金
27
6月
2014
午前は戸越に出かけ、12時に北千住明日香。株主総会の懇親会。昼から宴会。(おそらく)夕方、入谷に戻りバタン。気がつけば深夜。もっと深く絶望せよ、と吉本は言った。もっと深く酒を飲め、と私は解釈した。
水
25
6月
2014
午前0時過ぎ就寝。午前4時起床。5時から気迫を込めてザックジャパンを応援。8時半に事務室に入り、10時に上野の顧問先。11時半に人形町の先輩事務所。13時過ぎに事務所に戻り、13時半に来客。17時にはガス欠。ちょいと今日は出だしの力が入り過ぎ、結果が寂しくてグッタリ。風船が急速に萎む空しさには、長い阪神ファンの歴史のなかで身についた耐性力も追い付かない。ということで、四川厨房で食事をして、夜はバタン。
水
25
6月
2014
11時に銀座。そのまま大門。14時半に事務所に戻る。昼は、スタンドでパンを齧って済ます。夕方、上野に出かけて食事。ルノアールで購入した吉本隆明の本を読む。酔いもさめて、入谷に戻る。別室では、中世の関東の歴史を読む。徳川以前の関東はどうだったのだろうか。こつこつ、ほんとうにコツコツと学び始めている。でも、もう寝よっと。明日は、5時から応援しなければ。
火
24
6月
2014
8時半に事務所を出て、16時に帰る。暑くて、クタクタ。18時過ぎにはガス欠。食事から帰ってグッタリ。フト気がついて、最近行方不明の万年筆を探すが見つからない。再び、気がつくと深夜。もう寝よっと。
日
22
6月
2014
完全二日酔い。日中、某所で横になる。夜は千葉で会食。アルコールの絶えるときがない。ったくいい歳をしてと。我ながら思う。一眠りして夜中に起きる。塩野七生『コンスタンチン―ブルの陥落』を読む。サイトでlこれを発見。
土
21
6月
2014
とにかく引分け。これで、負け有られない試合に引き続き勝たければならない試合が続きます。初戦を落とすと、実に困難な道が残るものであります。まるで我輩の人生みたいなもんで、出だしにもたつきますと、後々苦労するもんです。で。今宵も泥酔して入谷に帰り、気が付くと畳でごろんと寝ておりました。起きて26時。先週に引き続き、今週も毎夜の宴。仕事なんかしている暇はありません。でも、この週末は対コロンビア戦の秘策でも練りますか。そのために、先ずはコロンビアに対する政府ODA予算でも調べましょうか。
木
19
6月
2014
いよいよギリシャ戦。これはもう勝ってもらわなくては、次のコロンビア戦なんか、あれっ、ブラジルで何でサッカーやってんだっけ、ってなことになってしまう。秘かにもっているジャパンの応援グッズの出番がなくなるではないか。
水
18
6月
2014
ジャパンのクリーンサポーターが話題になっているこの時に、こういう発言は本当に不謹慎なんですけど。日本の各金融機関は、ギリシャ債券を大量に今すぐ購入するなんてことをしないでしょうかね。決して、買収しようなんてこと言ってるんじゃありません。
火
17
6月
2014
スタッフ細胞の記者会見。そんなに真剣に聞いているわけではないのだが、よく分からない。説明をすればするほど、聞けば聞くほど迷路に入り込むような気がするのですが。
日
15
6月
2014
ほぼ徹夜の状態で朝を迎える。8時に伝助Ⅳ号にガソリン補給と洗車に出かけ、10時にはテレビの前に陣取る。一時は歓喜したもののガッカリ。以下、腹いせ紛れに無用なことを。京橋税務署の在る新富町は、幕末時には近江膳所藩本多家及び近江彦根藩井伊家蔵屋敷のあったところである。慶応4年8月、明治元年であるが、ここに新島原という遊郭が設置された。この年11月に開設予定の築地居留地の外国人客を見込んでである。新政府は、会津討伐の軍資金として5万両の冥加金を得て、吉原の中万字屋に許可を与えた。明治4年7月には政府から取り払いを命じられた。たった3年の運命である。新島原は、根津遊郭へとその機能を移行し、その根津遊郭も明治21年6月末日をもって撤去され、深川区洲崎弁天町へと引き継がれていく。洲崎遊郭は吉原遊郭よりも隆盛を保ったという。これは余計なことなのだが、都市の膨張が、政府としても吉原だけでは当時の都市機能をワークさせえなかった。圧倒的に需要が膨張したのである。私にとって、新島原(新富町)、根津、洲崎(東陽町)といずれも縁のある地域である。
日
15
6月
2014
6時に起きる。どうも、突然サッカーファンになってしまうこの時期である。昼に千葉へ。昼寝。夕食を食べて、再び眠る。それぞれ3時間程度。夜中に起きて『新・屈せざる者たち』(辺見庸)のジャイアント馬場の項を読む。彼はモルモン教徒であったこと。過剰な言葉がない、実に内面の静かな人間であったことを知る。そういえば越後人だもんな。
土
14
6月
2014
午後、赤坂見附。いきなり豪雨。しばし駅ビルのヤマダ電機でt時を過ごしニューオータニ。16時過ぎに上野精養軒。我が業界団体の会合。24時に入谷。当然お疲れ。バタンと寝ればいいのに、再び飲み始める。これはもう直りません。
金
13
6月
2014
午前は銀座。午後からは事務所で仕事。18時半に赤坂BIZで会議。22時に終え、23時に入谷。369(みろく)で食事。ジンとポテトとピザ。24時に別室。明日はブラジルとクロアチア。ブラジルが負けたら、暴動はもっと酷くなるんじゃないか、なんて余計なことを考えたが、そんなことよりも早く寝よっと。
