2017年
4月
01日
土
男が作る料理はチャーハン。でも、食べに行くのは焼肉。実に脈絡がないのだが、ということで、今日は事務所スタッフ3人で地元焼肉店不二苑へ。飲んで食べて店を出たのが21時頃か。いつものとおり酩酊。布団を敷いて横になるのは本能。気がつくと寝ている。
2017年
3月
31日
金
今日は、終日事務所を留守にし、全く仕事とは関係のないことで一日を過ごす。もはや私のバッテリーは老化しているが、充電の一日。明日は、3月の末日。こんなに余裕をもっていいものであろうか。
2017年
3月
31日
金
所用があって午後から世田谷。久しぶりに、新宿小田急双葉で鰻。昨日の天気予報と異なり肌寒い。久しぶりに夜更かしして深夜まで起きる。深夜の思索もいいもんだ。夜に考えごとをすると、どうぢてもネガティブになるもんだが、最近はそうでもない。
2017年
3月
29日
水
一神教の歴史は新しい。おそらくユダヤ教に始まる。そして、キリスト教、イスラム教へと一神教は展開する。そこで、仏教。一応、大阪のさる寺の檀家である私は、たびたびご先祖の墓参り赴くのであるが、ちっとも仏教の持つ宗教性が育たない。住職も、実に人間くさく、おおらか。そういえば、仏教の世界には解脱者はいても創造主はいない。
2017年
3月
28日
火
8時半に事務所を出て三軒茶屋。仕事を終え事務所に戻り12時半。いやぁ~、寒い。夕方、今日はお好み焼きが食いたい。ということで、北千住のお多福へ。夜になって幾分寒さも和らぐ。入谷に戻り岸田秀の本をパラパラ。ふと思う、エジプト文明はヨーロッパ文明なのかアフリカ文明なのか、いや白人文明なのか黒人文明なのか。
2017年
3月
27日
月
深夜に起床。雨。寒い。寒いときは鍋か焼肉。縄文の時代、焼肉も鍋もその習慣があった。なんせ、基本は狩猟生活である。焼く煮るが料理の基本。その後、奈良時代に焼肉、いや肉食文化そのものが廃れる。お上が禁止したのである。仏教の影響だか、庶民から楽しみを奪うためだかよく分からない。だが、囲炉裏があり火鉢があるかぎり鍋料理は続く。江戸時代になると、七輪が開発され、味噌・醤油・みりんなどの調味料の進化とともに鍋料理も著しく進化した。とくに田楽。これはおでんへと進化する。そして今日コンビニへとその文化は引き継がれていく。焼肉文化。これは比較的最近の食文化である。その辺の蘊蓄はともかくとして、寒い。ということで今日は、鍋料理なのか焼肉料理なのかよく分からないジンギスカンで夜を終える。
2017年
3月
26日
日
村上春樹の『騎士団長殺し』を横に柚木祐子の『孤狼の血』を一気読み。著者は女性。描いた主人公は、きっと著者にとっての理想の男。4時間読みふける。おかげで、予定していた仕事は一向に進まない。嫌なことは先送りする生き方をして六十数年。今更始まったことではありませんが。
2017年
3月
25日
土
午前、東銀座。所用を済ませ築地へ。同輩とランチ。事務所に戻る途中書店へ。店頭に積まれている村上春樹の『騎士団長殺し(上・下)』を購入。春樹はあまり得意ではないのだが、こうも積み上げられると思わず手を出してしまった。事務所に戻り15時。さて週末、今日はここまで。
2017年
3月
24日
金
今日の衆参証人喚問。なんとなく腹立たしくなる。証人に対してではなく質問者(国会議員)に対して。事実を解明しようではなく、事実を開示しないようにとの思惑のある恫喝のような質問を感じた。頭のなかだけにある事実(記憶)も存在する。記憶とは、それが証明できるかどうかとは別問題。記憶について質問するのならば、その記憶に基づいて発言された事実は、そのまま受け止めなければならない。ただ、その証言を信じるかどうかは、またこれも別問題である。
2017年
3月
23日
木
建築学における最小単位、いや最初の単位かもしれないが、それは扉と椅子(座る場所)ではないかと思う。それ単体では決して生活できないが、それがあることによって、何らかの『空間』が生まれ、居場所の始まりのような気がする。たった6畳という一室であるが、別室(アパート)の扉を開け座椅子に座り本を広げると、なんだか別の世界が始まったような気がする。きっと建築学ってのは、こんな感性を大事にしているのだと思う。
2017年
3月
22日
水
