2016年
10月
01日
土
9月も今日で終了。今年も残り3か月。急速に深まる秋の気配。早く涼しくなれと願っていたのに、その準備が追いつかない。衣だけでなく、気持ちも秋への用意ができていない。
2016年
9月
29日
木
9時半に三軒茶屋。仕事を終え13時半に事務所。着替えて品川に15時。会議を終え17時。おそらくイーストワンタワーの麟だと思う。酒宴のもてなしを受け、酩酊状態で入谷。気がつくと21時。しかしこの暑さ、いつまで続くんだろうか。
2016年
9月
28日
水
10時に来客。11時半に東銀座の顧問先で会議。食事をして14時半に事務所に戻り、15時過ぎに再び外出。入谷に戻り22時。少々くたくた。畳にごろりとなれば、テレビでアメリカ大統領選候補者のディベート。これが内容よりも印象が争われるという戦いか、とついつい利きこむ。かの国のことだからどうでもいいといえばどうでもいいのだが、16年前のブッシュvsゴアの時の方が面白かったような気がする。
2016年
9月
27日
火
10時に来客。13時に新高円寺。夕方、上野のこんごう庵で食事。蕎麦を食べたかったのだが、食べずに飲むのみ。入谷に戻り22時。日中は蒸し暑かったが、陽が落ちて涼しさが出てきた。苦手な夏がそろそろ終わる。有り難い。
2016年
9月
25日
日
天才レオナルド・ダ・ヴィンチ。彼が活躍した時代をさかのぼること1700年ほど、アルキメデスというこれまた天才がいた。そう、アルキメデスの定理で有名な。そしてその後の受験生を悩ませることとなったあのアルキメデスである。ダ・ヴィンチの最後は比較的恵まれていたというが、アルキメデスは、侵攻してきたローマ兵に殺害されたという。研究の邪魔をしたローマ兵を一喝して、その怒りをかったためである。おそらく、日本語に翻訳すると『あほんだら!!このノータリンが!!』とでも言ったのであろう。享年75歳。しかし75歳のその時まで、地面に図を描いて研究に没頭するなんて生涯を送るとはうらやましい。さて小生、これから10年後どんな絵を公園の地面に描いているのだろうか。
2016年
9月
25日
日
会津人にとって、会津は福島ではない。会津は会津であって福島ではない。新潟に産れ、大阪で小中高と育ち、その後、千葉に住み、東京に通い続けていいる小生にとって、このアイデンティティがなんともうらやましい。
2016年
9月
22日
木
イールドカーブ・コントロールとオーバーシュート型コミットメント。昨日の日銀発表パーパーで語られている政策である。当然、読んでも分からない。眼を通しただけ。分かりやすく書いてくれ、と突っ込むと、十分に分かり易いです、と答えてきそうなペーパーである。こういう政策は我々下々のものが理解できるように説明すると、もはや政策として成り立たないということであろうか。
2016年
9月
21日
水
朝8時半に入谷を出て勝どきへ。夕方、西新宿へ。仕事を終え、夜は新宿で雨宿り。文具店や書店では、来年の手帳が多数陳列。年末に向けて時が加速する。入谷に戻り20時半。今日は終日雨。秋霖(しゅうりん)というには激しい。
2016年
9月
20日
火
9時に入谷を出て18時に戻る。雨。食事に出かける気にもならない。チーズ、缶詰で一人宴会。初秋、祝日、チーズ・缶詰、一人宴会。孤独を楽しむと現せばいいのか、孤独の侘しさと現せばいいのか。
2016年
9月
18日
日
それぞれのお国事情を調べていると、イタリア、スペインのスローライフぶりが実に羨ましい。これは、食料の自給率が高いからだということに気がつく。スペイン語でアスタマニャーナといえば、また明日、という挨拶。進んで、明日にしよう、ということになる。明日できることは今日はしない、という法則ができあがる。また、ケセラセラ(なんとかなるさ)の法則も有名である。面倒なことは延期しても飢えることはない。ここがわが日本と異なる。明日の心配をしている人は、とにかく忙しない。もっともドイツの自給率も相当高いのだから、単に自給率が高いことがスローライフの理由ではないのだろが。
2016年
9月
18日
日
午前は東京トヨペット。伝助Ⅴ号の定期点検。午後は築地聖路加病院。これは私の定期検診。相変わらず血の巡りが悪い。もっとも、ある種の私の血の巡りの悪さが治るものではないが。夕方、仕事の課題をすべてリリース。別に終わったわけでない。単に、飲みたいだけ。
2016年
9月
16日
金
午前、西新宿。13時に事務所に戻り、15時、16時と続けて来客。16時半には魚幸で食事。さて、事務所にいつも戻ったのか。気がつくと寝ている。最近、人の名前が出てこない、勢いよく動いたもののその理由を忘れる、気がつくと横になっている。さて、なぜだろうか。生きていくうえで、別に支障がないから、理由なんてどうでもいいけど。
2016年
9月
15日
木
午後、厚木へ。生き帰りの車中、ポケモンを多数ゲット。小田急沿線のポケモンは、頻繁に車中に飛び込んでくる。最近、周囲の目を気にせず捕獲動作をするようになった。十分に、怪しい、いや、可笑しいオッサンである。仕事を終え、18時に北千住。青葉で会食。20時半に入谷。ここ二日間、スーツに袖を通し、いささかお疲れ。やはり暑い。
