10時に銀座のクリニック。相変わらず、血の巡りの悪い男である。昼に事務所に戻り、今日で10月が終わることに気がつく。今年も残り2ヶ月。一年12ヶ月の、どこの2ヶ月を切り取っても、11月12月の2ヶ月が最も早く過ぎていく。夜、書棚を片付けていて、九鬼周造『「いき」の構造』を見つける。高校生の頃、この本は、自然科学者が書いた『息』に関する本と思っていた。これが『粋』のことについて書かれた本であると知ったのは、二十歳もはるかに過ぎた頃だった。
9時半に事務所を出て上野。松坂屋の南館がが解体されている。平成29年に地下2階、地上23階で
新南館として建て替わる。1F~6Fがパスコ。7F~10FがTOHOシネマズ、12F~22Fがオフィス。上野も変わる。昼に事務所に戻り、15時に来客。話し込んでいるうちに17時。帳が下りるとともに、阪神ことが気になって、そわそわ。結果は報ぜられたとおり。いい夢をみさせていただいた。去年の楽天といい、今年のホークスといい。親会社は情報産業。これも時代か。ともかくホークスに賞賛を。
10時半に来客。昼、知人と
ツインツリー。ガツンと食べ、それでなくとも喪失気味の闘争心が急速に薄れる。夜は、いつものとおり
四川厨房。映し出されている阪神戦。ある瞬間だけ、猛虎のごとく強い阪神。そして、眠り猫のごとくおとなしくなる阪神。その不甲斐なさに、イライラして胃が痛い。まあ、これが阪神を愛するということなんだが。
ウサギとカメの話を思い出した。ウサギが昼寝をしている間に歩みの鈍いカメが抜き去り、勝利するという話である。ひろさちや氏が書いておられたのだが、インド人にこの話をすると、そりゃぁ~カメが卑怯だ、となるそうである。さすが、あのインド哲学を産み出した民族である。競争相手が寝ているのなら、なぜ起こしてあげないのか、そこまでして競争に勝ちたいのか。友情、友愛、共に生きる、という精神に欠けている、とこうなる。もともとイソップの寓話から出てきたのがウサギとカメの話。勤勉であれば競争と勝利が手に入るという方程式は、この時代、もういい。勤勉、友情、友愛、共感、共生。日本も、これらをこれから共有すべき価値観としなければ、と思う。もっとも、競争社会の真っただ中にいると、勝利というワードしか頭のなかには生まれてこないが。
8時半に事務所を出て三軒茶屋。一旦、事務所に戻り14時半に門前仲町。16時半に事務所に戻り、18時半に
四川厨房。蒸し暑かった昼も、日が沈むとともに風が心地よい。20時に別室に戻り、畳にゴロリ。今日もクライアントと話題になったが、なぜ歳を重ねると時の経つのが早く感じるのか。歳とともに動作が鈍くなるからだと、話し合った。一種の相対性理論であるが、かもしれませんなぁ~。
深夜25時半に起きる。NHKオンディマンドを観ているうちに朝を迎える。9時に事務室に入り仕事。昼をとり、14時に千葉へ。秋の昼下がり、書斎で久しぶりにマイルス・デイビスのペットを聴く。地下室のメロディだったろうか、高校生の頃に見た映画の挿入曲のマイルスのクールな調べに震えた。夜は、眠いのをこらえて阪神を応援するも、残念。ちなみに、我が阪神道の先輩に西田敏行がいて、後輩に渡辺謙がいる。もっとも、相手は私のことを知らないが。
少々二日酔い。8時半に事務室。13時半に、昨夜一緒に飲んだスタッフが出勤。あれから、二人で二次会に行ったという。私は、鶯谷からどこをどう帰ったか分からないというに。午後は、別室でラジオを聴きながらノンフィクション。大下英治『闇の支配者』。ロッキード、三越、平和相互銀行、佐川急便、リクルート。蛇の目ミシン、ライブドアの7事件。いすれも東京地検特捜部が手がけたもの。事件になったから事件として知られたのだが、事件とならない大きな事件が世には存在するのだろうが、闇は闇であることすら分からない。夜は
