2016年
10月
30日
日
昨日に引き続きこの世の話ではなくあの世の話。天国と地獄、天使と悪魔。一体、存在するのでありましょうや。いやはや、秋の夜長であります。天国に行けるものなら天国があってほしい。おそらく無資格者の私としては、そんなものを信じないのでありますが、万物の創造者たる神が存在するとすれば、そりゃぁ~天国や地獄を創るんでしょう。神のは地獄でありますから。地獄対する考え方は、西洋と東洋で全く異なる。神が創った地獄とそもそもの世界(死後)に存在する地獄。せっかくなら地獄は神の地獄の方がいい。酔いが回ると、ときどき何を言ってるのか分からなくなる。
2016年
10月
30日
日
神が存在するかどうかではなく、神を信じるかどうかでもなく、神が必要かどうかである。突然ではありますが、神の存在を否定しつつも、その時その時の必要から神と取引をしてきた私としては、言うことを聞いてくれるのならば神の存在を信じてもいいと思っておったのでありますが、最近、個人的な利害と関係なく、存在するのではないかと思うのであります。本当に突然ではありますが。
2016年
10月
29日
土
午前、銀座。午後、築地。寒い。私が寒いのだから、そうとう寒い。しかも雨。不貞腐れて早々に仕事を止め四川厨房。温かい鍋が食べたい。ということで一人火炎鍋。火炎鍋という忙しない料理は、一人で格闘するのもこれまた美味い。別室に戻りバタリ。今週もよく飲んだ。
2016年
10月
28日
金
オータム(autumn)、アメリカではフォール(fall)が日常的に使われる。ファールには、落ちる、という意味もある。まさに陽の落ちるのがはやい。したがって当方が、ガス欠になり電池切れになるもの、これまた早い。今日も今日とて、日本シリーズを観ながらガソリンを補充する。しかし、まれにみるシリーズであります。
2016年
10月
27日
木
18時にはシャワーを浴び、チーズにクラッカーにハムを準備。そう、日本シリーズ。ひょっとしたら大谷って、江夏と田淵(失礼!阪神ファンなんで。)を一緒にしたような選手じゃないかな。キャラは全く異なる。ただ、今ここで戦っているのが阪神なら……、といささか寂しさも感じる。
2016年
10月
26日
水
午前は人形町。15時に北千住。仕事を終え、17時から南口の寿一郎で食事。20時半に入谷に戻る。もちろん酩酊状態。頑丈な胃袋を与えてくれた、今は亡き父母に感謝していいものやや、恨んでいいものやら。
2016年
10月
25日
火
8時半に事務所を出て10時に三軒茶屋。14時に本八幡。16時に事務所に戻り、19時に御徒町。真路で今シーズンの初鍋。事務所に戻り10時半。昨日に忌避続き『プラハの墓地』を読む。エーコの博識に圧倒される。
2016年
10月
23日
日
今日の夜はコンビニ弁当。昼過ぎから、ウンベルト・エーコの『プラハの墓地』を読み始めた。外で食事なんかしていられない。『プラハの墓地』を読みながら、チーズやおにぎりでビールとワインをガブガブ。かの福澤諭吉先生も、日本酒を飲みながら勉学に励んだという。もとより頭脳の質と量がまったく異なるのだから、諭吉先生を引き合いに出しても、何の説明にもならないが。
2016年
10月
23日
日
終日、時代劇のDVDを観る。必殺シリーズ初期の映画。山村聡、田宮二郎、緒方拳、林与一などが出演。なんでありましょうや、この男の色気。昔はよかった、なんてことをいうつもりはありませんが、時代劇俳優の量と質、これは昔の方が優れています。
2016年
10月
23日
日
9時半来客。11時品川。15時半恵比寿。18時半入谷のオオイリヤ。そのまま根岸の名もなき中華料理店。好物のチキンライス。かの勝新太郎はオムライスが大好物だったが、勝新が人前でオムライスを食べてはまずかろう、って、個室で食べていたそうだ。私がなにを食べようと、だれも気にかけないだろうが、でもあまり人前ではチキンライスを食べない。もっとも、チキンライスを出す店も少ない。チキンライスを食べたくなるとこの店に来る。
