昔を懐かしむことができるのは歳を重ねた者の特権であります。私が入谷に事務所を移してからの、上野と浅草のランドマークの変遷を並べてみました。先ず上野から。上野京成百貨店(現上野丸井)、京成聚楽ビル(現ヨドバシ上野)、上野百貨店(特に食堂聚楽台、現UENO3135)、そして上野東急(現アパホテル)、上野東宝(上野バンブーガーデン)、上野セントラル(現上野の森さくらテラス)の各映画館。続いて浅草。浅草の変貌は、なんといっても映画館の消滅。1958年の11.3憶人の年間入場者数をピークに、映画人口はテレビの普及とともに急激に激減し、6年後の1964年委は4.3憶人。浅草は、映画興行中心であるとともに、番匠義彰監督が好んで描いた舞台でもあったが、映画人口の減少とともに、その浅草から、浅草東映、浅草新劇場、浅草中映劇場などの映画館が、2012年9月から10月にかけて閉館され、すべての映画館が浅草から消え去った。まぁ、浅草6区は、昔から変遷が激しく、30年前の漫才ブーム終了とともに、吉本興業は浅草はすでに終わった場所として見限って撤退しました。興行の街浅草は再生しないんでしょうな。