栄龍。阪神の勝利を確認して布団に入る。
10時半に来客。14時、16時と来客。何となく、年が押し迫ってきたような季節感。そういえば、来月の10日、22日と酉の市。年の瀬はすぐそこである。夕方、来客とともに24時間営業の鶯谷北口前
信濃路へ。17時から飲み始め、20時半。来客ではあるが、20数年間に建設会社の役員をしていたときの部下。心置きなく存分に飲みかつ食べる。15歳年下の飲み盛りを相手に少々頑張りすぎて、記憶喪失。気が付くと別室で大の字。こればかりは、歳を重ねても直らない。
江戸の町は常に膨張していた。八百八長といわれるが、その倍以上である。 その範囲(
御府内)が正式の決められたのは、文政元年(1818)12月であったという。東は中川限り(亀戸)、西は神田上水限り(新宿)、南は南品川町を含む目黒川辺、北は荒川・石神井川下流限りとなっている。江戸を、南東に歩くとする。品川から日本橋まで12キロメートル、日本橋から三ノ輪まで6キロメートル。およそ男の足で4時間。その当時、これだけの距離の違いがあると、生活圏は全く異なる。神田日本橋に居を構える者にとって品川、三ノ輪は知っていても、三ノ輪の者は品川の町を知らない。江戸の下谷を舞台にした江戸市井の小説には、なかなか品川が出てこない。
三越日本橋店に立ち寄ったところ、店頭のライオンが今年で100歳であることを知る。学生時代、仲間達と、このライオンを主役にしたシナリオを考えたことがある。宇宙からの怪物の侵略に、立ち上がる
三越のライオン。戦い、地球を救うという物語である。三越をスポンサーにして、映画を作ろうか、とう話であったが、当然、立ち消えになった。今から44年前。ということは、当時ライオンは56歳。地球を救うには、少々歳であったか。
8時に事務所を出て、昼に戻る。午後、事務所で仕事をしているといつの間にか帳が下りている。陽の暮れるのが早くなった。夜は、青山文平『白樫の樹の下で』を携えて四川厨房。別室に戻り五蘊皆空を考える。こういうブッダの世界は、少々酔っているほうが侵入しやすい。酔いは大胆に妄想の世界を与えてくれる。
仕事を終えた夜、やたらとカレーを食べたくなった。ウキペディアによれば、カレーライスはインド料理を元にイギリスで生み出され、日本でアレンジされたものらしい。うんちくはともかく、私の場合、カレーにたどり着く前に、少々というか多分にというか、アルコールが必要ということで、夜のカレーというのは、場所探しで、チト面倒なのである。ということで、久しぶりに根岸は柳通りへ。とあるラーメン屋で、ビールと餃子と野菜炒め。当然、最後にカレーライス。その間、滅多に読まない週刊誌を3冊。小さなシアワセをお腹に満たし別室へ。TOKYO
MXというテレビ局で、ソフトバンクと日ハム戦。なんとなくレアな夜を過ごす。
あらゆる人々は、ひたすら死に向かって進んでいる(スッタニバータ)。60を過ぎると、身近な者が病に倒れたり、他界したりと、死への道筋がみえてくる。だからといって死への恐れが高まるわけでもなく、それはそれでこれが人間なんだと、消極的ではあるが受け入れるようになる。というか、若いころより生きることや死ぬことを特別なものと考えなくなり、無理なく成り行きで生きていけるようになる。忙しないスピードで人々が行き交う東京駅の雑踏で、里山のゆったりさでのんびりと歩いていると、マイペースという言葉がしっくりくる。枯れて行くって、いいものであります。