2016年
10月
21日
金
10時に来客、14時過ぎに御徒町へ。16時半に事務所に戻る。腰をかばいながらの一日。夜は早めに横になる。腰痛の原因は、働きすぎでも、気の使い過ぎでもなく、単に暴飲暴食の結果としての。自業自得とはこのこと。しかし、眠くもないのに横になってるって、けっこう退屈である。
2016年
10月
20日
木
夜中、寝返りをしたとたん、ギクッ。想定のとおり腰痛勃発。昼まで横になる。午後、ヨタヨタと桜新町へ。18時半に入谷に戻り、そのまま言問通りの日本海。ここがまた隠れ家のようで心地いい。寿司屋でとんかつを頼みビールにハイボール。よろよろと別室に戻り、虎の門事件に関する本を読観ながら寝る。
2016年
10月
18日
火
8時半に事務所を出て都庁前。昼前に事務所に戻る。雨。苦手。午後は事務所で過ごし、夜は上野で会食。22時に戻る。電子ブックで文藝春秋。この電子ブック、確かに便利で、速読には向いているが、頭に染みてこないところがある。ということで、分厚い吉本全集をパラパラと読む。
2016年
10月
17日
月
深夜に起きだしてゴソゴソ。昼前にブラリと散歩。昼は、散歩先でから揚げ、サンドイッチにビール。自宅に帰り昼寝。夕方起きだしてゴソゴソ。夜、ワインを飲んでゴロリ。ゴソゴソ、ブラリにゴロリ。こういうのをゴキブリ生活というのだろうか。
2016年
10月
16日
日
午前、上野から北千住。書店めぐり。求めていた本を購入し、北千住駅構内のスタバで一息。今週はチョイとアルコールが過ぎた。ということで、夜はおとなしくビールと一升瓶ワイン。別におとなしくもなかったが、なんとか今秋を終える。
2016年
10月
15日
土
酩酊と泥酔の狭間に陥った夜の翌朝。当然、少々二日酔い。何とか朝を過ごして、午後、赤坂へ。16時に事務所に戻る。早くも電池切れ。本日は、ここから雲隠れ。
2016年
10月
14日
金
午前は千葉。昼は、千葉駅近くでブラッと入った地元の中華料理店。半チャーハンに半ラーメンのセット。これが実に懐かしい味。美味い不味いの前に、懐かしいで合格点。こういうとき、小さなシアワセ、充実を感じる。昼過ぎに事務所に戻り、夕方に上野。伊豆栄本店で会食。50年来の友人と旧交をあたためる。あたためること4時間。事務所に戻り23時。酩酊と泥酔の間。お互い、いい歳をしてよく飲む。
2016年
10月
13日
木
10時に赤坂。昼に事務所に戻る。夕方、麹町に。満平ひら川で会食。入谷に戻ったのが22時半。二次会もなくこの時間。どこかに空白に時間あるに違いない。秋の夜、徘徊、ではなく俳諧の風雅に浸ったのかも。
2016年
10月
12日
水
終日事務所。実はこれが苦手。昔から、一所にじっとしていることができない。クリーニング店に出かける用事を思い出し、気晴らし散歩。夜は、サッカー。オーストラリア戦。途中、詰まんないので寝る。何だろうか、最近のジャパン・サッカーの物足りなさは。夜中に起きて本を読む。
2016年
10月
11日
火
暗い話ではありますが、人は思った通りには死ぬことができません。身近に多難な老後問題をみておりますとつくづく実感します。思った通りに死を迎えるということは、思った通り生き抜くことであります。これが実に難しい。普通に生きることが困難なのであります。ひょっとしたら、欲深く生き抜こうとするからでありましょうか。
2016年
10月
10日
月
司馬遼太郎は、1905年(明治38年)から1945年(昭和20年)までの40年間を異胎の時代と書いた。日露戦争の勝利から太平洋戦争敗戦までの40年である。この間の日本は、それまでの日本とも、その後の日本とも異なった国であるというのである。その論の詳細については彼の書を読んでいただくとして、この間の歴史を近代史の一部とすれば、膜末維新から明治の中期までのその歴史はわかりやすい。国家が何をしたかったのか、何をしなければならなかったのか。結果からみて、いろいろとイチャモンをつけることができても、おそらく選択肢はそれしかなかったんだろう、と折り合いをつけることができる。が、この異胎の40年間、日本は何を求めたのだろうか、誰がそれを求めたのだろうか。この近代史を明晰に切り開いた論を読みたい。私には、この40年間は無政府状態であったとしか思えない。
