2017年
3月
01日
水
夕方、水道橋へ。東京ドームホテルで待ち合わせ。打合せを終え、バー[2000]で軽く飲んで入谷に戻る。さて。今日で2月が終わる。人間には、いろいろと不平等があるが、一日の時間だけは等しく24時間。これをどう使うか、というより、どう感じて過ごすかは、人それぞれ。うつうつと過ごすより、はればれと過ごしたい。さて、明るく春を迎えますか。
2017年
2月
28日
火
8時半に事務所を出て、昼過ぎに戻る。14時に来客。夕方、北千住。八重寿で会食。千住ネギを堪能。ほろ酔いで、北千住をブラブラ。千住ブラ。もっとも、繁華街をブラブラである。東海道の品川宿ほどではないが、さすが江戸四宿の一つ。
2017年
2月
26日
日
捨てることを『ほかす』、拾うことを『ひらう』、鶏肉は『かしわ』、肴のとを『あて』。『じゃまくさい』に『しんきくさい』そして『どんくさい』。これらは、いずれも大阪ことば。発音というより、東京では使われない単語。上京して50年近く、今日も『それほかしといて』といって、キョトンとされる。江戸の昔、参勤交代で江戸詰めとなった薩摩藩と津軽藩の侍。いったい会話は成り立ったのだろうか。
2017年
2月
26日
日
日中、松形弘樹の『修羅の群れ』を観る。東映やくざ映画の卒業作品。東映は、やくざ路線の再スタートとして制作したのだろうが、これをもって本格的やくざ映画は終了する。夕方、浅草へ。浅草の空気を吸うと元気が出てくる。18時からとみい。いつものとおり泥酔。どう帰ったのか、気がつくと自宅書斎でうたた寝。当然、日付線は変わっている。何もそこまで飲まなくても、と、自分でも思う。
2017年
2月
24日
金
10に東銀座。昼に事務所に戻る。行き帰り涙が止まらない。悲しくてではない。花粉症。夕方には、ゾクゾクとしてくる。花粉なんだか風邪のぶり返しなんだか。不貞腐れて、早々に仕事を切り上げる。
2017年
2月
24日
金
午前は戸越。午後は御徒町。事務所に戻り15時。夜は、事務所ビル1階のグーテルブレで購入したパンを齧りながらビール。これがまたイイ。ほろ酔い気分で聖書のパウロの手紙を読む。自称仏教徒である私は、ほろ酔いであろうと泥酔であろうと、いや、酔ったほうが聖書を読みたくなる。当然、すぐに眠くなる。キリスト教は理解できなくとも。イエスやパウロの考えたことは理解したいな、と、思うのだが、酔って読んでいては無理か。
2017年
2月
22日
水
テレビをつけるとまさお(正男)とゆりこ(百合子)の話題。ゆりこの話は少々食傷気味。不謹慎を承知で語れば、まさおの話は興味津々。まるでフレデリック・フォーサイスの世界。これまた調子に乗って書けば、まさおの弟は、かの国の国主。この国は、実力以上の武力を保有している。その国主は、きっと兄を暗殺した。これから先、なにかを勘違いして、せっかく持っている武力だ、行使しなければ宝の持ち腐れ、と、どこで行使するか知れたものではない。殿、ご乱心めされるな、との諫言も聞き入れる様子もない。そのお隣の国の政情も不安定。極東のパワー・バランスは極めて微妙であります。トランプで占っても、大した答は得られないでありましょう。
2017年
2月
22日
水
午後、来客。夕方、御徒町から末広町。雲南料理の架橋米線で食事。中国雲南省、はてどこだっけ。19時半に入谷に戻り、さっそくwikiで確認。なるほど、中国は広い。いや、ユーラシア大陸は広い。そうだ、ヨーロッパとアジアとは陸続きであった。ローマ帝国と秦・漢帝国の時代から、シルクロードの交易でユーラシア大陸は結ばれていた。世界史の中心を、ユーラシア大陸の中央部においてみると、また異なった歴史が見えてくる。
2017年
2月
21日
火