今日はもう、当然阪神タイガースの話。私の小さいころ、阪神と巨人、阪神と中日、阪神と広島、阪神と大洋、阪神と国鉄、こういう組み合わせの野球しかないと思っていた。よもや、巨人と中日が試合をしているとは考えも及ばなかった。阪神って、大変なんだと幼い心を痛めていた。ということで、阪神タイガースという魔界に入り込んでしまったわが身には、他球団に対し、心のホンの欠けらすらも傾ける余裕のないまま今日この歳に至ってしまった。その当時の私の周りは、そんな少年であふれていた。歳を重ねるに従って、これらの少年も、実際は阪神よりも阪神ファンのほうが大変なんだということを理解するのであるが、時はすでに遅く、脱落することも浮気をすることもなく、その種の阪神ファンはイライラ、ハラハラ、グジュグジュ、ウジウジとした人生を送り、なかにはただひたすらファンであることを密やかに潜めたりしているのである。で、思い出したように、今日のようにこうして日頃の鬱憤を爆発させることができる機会を、我が阪神タイガースはプレゼントしてくれるのである。しかも、巨人を相手にして。阪神ファンは、連戦連敗の営業マンがたまに打つホームランに、涙を流して喜ぶ会社幹部のようである。とにかくうれしい。
脇が甘い。これを英語で何と表現するのだろうか。今、和製英語で表すとすればYuko-Obuchiだろう。私は、そんなにシビアーな人生を送ってきたわけでなく、実にユルユルのな生き方をしてきたのであるが、そのユルユル人生から見ても、甘い。李下に冠を正さず、と昔から教わるではないか。江戸時代では、寺子屋で教えた。
昨日の、阪神の勝利に少々ハイになりほぼ徹夜。そのままテンション高く朝を迎えるものの、来客が帰った15時にはグッタリ。16時には、別室でゴロリ。やはり、世界の創造主は存在しない、と突如思う。また、輪廻もない。だから解脱の必要もない。が、それなりの悟りは必要である。それなりの。ということで、それなりの悟りを求めて出かける。
午後、神谷町の法律事務所。一旦事務所に戻り、18時に上野
梅の花。会食を終え、入谷に戻り21時。希望していた阪神の勝利を確認。明日は、阪神の勝利を確信。しかし寒い。
なんだか久しぶりに事務所に出た感じかして、懐かしい。終日、比較的にまじめに仕事。そのためか急速に減速し、ガス欠かつ電池切れ。四川厨房に赴き鍋焼麻婆豆腐。テレビで、明日からのクライマックスシリーズの阪神情報。阪神が、最も輝いていたのが1985年の昭和60年。掛布、バース、岡田を擁し優勝した。真弓もいた。なんといっても代打に浪速の春団治こと川藤幸三がいた。阪神のチャンスにファンは『カワトウ出さんかい!!』と叫ぶ。川藤が出ると、『ホンマに出してどないすんねん!!』とファンを沸かした、あの川藤がいた。阪神は、昭和の代名詞である。
台風から逃れるように千葉に戻る。夜は、
ノア約束の舟をDVDで観る。よくわからないまま見終える。スペクタクルとしては見ごたえがあるのだろうが、やはり神を信じない者にはしっくりとこない。悪役であるドバル・カインの、『人間は、神の声ではなく、自分の意志で生きるのだ』が印象的。
なにやかやとバタバタしているなかで、ぽっかりと空いた時間。久しぶりに、ゆったりと外気を吸う。ここのところ、長い移動はするものの外に出ることがなかった。映画『蜩の気』を観て、帰路に書店に立ち寄る。吉本隆明全集第4巻を購入。夜は、早々と床に就く。
休日であるが、日中は慌ただしく過ぎる。夕方から夜、何もすることなくゆったりと時が過ぎる。秋の夜が深まるとともに酔いも深まり、詩歌の冊子を取り出す。
