31

 

12月

 

2013

25.12.31 Tue

 さて、今年も終わる。昨日から、ほぼ徹夜状態で書斎に閉じこもり。別に、何をしているともなく、書棚から本を取り出しては読んでいるだけ。で、拾い読みに適しているといえば、永井荷風の『断腸亭日乗』。漱石が、ロンドンに留学してノイローゼになり、鴎外が、国家を代表してドイツに留学し刻苦勉励に励んだのに対し、荷風は、アメリカやフランスに遊学し、ノイローゼになるどころか、よろしく遊んで帰国。31歳で慶應義塾の教授に就任したかと思うと、37歳でさっさと辞任する。気儘というか、無碍というか、その生涯のいい加減さは紹介するまでもないが、荷風を読むたびに、西洋の知識と文化を咀嚼して、日本文化に飲み込むという日本人の独創性・創造力の力強さを確信する。荷風は、日本人が模倣人ではなく、移植能力に富んだ創造人であることの証左である。と、年の終わりに相応しく書斎でうなずく。ちなみに、学生時代の3年間、荷風が娩年住んでいた家の近くに、私も住んでおりました。荷風がよく訪れ食べたという大黒屋のカツ丼を、私もたびたび食べていたことを思い出したのであります。それはともかく、みなさんよいお年をお迎えください。

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12月

 

2013

25.12.30 Mon
 終日、書斎。40数年前に購入した本を書棚から取り出しパラパラ。別に、あえて残したわけではないだが、れまでの2度の焚書処分を運よく免れた数少ない本。高橋和己と武田泰淳。いやはや懐かしい。どういうわけか、若いころに武田泰淳にはまった時期があった。そうとう渋かったのかな、吾輩の読書傾向は。同人に、日本人のくせに東洋のことを知らな過ぎる、と一括されたことを思い出す。夜、充電していたスマホをみると、画面が暗くなって全く動かない。ったく、バッテリーを買いに行くのもめんどくさいな。

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12月

 

2013

25.12.29 Sun

 7時に事務室。机周辺の片づけ。でも、すぐに飽きる。9時半に上野。キムチ横丁で、キムチを購入。以前は、この時期に、ここで求めたケジャン、キムチ、アミ塩辛をお届けしていたところがあったが、いまはない。時の流れのさみしさを感じる。続いて、アメ横を歩く。10時にして、もう身動きができない。上野から御徒町のガード下居酒屋は満席。朝から鍋のグループも。日本から、上野がなくなったらお終いだな、なんて、訳の分からないことを考えて入谷。午後、千葉へ帰る。愛犬たちの猛烈な歓迎を受ける。が、愛犬たちもすぐに飽き、その後は興味を示さない。寄ってくるのは、おやつをあげるとき。夜は、疲れたのか、すぐに寝入る。

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12月

 

2013

25.12.28 Sat

 終日、年賀状の作成。パソコンのインクがなくなったので16時にヨドバシ上野。アメ横はすごい人手。帰りに、大統領文楽をのぞき見る。年賀状の投函を終えたのが18時。いつものことながら、印刷だけで一日仕事。もうすぐ平成25年が終わる。終わればまた始まる。一年52週のうちの1週分と考えれば、さほど意味ある1週間ではないのだが、このリセット力は強力である。来年に向けて、再起動しましょう。

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12月

 

2013

25.12.27 Fri

 10時半に市川。事務所に戻り、17時には田原町の遠州屋。今年最後の忘年会。二次会は向島。歌を少々歌い、23時に入谷に戻る。ふぅぅ~。さて、明日は年賀状。

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12月

 

2013

25.12.26 Thu

 夕方、人形町に出かけ知人と食事。書店に立寄り、21時に事務所に戻る。夜は、久しぶりにゆっくりと本を読む。イングランド王リチャードⅢ世。イングランドにスコットランド、ウェールズに北アイルランド。イギリスの歴史も結構めんどくさい。

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12月

 

2013

25.12.25 Wed

 10時にk来客。13時に津田沼。15時半に事務所に戻り、16時半に来客。続けて17時に来客。そのまま二人で18時に四川厨房。21時半に茅場町に移動。トゥリンクで二次会。24時半に入谷に戻る。二人併せた年齢は丁度130歳。ほんにようやる。もちろん、別室に戻り意識不明。

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12月

 

