日
31
8月
2014
終日、自宅書斎でボォォ~。もっとも、普段からボォォ~、としているが。夜、パソコンを開き、明日への宿題を忘れていることに気が付く。すでに遅し。酔いの六段階、爽快期、ほろ酔い期、酩酊初期、酩酊期、泥酔期、そして昏睡期でいえば、酩酊期。今日はもうお仕舞い。明日できることは今日するな。マニャーナの法則というらしいが、私は、スペインの格言と記憶している。
土
30
8月
2014
自由、愛(西洋的な意味で)、偽善、社会、自然、権利、個人、近代、恋愛、存在、美、青年、情報etc.、。いずれも明治になって翻訳された言葉である。だからといって、江戸時代までこれらの概念がなかったかというと、そうでもない。美、恋愛、愛、自由といった個人的欲求は、時代に関係なく個人的感情としてもっていたろうし、それなりの表現はあったろう。で、これらの概念お腹で近代以降に生成した概念とは、なんだろうか。おそらく、青年ではあるまいか。平均年齢も短く、早くして大人になることを求められた江戸期以前の日本では、若い、といえば本当に若いことを意味し、近代的意味での『青年』という概念とは全く異なるような気がするのですが。
木
28
8月
2014
長谷川利行。奇行と放浪の画家。京都に生まれ、上京し日暮里、山谷の木賃宿に住む。絵を描いてはこれを売っては、酒場に直行する。昭和15年、三河島の路上で倒れているところを病院に運ばれ、そのまま胃癌で死亡。享年49歳。彼が好んで題材にしたのが、千住、尾久、三河島の風情。80年近くの昔、彼は我が事務所の周辺を拠点としていた。彼が描いた銀座カフェ・パウリスタ。テレビ東京の『なんでも鑑定団』での鑑定額が1800万円。。これも谷中初音町で間借りしていた家賃の滞納分として差し置いていったものである。いまは、東京国立美術館に収蔵されている。本人は窮乏のうちに死んだというに。
水
27
8月
2014
15時に事務所を出て新宿。21時に戻る。移動時間1時間半。仕事時間1時間半。新宿に沈殿すること3時間。別室に入り。シャワー。暑い暑い。蒸し暑い。エアコンを利かせて、畳にゴロリ。突然、オディプスの悲劇について調べ出す。このギリシャ神話、ニーチェにもフロイトにも大きな影響を与えている。なんでや、と。
火
26
8月
2014
8時半に事務所を出て、昼過ぎに戻る。15時半に来客。17時にいそいそと北千住へ。くに宏で室蘭焼鳥。どこが室蘭だか不明であったが、美味なり。入谷に戻り22時。これから始まる秋の陣。もちろん頭の勝負ではなく体力勝負。
日
24
8月
2014
永井荷風の断腸亭日乗を読む。淺草アリゾナのスープが80円、シチューが150円。昭和24年7月のことである。いまは、コンソメスープ630円、ビーフシチュー2310円。スープとシチューの価格バランスが変化している。でも、いつも思う。洋食って、肉料理に比べてスープの価格が比較的高価なのではないかと。荷風の時代は、その格差が大きい。で、いつも思う。こんなことを思う私は、やはり料理の味が理解できない、単なる食意地の張った大食漢でしかない、と。別に、スープのことを持ち出さなくとも、質よりも量の単なる食いしんぼでしかないのは事実であります。
木
21
8月
2014
AにあってBにないもの。これを甲とする。BにあってAにないもの。これを乙とする。AかBかを悩むということは、甲か乙かを悩むということである。これがラーメンにするか餃子にするかかならば、比較的に決断しやすいのであるが、私の場合、昼にラーメンにするかカレーにするかが、ときどき困難なことがある。ラーメンとカレーでは、甲と乙の違いは明確なのだから、私は、この明確な違いのなかで何を悩んでいるのだろうかと思う。で、なぜラーメンと餃子では悩まないかというと、両方とも頼むからであります。
