2016年
12月
31日
土
午前3時半に起床。少々、仕事。日中は、24リブ・アナザーデイとファーゴを観る。アメリカの映像文化は、映画よりテレビドラマの方が面白い。しかし、ジャック・バウアーも歳をとった。さて、今年も終わる。ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし(方丈記)。そう、今日の続きは明日。時の流れに、異なることはない。たあだ、外なる流れに変わることはないが、内なる流れは何時かは途絶える。人生に完成はないが、完結は望みたい。
2016年
12月
31日
土
終日、自宅書斎。少々仕事。昼はカレー。これに炒飯、ラーメン、ハンバーグがあれば、ほぼ昼を迷うことはない。アメリカのダイナーのようなところがあれば、ランチは事足りる。夜は、居酒屋がなければならないが。こう、のんびりとした問を過ごすと台湾に行きたくなる。飯を食いに。
2016年
12月
30日
金
昼、ぶらりと出かけてハンバーグとビール。くぅぅ~、休日。今日は完全オフ。終日、Huluで『24』(リブ。アナザー・デイ)を観る。ジャック・バウアーも皺が増えた。あれほどのストレスを潜り抜けてきたのだから、致し方あるまい。
2016年
12月
29日
木
午前は、所内会議。午後は、聖路加病院。12時半に赴き、病院を出たのが18時。通院も疲れます。ともあれ、今日で松葉杖ともお別れ。もっとも、あまり利用しなかったが。聖路加が長引いたおかげで、顧問先の忘年会をドタキャンする。さて、本日で本年の業務を終了。
2016年
12月
28日
水
早暁に起きる。メールの確認。毎日200近いメールが届く。もちろん、見知らぬ人からの勧誘、提案、商品、サービスの紹介がほとんど。その中に混じる大事な仕事のメール。急いで、返信をする。バタバタとしているうちに6時。シャワーを浴び、再び仕事。8時過ぎに事務室に入ったときには、もはやグッタリ。日中、携帯片手に仕事。年の瀬であります。携帯相手に、よい年をお迎えください、と、ご挨拶。いまだ、歩行にやや支障があるものだから、ご挨拶にお伺いできなくて、申し訳ない。
2016年
12月
27日
火
8時半に事務所を出て、10時に三軒茶屋の顧問先。昼に事務所に戻り、16時半に西新宿の顧問先。今日はしっかりと年の瀬の挨拶をする。19時に入谷に戻るものの、もはや足がパンパン。動けない。パンをかじり食事。この時期になると、読みたくなるのが藤沢周平と李白・杜甫。いつの間にか寝てしまったが。
2016年
12月
26日
月
早朝、千葉に帰る。一仕事をして、伝助Ⅴ号にガソリンを補給し洗車。午後、書斎の本棚から40年前に出版された本を手に取る。質の高い本が売られていたのか、質の高い本を購入していたのか、読み手が進歩していないのか、その内容は斬新かつ鋭い。いつの間にか昼寝。夕方起きだし、ビールとチキン。そうか、昨日はクリスマスイブだったのか。再び眠くなる。ベットに潜り込めば、いつの間にか眠りのなか。
2016年
12月
25日
日
夕方、かごの屋文京千石店へ。顧問先の忘年会。恒例のビンゴで、くじとジャンケンにきわめて弱い私に、ダイソンの最新クリーナーが当たる。まさに、クリスマス・プレゼント。21時に入谷に戻る。年の瀬の風情はあまり感じないが、いよいよ今年も残すところ一週間。
2016年
12月
24日
土
新石器時代、縄文時代、弥生時代の人と現代人。その思考力と思考方法。果たして進化したのものやら。新石器の武器、縄文の土器、弥生の住居、そこに活かされた知恵は、現代人も持ち得ているのか。有り余る情報で、思考しなくても生きていくことができる現代人。果たして、その思考力は進化しているのか。
2016年
12月
23日
金
午前は、戸越。昼に事務所に戻り、午後は御徒町。年の瀬のあいさつをする。そのうち、年明けも、年の瀬のあいさつも、途絶えるのかと思いながら、事務所に戻り15時半。16時に、本日の業務は終了。今日は、深夜から起きて、ほぼ徹夜状態。もう寝る。
2016年
12月
22日
木
人は、常に考えている。考える動物である。ただ、考えていることの大半は、過去の後悔と将来の不安についてである。これはもったいない、というか、体と心と頭の健康に悪い。では、どうすればいいか。考えないことである。ということで、時々というか何時もというか、私が、ぼぉぉ~、としているのは、この防衛本能ではないかと思う。今日も、はて、俺はいったい何をしていたんだっけ、と思う時間が一時間ばかりある。
2016年
12月
21日
水