2013

25.12.24 Tue 

 昨夜のガーリックライスが胃に残しながら10時に東銀座。13時に事務所に戻り16時に門前仲町。17時半に事務所に戻り、食事に出る。今日は、クリスマスイブ。街に、その気配がない。繁華街ではなく、下町のせいもあるだろうが、街の小商店ではクリスマス商戦が商機で亡くなった。今から30年前、私の周辺には、今日だけはクリスチャン、という男たちがいた。今はいない。そのまた10年前には、とんがり帽をかぶり、スナックかどこかでもらった小さなケーキを手にして、千鳥足で歩く男たちは、もはやこの世から絶滅した。歳を重ねると、昔の風景が懐かしくなる。

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12月

 

2013

25.12.23 Mon 

 朝、千葉に帰る。日中は、久ぶりに書斎で藤沢周平を読む。なんだろうか、周平作品のこのやさしさは。夕方、浅草に出る。とみいで忘年会。8人でたらふく肉を食べる。オフィシャルな忘年会は、残すは27日のみ。もっとも、いつ忘年会のコールがかかるやらわかりません。

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12月

 

2013

25.12.22 Sun

 昨日は大根、今日は大豆の話。大豆の原産地は中国東北部。縄文時代に日本に伝来したらしい。その生産は、アメリカ、ブラジル、アルゼンチンで80%以上を占め、日本における自給率は10%程度。これはチトさみしい。で、大豆といえば豆腐。世界に、大豆料理は多々あるんだろうが、やはり豆腐。豆腐のパフォーマンスも、大根と同様侮れない。アメリカでは、飲物としても人気があるらしい。夜、麻婆豆腐で紹興酒を飲み、ライスに乗っけて食べ、日中は何でこうもこじれたんだろうかと、不思議に思う。麻婆は日中の架け橋である。

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12月

 

2013

25.12.21 Sat

 大根の発祥は古く、日本には中国、朝鮮から伝来し、稲作以前に全国的に広がっていたという。日本の風土のなかで、独自に進化し、種類も豊富となった。明暦3(1657)年、江戸を襲った大火の復興に当たり、大量の労働人口が江戸に流入したことにより、食材の確保が開発が求められ、江戸近郊で大根が盛んに栽培されるようになった。さてその大根。汁の実によし、煮物(おでん)によし、漬物(沢庵)によし、と、日本酒やご飯との親和性の高さは、いうまでもない。今日は、思いっきり、旨い沢庵を食べい。

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12月

 

2013

25.12.20 Fri 

 10時半に来客。11時半に赤坂見附の顧問先。14時に相模原の顧問先。16時半に銀座の顧問先。19時に、西荻窪の中華料理店で顧客と食事。久しぶりの北京ダック。入谷に戻り22時。クタクタ。

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12月

 

2013

25.12.19 Thu 

 7時前に起きてシャワー。ひと仕事をして、8時半に事務室。12時に事務所を出て、12時半に人形町。13時から打ち合わせ。少々、込み入った案件を3時間。16時に終え、16時半に入谷。18時には、四川厨房でグビグビ。20時半に別室に戻り、餃子の王将社長の射殺事件を知る。当然、個人的面識はまったくないが、王将には大変お世話になった。特に、王将があるから中野(ブロードウェイ)に行くのが楽しみでもあった。なんだかいやな気分になる。

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12月

 

2013

25.12.18 Wed

 10時に来客。11時に人形町。2件の仕事を片付け、『人形町やぶそば』で鴨南そば。お店はきれいではないが(失礼!)、そばの味は逸品。14時に事務所に戻り、18時半には虎の門。ハングリータイガーで顧客と会食。ワインを飲みながら、生ハム、パスタをパクついていると、なんと、隣席に座ったのが娘夫婦。まったくの偶然。こんなところで鉢合わせするなんて、おかげでエライ出費。帰路、上野駅の書店に立寄り、22時に入谷。落ち着きのない年の瀬、たまにはと、李白の詩を開く。最後の詩『臨路歌』。李白とは程遠い、非才かつ小人の私であるが、『誰か為に涕を出さん』で、書の閉じる

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12月

 

2013

25.12.17 Tue

 午前、代々木上原。町の様子が入谷とチト違う。昼過ぎに事務所に戻り、16時半に浅草に向かって歩く。ホッピー通りを通り抜け、浅草寺の羽子板市を覗き、浅草の裏小路を進み、吾妻橋を渡る。アサヒビール本社横にあるアネックスビルのハーモニックへ。マッキカランを飲みたいところだが、ここはアサヒビールの牙城。竹鶴12年をガブガブ。食事を終え上野。入谷に戻り21時。別室で、あぁ一年が終わる、とため息。某都知事を取り巻く環境を鑑みれば、一年という時の流れには、実にいろんなことがある。

