木
30
4月
2015
午前2時起床。仕事。9時に電池切れ。日本の首領完結編(DVD)を観る。三船敏郎、佐分利信、片岡千恵蔵が共演。親分を演じさせたらこれ以上の俳優はいない。が故に、子分の迫力がいまいち浮き上がらない。なんとなく消化不良を感じながら北葉飯店へ。テーブルに座り、迷うことなくギョーザにから揚げ、加えてビール。最後に名物カレーそば。健康のことを気にしていたら長生きできない。長生きのためには、己の欲するところを進むのみ。孔子が言っていたではないか、七十にして心の欲する所に従いて、矩(のり)を踰(こ)えず、と。七十かどうか、矩(のり)を踰(こ)えていないかかどうかは別にして、心の欲する所に従うことは大事なことである。ほろ酔いを少し越したところで店を出る。午後は、そのまま愛犬と昼寝。夜、シャワーを浴び、好物の押し寿司を食べて、また寝る。七十を前にして従心。
水
29
4月
2015
白居易(白楽天)が、長恨歌で傾城の美女として楊貴妃を詠ったが、中国春秋時代の傾城の美女は西施。越王により呉王に復讐のための策謀として献上された美女である。貧しい薪売りの娘として産まれ、マイ・フェア・レディよろしく洗練された美女となり呉に送り込まれた。物の見事に策は的中し、呉王夫差は彼女に夢中になり、国は弱体化し、ついに越に滅ぼされたという。その後の人生は不明だが、越の政治家(軍人)范蠡に付き従って越を出奔し、静かに余生を暮らしたという説で考えたい。ネット上の中国4大美人の画像のうち、西施がもっとも美人である。
火
28
4月
2015
午前2時起床。仕事を少々。4時に千葉を出て5時に入谷。別室で二度寝。8時半に事務所を出て、三軒茶屋から赤坂見附。夜は、中国の春秋戦国時代の勉強。なるほど、彼の国の成り立ちは激しい。広大な地形に様々な民族が国家が成立し、その権力は安定することはなく陰湿な陰謀が繰り返され、まさに闘争(戦争)の歴史である。日本の戦国時代とはスケールが異なる。動かす軍勢も数万から数十万。国家という観念が想像できない。
月
27
4月
2015
終日、書斎に閉じこもる。少々仕事をし、リーアム・ニーソンの96時間・レクイエムとトム・クルーズのアウトローを観る。両作とも、 フォレスト・ウィテカー、ロザムンド・パイク、 ロバート・デュヴァルなどの脇がいい。夜、犬と戯れているうちに眠くなる。
日
26
4月
2015
深夜に起きて少々仕事をし、上野の国立博物館の特別展「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流」とミュージアムシアターの「洛中洛外図屏風と岩佐又兵衛」を観に出かける。インドの仏像と日本の仏像の違い。極論をいえば、インドは西洋なのだ。インド的悟りの表情は修行という戦いの結果として得られたものであり、日本的悟りの表情は修行という戦いをも超えてたどりついたものである。インドの仏は思弁的な表情をしているが、日本の盧遮那仏は経験的な表情をしている。そんな気がした。先日、和辻哲郎の『古寺巡礼』を読んだせいだろうか。夜は、アジとアルコールでおとなしく過ごす。今週は、月曜日にはしゃいだものの、他は比較的おとなしく過ごす。
土
25
4月
2015
午前は、東銀座のハートクリニックに通院。ったく、私は血の巡りが悪い。午後、来客。昨夜は、21時に寝て25時に起きてそのまま。17時には電池切れ。眼の具合がいまいいちなので、おとなしく過ごす。少々のアルコールとともに。
金
24
4月
2015
午前は、比較的静かに過ぎる。午後、戸越。事務所に戻り来客。網膜からの出血がひどくなり、目がかすむ。別室で、しばし黙想。アルコールは控えたほうが良いようだが、そうもいかない。別に言い訳をする必要もないのだが、最高額紙幣のかの福澤諭吉先生も相当にアルコールが好きであったという。いそいそと、食事というか晩酌に出かける。
木
23
4月
2015
西暦というのは、イエスが生まれた前か後かで歴史を刻む数え方。その600年程前には釈迦が生誕している。少し遅れて孔子。200年遅れてアリストテレス。そしてイエス。おそらく人間が生きていくうえで抱く疑問や苦悩のそのすべては、この四人によって考えられている、といってよい。と、思う。チョッイと歯切れが悪いのは、そのほとんどの本を読んでいないから、私自身が確信して語ることができないからである。が、ときどきパラパラとその言葉を読み、気を静めるときがある。もちろんアルコールとともにであるが。なるほど、2500年前と今と、さして人間は変わっていない。
