芥川龍之介の『本所両国』。 昭和2年5月に、東京日日新聞(毎日新聞の前身)の大東京繁昌記に連載された東京下町の散歩録である。明治時代の地図を見開いてその足取りをたどる。足取りだけでなく、記載されている料理屋もネットでその場所を調べる。坊主軍鶏、与平寿司、豊田屋(現ももんじゃ)は確認できたのだが、柳島の橋本という料理屋がなかなか見つからない。山谷の重箱、浅草の八百善とともに評判の日本料理屋であった。さてこの柳島という地域、今の墨田区・江東区にまたがった広範囲な地域。意地になること一時間ばかり。見つけました、見つけました。明治時代の地図にありました。今の墨田区業平5町目の柳島橋にありました。見つけてみれば何のことはない、広重が柳島妙見堂で描いていた。ちなみに、芥川は連載の2か月後に自殺した。