午前、来客。昼は、来客と千束のいせや。午後は、茅場町の税理士仲間の事務所。雨のなか、19時半に事務所に戻る。薬を飲み、目薬を点し、マスクをし、おまじないをする。それでも収まらない花粉症の症状を諦め、おとなしく夜を過ごす。
2017年
2月
19日
日
午前、伝助Ⅴ号にガソリン補給と洗車。午後、配信された週刊誌(ダイヤモンド・東洋経済)を読む。どの週刊誌も東芝の問題を継続して取り上げている。東芝の、ウエスチングハウス(WH)投資の躓きを読んでいると、40年前の安宅産業破綻時のニューファンドランド・リファイニング・カンパニー(NRC)事件を思い出す。東芝は原発、安宅は石油精製。いずれもエネルギー関連。日本社会に与える影響度は、異なるのだろうが、何故か、類似性を感じてしまうのであります。
2017年
2月
19日
日
シミのなりやすさ、二重瞼、ウエットな耳中、くせ毛(くせ毛とうほど残っていないが)、これらは私の特徴であるとともに、縄文人の特徴でもあるらしい。核DNA分析の成果である。現代日本人は、20%が縄文人の、80%が弥生人のDNAのハイブリッド型であるらしい。それはともかく、山に神、海に神を見出すアニミズムは、縄文人の世界感である。と、確信する。万物を創造した神の存在よりも、自然のなかに神(霊性)を感じる。そう、人はいたるところで神とともに共生している。われわれは、その神に抱かれて生きている。自然の恵みで生きていた縄文人は、つねに自然に感謝し、そのふところのなかで1万年を生きていたに違いない。これが、唯一絶対の神の存在を前提とする考え方に違和感を覚える、私のDNAである。
2017年
2月
18日
土
9時過ぎに事務所を出て東銀座。打合せを終え、御徒町に立寄りアメブラ(アメ横をブラブラ)。事務所に戻り13時。スタッフに声をかけられる。どうも今日は私の誕生日らしい。目出度いのか、目出度くもないのか、とにかくようここまで生きてきた。私の、母方の血筋は短命で、新潟らしく心臓血管系(脳梗塞)で70を超えることが難しい。母は72歳で、若いとはいえ、血筋から行けばけっこう生きた方である。母方の、しかも縄文系の血筋の色濃い私も、そう長生きはしない。と、思うのだが、傍から見ている多くの方からは、ストレス・フリーな生き方はけっこうしつこく生き残るぞ、ともいわれている。
2017年
2月
17日
金
政治と行政。もっともクリエイティブで付加価値の高いジャンルと思うのであります。また、でなければならんと思うのであります。小生が木っ端役人であったころ、日常の膨大な作業のなかにも創造という道程にいる、との小さな満足感を味わっておりました。某元知事の過去の責任を問うことは、大事なことではありましょうが、あまりクリエイティブ性を感じないのであります。なぜこうなったかを問わないと、これからどうするのか、が、見えてこない場合もあるのでしょうが、そこは決断と大改革。過去は過去として置いておいて、これからこうするんだ、を見せてほしい、いや、報じてほしいものであります。
2017年
2月
16日
木
タコとイカ、もし闘わば。そんなシミュレーションを、酒を飲みながらであっても、小一時間も、しかも真面目に議論できるというのは、若く、時間もあり、そして気があう仲間でなければ成り立たない。タコとイカ以上の、また以下の議論もした仲間たちがだんだん病に倒れたり、迎えに応じたりする歳になってしまった。残った者で、やっぱり俺たち歳をとったんだな、とつぶやく。
2017年
2月
15日
水
午後、市川へ。仕事を終え食事。ヨドバシアキバに20時半。久しぶりに、有隣堂に立ち寄る。パウロ、応仁の乱、ロシア革命に関する本を購入。それぞれ、2000年、1500年、そして100年前の話。古い出来事から読み始める。イエスとの面識のないパウロ。彼は、イエスの何に回心の道をみつけたのか。そのうちに眠くなる。
2017年
2月
14日
火