火
21
4月
2015
9時過ぎに事務所を出て駒込。12時半に事務所に戻り来客。遅めの昼がいけなかった、麻婆豆腐定食に餃子。夜は、新装なった東天紅で会食。雨模様が気になったので、早めに車をつかまえ入谷へと向かう。不忍通りを言問い通りに出たところで信号待ち。これがいけなかった。降りて、目についた寿司屋に入る。何年か前に訪れたところ。満たされて、入谷に戻り22時。どうも諸々の不満が、食欲に出たようだ。安上がりなのか、人間が小さいのか、とにかく満足な一日。
月
20
4月
2015
仏陀は、神になることを最後まで拒否した、という。仏陀を信じるのではなく、仏陀の言葉を信じなさいということである。このへんの神の言葉を信じろというのではないところが、仏教の懐の深さ広さで、私のようなものでも、大阪のさる寺の檀家も務まる由縁である。偶像崇拝の排除が原則ではあるのであるのだが、如来様や菩薩様の像を拝むことを許すのも、これまた仏教のいいところである。で、如来様と菩薩様。そりゃぁ~、私のようなものは菩薩様にすがりつくもんであります。
日
19
4月
2015
酒飲みの言い訳を一言。素面の時と違って、酔って観る風景、酔って感じる心情、酔って考える結論の方が優れていることが多い。私の場合は。所詮、その程度の能力しかないといえばそれまでなのだが、少々酔えば、さっきまでグジグジと拘っていたことがバカバカしくなったり、ハッと閃く打開点が見つかったり、それまでありきたりのと思えていた風景が鮮やかに見えてきたりと、まんざらではない。もっとも、それもほろ酔いまでで、これが泥酔となると、話が違う。と、分かっているのだが、いつもほろ酔いを通り越してで泥酔へ。そうそう人生はうまくいかない。と、今日も思う。
土
18
4月
2015
午後、赤坂見附。ランチミーティング。その後、歯の治療。ぐったり、どうも、診療台が苦手。そのまま、都内をウロウロ。歯のしびれが治まる。夜は鯖の塩焼きで、軽くアルコール。中大兄皇子(天智天皇)の、凄まじき政略人生を読む。おらかな万葉の世界は、政治権力を巡る殺戮の歴史である。ひょっとしたら、命の大切さの観念は、比較的新しいのかもしれない。
金
17
4月
2015
平安・鎌倉・室町の政治家(貴族・武将)の平均年齢は、いまよりもずいぶんと短い。当たり前のことかもしれないが、政治家の寿命があまりにも短いと、政局が安定しない。平安の権力闘争、室町・戦国時代の政治権力も、有力な政治家がもう少し長生きしていたら安定したろうに、と考えることがある。家康は、自分が長生きすることが、政権維持に必須な要件であることを理解していたに違いない。最近、若いころには魅力を感じなかった家康のことが気になりだした。家康以前の江戸と以後の江戸に興味があるのも、家康の都市政策への興味から。
木
16
4月
2015
夕方、御徒町に出る。雷雨が降るかもしれないとの予報にオドオドしながら。いつ降られてもいいように北海道に入る。気がつくと22時半。事務所に戻り23時。家康以前の江戸の勉強。なんとなく人のまばらな湿地寒村のイメージしかない家康以前の江戸。後北条氏は、江戸に重きをおかなかったが、それ以前は鎌倉円覚寺の荘園として、海上交通の要所であったという。江戸前島(日本橋台地)は、たいそう賑わっていたという。なんとか、そのころの庶民の生活を覗いてみたい。と、思いつつ夢のなか。
火
14
4月
2015
「紅旗征戎(こうきせいじゅう)吾ガ事二非ズ」は、平安時代の歌人藤原定家(1162-1241)の『明月記』の有名な一節、朝敵の征伐など、私は知ったことではない、という意味である。その時、定家当時19歳。非政治・芸術至上主義である。堀田善衛は、これを読み、先の戦争に、自分がはじめたわけでもない戦争など、おれの知ったことか、思ったという。過剰に身の回り外の情報に接しざるを得ない時代、所詮関係ないものは関係ないと、シャットアウトする気持ちと、有限の時間とエネルギーを、集中して注ぎ込める対象も持ちたい。
火
14
4月
2015
14時に来客。16時半に会議を終え、17時半にはガス欠。ポンコツ車はすぐにガス欠に陥る。雨のなかを、いつものとおり四川厨房。別室に戻り、古代史をポツポツ。蘇我一族のところでいつも思う。特に、蘇我入鹿ほど歴史上評判の悪い人物はいないのではないか。平将門にも、足利尊氏にも、そして明智光秀にもファンはいる。が、蘇我入鹿のファンはみない。資料が少なく親しみのない歴史上の人物だからそうなのかもしれないが、それにしても極悪人に過ぎる。
日
