今から二千数百年前、大陸は春秋・戦国時代といわれ、戦いに明け暮れていた。その戦禍を避け、大陸から多くの人々が日本列島に到来した。渡来人といわれる。そのころ日本列島では、森林の恵みで暮らす縄文人が集落をなし生活していた。水田稲作で安定した食料を得る術をもった渡来人は、九州から関西へと東上し、その生活圏を拡大した。やがて、渡来人の集落は瞬く間に濃尾平野まで到達した。しかし、ここでしばらく東上は停滞する。稲作に不適切な森林地帯と、東日本列島に多く住んでいた縄文人の存在が障碍となった。やがて、渡来人と縄文人は融合し日本人となったとはいえ、ここに関西と関東の文化の相違のルーツがある、と私は思う。関西人のDNAは渡来人なのである。
インドは、昔イギリスsの植民地であった。したがって香辛料としてのカレーはイギリスにもたらされた。そのイギリスから日本海軍に伝播して、日本でカレーライスが誕生した。おそらく横須賀であろう。そのカレーライスは、大阪で進化繚乱した。その大阪カレーの一種として。混ぜカレーなるものがある。いや、私が大阪にいたころの45年前にはあった。正式名称は忘れた。カレーとご飯があらかじめ混ぜてある。これがこんもりと皿に盛られて出てくる。我々は、その天井に穴を空け、生卵を落とし、ソースをかける。そして混ぜカレーをさらに混ぜて食す。これは我が家の家庭料理ではなく、どうどうとお店で提供されていたのである。遼太郎風に言えば、まこと大阪の食は深く、これを産み出す大阪人のものの考え方には圧倒される。
8時半に事務所を出て、築地聖路加病院。診察を終え、治記事場外市場を歩く。ウイークデイの昼にもかかわらずすごい人出。ここはもう東京名所。外人観光客が多い。13時半に事務所に戻る。夜は、あぁ~鰻か食いたいと思いながら、すき焼きを食べる。実に美味なり。
9時に事務所を出る。昨日と変わって晴天。10時に戸越。11時半に日本橋。知人と食事をし、事務所に戻り14時。17時半にはガス欠。プラプラと浅草方面に出かけ、ひょいと居酒屋に入る。ほろ酔い加減で事務所に戻り20時。今度は電池切れ。21時にニュースを見ながらうたた寝。気がつくと深夜。なんだか時の過ぎるのが早い。
午前は新宿。昼は、シーフードカレー。午後は、そのまま厚木。空気がひんやり。仕事を終え、入谷に戻り、そのまま四川厨房。鍋焼麻婆。なかなか治らなかった鼻風邪が治る。月刊文藝春秋を読んでいると、アメリカでは中高年のうつ病が深刻な問題となっているとのレポートを読む。想像を超える割合である。へぇ~、あの心身ともにタフな奴らが、と、ちょっと意外。若いころ、仕事で接したアメリカ人は、気遣い心遣いはむしろ日本人より細やかな面があったが、なんせ心身とも我々よりはるかにタフだったのに。原因は『孤独』。
明神様という神様のことである。東京では神田明神。空海が開山した高野山にも狩場明神と丹生都比売明神が祭られている。さて、この明神様のことがよく分からない。おそらく、神様と仏様が一体化した日本的な考えが、この明神信仰に象徴されているのだろうが、考えてみると実に不思議だ。信じるということは考えるということではないのだろうが、明神様ってなんだろう。てなことを考える秋の夜は長い。
久しぶりの事務所。夕方、自宅に戻りゴロリ。そのまま夢のなか。なぜかカレーライスの夢を見る。
伝助Ⅲ号を10時間ばかり運転。ようやく千葉に着く。日本は広い。土地土地に様々な自然がある。
西国にいると、歴史の奥深さを感じ取ることができる。500年以上も前から語られる地区の歴史や言い伝え。伝統といえば伝統、因習といえば因習。いささか窮屈なところがあるが、たまに訪れれば結構い心地がいい。なんの話か分からないでしょうが、そんなところにいる。
大阪は茨木市に耳原という地区がある。いまから400年程前は摂津鴨下郡耳原村といわれ、そのまた昔は、邪馬台国はここにあったと主張する説もある。私が、小中高と12年間過ごした近くである。4代前の先祖様がここにいた。そして、今日私はここにいる。
10時に上野。事務所に戻り14時に西新宿。16時にb再び事務所にもり、本日の業務かこれにて終了。事情があって東京を離れる。
書くまいと思うのだが、やはり書く。なんで解散か。前回の衆議院議員総選挙が一昨年の平成24年12月16日。まだ、二年しかたっとりゃせんがな。とは言いつつも、もともと祭り好きの人間が故に、立候補者の一覧票など見てけっこう楽しんでおるのですが、でも解散理由がよく分かりません。落ち着きのない日本の、落ち着きのなさの代表のような気がしてならないのであります。