木
12
6月
2014
午後、知人の入院を見舞う。夕方、東京グランドホテルで顧問先の創立記念パーティーに出席。入谷に戻り、夜、なんとなく空腹を覚える。外は雨。ここで極秘レシピの牛筋煮込みぶっかけ丼を作る。なんのことはない、レトルトに卵を入れ、パックのご飯を温めて、これにかける。ただこれだけだが、秘密は、箸ではなくスプーンで食べること。くぅぅ~、たまらん。料理は、想像であり創造であり爆発である。もちろん、ホッピーと吉本とともに腹に入れる。
水
11
6月
2014
午後、千葉市若葉区多部田町。17時に亥庵(いおり)で見事な庭園を眺めながら蕎麦会席。21時に会食を終え、自宅に戻る。今週は、毎日が宴会。
火
10
6月
2014
昼からビールを飲み、夜は寿司。ほろ酔い気分で本屋に立ち寄り、吉本隆明全集の第一回配本を購入。22時に入谷に戻り、パラパラとめくり、『擬制の終焉』を読む。若いころに相当読み込んだのだが、やはり昔も今も分からない。全38巻配本の予定。完結までに10年くらいかかるんじゃないかな。これからの人生の友にはちょうどいい。
月
09
6月
2014
その土地の者が、旧藩主を懐かしまないのは、搾り取られたからである。幕領は、最終的には3公7民に落ち着いたという。もっとも税率の高かいところは、収入の8割が徴収された。薩摩のサトウキビである。薩摩藩は、サトウキビができる島には、それ以外の作物の生産を許さなかった。当然、生活に必要な他の食物は買うしかない。ますます島は貧しくなった。で、吉之助(西郷隆盛)は意見書を書いては、藩主に送った。西郷が、世に出るきっかけである、とされている。別に、税金の世界で生きているからではないが、租税政策を間違えると、一揆か革命が起こるもんだ。
日
08
6月
2014
18時に東京駅丸の内。TOKIAビル地下のたむらでフリードリンク付き焼肉。事務所の食事会。どうも、事務所開設19周年記念らしい。そういえば、開設8周年記念で屋形船を仕立てた記憶がある。そのときは、10年もつかどうか分からんから、いまやるぞ、という名目だった。食べて飲んで2時間。21時に、ほろ酔いで入谷。飲むとやたらと難しい本を読みたくなる癖のある小生。ソシュールと吉本の言語論について、本をパラパラ。当然、それでなくとも酔って眠い頭。すぐに眠りにつく。
土
07
6月
2014
日中、芝大門に出かけたが、いやはやすごい雨。ひと眠りし、夜中に起きる。雨音は小さくなった。なんだか急に駅弁を食べたくなる。明日、上野駅に出かけて駅弁を買うか、なんてことを思いながら再び布団のなか。
金
06
6月
2014
西新宿の顧問先を訪れときには降っていなかった雨も、出るときには土砂降り。事務所に戻り、さて、食事をどうしよう。こんなときは、別室で保存食。チーズ、クラッカー、固まったフランスパン、缶詰にレトルトカレー。もちろん、ホッピーと焼酎。雨音が強くなるなか、飲みながら、食べながら、本を読みながら、けっこうな時を過ごす。ふとしたことで、アフリカの歴史に関する小論で、ヨーロッパ列強が奴隷の宝庫としてアフリカを支配していたデータを知り、やっぱり、人間ってのは出来の悪い動物なんだと再確認する。
木
05
6月
2014
午後、品川に出かけ、仕事の帰りに中延商店街(なかのぶスキップロード)に立ち寄る。全長1300mの戸越銀座商店街ほどではないが、330mの商店街はなかなか見どころがある。といっても、シャッター店舗も多い。高齢化社会を迎え、商店街の灯は絶対に消してはならない、が持論の小生は、ささやかな買い物をする。入谷に戻り、19時に栄龍。気がつくと別室で大の字。やっぱ、夏バテかな。
水
04
6月
2014
午前、銀座に出かけて事務所に戻る。暑い。午後、出かけ、一休で会食。ほろ酔いで21時に入谷に戻る。気がつけば深夜。春先も眠いが、夏も眠い。
月
02
6月
2014
2時に起床。はて、朝なんだか夜なんだか。テレビで、大リーグのダルビッシュの試合を観る。マー君とダルをみていると、その昔、三船敏郎と高倉健がハリウッドに出演したときを想い起こす。欧米人にはこういうプレイ(演技)は君達にはできんだろうなぁ~。4時半に入谷。そこで気が付いた。免許証を忘れたことを。夜は、免許証を取りに千葉に帰る。行きも帰りも免許証不携帯。けっこう緊張。夜は、静かに眠りにつく。
日
01
6月
2014
体型上、他人よりも夏が早く訪れる私にはたまらない暑さ。自宅書斎にはエアコンがない。神の試練を受けるヨブのごとく、ただひたすら暑さに耐え、一日を過ごす。立花隆の『天皇と東大』を読む。欧米との強烈な格差に恐怖した結果、近代という文化を、シャワーのごとく日本に撒かなければならなかった明治政府。そのシャワーの出口に当たるのが東京大学であり、政府から派遣された留学生であった。漱石と鴎外も期待され、イギリスとドイツに派遣された。近代文化というものを、日本社会に移植するために。しかし、伝統文化に求めるものを感じていた漱石は、西洋文化の翻訳・輸入という役割に疲れたのだろう。と、吾輩は、勝手に想像している。