12
4月
2015
終日、自宅書斎。5時半から仕事、読書、DVD。17時に電池切れ。久しぶりに頭を使い疲労困憊。ぶらりと散歩。コンビニに立ち寄り、文藝春秋5月号を購入。自室に戻りパラパラ。飲んでるうちに眠くなる。
日
12
4月
2015
夕方、亀有。一昨日なくなった友人の通夜。いまから25年ほど前、私が、建設会社の役員に就任したときの同じ役員。ときには衝突しながらも、バブル崩壊後をどう乗り切るか。戦友であった。歳は離れていたが、より親しくなり、その後も付き合いが続き、事務所のクライアントでもあった。ボルサリーノとパイプがよく似合う、ダンディな友人だった。夜の浅草、向島を、よくともに過ごした。好きだったプレスリーとシナトラが流れるなか、辛い別れの挨拶。今夜は、寒くないのがまだ救われる。享年72歳。合掌。
金
10
4月
2015
夜、焼肉。私は、縄文人の系列か弥生人の系列かというと、縄文人の血が色濃く残っている。石器時代の本に出てくる縄文人の特徴から判断される。遠い昔、それこそ気が遠くなるほど遠い昔、わが先祖はシベリアあたりからマンモスを追って関東あたありにきたのだろう。そういう、狩猟民族のDNAのせいなのか、肉食系でである私は、焼肉なんかを食べたら、途端に元気になり、ほとんどのことをチャラにできる。ということで、今まで何を考えていたのか、ほぼわすれて眠りにつく。
木
09
4月
2015
長野県、山梨県、群馬県、栃木県には海がない。そして、奈良県にも海がない。でも、人口当たりの寿司屋の最も多いのが山梨県。柿の葉寿司や鯖寿司が名産であるのが奈良県。私は、この奈良の押し寿司に無条件に反応する。今日、仕事が終わり上野駅に着いたのが20時半。THE GARDEN 上野店で奈良中谷本舗の柿の葉寿司と俸さば寿司を購入。京都の鯖街道が若狭街道、朽木街道ならば、奈良の鯖街道は熊野街道。私は、入谷街道(金美観通り)を事務所へ。押し寿司だけは、東京の寿司屋に入っても味わえない。別室で、一人宴会。気がつくと24時。今日も一日無事平穏。ちょっと寒かったけれど。
水
08
4月
2015
本人としては、相当努力しているつもりであるが、全くその成果が表れないものがある。勉強や仕事ではない。成果が表れないのは、努力していないからでる。減量である。毎朝、体重計に乗るという努力。好きなラーメンやカレーライスを食べないという努力。丼物を極力避けるという努力。空しい。体重が減らないのならまだしも、増加するとは。
火
07
4月
2015
19時に力尽きてガス欠。四川厨房にガソリン補給。中西進編『万葉集事典』巻末の地図を眺めながら飲み始める。なるほど、奈良律令時代は常陸国(茨城)、上総国(北総)、上野国(群馬)が関東の中心であったか、と納得。農産物、牛馬、鉄などがその源であったという。スタッフが合流し、21時に別室に戻ったと思う。
日
05
4月
2015
弥勒菩薩は、釈迦の死後、56億7千万年後にこの世に現れる仏である。以後、黄金浄土世界が始まる。まだ56億4千5百年ほど先の話である。さすが、天、人、畜生、餓鬼、地獄の輪廻の世界を前提とする御仏の世界の話である。気が遠くなる。この弥勒菩薩、古代の物部氏と蘇我氏との争いのもとにもなった。和辻哲郎の古寺巡礼をパラパラと読んでいて。思わず、土門拳の弥勒菩薩の像をしばし見つめた。チョイと風邪気味だが、いい日曜日である。
日
05
4月
2015
午前は、道灌山会館。告別式に出席。午後、入谷に戻る。寿司を食べながら、幸せは小さいほど安心する、とつくづくと感じた。身の丈に合った衣服がもっともよく似合う。バタバタとした週末であるが、阪神敗北というほんの少しの不満を残しながらも、一日が終わる。
土
04
4月
2015
夕方、西日暮里の道灌山会館。18時からの通夜に出席。顧問先社長のご尊父が逝去された。享年80歳。戦中派。私は、この世代に弱い。学生時代の先生。職場の上司。いつもこの世代の方に鍛えていただき、なんとか社会で生きていくことのできる人間になった。私は、同世代の団塊の世代をあまり評価しないが、戦中派の諸先輩には頭が下がる。今日は、一人で静かに飲みたい。合唱。
金
03
4月
2015
9時半に事務所を出て行方不明。私のことである。喉が痛い痛い。ということでリラックスして終日横になる。パラパラ本を読み、夜はカツオのタタキ。タタキって、どういう意味だろう、と長年解決しない疑問を感じながら食べる。目には青葉 山時鳥(ほととぎす)初松魚(かつお)(山口素堂)。チト早目であるが、実に美味なり。