世界一ともいわれる人口の江戸。100万都市と俗にいう。当時、大阪は40万人程度。このころ、各地の大名とその家臣は、領内で搾り取った税金を江戸で消費していた。酒、衣服、装具品などは、上方から取り寄せていた。米などの食料品も、大阪を経由して樽廻船、菱垣廻船で江戸に運ぶ。呉服などは、京・大阪の3倍の値であったという。当時の大阪の富は、江戸に集まった地方武士の無知に付け込んで蓄積されたものといえよう。いやはや、大阪出身の小生としては、少々面映ゆい。
2017年
2月
11日
土
八丈島や鹿児島の諸島にも縄文人が住んでいた遺跡がみられる。いまから一万年前の航海技術は、相当高度だったと考えられるが、何故、八丈島に。食料を求めてか、はたまた恋の逃避行か。文字がないから考古学であり、文字があるから歴史学なのだが、縄文時代にも、道ならぬ恋の物語もあったに違いない。
2017年
2月
10日
金
小雪というかみぞれというか、今日は寒い。夕方、帝国ホテルへ。なだ万で天ぷら。21時半に入谷に戻ったが、ゾクゾクする。こりゃぁ~、風邪が本格的になったかな。
2017年
2月
09日
木
司馬遷は李陵を、親につかえて孝、士と交わって信、財物に対すること廉、取ること与えることに義、と評価して擁護した。結果、司馬遷は宮刑(腐刑)に処された。司馬遷の文を読むたびに、李陵も幸せな男だな、とつくづく感じる。そして、司馬遷の男気にも、かくありたいと、いつも思う。
2017年
2月
07日
火
西洋文化という文化があったとしても、東洋文化という文化はない。これは、かの津田左右吉の主張である。支那文化と日本文化とは全く異なり、日本文化は日本の民族生活の独自なる歴史的展開によって独自に形づくられて来たものである。そう、中国の文化と日本文化と朝鮮文化とは全く異なる。で、西洋文化ってのがあるかというと、これをキリスト教文化と解釈すれば、ある。同様な意味で、東洋をくくる精神基盤がるかというと、ない。言わなくても分かるだろう、という基盤は、人類共通の程度としてのものはあっても、東洋圏の民族の独自な感性としてはない。と、考えて隣国との相互理解が必要なのである。
2017年
2月
05日
日
縄文人と現代人の知能は、さほど変わらない。ただ、科学技術は蓄積されながら高度化する。この科学技術の進化のおかげで現代人の生産性は、縄文人それを凌駕する。で、現代人と変わらぬ知能の縄文人が、もてる知能のほとんどを食生活のために活用したとすれば。そりゃぁ~、相当豊かな食生活を楽しんだに違いない。栄養豊富なドングリの欠点であるシブ味を、土器を発明し取り除くことなんか容易い。深海のアワビを獲ることや、沖合のクジラのハンティングもやってのけた。これらは、縄文時代の遺跡のゴミから分かったことである。現代の日本人は、この縄文人の食に対するDNAを引き継いでいる。特に私のようなタイプには。
2017年
2月
05日
日
三日間、夜の外出を控え、眠りに眠り、体調が戻る。と、なると襲ってくるのが飽き。映画が見たい。思い立ってザ・コンサルタント。自宅に帰り、DVDでイミテーションゲーム、ダブル・ジョパディー。ついでに、NHKの雲霧仁左衛門。映画三昧の一日。
2017年
2月
05日
日
午前、品川。午後、銀座。大都会を歩く。今日も、夜の外出は自粛。静かに過ごす。今日は、節分。いつの間にか恵方巻なんて習慣が出来上がってしまったが、私が大阪にいたころにには、そんな習慣はない。バレンタインといい、2月には不思議な、新たな習慣が生じる。
2017年
2月
02日
木
用心していたのに、花粉と風邪のカクテルが襲ってきた。朝から、鼻が強烈にむずがゆい。16時に来客が辞され、電池が切れてダウン。鼻や体の節々が機能しない。頭はもととも機能しないのだから、これで全身機能不足。明日のために、今日はここまで。