市川での仕事を終えたのが15時半。そのまま北千住に赴き、うまやで会食。入谷に戻り20時半。高倉健の死去を知る。昭和残侠伝の花田秀次郎に出会ったのが18歳。シビレたのなんのって。その後、健さんは、どのような役をやろうとも、どのようなストーリーのなかで登場しようとも、私にとっては花田秀次郎であった。時の流れや、時の空気に超然とし、一本道しか歩けない、いや歩かない。いたるところで折り合いをつけ、妥協的に、とくに自分に妥協して生きている我々にとって、秀次郎のような不変の姿が憧れであった。とにもかくも、私の周りから確かなものがまた一つ無くなった。
8時半に事務所を出て、9時半に三軒茶屋。仕事を終え、事務所に戻り12時半。あちらこちらと電話をし、打合せをしていると、もう18時半。どうも風邪気味。食事をし、早々と別室に閉じこもる。夜は、白居易、字は楽天、通称白楽天の詩を拾い読み。この、科挙進士科の17名の合格者の一人であったエリート官僚。ちぃ~とも、エリート臭さがなく、杜甫が持つような屈折(僅かばかりであるが)もなく、実に目線が低くおおらか。俗事の只中にあって、俗事からはなれた時間を楽しむ極意のようなものが楽天の詩にある。
シベリヤから、マンモスを追い求めて日本列島に人類が住み着いたのが2万年前。日本人の原型の始まりである。その後、南洋から、中国大陸から人間が移り住み、日本人が形成された。なんて、やたらとスパンの長い話を読んでいるうちに、眠くなる。少々風邪気味。寝よっと、時計を見ると20時。軍師官兵衛が始まるけど、寝よ。
千葉に5時に戻り、シャワーを浴び、8時半に千葉駅のスタバで軽く朝食。そのまま野暮用を済ませ。書店に立ち寄り、13時に自宅。書斎で本を読んでいるうちにうたた寝。実に心地よい。夕方、ビールを飲んでいると再び睡魔。秋眠時を選ばず。
9時二来客。11時に上野不忍池の税理士会に赴く。一旦事務所に戻り東銀座の顧問先へ。そのまま築地の聖路加病院。事務所に戻り16時。ひりを食べ損ね、18時には栄龍。19時半に別室。井波律子『中国人物伝1』を読み始める。白居易が『早夏遊宴』を詠んだのが63歳。歳をとっても人生楽しいぞ、って詩。慌ただしい一日を送れる私もけっこう楽しく一日を送っている。要は気の持ちよう。もっとも、白居易は、病気をしても楽しいぞ、って詩ってもいる。かなりポジティブな人物ではあるが。
11時に来客。14時に来客。16時に事務所を出て、小伝馬町にある同輩の税理士事務所を訪ね、日本橋のコレド室町へ。ビストロ石川亭で会食。入谷に戻り23時。佐藤賢一の『ヴァロワ朝(フランス王朝史2)』を読む。1328年フランス王国ヴァロア朝が成立し、1589年まで続いた。その歴史であるが、いやはや中世におけるかの地の統治者は大変だ。暗殺されたり、捕虜になったり、侵略したりされたり。日本の戦国時代といささかも変わりない、ただ、名前がややこしい。カタカナの名前が登場する物語を読んでいると、いつの間にか私のなかで役割が入れ替わっていたりする。
26.11.12 Wed
昼過ぎに事務所を出て、神谷町の弁護士事務所。打ち合わせを終え17時。入谷に戻り18時。四川厨房で、いつもの石焼麻婆豆腐。お店の主と相撲を観る。ご夫婦ともに四川の出身だが、主人は相撲が本当に大好き。日本語はほとんど解されないが、直径4.55メートル(15尺)の土俵の世界に魅せられた仲間である。別室に戻り19時半。今日決まった忘年会が3件。そろそろ今年の後始末の時期か。
朝6時、入谷を出て東京を離れる。午後6時、入谷に戻る。朝、昼と満足なものを口に入れていない。上野で降りて大山。なぜ大山かというと、安いから、うまいから。そして一人客にやさしいから。二時間という時間制限があるものの、それだけあれば十分。書類を読み、メモを取り、飲みかつ食べる。そんな客を大事にしてくれる。もっとも上野ガード下付近の店は、一人客にやさしい。が、メを取るスペースがない。20時半に入谷。シャワーを浴び、すぐに横になる。
26.11.09 Sun
