2017年
6月
30日
金
その昔、私にとって、そば、うどん、ラーメン、カレーは飲み物であった。口に入れたとたん胃袋に納まる。いつの間にか、カレーが食べ物に、ラーメンが食べ物に、いまやそば、うどんも食べ物になってしまった。普通といえば普通なのだが、歳を感じますなぁ~。これらは、飲み物としても優れております。咀嚼しないで飲みこんだときの食感には、たまらないものがあります。
2017年
6月
29日
木
そろそろマジにヤバい。阪神のことである。今日の試合結果を知り、もう落ち着かない。7連敗。巨人を笑っている場合ではない。もちろん、心配なんかしている場合でもない。こうなると、阪神が勝つその日まで、こころのなかのさざ波が落ち着かないのであります。もっともそのうち、今シーズンは諦めるか、となるのでありますが。
2017年
6月
28日
水
夕方、一昨日に引き続き北千住の銀座アスター。顧問先の懇親会への出席。紹興酒でほろ酔い。20時に入谷に戻る。一日がバタバタと過ぎていく。ターシャ・テューダーの、忙しすぎて心が迷子になっていない?、が頭を横切る。
2017年
6月
26日
月
8時半に事務所を出て13時に戻る。17時には、北千住の銀座アスター。入谷に戻り20時。夜は、野口雨情の童謡。白秋と雨情。雨情の青い眼の人形、赤い靴、あの町この町と白秋の赤い鳥小鳥、ペチカ、待ちぼうけ。やはり雨情が悲しい。
2017年
6月
25日
日
NHK新日本紀行で取り上げられた武蔵野市吉祥寺。関東で最も住みたい町といわれる処である。実は、いまから40年以上前、2年ばかり私は此処の住民であった。そのころから、中央線3寺といわれ、若者の街であた。高円寺、吉祥寺。国分寺がその「寺」である。吉田拓郎の歌にも登場した。私はというと、吉祥寺では、馬鹿でかいJBLのスピーカーがウリのジャズ喫茶FUNKCYに入り浸っていた。もっとも、夜になると安い焼き鳥屋に入り浸っていたが。
2017年
6月
24日
土
千葉に帰り、昼は泰庵で蕎麦。地元ではけっこう人気の蕎麦店。天せいろを食す。満足して自宅に戻って昼寝。気がつけば15時半。ネットでニュースを確認して、一日を終える。
2017年
6月
23日
金
9時半に東銀座。事務所に戻り。14時に再び東銀座。今日は暑い。夕方、別室でシャワーを浴び、再び出かける。大阪のネギ焼きが食べたくなる。きっと、大阪のネギ焼きは、ラーメンと等しく、世界のソウル・フードとして語られる日も近い。と、チト思う。
2017年
6月
22日
木
10時に戸越。13時に御徒町。16時に西新宿。17時半に上野。上野はねぎし。やたらと牛たんが食べたくなるときがある。サラダなんでのも頼む。昔は、お金を出してまで生野菜を食べるなんてことを考えもしなかった。また、サラダなんてのはメニューになかった。と思う。ビールとハイボールをしたたか呑んで入谷へ。当然、今日の疲れはない。アマゾンから届いた『路地の子』(上原善広)を読みながら睡眠。
2017年
6月
21日
水
午後、品川。会議を終え駅ビルのカフェへ。ビール。喉が渇いたし、ガソリンも切れてきた。入谷に戻るころにはすっかり雨も止んでいる。シャワーを浴び久一日のメモを取り、一日を終える。積んでおいた『応仁の乱』を読み始めたのだが、なるほど面白い。淡々と書かれた事実の積み重ねが、かえって550年前をリアルに想像させてくれる。
2017年
6月
18日
日
16時に登戸。千葉市の登戸ではなく、川崎の登戸。乗った小田急が、登戸に停まらない。しかも気がつかない。神奈川初心者なのである。学生時代の仲間と土風炉で小宴。昔話に花が咲く。帰路は迷わず千葉へ。
2017年
6月
17日
土
世は歌に連れ、歌は世に連れ。確かに、その時の流行歌は、自分史のそのときそのときnページに刻まれているのだが、90年代、つまり、私の40歳以降になると、急速にその歌が刻まれなくなる。最後の歌が、招待された結婚式で歌った乾杯。テレサ・テン、河島英五、長渕剛。この後の歌の印象がない。これが歳というものなのか、社会が時代の象徴歌を必要としなくなったのか。
2017年
6月
17日
土
午後、聖路加病院。通院。病があるから病院に行くのだろうが、本人にその意識がない。ということで、夕方聖路加かkら帰り、今宵もビール。聖路加の薬も薬だが、ビールは万能薬。
2017年
6月
15日
木
14時に江東区住吉。15時半に事務所に戻り、18時半、19時と立て続けに来客。20時には龍昇で餃子に麻婆で一人乾杯。ちょっと耳寄りな話。入谷龍昇のピリ辛チャーハンは、チト旨い。
2017年
6月
14日
水