昼過ぎに赤坂見附。ランチ・ミ―ティングを終え事務所に15時過ぎ。15時半に来客。17時に向島の平岡。河豚とヒレ酒。入谷に帰り20時半。今日のリハビリは、極めてハード。これで二次会で、歌でも歌って酔うものなら完全復活。7割がた復活かな。
2016年
12月
20日
火
3時起床。5時に入谷。8時過ぎに事務室。14時に東銀座。15時過ぎに事務所に戻り、17時半に入谷の天三。久しぶりにてんぷらを賞味。別室に戻り19時。20時には夢のなか。
2016年
12月
19日
月
3時に起床。少々、仕事。ついでに、聖路加病院の『退院指導計画書』を読む。退院後一週間は、自宅で静養。自宅周辺でリハビリとある。そうだったのか、と、近くのコンビニへと散歩。午後、昼寝。気がつくと陽が落ちている。ワインを飲みサッカー。真田丸の最終回を観る。なんで、信繁はこんなにモテるのか。違和感なく不思議に思いながら眠る。
2016年
12月
18日
日
3時に起床。今日は、リハビリの休息日。終日、自宅書斎で、おかきにせんべいを相手に、DVDを観たり、本を読んだり。これぞ休日の醍醐味。ちなみに、DVDは辰巳柳太郎に鶴田浩二、本は鬼平犯科帳。鶴田浩二が長谷川平蔵を演じたらどうなっていたろうか。てなことを思っていると、はや夜。
2016年
12月
16日
金
夜、銀座北大路本店で会食。術後初めての会食。タクシーで入谷に戻り21時。夜の銀座は、今日と明日がピーク。22時以降は、タクシーが捕まらない。いよいよ年の瀬であります。
2016年
12月
15日
木
アタマシラミ、コロモシラミ、ケジラミは、ヒトにのみ寄生するシラミである。このシラミの遺伝子の研究から、人類がいつから衣服を着るようになったのかが分かるという。その名のとおり、コロモシラミは、人の衣に生息するシラミである。田の場所では生息できない。ということで、コロモシラミがいつ自然界に誕生したかと、その遺伝子を解明したところ、いまから7万2000年前。このころから、ヒトは衣服を着用するようになったのではないか、と推測されている。私は、世のなかに、このような研究をする方がいることに喜びを感じる。
2016年
12月
14日
水
寒い。夕方、事務所ビル一階のグーテルブレで購入したパンをかじりながら、文藝春秋新年号を拾い読み。新年号を読んでいると、藤沢周平を読みたくなる。周平の世界は、冬景色のなかの灯のようである。
2016年
12月
12日
月
7時半に、久しぶりの事務室。10時に来客。12時にランチ散歩。13時には、左足が膨れ上がる。今日はここまで。午後は、足を休め体を休める。しかし、久しぶりに味わう娑婆の空気は美味い。昼に食べた河金のとんかつの美味であったこと。
2016年
12月
11日
日
12月14日が近づくと忠臣蔵。いつも思う、『忠』という精神。これはこれで大事であろうが、他に大事な思想というか、精神の在り方として、愛、情、義、仁、侠、智、信、勇などのがある。さて、我がこととして、何を最も持っていたいかというと『侠』。任侠という言葉で知られ、あまりその意味合いが伝わりにくいのであるが、与謝野鉄幹の『人を恋うる歌』を読めばよい。友情を育むには、『侠』という心持がなくてはならない。
妻を めとらば 才たけて みめ美わしく情けある 友をえらばば書を読みて 六分の侠気 四分の熱
2016年
12月
10日
土
聖路加病院を仮釈放。まだまだ、松葉杖を手放してはいかん、ということだが、布団で手足を伸ばせるのがなにより。夕方、ビールを飲みながらニュース。韓国の朴大統領弾劾決議可決の報道を観て、はて、何が問題なんだろうか、と考える。よく分からん。
2016年
12月
10日
土
木っ端役人を辞めたのが平成3年。以来25年。建設会社の役員4年、残りが税理士人生。暇なもんだから、この25年の主な出来事をメモにしてみた。バブル崩壊後の失われた20年と重なる職業人生。そういえば、いろんなことを経験しました。国税の職場にいたころには、防弾ガラスの向こう側の出来事が、身辺近くで起き上がる。渦中にいたころには分からなかったけれど、こうして病院の個室から想い起すと、日本経済の縮小過程の25年、けっこう大変でしした。
2016年
12月
09日
金
組織は理念と利益がミックスされてできあがっております。会社も政党もそうであります。理念だけで組成された組織は、成長しませんし、長持ちもしません。人間、共有できる理念はそう幅広くありませんし、温度差もあります。同じ理念を個人として継続するのは困難でもあります。利益だけで組成された組織も、脆いものであります。早々に利害が衝突します。利益だけでもダメ、理念だけではなおダメ。会社では、利益に、塩コショウを多少多めに理念をふりかけた組織が生き残るような気がいたします。さて、政治政党は、どうなんでありましょうか。
