2018年
7月
31日
火
昼、赤坂見附。クライアントと食事。入谷に戻り14時半。暑いのなんのって。こんな暑さを我慢してまで東京にいなければならんのか、と半ば自棄気味。シュールを非現実的と解するならば、実にシュールな日々ではないか。んなことは言わないか。
2018年
7月
30日
月
5時半、散歩に出かけ6時に戻る。一体、一日、何度、暑い、といえばいいのだろうか。9時半に三軒茶屋。暑い。ランチ・ミーティングを終え事務所に13時。暑い。午前中で所要電池量の80%を消費する。当然、夕方には電池残量はゼロ。シャワーを浴びさっぱり。外は暑い。とにかくビール。
2018年
7月
29日
日
台風一過。久しぶりに千葉に出出てそごうの旭屋書店。『後醍醐天皇』(岩波新書)と『足利義満』(中央新書)を購入。隣接のブックス&カフェで読み始める。『足利義満』は既に持ってるような気がした。もっとも、こういう物忘れは、歳ではなく昔から得意。なんせ、若いころから忘却力の強化に励んできた。
2018年
7月
27日
金
さて、男の手抜き料理。オールサーディンの蓋を切り、なかの油を抜く。これは、あとでサラダドレッシングとして利用する。ガスコンロに缶のままのせる。レモンを一切れ乗せ、醤油をたらし火をつける。ぐつぐつグツグツと十分に沸騰してきたら、一味か七味をサーッと振りかけて、火傷をしないようにそのまま皿に乗せる。ビールにもご飯にもパンにも合う。所要時間5分。
2018年
7月
26日
木
朝5時、散歩に出かける。調子に乗って歩いているうちに迷子。東日暮里地区から出ることができない。気がつくと三河島駅。常磐線に乗り6時半に入谷に戻る。散歩に出かけて電車で帰るうちはいいが、そのうちパトカーに乗って帰ることにならなければいいが。午前、戸越に出かける。午後は、上野。打合せを終え、事務所に戻り来客。17時半にはガス欠の電池切れ。創作男手抜料理でもつくろう。
2018年
7月
24日
火
2018年
7月
23日
月
聖路加仮釈放の身。ぼちぼちと慣らし運転。尋常ならざる暑さ。こんなときは桑原・二宮コンビのコテコテの大阪弁に限る。ということで黒川博行の最新作『泥濘』に手を付ける。極限化された大阪弁はそれだけで心地いい。大阪弁を読ませるなんて、さすが黒川先生。
2018年
7月
22日
日
5時に起床。6時にシャワー。暑い。昼は人生二度目のサイゼリア。再び、サイゼリアのパフォーマンスに驚く。サイゼリアが支持される訳だ。19時過ぎ、空を眺めれば、見事な夕焼け。秋が近い。
2018年
7月
21日
土
午前10時。聖路加病院集中治療室から解放。ついでに聖路加病院からも解放。21年、26年、28年、そして今回。10年間で都合4回入院・手術。平成4年から通院している。常連であります。決して自慢にはなりませんが。入谷に帰り、グーテルブレのサンドイッチ。呑みたいビールをグッと我慢。これからは生活態度改めることを秘かに決意。
2018年
7月
20日
金
集中治療室3日目。飽きてきた。全身麻酔の施術を受けた者は、ここに隔離されるというのだが、私は左足の血管の手術。内臓疾患ではないので、術後の痛みを除けば、いたって健康。子規は寝返りもうてずに3年間。で、あの文学。私といえば、テレビもラジオもない部屋でひっそりとスマホをいじる。返ってくる返信に、社会との接点があることを知る。もとより子規と私を比べようとするのは、この石ころは月ではないな、と比較するようなもの。
2018年
7月
19日
木
集中治療室2日目。窓がない。子規なら、何かを感じ、何かを表現するだろうが、私には『たいくつ』以外に表現する能力しかない。夕方、術後熱なるものを出す。娑婆の景色が見たい。
2018年
7月
14日
土
正岡子規は28歳感から35歳で死去するまで根岸の子規庵で仰臥の日々を送った。我が事務所から歩いて10分のところである。晩年の3年間は、座ることさえかなわなかったという。彼にとって見えるものは、子規庵の庭だけである。その庭さえ、満足に見ることができたかどうか。子規には音を感じる句が多い。
五月雨や 上野の山も 見あきたり
子規庵での仰臥の時の句である。
2018年
7月
13日
金