水
20
8月
2014
山谷の八百善、重箱という有名な料亭があった。関東大震災に焼失したが、今でもその長い歴史を繋いでいる。八百善は高級仕出し店として、重箱は、震災後は熱海に移転し、いまは赤坂重箱として残っております。江戸、明治、大正の物語を読んでも、落語を聴いておりますと、吉原遊郭と山谷の八百善・重箱が頻繁に出てきます。これがどこにあったか、昔から疑問でありましたが、ついに発見しましたその場所を。八百善は、吉野通りに面した城北信用金庫東浅草支店、重箱は、吉野通りをそのまま150メートルほど北に進んだところのようです。これって、私にとっては大発見なんです。吉原に泊まって、朝、重箱で鰻を包んでもらい家に持って帰る、なんて馬鹿な落語があるもんですから。気になって気になって。
日
17
8月
2014
ジャン・ニコフ・アルチュール・ランボーは、フレデリック・ランボー大尉を父に、ヴィタリー・キュイツを母として、1854年10月20日朝6時に産まれた。1873年7月10日、親友のヴェルレーヌに拳銃で手首を撃たれた。16歳から19歳までの間を詩人として、煌めく才能を撒き散らし、近代の聖書と言われる散文詩集『地獄の季節』を残して、文学の世界から消えていった。そのおよそ50年後、ランボーの『地獄の季節』は小林秀雄に打ちのめすほどの衝撃を与えた。批評家小林秀雄を生み出したのである。さらにその60年後、私は、とある映画館でシルベスタ・スタローンの『ランボー』を観て、衝撃を受けた。
土
16
8月
2014
岸田秀先生によると、個人の人格は、その個人が直面した状況に内在した矛盾(葛藤)を解決するためにある人格をつくりあげ、またその人格体制も矛盾をはらみ、さらのその矛盾を解決するために別の人格体制を築き、こうして人間は成長していくらしい。とにかく、現状に満足したならばそこまで、ということらしい。とすれば、私はまだまだ成長の余地があるのだろうか。いまさら別の人格になりたいと思わんけど。
金
15
8月
2014
証明できないことは信じられない。フロイトやユングの精神分析は、証明が困難であるが故に正しいかどうか不明である。かどうか、私には分かりませんが。証明できないことについて語ることは、思想であり哲学である。これを信じることは宗教であります。『不合理ゆえに吾信ず』は埴谷雄高の著書であるが、テルトゥリアヌス(神学者)の言葉でもある。早い話、イエスの言葉は信じるかどうかの問題であって、証明できるかどうかの問題ではないということである。
木
14
8月
2014
昨日に引き続き上野山下の話。下谷本郷地区に岡場所、私娼窟などの集まりが形成されたのが1745(延享2)年前後、男娼の陰間茶屋も存在した。今餅に芸妓が登場し花街として政府による統制が行われだしたのが幕末の1842(天保13)年頃。その後、明治、大正、昭和初期とこの地は花街として存続し、戦災により建物は消滅し、山下の花街は需要の変化により、今日の繁華街となった。今の上野一丁目、湯島三丁目の辺りのことである。
水
13
8月
2014
上野山下。単に山下ともいう。東叡山寛永寺を火災から守るため、この山下には火除地が設けられた。この広々とした空き地に、必要なときはすぐに取り払うという条件のもと、葦簀張の小屋で各種の商売をおこなうことが認められていた。その商いというのが。見世物小屋、飲食店、講釈場、矢場などであり、相当賑わっていたという。圧倒的に男の数の多い江戸である、当然のごとく男の遊び場となっていく。ケコロという男相手の商売が盛んになるのも無碍なるかな、である。上野の街の歴史を振り返ると、いまの広小路の在り様は、上野DNAともいうべきか。
火
12
8月
2014