NHKBSプレミアムで自転車旅をしている俳優の火野正平。昭和24年5月30日生まれ。彼は、好んでチキンライスを食べる。今日観たオンディディマンドでは、福岡市の西戸崎の食堂ででチキンライスを食べていた。急に食べたくなる。チキンライスは、町場の食堂で出されるものがうまい。なぜか、入谷周辺ではチキンライスを提供する店は中華料理店が多いが、事務所前の栄龍のチキンライスが最もうまい。ということで、今日はチキンライス。ちなみに火野正平、高校の先輩である。彼は、さっさと自主卒業したが。
26.11.08 Sat
朝早くから、ご先祖様の遺品の整理。何だかよく分からない、大量の古い文書があるもんだから、一つ私が整理してやるかと、始めtのだが、これがかなり厄介。判読不明。下手なんだか、崩してるんだか分からない文字の羅列。なんとか、五代前が美作は津山から大大阪に出てきたことがわかる。何しに、大阪まで出来たんだか。私の先祖様のことだから、相当粗忽者だったのだろう。
26.11.07 Fri
朝、頭が痛い。毎度のことであるが、二日酔い。こういう日に限って、小難しい会議があるもんだ。何とか一日を過ごして、夜、再び会食。体がよく持つもんだ。
26.11.06 Thu
出先から急いで戻って、16時に来客。そのまま四川厨房。思いっきり辛い料理に舌がマヒしたか、二人でビール、ホッピーをがぶがぶ。20時に別室。その後、記憶にありません。
26.11.05 Wed
昔を懐かしみだすと年寄りの証拠だが、街場から喫茶店がなくなってしまったことが寂しい。ドトールにしてもスタバにしても、駅近、駅中、繁華街に立地。街中の商店街にあった喫茶店がなくなっって久しい。ドトール一号店ができたのが1980年4月。スターバックス一号店が出来たのが1996年8月。私の皮膚感覚からして、なくなり始めたのが80年代。仕事の途中、散歩の途中にひょいと立ち寄り、新聞や週刊誌を読み、小説を読み、ときには考え事をする。携帯も、パソコンも、スマホもない時代の時間つぶしの格好の場所であった。世のデジタル化とともに、生活テンポが急速に加速し、街場に喫茶店を許すような時代ではなくなったのだろうが、でいいのだろうか。
26.11.04 Tue
アジールという言葉がある。聖域というか避難所というか、俗界とか統治権力の及ばないところという意味である。教会、神社、仏閣などが代表だろうか。日本では、縁切寺なんかがよく知られている。ここに逃げ込めば、俗界から解放される。時の権力者からみれば、邪魔な存在となり、法治国家の成立とともに消滅する。だが、アジールは、だれにでも、いつでも必要である。私の小さいころは、蒲団のなかであったり、押入れのなかであった。秘密基地なんてのもある。ここにいれば、誰からも干渉されない、守られる。大人になっても、このような場所は必要である。私にとって、いまは何軒かの居酒屋である。私が、いまここにいることは誰も知りようがない。どんなに探しても、私を見つけることができない。そんな居酒屋に、携帯ももたないで出かけ、21時半に戻る。何から逃げているのか、私にもわからないが。
26.11.03 Mon
夕方、千葉。夜は、世界で最も食べられている魚、タラを食べる。その昔、ヴァイキングはタラの漁場をを求めて北海から乗りだし、コロンブスより先に新大陸にたどり着いた。日本にニシン御殿があるように、かの地にはタラ貴族なるものが生まれたたという。鱈腹というように、タラ自体が大食いで実ぶりも多きいい。貴重なタンパク源だ。日本では鍋物が多いが、今日は私の大好物フィッシュ&チップス。イギリスの家庭料理というか、代表料理である。味付けにより実に様々なヴァリエーションがあり、実にうまい。ちなみに、タラの漁獲量の30%がイギリスで消費されるという。
26.11.02 Sun
昨夜は少々飲み過ぎたものの、朝の7時に起き、事情があってバタバタと家財道具の片付け。夜になっても終わらない。我が少年時代の日記を見つける。もちろん、三日坊主の日記。思わず昔日を振り返る。夜、ビールを飲んで21時には横になる。
26.11.01 Sat
西洋では、あまりタコを食べないと思っていたが、ポルトガルでは好んで食べるらしい。ポルトガルでは、タコを天麩羅にして食べる。もともと、天麩羅はテンペロとかテンポラとかのポルトガル語が語源であるという。もちろん、蒸したり炒めたりと幅広い料理法がある。てな話を、滅多に会うことない知人と、プチ宴会をしながら話し込む。ポルトガルに10年過ごした人が。、今日のメンバーにいた。