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12月

 

2013

25.12.17 Mon 

 夜、永井荷風『里の今昔』を読む。里とは吉原のこと。引き続き、広津柳浪の『今戸心中』を読む。明治20年ころの浅草、千束、入谷、根岸辺りの風景を知る。当時、この地には浅草田圃、入谷田圃が残り、畦道を歩きながら入谷の『松原』、根岸の『塩原』、向島『植半』などの温泉旅館に泊まりに行ったらしい。入谷は、まだまだ自然のなかにあった。でも、青空文庫は実に便利。

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12月

 

2013

25.12.15 Sun 

 江戸の町はに面している。江戸前といえば、その海から採れた海産物のことであり、江戸時代は実に豊富であった。その最たるブランドは鰻であり、今の神田あたりでよく採れたという。神田に、老舗の鰻屋があるのはその名残か。その鰻の漁獲量は、この50年間で四〇分の一に減少した。絶滅危惧種にも指定されんという。乱獲、生息環境の変化が原因なのだろうが、これだけは絶滅してほしくない。遠慮しながら、鰻をいただく。

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12月

 

2013

25.12.14 Sat

 二日酔い。それでも、18時に門前仲町で事務所の忘年会。場所は酒蔵や満平。もう、20年近くのお付き合い。入谷に戻り20時半。ちょいと369に立ち寄り、22時半に別室。今日も、気が付くと布団に寝ている。別に、万年床ではないのですが。

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12月

 

2013

25.12.13 Fri

 夕方、茅場町の同輩の事務所を訪れ、17時から忘年会。さて、何時に終わったのか、気が付いたらい入谷の別室で、ちゃんと布団を敷いて寝ている。よほどお疲れか。夜中に起きだし、最近興味のある維新の元勲の生涯をパラパラ。木戸孝允、明治10年没43歳。西郷隆盛、明治10年没49歳。大久保利通、明治11年没47歳。岩倉具視、明治16年没59歳。

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12月

 

2013

25.12.12 Thu

 米国の歴史は、バージニアのタバコ栽培から始まった。この後、アメリカ大陸の植民地化とアフリカ黒人の奴隷化が進んでいく。この初歩的な歴史を思い浮かべるたびに、文明とは残酷だな、と感じる。快適さと利便さを追及するとき、無視され、切り捨てられ、排除され、ただただ利用されるものがある。切り捨てられたアメリカ原住民族、利用されたアフリカ黒人民族を思うたび、アメリカ社会がこの犠牲のうえに成り立っているのか、と考えると、現代文明の原罪というものを感じてしまう。どうも、酔いが中途半端だと、ときどき面倒くさいことを考え込んでしまう。

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12月

 

2013

25.12.11 Wed 

 午前は勝どき。午後は日本橋。夜は、本所吾妻橋で、18年のマッカランをガブガブ。たまには18年ものでも飲んでいいか。21時に入谷。早々に横になったのだが、寝そびれる。夜中、湯豆腐が食べたくなる。豆腐を買いに行くのが面倒なので、諦める。土鍋に水を入れ、ハマグリ、絹ごし豆腐、塩をパラパラと落とし、後は煮立つのを待つだけ。実に簡単な、男の手料理なんだが。池波正太郎のレシピであります。

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12月

 

2013

25.12.10 Tue

  3時に起きる。昨日のアルコールが残っているが、頑張って仕事。もう、頑張る歳でもないのだが。8時にシャワーを浴び、8時半に事務室。午前中は、メールの返信、発信、電話連絡。午後は、東銀座。事務所に戻り16時。17時半には、東京ガーデンパレスわが業界の忘年会。この業界では、私はまだまだ中堅。ついつい、その心地良さに浸り、浮世離れをしてしまう。これって、けっこう良いことなんですよ。我を忘れるって。事務所に戻り20時半。もう、メールなんか見ないもんね。
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12月

 

