終え、新橋ルノアールで一服。ばったりと知人に出会う。世間は狭い。13時に鮫洲。15時に赤坂見附。16時半に事務所に戻る。夜は、北千住の鳥茂で焼き鳥。入谷に戻り22時。ふぅぅ~、シンド。
木
09
7月
2015
ポンティオ・ピラト。イエスに鞭打ちと十字架の刑を宣した、エルサレムのローマ総督である。その生涯は不明だが、ある意味では、ローマ帝国の属州総督のなかでは最も著名な総督である。私は、もし歴史にイフが許されるのならば、ピラトがイエスに無罪の判決を宣していたら、その後世界はどうなっていたのだろうか、と思う。イエスの死は、神の意志であって、ピラトの意志ではないと考えるのであろうが、その後の歴史は総督ピラトの判断にかかっていた。もっともピラトは、自分が歴史を変える重大な瞬間の当事者とは、思いもよらなかっただろうが。
火
07
7月
2015
終日、雨。事務所からでないものの、ホンマ鬱陶しい。19時半に四川厨房に出かけ、酩酊状態で22時に戻る。畳にゴロリ。怠惰というか、雑というか、いい加減というか、この生活態度は、我が欠点なのか長所なのか。
日
05
7月
2015
夏王朝、殷王朝、周王朝と続き、春秋時代、戦国時代を経て、秦により再び再び統一王朝が成立した。ここまでの中国の歴史は2000年である。その後、漢、三国時代へと続く。日本は、倭国としてこの頃から歴史に登場する。殷王朝時代の甲骨文字から、中国で文字は急速に進化した。人間は、言葉を持って人間となり、観念能力大幅に獲得される。が、言葉から文字が生み出されたのはここ5000年ほどである。文字を得たことにより、人間の観念能力は大幅に向上した。その観念能力は文化を生む。中国も夏王朝以前に文化をもち、日本も文字のない縄文・弥生の時代に言葉を持ち文化を持っていた。文字により、文化の高度化と蓄積は大幅に向上する。古事記・万葉集のこの方の、日本の文字世界の豊かさは目を見張る。最近、万葉集をぽつぽつと読み始めて、言葉と文字のすごさに改めて人間の知の無限性を感じる。
土
04
7月
2015
昨日は少々飲みすぎ。空っぽの頭であるのだが、何故か今日は重い。その重い頭で一日を過ごす。夜は自宅書斎。なんで三島は太宰が嫌いだったのか、なんてことを調べる。太宰は16歳頃から小説を書き始め38歳で自ら命を絶ち、三島は13歳で初めての小説を書き45歳で自ら命を絶った。両者の作品群を眺めていると、よくもこんなに書けたもんだと思う量である。当然、質を伴っての。
金
03
7月
2015
昼前、ヨドバシアキバ。ノート・パソコンを購入。昼過ぎに事務所に戻り、初期設定、過去データの移管、メールアドレスの設定、クラウド・データへのアクセス等々、以前に比べれば格段に便利になったとはいえ、暗くなっても終わらない。アルコールは進む、目はかすむ、意識は朦朧。そのうち何をやっているのかわからなくなり、睡眠不足も相まって夢の中。
水
01
7月
2015
夕方、世田谷は用賀に出かけ、入谷に戻ったのが23時近く。空腹。雨。冷蔵庫には干乾びたチーズぐらいしかない。パンがある。しようがない、パン、チーズを齧りながらアルコール。聖書をめくりながら、ヨハネの黙示録のことを思い浮かべる。最後の審判のことである。天使とともに舞い降りたイエス・キリストは、地上の悪の連合軍との戦い(ハルマゲドンの戦い)に勝ち、最後の審判に臨む。われわれ人間は、その審判で有罪となろうものなら、永遠の炎であぶり焼かれる。死ぬことはできない、それこそ永遠にあぶり焼かれる。たまったものではない。これを本気で信じたら、オチオチ飲んでなんかいられない(私は、今まさに飲んでいるが。)。この最後の審判を、頭から尻尾まで信じていた時代が中世のヨーロッパという。ローマ・カソリックは、一気に権威を高めるとともに、ルター、カルヴィンの宗教改革の萌芽となった。こういう話を、酔っぱらいながらブログに書ける私は、時代とジャパンに感謝。