赤坂見附から戻り、事務所でのクライアントとの打ち合わせを終え16時。昨夜に睡眠時間が3時間。したがって電池切れ。確か、20時までは覚えていたのだが。
2017年
6月
13日
火
13時半に東銀座の顧問先へ。事務所に戻り、18時半に再び銀座。北大路で会食。入谷に戻ったころには、日付が変わっていた。久しぶりの午前様。ふぅぅ~。
2017年
6月
12日
月
北原白秋の邪宗門、芥川龍之介の邪宗門、高橋和巳の邪宗門、都はるみの邪宗門、喫茶店の邪宗門。今宵は、言問通りの日本海2階でタコのから揚げ、イカフライなんぞを食べながら、北原白秋の邪宗門。白秋24歳。カラタチの花や待ちぼうけの動揺からは想像できない官能性。もっとも白秋、あまり褒められた人生ではなかったようです。
2017年
6月
10日
土
10時に、市川の東光寺。住職とは、同世代で22年の付き合い。6年前にがんの手術され、以後2回の入院。同じころに、私も入院手術。以後2回の入院。坊主と税理士になる前の人生が似ている。そのころの、時代の申し子。決していい意味ではない。
2017年
6月
09日
金
16時に上野精養軒。我が業界団体の年次総会。表彰状と記念品を授与するというので、普段は参加しないのに、いそいそと赴く。読み上げられた授賞理由を聴いていると、25年間の業務の精励、公共的使命の認識、社会的地位と会の発展への寄与、とあり、いやはや、俺は該当せんぞ、と思い始める。まぁ、授与する方の勘違いであっても、貰えるものは貰おうと、ありがたくいただく。
2017年
6月
08日
木
あまりピンとこないが、これから先の50年を含めると、日本史上最大の困難は、これから先の少子高齢化社会の到来であるという。2060年には人口8,674万人になり、国民の約2.5人に1人(40%)が65歳以上の高齢者となる社会が到来すると推計されている。狭い日本の国土、9000万人の人口は別に問題でもなさそうだが、40%という高齢化比率、活力ある魅力ある日本を創ることができるのだろうか。いまでも、若者に十分な希望を与えることのできない社会となってしまったのに、これから先どうなるんだろう。私たちは、孫世代に何を残せるのだろうか。いつも思う、我々団塊世代は食い逃げをしてはいけない。
2017年
6月
07日
水
早いもので、梅雨入りらしい。今の6月は旧暦で5月。したがって梅雨は五月雨でもある。五月雨の方が、季節を前向きに感じ取れる。私にとって、嫌な季節であるが、それはそれ、このひと月の雨を味わいましょう。
2017年
6月
06日
火
9時に事務所を出て駒込へ。14時には江東区住吉。事務所に戻り16時。17時半に来客。ともに龍昇へ。酒は、二人で飲む時が最も進む。ということで、紹興酒を指しつ指されて久しぶりに酩酊。20時に別室。
2017年
6月
05日
月
4時に入谷。そのまま仕事。シャワーを浴び、8時に事務室。今日は、事務所での事務仕事。たまりにたまったメールを確認。いったい幾つのメールが入ってくるのだろう。そのほとんどは読まない。気がつくと夕方。ガス欠。歩いて千束の伊勢屋。夜の天ぷらは避けていたのだが、たまにはこの手のエネルギーを補給しなければ。別室に戻り、本を読んでいると、今度は電池切れ。いつの間にか寝ていた。
2017年
6月
04日
日
深夜に起きる。フェルディナント・フォン・シーラッハ(ドイツ)のミステリー『犯罪』を読み始める。これがまた、すこぶる面白く止められない。10時に、伝助Ⅴ号にガソリンそして洗車。自宅に帰り、ブラリ散歩。そのままランチ。パスタ。ビールとワインも。ほろ酔いで自宅に戻り昼寝。気がつくと16時。シャワーを浴び再びビール。そして、一日の終わり。
2017年
6月
03日
土
朝、土曜日恒例の散歩。実に心地よい季節。この時期の朝に吹く風は、まさに薫風とはこのこと。心地よい。昼は、錦糸公園のニクオン。墨田区の肉料理店がオン・パレード。これまた、ビールとハイボールで肉を食べる。我が世代に草食系はいない。少なくとも我が周りには。いや、最近、少しずつ離脱者が表れだした。飲み過ぎたのか、夜の張が下りる前に寝てしまう。
2017年
6月
02日
金
昼、人形町に出かけ仲間と食事。グラスビールを一杯。なんとビールが美味いことか。何を食べたか忘れるほどである。夜はテイクアウトの焼き鳥。都会では、太陽だけが季節を感じさせるが、今日は、十分に夏を感じる。
2017年
6月
01日
木
楽天独り旅。そんなに強かったっけ。阪神ファンとしては楽天ファンが羨ましい。さぞや安心・安全心理でファン生活を満喫しているのであろう。ただ、ヤキモキ感ハラハラ間もこれまた薬味である。今日から6月。時の経つのは早いもんだ。