2013

25.12.09 Mon 

 私は、大阪市城東区は鴫野という、全体が下町の大阪に在って、そのまた下町の代表という町で小学生時代の6年間を過ごした。道路を挟んで向かいが映画館であった。近所のよしみで、トイレの横、裏口等々、正面玄関でなければ、出入自由にさせてもらっていた。高学年になると片岡千恵蔵、大友柳太郎、市川右太衛門、大川橋蔵、三船敏郎、石原裕次郎、小林旭なんて銀幕のスターに心躍らせた。実に恵まれた映画環境であった。落合博満の『戦士の休息』を読んだせいだろう。なんだか懐かしく思い出したのだが、人生で初めて観た洋画はいったい何だったんだろうか。記憶にない。

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08

 

12月

 

2013

25.12.08 Sun 

 世に、想像を絶する変人という人はいるもので、トポロジー(位相幾何学)を一つの分野として確立させた数学者ポアンカレなんてのも、相当な変人であったらしい。自分の風邪の症状をグラフ化して、母親に手紙を書いて説明したという。今日、そのグラフを見るチャンスがあった。発熱の変化をグラフ化したのではなく、発熱、咳、頭痛、関節の痛みなどを、連続したグラフで説明しているのである。単に、フランス語で書かれているからではなく、さっぱり分からない。母親は、理解出来たのだろうか。ポアンカレといえば、かの宇宙にロープを巡らせ、これを回収することができれば宇宙は丸い、という世紀の数学的難問ポアンカレ予想を残して世を去った、ダ・ビンチにも匹敵するといわれるフランスの天才科学者である。相当に変人であったのだろう。もっとも、100年間も世界の数学者を悩ませた、このポアンカレ予想を証明したとされるロシアのグレゴリー・ペレルマンも、フィールズ賞を辞退し、100万ドルの賞金の受領も辞退し、いまや母親とともに母親の年金で細々と生活しているという。紙と鉛筆と才能さえあれば研究に没頭できるという、もっともコストのかからない学問が数学である。だからかどうか分からないが、この分野には変人が多い。

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08

 

12月

 

2013

25.12.07 Sat 

 7時に事務室。10時に来客。昼は、ビール付中華ランチ。午後は、うたた寝。夜は、熟睡。まさに、斯あるべきというウィーク・エンドを過ごす。

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12月

 

2013

25.12.06 Fri

 突然、映像の本質は記録だ!!と、当たり前のことを確信した。今年7月逝去した映像作家姫田忠義の映像を観た。いま、映像として記録しておかなければ、日本から失われていく文化、風土、民俗習慣。自分の身辺も、自分で記録しなければ消滅してしまう。だから、日記を書き、写真を撮るのだろうが、それよりもこの日本から消し去られる風景を残さなければ。と、根岸の街並みの変化を眺め、つくづくこの10年間の変化を映像として残しておけばよかった、と考えた。

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12月

 

2013

25.12.05 Thu 

 事務所ビルを出て、昭和通りを渡り、小野照崎神社を過ぎしばらく歩くと、うぐいす通りという風雅な通りに出る。うぐいす通りをばし歩き、西蔵院を左折すると鬼平犯科帳にも出てくる光寺にたどり着く。明治時代には、この地に『古能波奈園』という日本料理店があった。今は、ビクトリアという有名下町洋食店がある。この古能波奈園は、別名『岡埜庭園』ともいい、今は閉店してしまった根岸岡埜が経営していた料理屋である。岡埜栄泉は東京の老舗和菓子店であるが、どうも暖簾分けやらの分離が多く、ほとんどが別会社として成り立っているらしい。夏目漱石『三四郎』にも本郷岡埜栄泉が登場する。古能波奈園を舞台とした古写真を見ていると、当時の和菓子店の力がしのばれる。

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05

 

12月

 

2013

25.12.04 Wed 

 今日の忘年会は、東京スカイツリータウン・ソラマチ31階のTop of Tree。東京の夜景を見ながらの宴会。アヒージョなるスペイン料理を、おそらく初めて食す。美味なり美味なり。ただし、飲むのはマッカラン。スコッチ・ウイスキーとスペイン料理。430年前のその昔、イングランドとスペインが戦争していたことを思い出し、俺の腹のなかで今再び仲直りしろ、とゴクゴク、ガツガツ。事務所に戻り21時。一日が、短いんだか長いんだか。一年は間違いなく短いが。

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04

 

12月

 

2013

25.12.03 Tue

 10時前に事務所を出て、人形町の先輩事務所、赤坂見附の顧問先、築地の同輩の事務所、茅場町と移動し、16時に事務所にっ戻り、17時には北千住の駅に立つという師走ならではの動き。フォーハノイでベトナム料理。食事を終え、入谷に戻り20時過ぎ。寒いなぁぁ~。夜は、落合博満の『戦士の休息』をパラパラ。落合元監督の映画論。