2016年
12月
08日
木
小林清親、明治の浮世絵画家。明治に入り失われつつあった江戸の名残を描き留めている。その風景画の一つである浅草田圃太郎稲荷。事務所から歩いて5分の金竜小学校の向かいにあった。もともとが、柳川藩立花侯の下屋敷鎮守である。享和年間(1801年から1804年)に麻疹への治癒祈願からその参詣が流行り出し、慶応3年<1867>9月の頃より太郎稲荷へ参詣群集は大流行したいう。参道の両側には『茶店、食舗等立てつらね、桜の稚木を栽へ並ぶ事一町程なり』の状態であった。翌年の維新とともに次第に絶えた。清親が描いた絵に隆盛の面影はない。この絵にみえる鳥居の向かいの風景が、浅草田圃だろう。当時の事務所周辺は、浅草田圃、入谷田圃の田園に囲まれていた。広重の浅草田圃酉の町詣の絵とともに、当時の田圃の風景が偲ばれる。
2016年
12月
07日
水
松葉杖。これがけっこう難しい。何ごとも経験しなくてはわからない。とくに、弱者が健常者と同じ土俵で生活することの困難さは、経験しなければわからない。まだまだ社会は、弱者は健常者を邪魔するな、という思想で設計されている。無意識に造られた競争社会は、無意識に弱者を排除している。ということで、今日は松葉杖を人生で初めて経験する。
一昨日に引き続き、忘年会の話題。1970年代から80年代。体育会系の私は、若いころから宴会担当を拝命し、会場手配、シナリオ制作、司会、監督、プレイヤー等々とその役を極め、1990年に入るころには、宴会全体を仕切るようになっていた。それこそ、身に着けた宴会芸は、やや品のないものを主体として、このまま埋もれさせるには惜しい、と思うものもいくつかある。そろそろ後進に道を、と思う頃にバブルがはじけ、カラオケがあっという間に登場し、忘年会を席巻するようになった。宴会芸の衰退である。日本のサラリーマンに脈々として蓄積されてきた至宝の宴会芸。タモリ御大を生み出したイグアナ芸も宴会芸。この時期になると、あの頃の忘年会が懐かしくなる。もっとも、セクハラとパワハラの集大成のような宴会だが。俺の酒が飲めねえか!!言われる前に飲んでましたけど。
2016年
12月
05日
月
今日は、毎年恒例の明治:早稲田のラグビーテレビ観戦。缶ビールと柿ピーを共に、といきたいところだが、ここは聖路加。そこまでの掟破りをするするわけにはいかない。おとなしく麦茶観戦。久しぶりに大学ラグビーらしい好試合を堪能。前へ、前へ。愚直に前へ。不器用でも前へ。だからラグビーが面白い。しかし、ベッド生活も疲れる。
主治医にまだ相談していないのだが、何を心配しているかというと、これから始まる忘年会。先月の28日(月)に入院し6日。早めの忘年会を先月2件こなしたものの、これからが忘年会の本番。私が出なければ始まらない、と、責任感と強迫観念を抱いている忘年会が、9日(金)、10日(土)、13日(水)、15日(金)、24日(土)。さて、退院が間に合うのか。
2016年
12月
03日
土
私の頭は、そうとう固い。古くて固いのかもしれない。今日、カジノを含むIR(統合型リゾート施設の整備を推進する)法案が、衆議院内閣委員会で可決された。「ギャンブル依存症の人が増える」といった懸念が危惧されるという。私は、ギャンブル依存症には興味はない。個人的には、賭け事は嫌いではない。自己責任の世界である。かのドストエフスキーも依存症であった。で、『賭博者』という名作が生まれた。ルーレットのボールの行くへに血が沸き立つ世界も、あってもいい。依存症(dependence)の原因はいたるところにあり、博打だけだはない。そのすべてに蓋をすることはできない。すべきでもない。何かに依存するという自由は、哲学の問題として個人の権利として留保したい。でもである。博打を国家が容認するのは、パチンコと競馬の範囲に止めていただきたい。ということで、法案の意味が全く分からない。この日本の国土に、博打タワーなんてのを許すことはできない。日本という風景、風土にそぐわない。美しい国日本、と矛盾するのではありませんかえ、と、少々己の頭の固さを疑いながら憤慨した一日であります。
2016年
12月
01日
木
ベットに縛られること4日間。こうなると拷問にも等しい。ただ、一部の冤罪を除き、すべての罰が自業自得であるように、私の場合も完璧な事業自得である。と諦めて、日本経済の失われた20年に関する本を読む。我々は何を間違えたのか。失われた20年のその前の20年も生きてきた者として、たまには殊勝に反省をしなければなりません。人も国も、病には原因があります。