日本人の成人一人当たりのアルコール消費量(2008年)は他国に比べて比較的少ない。民族的にお酒に弱いらしい。でも、宗教的縛りがないせいか飲酒に対して寛容である。だから私も許されている、と思う。
2017年
3月
21日
火
上野公園を国立博物館に向かい、博物館の手前を左に行くと東京藝術大学。道路の左側が美術部、右側が音楽部。この美校と音校、その門を入っていく人を眺めていると人種がまったく異なる。見た目で判断できる。美術と音楽、生活習慣はまったく異なるのであろう。これもまた、上野散歩の楽しみの一つ。
2017年
3月
20日
月
昨日、一昨日と少々食べ過ぎ飲み過ぎ。いささか反省。とはいえ、昼も夜もビールを軽く。こういう場合のビールは食欲増進剤。温かい米飯が美味い。夜は自宅で見逃したNHK番組をオンディマンドで観る。昔は、NHKは観なかったのに。
2017年
3月
17日
金
今日の雑感。銀座といっても広い。中央通りは銀座らしいが、昭和通りは銀座らしからない。食事は、一人で食べるよりも仲間と食べたほうがはるかに美味い。美味いが、味はよく分からない。酒は、一人でしみじみ飲む方が美味い。餃子は、酢と胡椒、できれば黒胡椒で食べるのが最も美味い。メキシコ麻薬戦争を描いた小説を読んでいると、『仁義なき戦い』がかわいらしく見えてくる。どうでもいいことはどうでもいいのだが、何をどうでもいいかと思いきるのはけっこう難しい。
2017年
3月
16日
木
上野の大山。居酒屋なんだか食堂なんだか、いかにも上野らしくディープな店なのだが、そのアジフライ。10年前のやみつきコロッケは52円、やみつきメンチが105円。アジフライが73円であった。それぞれいま、60円、130円、173円。この10年、値上げはいたしかたない。が、アジフライのこの高騰。別に大山が悪いのではない。どこにいっても、私の大好物の肉厚なアジフライががない。それこそアジといわし、どこの海を彷徨っているのやら。
2017年
3月
15日
水
午後、昨日に引き続き赤坂。打合せを終え、事務所に戻り15時。絶不調。花粉と風邪のカクテル。風邪の割合が高くなる。こういうときは焼肉。北千住に出て焼肉本舗ぴゅあ。旭屋書店で幾冊かの本を購入。事務所に戻り20時。本をパラパラと拾い読みをしているうちに眠くなる。
2017年
3月
13日
月
いつも呟いていることかもしれないが、シアワセの根はいたるところに潜んでいる。14時に赤坂、16時に事務所に戻り、20時半に木場。確定申告の終盤に、花粉と風邪。いったい、どこに俺の幸せを見つけろというのか、と思いつつ22時に入谷に戻る。ぶらりと寄ったココス入谷店。見つけたのが鹿島のしぶし銀。宿命の出会いというのだろうか、美味いのなんのって、こういうのを衝撃的出会いというのだろう。いままで、米菓子といえば我が郷土新潟の亀田製菓をこよなく愛した私も、鹿島の米菓子には一目ぼれ。ほんと、人生のシアワセはどこにあるかわからない。
2017年
3月
13日
月
昼、餃子を食べたくてブラリと北葉飯店へ。ビールも頼む。老夫婦と一言二言かわし、黙々とビールと餃子。体調が思わしくなかったのか、一時3か月ほど閉店していたが再開。再開後は行列のできる店舗になった。私がこの地に住んで41年。その10年前から北葉飯店は開店していたという。およそ、店主ご夫婦のお歳も銅像できよう。もうここまできたら、地元穴川の無形文化財である。ご夫婦にも、そう簡単に引退していただいては困るというものだ。
2017年
3月
12日
日
6時半に事務所周辺を散歩。シャワーを浴び、9時に事務室。13時に入谷を出て14時に新高円寺。ブックオフに立寄り、15時から某公益法人の評議員会に出席。16時半に会議を終え、さて高円寺。私も、40年以上も前だが中央線沿線に住んでいた。陽が落ちるとともに、懐かしさが押し寄せる。少しぶらぶらするか。
2017年
3月
11日
土
15時半に恵比寿。16時半に入谷に戻り、19時に東銀座。銀座ブロッサムで顧問先の懇親会に出席。21時に入谷に戻る。記せばこれだけだが、けっこうたいへんな一日。その締めくくりに、今日の花粉はつらい。
2017年
3月
09日
木