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12月

 

2013

25.12.02 Mon 

 15時に来客を迎え、16時半に飲み処を求め、タクシーで茅場町へ、17時から22時半。飲みに飲んで入谷へ戻る。いまでしょ、おもてなし、じぇじぇじぇ、倍返し。今年の流行語大賞は、この4語ということを知る。さて、これから10年先、どの言葉で今年を振り返ることができるであろうか。カステラで焼酎を飲みながら思う。ちなみに10年前の大賞は、毒まんじゅう、なんでだろう~、マニフェスト。毒まんじゅうで、時代を思い起こす。

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12月

 

2013

25.12.01 Sun

 午後、浅草に出る。スカイツリーをみながら吾妻橋を渡り、13時からアサヒビールタワー21階の『もちづき』。新潟からの来客と会食。15時に食事を終え、スマホで国立最後の早明戦(ラグビー)を観る。80年代の、タテへタテへと愚直に突き進む、明治のラグビーが記憶にこびりついている。別にどちらを応援しているというわけではないのだが、前へ前へのラグビーをみたい。夜は、天明の大飢饉について知識を得る。飢饉は天災であるが、多数の餓死者を出すのは政治的人災である。備蓄米の乏しさは、東北諸藩の政治的脆弱さが原因であることを知る。

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友廣清志税理士事務所

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2022年

7月

25日

22.07.25 Mon

 昼、千葉そごう。桃源でラーメンに餃子。遠慮がちにビール。まだまだ、ウイークデイの昼ビールに後ろめたさを感じます。そう、気が小さいのであります。大振りの餃子をみて、小声でビールの追加。最近。ぼくのまわりで病を得る者がチラホラ。歳なんだからしょうがないが、そんなに急がなくても、と、独り言。

2022年

6月

26日

22.06.26 Sun

 暑くてぼぉぉ~、としている間に6月も下旬。みなさぁ~ん、なんとか生きております。昨日、50年以上付き合いの6人の仲間と、昼ビールを飲んで、確認しました。バカはいつまでたってもバカです。

2022年

5月

30日

22.05.30 Mon

 欧米人は、パスタ(麺)を啜って食べるkとはないという。日本人は、そば(パスタ)を啜って食べる。そりゃそうだ、箸を使う限り、啜らざるを得ない。ナポリタンを箸で食べれば、煤たざるを得ない。フォーク文化か箸文化か。食文化の分岐点は、フォークか箸かにあるのではないでしょうか。ぼくは、スパゲッティを箸で食べます。サラダも。ナイフとフォークを使うのは、ステーキを切る時だけです。滅多にありませんが。

2022年

5月

22日

22.05.22 Sun

 一昨日、何年かぶりにスカイツリーに行ってまいりました。もっとも、本所警察署に赴いたついでに立ち寄ったのですが、ようこんなものを建てることを思いついたもんだと、六厘舎でつけ麺を食べながら、いまさらのように感心しておりました。ちなみに、本所警察署は、落し物の件でありまして、何らかの事件を引き起こしたり、巻き込まれたりしたものではありません。

2022年

5月

16日

22.05.15 Mon

 そうか、今年は平成でいえば34年か。いまだに、西暦で物事を語られても、その当時の自分の記憶がピンとこない。いまから35年前、と言われても、ピンとこない。和暦を、西暦に換算して、35年を差し引いて、そしてまた和暦に換算する。そのころには、なぜそんなことをしているのかを忘れてしまう。思い出を訪ねるにもメンドクサイことになりました。あの出来事って、何年前だっけ、と話しているときのことです。なんかいい方法はないもんでしょうか。

2022年

4月

17日

22.04.17 Sun

 破竹の2連勝をしたかと思うと、今日は敗北。それでも温かく、慈しむのが阪神ファン。そのうち怒涛の3連勝をしてくれるさ。

2022年

4月

13日

22.04.12 Tue

 エイプリルフールを試すこともなく、4月半ばまで過ぎてしまいました。ウクライナのことは語るまい、そう決めました。すると、いま語ることが亡くなりました。シリア内線では死者50万人、避難民1300万人といわれています。ぼくは、もっともっと怒っていいと思います。語ることはしなくとも、起こることはします。