8時に事務所を出て9時に築地。聖路加病院で種々の検査。事務所に戻ったのが15時。もはや何もする気が起きない。もっとも、はなっから何もする気はないが。16時に、ビール、といって閉店。
2018年
7月
12日
木
午後、赤坂見附。ランチ・ミーティング。事務所に戻り14時半。夕方、事務所周辺を歩いていて、いくぶん涼しげな風邪を感じる。まだまだこれからが夏本番なんだろうが、ところどころ晩夏の気配が色濃い。別室で、本を読んでいると、操作をしないのにエアコンが止まる。ときには設定温度が勝手に変わる。冷房のつもりが暖房であったというのは私のミスだが、こちらの都合とは関係ない自動調整はいらない。そんなハイスペックなエアコンではないはずなのに。燃えるような夕焼けがみたい。
2018年
7月
12日
木
今年一番の暑さだったらしい。14時に御茶ノ水のホームに立ち、こりゃ~あたまらん。明治大学で2時間ばかしの勉強会。テーマは、沖縄にみる魂の循環思想。身の回りからご先祖様がいなくなった現代人。魂魄を感じることが少なくなった現代人。西洋的神は存在するかどうかではなく信じるかどうか、日本的神は感じるかどうか。神を感じたとき私は救済される。てなことを思いつつビールを飲む。
2018年
7月
10日
火
英語の授業で居眠りをしていると、突然先生から、友廣、続きを読め、と指名される。当然どこを読んでいいか分からない。そんな中学時代の記憶がよみがえった。その難局をどう乗り切ったか忘れてしまったが、いまならどう対応するであろうか。当然、居眠りしているから指名されたのであって、テキストの続きを読めないことを先生は知っている。ここはもう、潔く謝るしかないのであります。読めないことを、ではなくて、居眠りしていたことを。ただ、もう居眠りはしません、なんて、できない約束はしてはなりません。
2018年
7月
09日
月
午後、新高円寺。夜は、御徒町の吉池食堂。琵琶湖のコアユの天ぷら。琵琶湖のアユは、琵琶湖の中で生活してあまり大きくならない。大きくなるものもいるのだろうが。多摩川の鮎は琵琶湖の鮎の子孫である。大正2年に放流された。琵琶湖は、ナゾが多く、約400万年の歴史を持つ世界で有数の古い湖であり、豊富な水と生物を抱える。最深部は100メートルあり神秘の湖とも呼ばれる。あの大きな湖で獲れる小さな鮎。これがまた実に美味い。
2018年
7月
08日
日
久しぶりに総武線で千葉へ。午前6時の朝もやに映える江戸川の川面が清々しい。関西での豪雨の被害が伝えられている。軽々に書くべきではないが、自然はときには過剰なまでの自然性を剥き出し人間を襲う。自然を抑えることはできないが、最悪の事態を避ける仕組みは作り上げたい。
2018年
7月
07日
土
午後、入谷朝顔市。夕方、佐竹商店街のぱんがで食事。ここは、私の隠れ家。20時過ぎに入谷の戻り、ごろりと横になる。ほんと。忙しいんだか暇なんだか。
2018年
7月
06日
金
恐れ入り谷の鬼子母神。今日から8日まで入谷朝顔市。東銀座から入谷に戻り、市を覗く。市の日はいつも雨の印象。で、雨も合う。例年なら梅雨の真っ只中。
2018年
7月
05日
木
出先から戻り19時。忙しいだか、暇なんだか、この時期はいつもそう。こういうときは閉じこもりたくなる。もともとがじっとしていられない性質であるが、歳とともに閉じこもる楽しみを覚えた。外は雨、本でも読むか。
2018年
7月
03日
火
愚痴のようになってしまうが、今日も厚い。どういうわけか、ここのところ西行や永井荷風に関する本を手にとることが多い。古今和歌集と新古今和歌の区別も覚束ないのだが、新古今にみられる西行が抱いた時代との距離。永井荷風が非政治的生活に徹することで貫いた時代との距離。この歳になると、時代や周辺の空気から徹底的な距離を保って生きていくことにシンクロします。そうであってはいけないのですが。
2018年
7月
01日
日
二日酔い。以前は6時間以上飲まなければ二日酔いしなかったのに。3時間程度で二日酔いとは、昼、久しぶりに利兵衛。ネギ焼きとビールと天せいろ。日本人は、昔から飲酒や飲み会が無類に好きではあるが、量的には遺伝的な体質もあって余り強くない。お酒が大好きだけれどそれほどは飲まない、いや飲めないといわれる、私は、平均的日本人よりは飲むのだろうが、果たして世界水準としてはどうだろうか。