2016年
10月
09日
日
深夜起床。いきなりの秋。そういえば今日から寒露である。朝晩、冷えを感じる季節となっていく。柳葉魚(ししゃも)、鯖、ハタハタ、秋鮭などよだれが出そうな食材もこれからである。特にハタハタ。我が郷土新潟県ではシマアジともいう。これで造った魚醤(しょっつる)は、日本野菜の最高のドレッシングでもある。話が逸れてきた。いや、もともと筋の通った話なんかしていないのだから逸れようもないが、ともかく四季のなかでは秋(autumn,fall)。その中でも今の時期が最も清々しい。ゆっくりとした夜明けがたまらなく美しい。清少納言は、秋は夕暮れ、と詠んだが、関東では、秋はあけぼの、である。
2016年
10月
08日
土
10時来客。12時から、事務所ビル5階の講堂で、大家主催の菓子祭直会。菓子会館屋上には、和歌山県海南市橘本神社(きつもとじんじゃ)の分社が祭ってある。その例祭。上野精養軒のデリバリー料理で乾杯。もちろん真面目かつ積極的に飲む。こういうところで手を抜かいないのが売りである。で、13時にはほろ酔い。15時には、本日の業務は終了。業務というより、その本日は終了。
2016年
10月
07日
金
ニューオータニ・ガーデンコートでランチ・ミーティング。事務所に戻り14時半。気がつくと17時半。今日はサッカー。で、地元スーパーいなげやのこだわりポテトサラダ(ハム入り)を食べながらサッカーを観ていてひらめいた。煮込み評論家としてはいまいちパッとしなかった小生だが、ポテトサラダ評論家へと転身しよう、と。いなげやの、手を抜いたとも思われかねないポテトのつぶし加減。これがよかった。味は自分で調整できるが、いまさらポテトに手を加えられない。ポテトサラダの基本は、ポテトの食感、つまり大きさではないか。ポテトサラダに目覚めた日であった。ともかく、ジャパンが勝ってよかった。
2016年
10月
06日
木
昼にヨドバシアキバ出かけ、有隣堂を覗く。目的の本がなく、ついで買いで数冊。年末のミステリー大賞に向けて力作が並ぶ。夕方から研修会。夜は、久しぶりに四川厨房。紹興酒で五目かたきそばにニラレバ炒めときゅうりとトマト。一時期、ここで麻婆中毒に陥ったのだが、最近味が変わり中毒症状は治まった。代わりに五目かたやき中毒が発症。
2016年
10月
04日
火
ティッピング・ポイント。ある時点から急速に拡大する、発展することがある。その転換点をティッピング・ポイントという。飲めなかったアルコールが、あるときから人並み以上に飲めるようになる、あるときから急速にゴルフが上達する。私にはこの2点ともチッピング・ポイントとは関係なかったが、コツコツと古代の歌(万葉集)を読んでいると、フッと理解できる世界が浮き上がってくる。そうか、そういうことか。まだまだ万葉ワールドのなかの小さな扉が開いただけなのだが、なんとなく転換点が訪れたのかと思うことがある。夜、チェルシーマーケットで好物のフィッシュ&チップスを相手にハイボールを飲み、ほろ酔いで万葉を読んで感じた。
2016年
10月
02日
日
久しぶりの快晴。久しぶりついでに昭和残侠伝 吼えろ唐獅子を観る。1971年制作。45年前。当時20歳の私は、映画館で感動し興奮した。高倉健、鶴田浩二、池部良に松方弘樹の出演。すでに3人が鬼籍に入っている。感動のあまりシリーズ第一作の昭和残侠伝も観る。1965年制作。いまから51年前。これは、後年VHSで観た。いつ観ても、花田秀二郎(高倉健)と風間重吉(池部良)に共感。斯く在りたい、斯く在らねばの思いは昔も今も同じ。で、今日気が付いた。第一作では高倉健は花田秀二郎ではなく寺島清次である。清次といえば悪名の田宮二郎が先行していた。だからなのか。秀次といえば、どうしても朝吉が思い浮かぶ。