火
31
12月
2013
月
30
12月
2013
月
30
12月
2013
日
29
12月
2013
土
28
12月
2013
金
27
12月
2013
木
26
12月
2013
水
25
12月
2013
昨夜のガーリックライスが胃に残しながら10時に東銀座。13時に事務所に戻り16時に門前仲町。17時半に事務所に戻り、食事に出る。今日は、クリスマスイブ。街に、その気配がない。繁華街ではなく、下町のせいもあるだろうが、街の小商店ではクリスマス商戦が商機で亡くなった。今から30年前、私の周辺には、今日だけはクリスチャン、という男たちがいた。今はいない。そのまた10年前には、とんがり帽をかぶり、スナックかどこかでもらった小さなケーキを手にして、千鳥足で歩く男たちは、もはやこの世から絶滅した。歳を重ねると、昔の風景が懐かしくなる。
月
23
12月
2013
朝、千葉に帰る。日中は、久ぶりに書斎で藤沢周平を読む。なんだろうか、周平作品のこのやさしさは。夕方、浅草に出る。とみいで忘年会。8人でたらふく肉を食べる。オフィシャルな忘年会は、残すは27日のみ。もっとも、いつ忘年会のコールがかかるやらわかりません。
月
23
12月
2013
昨日は大根、今日は大豆の話。大豆の原産地は中国東北部。縄文時代に日本に伝来したらしい。その生産は、アメリカ、ブラジル、アルゼンチンで80%以上を占め、日本における自給率は10%程度。これはチトさみしい。で、大豆といえば豆腐。世界に、大豆料理は多々あるんだろうが、やはり豆腐。豆腐のパフォーマンスも、大根と同様侮れない。アメリカでは、飲物としても人気があるらしい。夜、麻婆豆腐で紹興酒を飲み、ライスに乗っけて食べ、日中は何でこうもこじれたんだろうかと、不思議に思う。麻婆は日中の架け橋である。
土
21
12月
2013
大根の発祥は古く、日本には中国、朝鮮から伝来し、稲作以前に全国的に広がっていたという。日本の風土のなかで、独自に進化し、種類も豊富となった。明暦3(1657)年、江戸を襲った大火の復興に当たり、大量の労働人口が江戸に流入したことにより、食材の確保が開発が求められ、江戸近郊で大根が盛んに栽培されるようになった。さてその大根。汁の実によし、煮物(おでん)によし、漬物(沢庵)によし、と、日本酒やご飯との親和性の高さは、いうまでもない。今日は、思いっきり、旨い沢庵を食べい。
土
21
12月
2013
木
19
12月
2013
7時前に起きてシャワー。ひと仕事をして、8時半に事務室。12時に事務所を出て、12時半に人形町。13時から打ち合わせ。少々、込み入った案件を3時間。16時に終え、16時半に入谷。18時には、四川厨房でグビグビ。20時半に別室に戻り、餃子の王将社長の射殺事件を知る。当然、個人的面識はまったくないが、王将には大変お世話になった。特に、王将があるから中野(ブロードウェイ)に行くのが楽しみでもあった。なんだかいやな気分になる。
木
19
12月
2013
10時に来客。11時に人形町。2件の仕事を片付け、『人形町やぶそば』で鴨南そば。お店はきれいではないが(失礼!)、そばの味は逸品。14時に事務所に戻り、18時半には虎の門。ハングリータイガーで顧客と会食。ワインを飲みながら、生ハム、パスタをパクついていると、なんと、隣席に座ったのが娘夫婦。まったくの偶然。こんなところで鉢合わせするなんて、おかげでエライ出費。帰路、上野駅の書店に立寄り、22時に入谷。落ち着きのない年の瀬、たまにはと、李白の詩を開く。最後の詩『臨路歌』。李白とは程遠い、非才かつ小人の私であるが、『誰か為に涕を出さん』で、書の閉じる
月
16
12月
2013