さて、明日から夏休み。とはいえ、なんやかやと慌ただしい。休みというのは休みであって、車に乗ってバタバタとあちらこちらと動き回るのは休みとはいえない。昼間から、ビールかなんかを飲んで、高校野球を観るのが休みというものである。という休みとはほど遠い、今年の夏休みである。トホホ。
日
10
8月
2014
白居易。字は楽天。気鬱性の気質の持ち主が多い詩人のなかで実に大らかに人の世を詠い、存命のときから平安時代の日本にその詩は伝わり、枕草子、源氏物語にもその影がみられるという。台風の影響なのか、涼しく過ごしやすい夜に白楽天の詩を読む。
日高く睡り足るも猶お起くるに慵し
小閣に衾を重ねて寒さを怕れず
遺愛寺の鐘は枕を欹てて聴き
香炉峰の雪は簾を撥げて看る
匡廬は便ち是れ名を逃のがるるの地
司馬は仍お老を送るの官たり
心泰く身寧きは是れ帰する処
故郷 何ぞ独り長安にのみ在らんや
身も心も、浮世から離れると過ごしやすい。
土
09
8月
2014
自殺の名所と言えば、山梨県青木ヶ原樹海、栃木県華厳の滝、福井県東尋坊、高知県足摺岬。京都府天ヶ瀬ダム、和歌山県三段壁、東京都中央線快速、加えて東京都新小岩駅が挙げられている。自殺をネタにするのは気が引けるが、なんで新小岩でっか、である。これについては、ネット上でも盛んに研究されており、自殺霊主犯説、成田エクスプレス共犯説、報道機関幇助説等、諸説入り乱れているが、どうも猛スピードで甕抜けていく成田エクスプレスの存在が大きいようだ。新小岩駅がなければ、自殺しなかったのに、となるかどうかは別物だろうが、その瞬間を乗り越えたら……、と思う。
木
07
8月
2014
午前、芝公園。昼に事務所に戻る。夕方、事務所向かいの金美観通りを渡りあみので食事。煮物料理が実にうまい。夜は、水野和夫の『資本主義の終焉と歴史の危機』。いつもながら経済を、歴史のなかで、また文明史のなかで展開する大きい枠組みに納得しながら眠りのなか。
水
06
8月
2014
小林秀雄は、一時期売文生活から離れていたとき、骨董の鑑定で食べていたという。そのことを瀬戸内寂聴に問われた小林秀雄は、俺が100万円と言ったら100万円になる、答えたという。こういう話を読むと、ますます小林秀雄を読みたくなる。
日
03
8月
2014
昨日は、ほとんど伝助Ⅳ号と早朝から過ごす。今日は、終日自宅書斎。朝と昼、昨夜のひつまぶしが胃に残って食欲がない。夕方になり、飲欲・食欲ともに復活。夜は、軍師官兵衛を観ているうちに眠りのなか。起きて深夜。
土
02
8月
2014
慶応大学文学部渡辺茂教授の心理学教室では、ハトにはモネとピカソの作品を見分ける能力があることを実験で確認したという。具体的な実験過程はここをご覧いただくとして、もともと視覚能力に定評のあるハトに、印象派とキュビスムの認識能力まで兼ね備わっているとは、驚きである。ただし、ピカソの絵が逆さまになっていても反応は一緒だったということで、鑑識能力は高度なものではないと想像されている。もっとも、人間社会の展覧会においても、難しい抽象画を間違って逆さまに掛けて展示して、だれもそれに気が付かなかったとことがあったという。ハトの抽象画に対する鑑識能力を我々はバカにすることはできない。また、慶応大学文学部渡辺茂教授の心理学教室から目が離せない。
土
02
8月
2014
さて、豪栄道の『大和魂』。大和魂の初出例は、源氏物語・乙女巻における光源氏の台詞らしい。これを本居宣長の師賀茂真淵が『古代日本人の持つ美徳である、まっすぐで清らかな心』を意味するものとした。受け継いだ宣長は、この大和魂を記紀万葉のなかに分け入り、その本質を探求した。といっても、その内容について私はよく知らない。でも、いまの時代に大和魂という言葉から連想される意味合いは、本来の意味合いとチョイと違うような気がする。