秋深き 隣は何を する人ぞ 芭蕉
なじみの薄い土地にいると、日本という狭い国にあっても、幾多多くの生活が重なり合ってこの世ができていることを実感する。
青山文平、昭和23年生まれ。葉室麟、昭和26年生まれ。いずれも時代小説の作家。私と同世代。削ぎ落された文体に、溢れるような情感が滲み出る作風の書き手である。今日のような秋の夜は、小説とアルコールがよく似合う。
9時に来客。昼は、来客とともに竜泉の
ツインツリー。15時に来客。込み入った話を16時半まで。完全に電池切れ。そういえば、ここ数日間あまり寝ていない。別に、ハードボイルドに生きたいわけじゃないから、今日は何時もの通りソフトボイルド。21時には、ほろ酔いで夢のなか。
夜、東京に戻る。岐阜と東京の人波の違いに、改めて気がつく。別に、地方のすべてが優れていて、都会のすべてが劣っているわけではないが、歳を重ねれば、地方の優しさは、都会の利便性を上回る。
10時に来客。11時半に東京駅。14時にJR岐阜駅。駅ビルで、飛び込んだレストランが、とんかつ屋。しかも、東京名物と名をうたったとんかつ。ここまできて東京テイストでもあるまいがと、思ったものの出るわけにもいかず、そのままオーダー。本当は、味噌うどんを食べたかったのだが、とんかつも味噌だれが美味い。15時過ぎに岐阜北高校近くの目的地に着く。所用が終わったのが18時過ぎ。シャワーを浴び、:ビール、ワイン、ジャック・ダニエルを飲む。岐阜に居を構えたことはないが、この地に幾度となく泊り、飲んできた。誰もいない大きな家で、東京を遠く離れて飲んでいると、浮世がどうでもよくなる。
いやはや、プライベートなことだけれど、慌ただしい。しばし、東京と関西某所を行ったり来たり。
池波正太郎の『鬼平犯科帳』を読みながら過ごす。長谷川平蔵(鬼の平蔵)が食べる江戸物を、鬼平レシピまたは池波レシピという。今日のように肌寒いときは、鬼平が好んだ
軍鶏鍋、
泥鰌鍋、
蛤鍋なんてのを食べたくなる。が、台風で大雨。外で食べても、雨のなかを帰るのが億劫。ということで、水をたっぷりと入れた小鍋に、豆腐をそのまま入れ、火をつけて忘れたころに火を消す。豆腐を取り出して、鰹節をぶっかければおしまい。鬼平も、自分でつくれば、きっとこの程度だ。
土曜日であるが慌ただしい。慌ただしさは、食事に影響を及ぼす。夜に、カレーを少々。もちろんビールも一緒だが、昨日とはえらい違い。いい歳をして、食い意地が張っていてお恥ずかしいが、明日はもっとまともな食事をしよう。
二日酔い。熱いシャワーを浴び事務室。今日は、大家(東京菓子協会)の菓子祭。11時半から、事務所スタッフ一同が招待されプチ宴会。ビール、お燗、ワインは、私にとって向かい酒。宴の終わった13時には、飛ばした私は、酔いの6段階でいえばほろ酔い極期。酔いの6段階とは、爽快期、ほろ酔い初期、ほろ酔い極期、酩酊極期、泥酔期、昏睡期をいう。昨日の夜は酩酊極期。
13時に来客。16時に来客。17時半に、来客とともに
四川厨房。ここはもう会議室。21時頃まで、打ち合わせの延長。でも、二人とも真っ直ぐ歩けないほどヨタヨタしながら帰る。別室に戻り、気が付くと畳の上。いまさら反省しても手遅れと知り、ためらうことなく再び夢の中に突入。
午後、赤坂見附。15時に事務所に戻る。夕方、北千住。食事をして20時半に入谷。夜は、小林秀雄の本居宣長を読む。歴史とは、その出来事を人間がどう感じどう考えたかの、精神の過程のことである、と小林秀雄は語っている、と思う。なんせ難解な文章であります。しかし、若いころは毛嫌いしていた小林秀雄の言葉が、最近分かるような気がする。