夜、永井荷風『里の今昔』を読む。里とは吉原のこと。引き続き、広津柳浪の『今戸心中』を読む。明治20年ころの浅草、千束、入谷、根岸辺りの風景を知る。当時、この地には浅草田圃、入谷田圃が残り、畦道を歩きながら入谷の『松原』、根岸の『塩原』、向島『植半』などの温泉旅館に泊まりに行ったらしい。入谷は、まだまだ自然のなかにあった。でも、青空文庫は実に便利。
日
15
12月
2013
江戸の町は海に面している。江戸前といえば、その海から採れた海産物のことであり、江戸時代は実に豊富であった。その最たるブランドは鰻であり、今の神田あたりでよく採れたという。神田に、老舗の鰻屋があるのはその名残か。その鰻の漁獲量は、この50年間で四〇分の一に減少した。絶滅危惧種にも指定されんという。乱獲、生息環境の変化が原因なのだろうが、これだけは絶滅してほしくない。遠慮しながら、鰻をいただく。
土
14
12月
2013
夕方、茅場町の同輩の事務所を訪れ、17時から忘年会。さて、何時に終わったのか、気が付いたらい入谷の別室で、ちゃんと布団を敷いて寝ている。よほどお疲れか。夜中に起きだし、最近興味のある維新の元勲の生涯をパラパラ。木戸孝允、明治10年没43歳。西郷隆盛、明治10年没49歳。大久保利通、明治11年没47歳。岩倉具視、明治16年没59歳。
金
13
12月
2013
米国の歴史は、バージニアのタバコ栽培から始まった。この後、アメリカ大陸の植民地化とアフリカ黒人の奴隷化が進んでいく。この初歩的な歴史を思い浮かべるたびに、文明とは残酷だな、と感じる。快適さと利便さを追及するとき、無視され、切り捨てられ、排除され、ただただ利用されるものがある。切り捨てられたアメリカ原住民族、利用されたアフリカ黒人民族を思うたび、アメリカ社会がこの犠牲のうえに成り立っているのか、と考えると、現代文明の原罪というものを感じてしまう。どうも、酔いが中途半端だと、ときどき面倒くさいことを考え込んでしまう。
水
11
12月
2013
午前は勝どき。午後は日本橋。夜は、本所吾妻橋で、18年のマッカランをガブガブ。たまには18年ものでも飲んでいいか。21時に入谷。早々に横になったのだが、寝そびれる。夜中、湯豆腐が食べたくなる。豆腐を買いに行くのが面倒なので、諦める。土鍋に水を入れ、ハマグリ、絹ごし豆腐、塩をパラパラと落とし、後は煮立つのを待つだけ。実に簡単な、男の手料理なんだが。池波正太郎のレシピであります。
火
10
12月
2013
月
09
12月
2013
私は、大阪市城東区は鴫野という、全体が下町の大阪に在って、そのまた下町の代表という町で小学生時代の6年間を過ごした。道路を挟んで向かいが映画館であった。近所のよしみで、トイレの横、裏口等々、正面玄関でなければ、出入自由にさせてもらっていた。高学年になると片岡千恵蔵、大友柳太郎、市川右太衛門、大川橋蔵、三船敏郎、石原裕次郎、小林旭なんて銀幕のスターに心躍らせた。実に恵まれた映画環境であった。落合博満の『戦士の休息』を読んだせいだろう。なんだか懐かしく思い出したのだが、人生で初めて観た洋画はいったい何だったんだろうか。記憶にない。
日
08
12月
2013