税理士として、超繁忙期ともいうべきこの時期、不謹慎なことであるがアメリカンハードボイルド『犬の力』を読み進めている。アメリカのタフな主人公は、熱いシャワーを好む。疲れ切った一日、熱いシャワーで、そしてバーボンかスコッチでその日を終える。そこで、いつも思う。彼の浴びた熱いシャワーのその温度は、いったい何度なのだろうか。体感温度の高いアメリカ人。冬の日本でも半袖で歩くアメリカ人。きっと、40°のシャワーでも、熱い、と表現するのではないか。アート・ケラー(『犬の力』のタフな主人公)を、事務所近くの白水湯に案内したい。江戸っ子じゃない私は、ここの熱い湯に長く浸かってられない。彼は、きっと湯船に手を入れたとたん、熱っ、て退散するに違いない。それとも、入谷の江戸っ子と張り合って、あいつが出るまでは湯船を出ないぞ、って意地を張るかな。
2017年
3月
09日
木
2月は試験、3月15日までの確定申告期間が過ぎれば卒業式、4月になれば進級・入学・入社のシーズンである。あまり関係のない歳になったのだが、なにかに入学したい気持ちが強い。良くも悪くもビジネスの世界は数字。数字とは関係のない世界に入ってみたい。
2017年
3月
08日
水
ヨドバシアキバのうな匠で食事。19時半に事務所に戻る。書棚を整理したり、手当たり次第に古い雑誌を読んだり、挙句の果てはミステリーに手を出す有様。この時期にである。税理士としていかがなものか、と自戒。こういう現実逃避を精神分析の世界では防御規制というらしい。
2017年
3月
07日
火
午後、赤坂見附。クライアントとランチ・ミーティング。帰路、雨に濡れながら15時半に事務所。夕方、上野に出かけ友人とビール付きミーティング。入谷に戻り20時過ぎ。ガソリンは補給したものの電池切れ。今日も。朝の3時から起きております。
2017年
3月
05日
日
死んだ親父から、何の因縁があったのか、薩長の悪口を聞いて育った。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、未だに私の薩長嫌いは治まらない。その反動で、勝海舟とか山岡鉄舟とかの幕臣の話となると、待ってましたと夢中になる。今日も、勲章を持参した井上馨相手に、その勲章を突っ返したときの鉄舟の啖呵を読んでいると、酒の旨いこと旨いこと。こういう話は、何度読んでも気分がよろしい。ちなみに、井上馨は西郷隆盛に『三井の番頭さん』と揶揄されていたという。
2017年
3月
05日
日
犬の力。今読んでいるメキシコ麻薬戦争を描いた物語である。でも今日は、本ではなく犬の名の話。人類も犬も進化してきた。その進化の過程で、両者は優れた親和性を獲得し、他の動物からの孤立化を進める人類にとって、犬はかけがえのない友人となった。そのとき人は、きっと犬に名を付けたはずである。犬が人に名を付けたかどうかは分からない。我が国の明治時代の猫は人にあだ名をつけていたが。ともあれ、その人は犬に名を付けた、はずである。。明治時代の代表的犬の名はポチ。江戸時代の犬の名の代表は、これがよく分からない。綱吉の時代に生類憐みの令が発令されるくらいだから、江戸時代にも犬はいたのだが、不思議とその名がの残っていない。犬の名の始まりはポチとタマではない。洋の東西を問わず、犬史上、初のその名を誰も知らない。聖書にも、その名は記されていない。
2017年
3月
04日
土
午後、築地へ。聖路加病院での通院検査。解放されたのが18時。病人としての自覚に乏しい私でも、さすが5時間も病院にいると、俺って病人かしら、と思い始める。何もしなくても、病院は疲れる。入谷に戻ったときはクタクタ。別室で大の字。6畳の部屋の天井は宇宙である。
2017年
3月
03日
金
午後、東銀座。15時半に事務所に戻る。気がつくと日が落ちている。雨。こういうときは事務所ビル1階のグーテルブレ。購入したパンにセカンドネームをつけながら、神の河(焼酎の銘柄)&ホッピー。ちなみにセカンドネームは、絶望のサンドウィッチ、別れのバーガー、敗北のチキンetc。いかん、どうも後ろ向きだ。
2017年
3月
02日
木
16時に来客。17時に、来客とともに龍昇。二人で、飲むは飲むは、食べること食べること。20時半に事務所に戻る。パラパラと週刊誌を拾い読み。もっとも、スマホで読むのだからパラパラという表現が適切かどうか。かのマレーシアの人口が31百万人であることを知る。平均年齢は28歳。ちなみに日本は127百万人で46歳。昔、アジアの病人と称されたフィリピンの平均年齢は24歳。ひょんなことから、日本の高齢化を実感。それはともかく、眠い。