2016年
9月
14日
水
午後、赤坂へ。仕事を終えサカスから赤坂見附に歩く。上野、新宿と異なる街の気配。入谷に戻り、急いで上野に。北海道で食事。〆のチャーハンで大満足。相変わらず欲望の小さい男である。入谷に戻り22時。今日はここまで。
2016年
9月
13日
火
午後、西新宿。仕事を終え17時半。ぶらぶらと新宿へ。都会の密度と蒸し暑さでクラクラ。入谷に戻り20時半。ごろりと横になる。夜中に起きだして本を読みだす。なぜか丸山真男。たまにはこういう本も読まなくては。
2016年
9月
11日
日
涼しい。終日、自宅書斎。ウトウトとうたた寝の一日。加藤紘一氏の逝去を知り、16年前の加藤の乱を思い出す。今となっては、何がどうなっての乱なのか忘れたが、この16年の歳月で日本の在り様が様変わりした。これまた、何がどう変わったのか分からないがとにかく変わった。私が変わったのかもしれないが。
2016年
9月
11日
日
終日、東京を離れる。今日は、ポケモンも何もかもオフ。夜、広島の優勝を知る。25年振りという。広島の優勝を阪神ファンとして、こころから祝福。阪神・広島間は選手間交流は、田淵幸一・山本浩二の昔からプライベートを含めて濃厚なのであります。阪神は広島からの選手トレードでは多大な恩恵を被っております。阪神の前回優勝は2005年。去年がヤクルト。来年は阪神の番。申し訳ないが、横浜は再来年。歳とともに50年前の付き合いが復活する。そう、あのころは野球が熱かった。柔道や水泳、バレーに陸上をやっている連中も、ともに遊ぶのは野球。左目と運動神経にやや問題のある私は、豪快なスイングで三振やピッチャー・ゴロを重ねておりました。
2016年
9月
11日
日
9時過ぎに事務所を出て市川に。13時に事務所に戻り、14時半に川崎。16時半に大井町。三代目むら上でうなぎ会食。これが実に美味。店を出て、その向かいに青竹平打ち中華そば麺壱吉兆を発見。行列をみる。一度食べに来なければ。大井町の下町食文化は密度が濃い。その後、きゃりあん品川でしばし時を過ごし、21時半に入谷。今週は疲れました。
2016年
9月
09日
金
神ってる、と言われる広島。悔しいけれど、今年の広島には脱帽。おそらく戦力的にはそんなに阪神と変わらない。しかし、広島はトップ独奏。片や最下位争い。何が違うんでありましょうな。私はいつも思う、能力差がさほどないときに差がつくのは覚悟と執念の差であると。そう、私は体育会系の人間なのであります。
2016年
9月
08日
木
ここ二日間ほどの睡眠不足。眠い眠い。夕方、電池が切れて、そうそうに仕事を終える。今年の夏は、ことのほか暑さが堪える。二日間ほど、本を片手に横になるか。
2016年
9月
07日
水
午後、来客。2時間の会議。夕方、上野に出かけ、こんごう庵で越後料理。初サンマを食す。入谷に戻りサッカー。記せば淡々と過ぎているようであるが、この暑さのなか、けっこう大変な一日。
2016年
9月
06日
火
午後、勝どきへ。変貌がすさまじい。東京はどこまで膨張するのだろうか。夜は、築地で酒宴。飲むこと語ること時を知らず。入谷に戻り深夜。かくして一週間が始まる。
2016年
9月
04日
日
先日も話題にした夏の終わり。一体、夏の終わりとはいつのことでありましょうや。実は、夏の終わりは夏でもなく秋でもなくひとつの季節なのであります。8月の下旬から9月の中旬にかけてのほぼひと月足らず。これを夏の終わりという季節であり、暑い割には寂しさを感じるのであります。
2016年
9月
04日
日
この歳になると物故者に囲まれるものであり、毎年なんやかやと法事がある。当然、その度ごとに僧侶の世話になる。私も大阪のある寺の檀家であるが、住職と話をするたびに、仏教が葬儀宗教に留まっていることがもったいないと思う。元来僧侶は、われわれ四苦八苦に住む者のあの世への導師である。死者だけの導師ではない。われわれももっと仏の世界を知った方がよい。わたしは、どうしても仏教ってのは宗教と思えない。キリスト教やイスラム教のような世界観はない。
2016年
9月
04日
日
古い雑誌を読んでいると、日本ってのはほんとうに忘れっぽい国だな、と思う。5年前の東洋経済では、牛やコメのセシウム検査の問題が盛んに論じられていた。私なんか、この種の問題にはきわめて鈍感であるのだが、その代り少々しつこいタイプなので、あのセシウムはどこに行ったのか、なんてことをときどき考えるのであります。で、そこに行ったのでありましょうか。
2016年
9月
02日
金
憮然の『憮』とは、失意のことである。したがって『憮然として』とは、自分の力に余ることだから、不満ながらどうしようもないという表情をみせる(新明解)ということであり、決して不機嫌ということではない。さて今日、ひょんなことから見なくてもいいものを見てしまた。いや、避けていたものを見てしまった。プロ野球セリーグの順位表のことである。阪神がいつの間にか5位。それこそ憮然として見つめるしかないのである。しかも、言問通りの日本海二階、ビールを飲みならである。