世に、想像を絶する変人という人はいるもので、トポロジー(位相幾何学)を一つの分野として確立させた数学者ポアンカレなんてのも、相当な変人であったらしい。自分の風邪の症状をグラフ化して、母親に手紙を書いて説明したという。今日、そのグラフを見るチャンスがあった。発熱の変化をグラフ化したのではなく、発熱、咳、頭痛、関節の痛みなどを、連続したグラフで説明しているのである。単に、フランス語で書かれているからではなく、さっぱり分からない。母親は、理解出来たのだろうか。ポアンカレといえば、かの宇宙にロープを巡らせ、これを回収することができれば宇宙は丸い、という世紀の数学的難問ポアンカレ予想を残して世を去った、ダ・ビンチにも匹敵するといわれるフランスの天才科学者である。相当に変人であったのだろう。もっとも、100年間も世界の数学者を悩ませた、このポアンカレ予想を証明したとされるロシアのグレゴリー・ペレルマンも、フィールズ賞を辞退し、100万ドルの賞金の受領も辞退し、いまや母親とともに母親の年金で細々と生活しているという。紙と鉛筆と才能さえあれば研究に没頭できるという、もっともコストのかからない学問が数学である。だからかどうか分からないが、この分野には変人が多い。
日
08
12月
2013
7時に事務室。10時に来客。昼は、ビール付中華ランチ。午後は、うたた寝。夜は、熟睡。まさに、斯あるべきというウィーク・エンドを過ごす。
土
07
12月
2013
突然、映像の本質は記録だ!!と、当たり前のことを確信した。今年7月逝去した映像作家姫田忠義の映像を観た。いま、映像として記録しておかなければ、日本から失われていく文化、風土、民俗習慣。自分の身辺も、自分で記録しなければ消滅してしまう。だから、日記を書き、写真を撮るのだろうが、それよりもこの日本から消し去られる風景を残さなければ。と、根岸の街並みの変化を眺め、つくづくこの10年間の変化を映像として残しておけばよかった、と考えた。
木
05
12月
2013
事務所ビルを出て、昭和通りを渡り、小野照崎神社を過ぎしばらく歩くと、うぐいす通りという風雅な通りに出る。うぐいす通りをばし歩き、西蔵院を左折すると鬼平犯科帳にも出てくる円光寺にたどり着く。明治時代には、この地に『古能波奈園』という日本料理店があった。今は、ビクトリアという有名下町洋食店がある。この古能波奈園は、別名『岡埜庭園』ともいい、今は閉店してしまった根岸岡埜が経営していた料理屋である。岡埜栄泉は東京の老舗和菓子店であるが、どうも暖簾分けやらの分離が多く、ほとんどが別会社として成り立っているらしい。夏目漱石『三四郎』にも本郷岡埜栄泉が登場する。古能波奈園を舞台とした古写真を見ていると、当時の和菓子店の力がしのばれる。
木
05
12月
2013
今日の忘年会は、東京スカイツリータウン・ソラマチ31階のTop of Tree。東京の夜景を見ながらの宴会。アヒージョなるスペイン料理を、おそらく初めて食す。美味なり美味なり。ただし、飲むのはマッカラン。スコッチ・ウイスキーとスペイン料理。430年前のその昔、イングランドとスペインが戦争していたことを思い出し、俺の腹のなかで今再び仲直りしろ、とゴクゴク、ガツガツ。事務所に戻り21時。一日が、短いんだか長いんだか。一年は間違いなく短いが。
水
04
12月
2013
10時前に事務所を出て、人形町の先輩事務所、赤坂見附の顧問先、築地の同輩の事務所、茅場町と移動し、16時に事務所にっ戻り、17時には北千住の駅に立つという師走ならではの動き。フォーハノイでベトナム料理。食事を終え、入谷に戻り20時過ぎ。寒いなぁぁ~。夜は、落合博満の『戦士の休息』をパラパラ。落合元監督の映画論。
月
02
12月
2013
15時に来客を迎え、16時半に飲み処を求め、タクシーで茅場町へ、17時から22時半。飲みに飲んで入谷へ戻る。いまでしょ、おもてなし、じぇじぇじぇ、倍返し。今年の流行語大賞は、この4語ということを知る。さて、これから10年先、どの言葉で今年を振り返ることができるであろうか。カステラで焼酎を飲みながら思う。ちなみに10年前の大賞は、毒まんじゅう、なんでだろう~、マニフェスト。毒まんじゅうで、時代を思い起こす。
日
01
12月
2013